馬鹿の栄光と知恵者の憂鬱
ここにある王がいる。通称をジョウモ王という。先だって、父が謎の急死をしたために王子としてついていた軍務をはなれ二十七でその座をついだ男である。
不幸はつづくものであわただしく王位をついでからわずか半月で外戚の叔父が別の王子を旗頭として反乱を起こしたという知らせが王都にもたらされた。その数は一万。
いまだ若年の王に付き従う兵は少なく、動かせる兵はわずか五千。倍の敵が攻め寄せてくるとの報せに誰もが浮足立った。王都は守るには難い場所であったうえに先だっての王の葬儀と戴冠式で庶民に糧食をふるまったために籠城するほどの物資もなかったのだ。
そんな時だった。物見が報告を携えてやってきた。王の縁者が慌てて使者を送ってきた。砦の責任者が問い合わせてきた。
情報を総合すると敵は東の四千を本陣として、北方に三千、西方に三千の兵をわけて進軍していることが明らかになった時、宮廷はついに騒然となった。万が一にもジョウモを取り逃がさないために完全に包囲する叔父の意図がそこにはあらわれていた。北方から、西方から、東方から一万の兵がわずか五千の兵しかもたない若年の王に攻め寄せる。
王は臣下を集め、この国難に議論をおこなった。ときにジョウモ在位半年足らずのことである。
ちょくせつは血の繋がらぬ外戚の叔父が挙兵したとの報をうけたとき宮殿は二つに割れていたが、敵の兵が倍すると聞いたときこの年若い王を旗印としてあくまでも抗戦しようという者は劣勢になっていた。先代の王の遺徳がまだ残っているというのに抗戦を支持する者はわずか三割といったところであった。
ひとつには相手の旗印もまた先代の王の血筋であったため家臣たちの忠誠心をまげるにかれらに良心のせめるところが少なかったこと、二つには降伏するなら現王の命はとらず家臣たちの地位もそのままにすることを相手の使者がわざわざいってきたことである。
だがどれほど降伏派に優位に議論がなされようとジョウモは一言も発しなかった。ついにひとりの家臣が進み出て王に諫言した。
「あなぐら王、降伏いたしましょう。戦わず退位なされば命まではとられますまい」
これはあきらかに臣下の分を超えた無礼なふるまいだったので非難の声があちこちからあがった。
「何をいうか!?陛下こそ正統なるあなぐらの王!」
「控えろ!無礼者!」
「先代様は確かに陛下をご指名なさったのだ!」
だがジョウモの次のセリフに彼らは一様に色を変えた。
「決をとろう。降伏を取る者はわれの右にならべ」
「陛下!?」
そういってジョウモは玉座を降りて自説を主張する論者達の前へ進み出た。
抗戦を支持していた家臣たちは驚愕で身を固くし、降伏を支持していた家臣は誰もが胸をなでおろした。
「抗戦を支持するものは左へ並べ」
決とは採決のことであり、君主が家臣たちの主張を明確と分けたいときにおこなう方法である。だが主君たる王までが玉座を離れて決を促すような事態はこの国にはかつてなかった。
このときジョウモのかつてなき振るまいは抗戦派にも降伏派にもその思考の形態は違えども同じ結果を両者のあたまにもたらした。
すなわち家臣たちの決で降伏が多いことを理由としてジョウモ王は退位するのだと。
ただし、同じことでも受け取り方は違う。その反応は全く別の二つで表出した。
「陛下!ご再考を!」
「そうですぞ!ことを決めるに必要なのは王の決心だけです!」
今度は降伏派から非難のこえが上がった。
「見苦しいぞ!陛下が決をとられるとおっしゃられたのだ」
「情勢がわからんのかばかどもめ!」
国をつくる重臣の言葉としては粗野だったがそれは一面の真実を表していた。
「陛下、おやめくだされ」
この時、今は亡きジョウモ王の傅(ふ;教育係のこと)だった老臣がジョウモの衣服の端にすがった。地位や身分はすでに高くなかったが王との関係からその場に出ていたのだった。衛兵が思わずその媼の暴挙を留めようとした。
「よい、これは俺が赤子の時からの付き合いだ」
そういってジョウモは衛兵を制した。
「はなせ、じい」
「陛下、私は陛下に忠誠を誓った身です。ですが同時にこの国の臣でもあります。正当な手続きで決められた王統に異を唱えるという法を無視し、平地に不要な乱をおこし民を苦しめ、陛下のご政道もよきものかわろきものかもわからぬこの時に理もなく兵を持って不意打ちのようにおそいかかる」
老臣の手がいちどジョウモの服を強く握りしめた。
「法をやぶり民の安寧をおびやかし正義もなく、甥を攻める。このような王に何を率いる資格がありましょうか。陛下!お願いいたします賢明なるご判断を」
それでも移動しない抗戦派にジョウモはため息交じりに再度命じた。
「……抗戦を支持するものは左だ」
そして離れた。そして彼は左へと向かった。
「御意」
そうしてジョウモは左右に家臣を分けた。若王をかついで戦おうという王の臣はさらに減り、二割しかいなかった。先ほど王に直截降伏を勧めた家臣がふたたび王に向けて発言した。
「陛下、決をを取りましょうぞ」
「まあ、待て…………決を採る前に一応確認しておこう」
居並ぶ者すべての目がジョウモへと向けられた左をみてジョウモは口を開いた。
「……………今、叔父上が倍の兵力を擁してわが方に攻め寄せようとしている」
その声は諭すような響きをおびていた。
「くわえて宮殿にたくわえられている糧食は籠城にたる量ではない。この宮殿は政務や交易を行うにはよいが守るに難しい。それでもお前たちは戦おうというのか」
ジョウモが抗戦を支持した者たち全ての顔を眺めまわした。もはやだれも動こうとはしなかった。
ジョウモはうなずくと右を向いた。自分に忠誠を誓っていた
「頭の固い連中はこれだからこまる」
どっと、降伏を主張していたものの一部から笑い声が上がった。それは勝利を確信したものの浮かべる残酷な笑みだった。ジョウモが笑い声で今度は右手の家臣を向いた。
さすがに気まずく感じたのかジョウモがそちらを見ると笑い声はみるまにしぼんだ。
ジョウモは不敵に笑った。それはほかの王族を押しのけて王位についた男の剛毅な笑みだった。
「それにくらべてお前たちは実に賢い」
中にはジョウモの視線に自分たちがこの王を退位させようとしていることをおもいだし視線をそらすものもいた。
「善悪を無視すれば、王宮にいる役人全てを殺すのはありえない」
真っ向から受け止める者ももちろんいたがそれは反省からではなく、ジョウモがもう王位につこうとはしていないと決めつけているからである。
「この国を統治するには叔父上の手のものだけでは足りない。つまり降伏したとしてもお前たちの大部分の生命は確かに保障されるだろう」
そこまで言い終えるとジョウモが手を叩いた。
すると武装した王の腹心の部下が玉座の間になだれ込んできた。明らかに王宮に出入りできるような身分のものではない。殺気立った一団である。
「王!?」
「これはいったい!?」
混乱する降伏派の部下たちは抗議するまでもなくしばり上げられ、抗戦を言いつのっていたものは歓喜の声を上げた。
「降伏なされるのではなかったのですか」
ジョウモはその一切を無視すると。
「監禁しておけ、ただし殺すなよ」
「はっ」
ただ、短く乱入してきた武人たちに命じた。あらかじめ決められたようにジョウモの命によって降伏派の人々は宮殿の別所に閉じ込められた。
(王が変わりながらも、変わらず新たな王のもとで暖食を貪ろうというわけか……くさっているな)
のこった人々はあっけにとられていたがジョウモは続いて吠えるように号令を下した。
「皆の者!ほこるべき馬鹿者どもよ!よくぞ覚悟を決めてくれた!正統なる王位はわがもとにあり、不誠実な正義なき偽王を叩くぞ!」
さきほど王にすがりついた老人が感極まったように泣き出した。
「われらは王とともにあります!」
「王よ!」
「わたしもです!」
くちぐちに賛同の声が上がる。もはやだれも降伏などとは口にしなかった。降伏を主張していたものは全て排されたのだから当然ではあるが。
「うむ!じい、おぬしに兵五百をあずける。みやこの守りはお前にまかせる。よいかこれより猫一匹たりとも軍勢以外はそとにだすな」
「ははっ」
いきおいよく返事をすると老臣はひざまずいた。ジョウモがさらに続けた。
「ではいくぞ!出陣だ!」
いまや軍装に身をつつみ、武人となった王はおなじく武装した諸将にまず言い放った。
「叔父上はあやまった」
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偽王軍、反乱軍とも称される西方の指揮官はアルブミーといい、王国にあっては貴族の地位に列せられた男だった。背丈はともかく肩幅と厚みが常人の倍近くある肥満した肉の巨人である。三千の兵を引き連れて王都へと進軍していた。
「ジョウモ王め、いまごろ宮殿でふるえておろう」
一万の兵に対してどうやって五千でたたかえるというのだろうか。くわだてが成功し自分が将軍なり大臣になったならばあきるほど美食をむさぼろう。はちみつ漬けの牛肉焼き、香草づめの川魚、クルム卵と岩塩の果実酒。
鞍上のうえでじぶんたちの成功を小骨ほども疑っていないアルブミーが好物の妄想にひたっていたが、にわかに斥候が報告をしてきたため、現実の世界に戻らざるをえなかった。
「なんだ」
しぜん、不機嫌にアルブミーは尋ねた。
「はっ、この先の関所の兵が戦いの構えを見せておりまして。門をとじ、やぐらの上に弓兵もかまえているようです。勧告もしたのですがまるで動じる気配もありません」
「ちっ、いまさら忠義づらしおって」
関所など王国内にいくらでもあるが、ほとんどは百にとどかない程度の兵がいるばかりである。
「どのくらいがこもれそうな関所だ」
「小さな関所ですので五十ほどかと」
「ふむ」
馬首をめぐらせ報告のあった地点まで軍勢がすすむとアルブミーは気の抜けた声を上げた。
「なんだ、あんなぼろの関所か」
森の中をとおる数少ない街道をふせぐように関所が備えられていた。周囲を塀で囲み、木製の大門のそばに馬防柵や物見矢倉がしつらえてある。馬防柵とはいえ数は少なく、物見やぐらも門も高さがひくい。
盗賊をふせぐなり、農民の反乱や森のけだものをくじかせるには十分な備えだろうが二千の軍勢をふせぐことはできないだろう。いまごろ中の連中もおもった以上の軍勢がせまっているのにきづいてこうかいしていることだろうとアルブミーは考えた。
「おいっもういちど降伏の勧告をしろ」
「はっ」
だが、部下がもういちど降伏するようにいえばひらくだろうというアルブミーのもくろみはすぐさまくずれさった。使者が近づこうとすると物見やぐらから何本かの弓矢や投石が飛んできて使者に甲状すら述べさせようとすらしなかった。
アルブミーはこの行為に強い不快感を覚えた。
ここまで二千の兵が決しておだやかな目的で王都に迫っていないのがわかっても、みなわが身かわいさにアルブミー達を通してきたのだった。
それがあと少しというところで急にその進軍をとめられたのだ。小魚がのどの骨につまったような、肉片が奥歯の間に詰まってとれないかのような不快感をかんじてアルブミーは命じた。
「ひとおもいに踏みつぶせ」
かくしてわずか五十の兵が立てこもる関所に先鋒三百が三十人を十列にした陣で勢いよく関所を打ち破ろうと声を上げながらせまっていった。
丸太をかかえ、矢を防ぐために周りを盾でまもって近づいていく。
「…………?なぜ奴ら動かんのだ」
アルブミーが関所の動きのなさをいぶかしんだ。ただでさえ少ない関所の兵がやすやすと先方の接近を許している。
さあ、あと少しというところで突然門が開いた。
打ち破ろうとしていた門が突然開き、ばっと騎乗した武将につれられた兵がとつぜん襲い掛かってきたのである。アルブミーはうめいた。
「な、なにっ」
呼吸を崩されたのだろう先鋒三百はくずれに、くずれた。砦攻めの構えで、いきなり乱戦に持ち込まれたのだ。
「いかん、隊列ぅうーならべえっ!」
アルブミーがあわてて指令を出したところ何とか間に合った。門から出てきたのは五百がせいぜいといったところでこのままいけば勝てるだろうかずだった。
それに気付いたのだろう、味方の将官からも檄が飛んだ。
「あわてるなっ!」
「いきおいあれども敵は小勢!数の差をわからせてやれ!」
いまは関所方にいきおいがあるが時間とともに数の差が出てくるはずだ。実際、初めの衝撃から立ち直った本軍は冷静に相手と対峙できるようになった。
「このままつつみ込め!」
そうしてアルブミー達が正面の戦力に向けて陣を組みなおしたときだった。
突然、関所の両脇の森の中からわっと鬨の声が上がって、関所の小勢を包み込もうとしていたアルブミー達をさらに外から包みなおした。
「なにっ!?」
「くそっ」
動揺するアルブミー達を嘲笑するかのように後方からさらに鬨の声があがった。振り向くとアルブミーはうめいた。
「…………!しまった」
飛んでくる矢、矢、矢。そして疾走してくる騎馬隊、戦うまえから勝敗は見えていた。ジョウモが叫んだ。
「逃げる者は追うな!逆らう者には容赦するな!」
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相手がうって出てこないと油断していたところでジョウモがうって出てきたため狼狽した西方はひどい大敗となった。三千の雑兵を蹴散らすにわずか三十の犠牲があるだけだった。
「大勝ですな殿下」
「うむ」
ジョウモはほぼ全軍の四千五百でアンドラスの宮殿をあえて完全に捨てて出陣した。はたして五千対一万だった勝負は四千五百の精兵対西方三千の雑兵とあいなった。
「では行くぞ、次は北だ!」
先勝にわく配下を叱咤して、ジョウモはさらに北方の三千へと向かった。これまた前の繰り返しとなり大いにジョウモは敵を打ち破った。
そこで近衛の重臣がジョウモに馬を寄せて進言した。
「ジョウモ様、これでのこる相手は四千。いったん兵を休ませましょう」
また別の将がそれに追随した。
「なにより今から急いたとしても、四千の兵では反乱軍のところにつく途中には日が暮れます」
「ならばよい、好都合よ。数をたのみて挙兵し、その数を分けた。私は時を味方として三つに分かれた軍勢が相互に連携を取るまえに彼らを各個に撃破した。いま、疲労を卿は問題としているが疲労を除くためだけにここで止まることで。叔父のもとに数は戻り味方とした時ももはやこちらになびかぬだろう。よってとまるまい」
ジョウモはそういって諸将の言を断ち切ると進軍を宣言した。
時に在位一年あなぐらの王ジョウモは叔父を撃破し、あなぐら内での主権を確かなものとする。