終わりと始まり
最初に記憶にあるのは小さな動物を殺す事からだった。犬だったと思う。
私は腕を噛まれて力の入らない手で血で滑る剣を握り、尻尾を丸めて怯えるように威嚇する犬を睨んでいた。
「死にたくなければ殺せ!」
アリーナの観客席には職員が何人か居て、その中で髭を蓄えた太った男が私に檄を飛ばしていた。
わからないが殺すしかない。そう教えられたから。
剣の使い方や言葉は小さい頃から学んだのだろう。
ちゃんとした記憶はこの犬を殺した時からしかないが、薄ぼんやりと勉強をしたというそんな記憶もある。
私は震える手と足に何とか力を入れ、逃げようとする犬の腹に剣を突き出してその切っ先を差し込んだ。
肋骨に当たったのか最初は硬い感触がし、そこを抜けてからはするりと胴に鉄剣は差し込まれた。
ギャンと甲高い声を出して口から血を吐き、恨めしい目でこちらを睨みつけながらその場に犬は倒れた。口から、そして剣を抜いた腹からは夥しい量の血が流れていた。
呼吸は段々と弱まり、こちらを睨む目は光を失っていく。
私は息を飲んでその犬を見る。
私が刺して、殺したのだと。
震える手と、妙に生々しくあの骨を断ち肉へと至る感触が頭に刻まれていた。
それが最初だった。
今日は誰を殺すのだろう。
最初は犬、次は家畜、そして魔物、それから人間同士へとなるまでに数年間の月日が流れた。
人間同士、それは勇者候補生だったのだろう。
目を見ればわかった。
ああ、この人は私と同じだと。
暗く暗く、光を失ったあの犬のような目。
鉄剣の鈍く光る刃に映る私も同じような目をしていた。
また誰かを私は今日も殺すのだろう。
私が生きるために。
あの地図の挿絵、その世界を見たいから。
それだけの為に私は生きるのだから。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
アリーナへ入り、辺りを見回す。
いつもであれば今日殺す相手と私と、そして観客席には数人の職員が居る筈だった。
だが今日このアリーナには今9人の私と同じぐらいの年齢の子達がいた。
この子達もまた勇者候補生として殺し合いを行ってきた子達だろう。話した事はないが顔だけであれば全員見た事があった。
私で最後だったのか、職員の一人、太った男が頷いて私達を見渡す。
余談だが私はこの太った男を心の中で≪豚≫と呼んでいる。何のひねりもないが3番目に殺した豚とこいつはそっくりだったからその日に名前をつけてやった。
「これで全員揃ったな。よく聞け!今日をもって地下室から解放する!」
そう宣言された時には私は耳を疑った。
もう何日、何年になるかわからないこの暗い地下室から解放をされる…?
それは自由という意味なの?
物心付いた時から地下室とこの殺し合いをするアリーナの往復だけ。
それだけが私の人生だった。
それが終わる……?
「お前達は今日で10歳になる。勇者としての資格の発露が見られた者は出てこなかった。今日最後の試合で発露が見られない場合勇者としての発露期限の10年を過ぎる為お前達は該当せずという事だ。わかったならそこに並べ。勝者には恩赦として解放を約束しよう」
今日で終わり……それがどうしても信じられなかった。
ここが普通の場所ではないことはわかっている。
地図と一般知識の本はもう何十回と読んできた。それこそそのページに何が書かれているか暗唱出来るほどに。
国があり、町があり、村があり、世界には太陽という光り輝く星に照らされた悠久なる大地があり、塩水に満たされた広大な海があり、太陽が隠れれば闇には月という淡く光る星が照らす山々がある。そんな世界に私は行けるのか。夢なのではないだろうか。あの挿絵に描かれた、そんな世界に私は立てるのか。
一瞬呆けてしまっていたがすぐに頭を切り替える。
駄目だ。生死がかかるこのアリーナにおいて冷静に物事を判断出来ないと即時死に繋がる。
一度余り眠れずに寝不足のままアリーナに入った時に大怪我を負った時に学んだ事だ。
もう一度≪豚≫の話を反芻する。
≪勝者には≫つまりこの10人で殺し合いを行えという事だろう。
何のために?そうは思うが勇者候補生と聞かされて延々と殺し合いをしてきたその終着点が近づいているのなら、私はそれを掴む。
周りを見ると他の9人も目に光を帯びていた。
私と同じ生活をしてきたのならそうだろう、私も出たい。ここから出たい。地下室でもなくアリーナでもない、太陽と月のある世界に私も出たい。
「では、勝ち抜き戦で行う。時間が無い。すぐに始めよ」
そう言われ私達は2列に分けさせられ、手錠を外されていく。
「向かい合え、そいつが相手だ」
右を向いて相手を見る。私の向かいには黒い髪を短く揃えた男の子が居た。
私よりも少し背が高い。
右手には杖を持っていた。
おそらく私よりも魔法が得意なので魔法を重視した戦い方をするのだろう。
こちらが視線を送ると向こうも視線を返してきた。
目には力強い意思と、生きる希望が見える。
そんな目を私もしているのだろう。
私も生きたい。私も外に出たい。
だから……
「始め!!」
ごめんね……
チンッという心地良い音が鳴る。
腰の鞘に剣を納める音だ。
流れるような詠唱だった。私はあんなに素早く詠唱出来ないでしょうね。
あれだけでも彼がどうやって生きてきたのかも、どれだけ魔法に時間を注いできたのかもわかる。
それでも、御免なさい。
貴方の屍をこえて行かないと、私には道はないの。
ゴッという鈍い音と共に彼の頭が地面に落ちる。
続いて彼だった物が力無く膝から崩れ落ちる。
首から上は無く、血を床に私にと噴水のように辺りを赤くしていく。
「終わり!!」
周りを見渡すと私と同じように試合は終わっていたらしい。
黒焦げになった焼死体、外傷が見当たらないが床に伏せている者、細切れになっている者、そしてお互いに胸を突きあって死んでいる者達……相打ちね。
「丁度いい、5名からどう絞ろうかと思っていた所だ。勝った4名!もう一度2列になれ!」
休ませてくれる気は無いらしい。
逆らっても無駄だというのはこの何年もでわかっている。
殴られて言う事を聞かされるだけだ。
無駄な体力を使う必要はない。
すぐに皆も列を作り2列になった。
「向かい合え!」
今度は無手の少女だった。
体術だろうか。それにしては細身だ。
「そいつが次の相手だ」
観察をする。
相手の女の子もまた私の一挙一動を観察しているけど残念ながら私は見ての通り剣以外使えないわよ。
細く、そして滑らかな動き……
「始め!」
暗器使いね……
ギンッと鈍い音が響く。
私の一閃は彼女の右腕で防がれている。
恐らく鉄板か何かか。厄介。
一度剣を引こうとすると彼女が左手を突き出してきた。
一瞬光が見える。恐らく仕込み針。一度使われた事がある。
左手の延長線上から身を避けて彼女の左半身側へと潜り込む。
驚いたようにこちらに向けて左手を向けようとするが
遅い。
腕を切る事が出来ないなら何も防御していない場所を切る。
早く、早く!
両手で持っていた剣から右手を離し私も左手を伸ばす。
渾身の突きを彼女よりも早く!
剣先は彼女の左目を貫き一気に頭蓋の中を突き進む。
硬い感触に邪魔をされるがそれでもなお力を込める。
赤く滑り光を放つ切っ先が、後頭部から生える。
御免なさい。
目を、脳を、剣は貫き彼女は地に伏せた。
私は生きたいの。
「終わり!」
職員の号令で全ての戦闘が終わった事を知る。
横を見ると向こうはもう終わっていたらしい。
地面には女の子が転がっていた。足元の女の子には一瞥もくれず私のほうを見ている男の子がいる。
私の最後の相手は彼らしい。
ニヤリと獰猛に笑い、私を見ている。
戦い方を見られたのだろうか、それはよくない。私は彼の戦いを見ていない。
「あとはお前達だけか……誰も勇者の発露はなかったな。お前達で最後だ。勝者に解放を約束する。これで最後だ……」
≪豚≫がブヒブヒ煩いが私は情報を集める。私は彼を見つめる。
口元は笑っているが、彼の目は……
彼は笑みを崩さぬまま一言を私に投げかけた。
「始め!!」
チンッという心地良い納剣の音。
そして耳に残った彼の言葉。
(呪われろ、勇者よ)
勝ったから私が勇者だというのか、それともこのシステム自体への怨嗟だろうか。
どちらかはわからないしその答えをしる彼は首から上を両断され地に伏せている。
彼の気持ちはわからない。だが彼の虚ろな目には生きる希望は見えなかった。
死にたいのなら恨みを抱えて死になさい。
貴方を乗り越えて、私は生きる。
太陽と、月の下、この大地で。この世界で。
挿絵の世界を、私は見たいの。
ただ、それだけの為に人を切る。
それが私。
「0925号、おめでとう。約束通りこの地下室からの解放を、そして君に餞別の奴隷紋を渡そう」
でも、この地獄を抜けたからといって
そこは天国だと誰が言ったのだろう。
次話:9月16日18時投稿
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