駅のホームにて。
「やめなさい、やめなさい、やめなさい、」
ぶつぶつと呟くその声のおかげで、小説への注意はそらされた。顔を上げて隣を見ると、四十がらみのオバサンが、もう一つ隣にいる女性を睨み付けている。
ーーああ、『そっちの人』か。
宗教家なのか痴呆なのか知らないが、こういう『そっち』系の人をなぜかこの駅では良く見かけるな。そんなことを思って、すぐにオバサンに対する興味は失った。怯えているのか、小刻みに震えているOL風の女性に少し同情する。もちろん、同情しただけだったけど。
視線を読みかけの小説に戻して、私は電車を待つ退屈な行為を再開した。男声のアナウンスで、次の電車もこの駅を通過することが伝えられる。大学前の駅なのだから、急行くらい止まってくれてもいいだろうに。進学するなら、ここの大学はやめておこう。立ちながら本を読むのもいい加減疲れた。
「やめなさい、やめなさい、やめなさい、」
オバサンはまだ意味の分からない警告を続けている。飛び火しない内に離れておこうか。
急行電車が見えてきた。停車する気配は毛ほども感じさせない。
「やめなさい、やめなさい、やめなさい、やめなさい、やめ……さ……い、」
警笛の音が、いつもより長い気がする。オバサンの声が走行音と警笛に掻き消される。ゾッとするような違和感から、私は隣を見た。
OL風の女性が、ふっと前に出ていた。
一瞬の猶予もなくパッ、と破裂音が響いた。細切れになった赤い塊が真上に飛んで、私はそれを目で追っていた。瞬間が、いやに長かった。何が起きたのか。最も早く気づいたのは、きっと、あのオバサンだ。
だって彼女は、初めから、始まる前から、分かっていたのだから。
列車の進行方向から、誰かが嘔吐する音が聞こえて、ようやく私は事態を悟った。死体を見ずに済んだことと、嫌な叫び声を聞かされなかったことに安堵して、出来るだけ急いで改札に向かう。
呆然としていたオバサンには、心の中で侮辱したことを、心の中で謝罪する。
オバサンは、薄気味悪い笑みを浮かべていたから。
彼女は、正真正銘にイカれていたんだ。