柿の木
生まれてこの方私は自分の人生などというものを考えた事がなかった。多くの人がそうであるように家族を作り、酒を飲み、歌い、笑い、泣いた。確かに裕福ではないが貧しいとも感じなかった。後悔は無いかと問われれば妻にもう少しだけ楽をさせてやれればと思うくらいだろう。そして、いい 人生だったかと問われたら笑み返すだろう。私は十分生きた。 ありがとう、ただそれだけだ。
柿の木-----------------------
たわわに実った柿の木の下で孫の佳枝が色づいた柿を見上げていた。青く澄み切った空にはカラス一羽飛んでいない。秋祭りも終わり村の暮らしも冬支度に入ろうとしていた。この土地に生まれ育った私にはここの暮らしが全てだった。都会に出ていった仲間もいた。時折同窓会の誘いもあるが、60を過ぎた旧友の顔は自分の老いを見せつけられるようで切なくもあった。
「おじいちゃん、この柿、孝治とジニーにあげていい?」
「それは渋柿だから食べらんねな」
「なーんだ」
「甘めしといた柿があるすけ。待ってろ、今爺ちゃんが蔵に取りに行ってくるから」
佳枝の目尻が途端に下がった。
「私もいく」
「そっか、じゃあ爺ちゃんといっしょにいくか」
「うん」
まるでナタを振り落とすように佳枝は頷いた。
私には四人の孫がいる。それもみんなそれぞれ父親の違う子だ。38になる娘、麻子は短大を卒業すると直ぐに、そこで講師をしていた男と結婚した。そしてすぐに哲夫が生まれたが夫婦仲は続かず、結婚は三年で終わった。先方の家は初孫を手放したくないと、娘一人実家に戻されあっけなく離婚はまとまった。しかし麻子は私達の前で弱音を吐かなかった。出直しだとすぐ地元の食品会社に仕事をみつけ働きだした。
半年ほど経った頃だろうか、娘は度々外泊をするようになった。妻、知子は女の感なのだろう娘に新しい男が出来たらしいと私に言った。残してきた子供のことを思い出すのだろう、時折り隠れて麻子が泣いていると妻に聞かされていた私は心なしかほっとした。親ばかと分かってはいるが、娘は決して男遊びをする女ではない。心根の優しい素直な子だ。ただ一つの欠点は好きになってしまうと後先考えず相手の望み通りの女になろうとする事だった。一途と言えばそれまでだが、親の私にしたら危なっかしく見えて仕方なかった。
離婚から一年後、麻子は妊娠を期に再婚をした。相手は会社の同僚の男だった。ふたりは隣町のアパートに新居を構え、新生活を始めた。その時産まれたのが佳枝だ。妻は孫の哲夫と会えなくて寂しさがつのっていたのだろう、佳枝の誕生をことのほか喜んだ。
「さあ篭をおだし」
佳枝はプラスチックで出来た緑色の篭を両手に持ち、私が樽から取り出す柿に目を輝かせた。本当は渋の抜けた頃を見計らって孫達に送る心積もりだったのだが、その前に麻子は子供三人を連れて帰ってきた。
茶の間へ戻った私と佳枝は、テーブルに載った真っ赤に熟れた柿を挟んで向かい合った。
「爺ちゃんがむくっけ」
「私がするよ、包丁かして」
佳枝は今年6年になった。来年は中学というのに体も小さく心配なくらいだった。
「あぶないいや、こら佳枝」
「爺ちゃん、私もう子供じゃないのよ、ご飯だって作れるんだから」
「そうなのか?」
「うん、ご飯も炊けるし、カレーも、それにそれに...えっと」
指を折りながら得意げに話す佳枝。最近は嫁にいくような年になっても包丁一つ使えない娘がいると聞く。佳枝は必要に迫られて家事をやるようになったのだろうが思えば不憫だ。
あれは佳枝が三歳になった頃だった。父親はアパートを出ていったまま帰らなかった。勤めていた食品会社が倒産し、次の仕事がなかなかみつからず荒れていたそうだが、本当の原因は麻子の浮気だった。後で知ったことだが、亭主は毎日のように酒を飲むと暴力を振るい、そんな生活に疲れた時の過ちだった。相手は亭主と仲のいい同僚で、麻子の相談にのるうちに一夜を共にしたらしい。しかし夫の様子がどうもおかしいと、その同僚の奥さんが麻子の亭主に相談をもちかけ、事が発覚した。翌日麻子は体中に青アザを作り、右目を腫らし佳枝をつれて実家に帰ってきた。暫くして亭主から離婚届けが郵便で送りつけられてきた。麻子は何も言わず、それに名前を書き判を押した。私にはその朱肉の赤がとても薄く感じられた。まるで娘の気持ちを表しているようだった。
「孝治、おやつだからジニーをつれて来て」
佳枝は器用に包丁を使いながら奥の部屋にいる弟を呼んだ。手の中で回る柿からは少々厚めの皮がチラシの上に落ちていった。忙しい麻子の代わりに自分が兄弟の母親役にならなくてはと佳枝が自覚しているように見えた。孝治はオムツのとれないジニーを膝に乗せ、今か今かと皿を覗き込んでいる。ジニーは金髪の前髪が目にかかるのかぐずっていた。
「孝治、お姉ちゃんのバッグも持ってきて」
「なにするの?」
目の前の柿が気になり、それどころではないといかにも面倒くさそうに孝治は言った。
「ジニーの前髪とめてあげるの、目に入ってうるさそうでしょ」
佳枝にせかされ孝治は奥の部屋にしぶしぶ髪留めを取りに戻った。佳枝はジニーを自分の膝に乗せ、小さく切った柿を花のつぼみのような妹の口に食べさせた。
「おじいちゃんも食べて」
佳枝の幼き手から差し出された柿を、私は目尻を下げて受け取った。
「種はちゃんと出してね。お腹の中こわすと大変だから」
嬉しそうに笑う佳枝。甘い香りが部屋に満ちていった。
麻子に連れられて佳枝がこの家に帰ってきたときはジニーと同じくらいだった。また戻ってきて申し訳ないと頭を下げる麻子の傍らで、何も知らぬ佳枝は満面の笑顔で笑っていた。妻は肩を落としたがこの笑顔になんとか救われた。確かに過ちを犯したのは娘だが、私達親の知らないところで亭主に酷い暴力を受けていたことを聞き、娘の身体がこれ以上傷つけられなくてよかったと二度目の離婚も丸飲みにした。麻子はもう結婚はこりごりと勤めにでることも気が乗らないようで、家の中で内職を始めた。もちろん収入など微々たるもので母娘の食事代にもならなかった。
当時はまだ私も農協に勤めていたために、麻子と佳枝の二人を養うくらいのことはできた。しかし心配だったのは、このままこうしていることが麻子にとって良いことなのだろうかということだった。30前の女が世捨て人のように、実家にこもり暮らすことが娘の人生としたら、余りにも悲しすぎる。そんな思いで半年ほどたったある日私は麻子に言った。
「このままでいいのか?」
「そうは思っていないけど、どうしていいか分からないの。迷惑ばかりかけて申し訳ないと思ってる、でも私生き方不器用だから」
佳枝は唇を噛んだ。
「親の家にいて何の迷惑があろう。ただ若いお前がこうやっていていいものかとな」
「‥‥‥‥」
「世の中悪い男ばかりじゃないぞ、一度見合いをしてみたらどうだ」
「お父さんに任せるわ」
その時の娘に明確な意志など無かった。どう揺さぶってもお金のない貯金箱のように音がするはずもない。こんな時親は無力で愚かなものだ。逆らってくれれば叱り付けることも出来ようが無気力な我が子を見ると切なくて仕方ない。孫は可愛がるだけでいいが、娘の人生の道づけは親の責任と悩み続けてしまう。そして私は過ちを犯した。方々の知り合いに頼み、暴力を振るわない、賭け事もしない、女遊びもしない身持ちの堅そうな男を捜した。しかし二度離婚し、子供をつれた女を嫁にしてくれる男は早々見つかるはずもない。やはりだめかと諦めかけていた時、知人から漁師の男を紹介された。聞けばまじめで気さくな働き者だが、漁師の一人息子と言うだけで嫁の来てが無いらしかった。
渋る麻子をなんとか見合いの席に連れだした。まだ結婚への意志の固まらない娘をよそに、その男の人柄に惚れた私はこの話を勝手に進め、本人の反対がないことを同意と受け取り結婚への道筋をひいた。
「爺ちゃん、でもなんで渋い柿が甘くなるの」
佳枝は三つ目の柿をむきながら不思議そうな顔をして聞いた。
「さてなんでだろう。佳枝は頭がいいから勉強して爺ちゃん教えておくれよ」
「うん」
横にいた孝治は柿をのどに詰まらせ咳き込んで涙をだしていた。
「あんたは意地汚いからよ、ほらお茶を飲みなさい」
佳枝の辛らつな言葉に私は笑った。
漁師の家に嫁いだ麻子はよく電話をかけてきた。その声の様子からして幸せに暮らしていると感じられた。嫁の来てのない漁師の家によく来てくれたと、舅も姑も麻子を大切にしてくれるらしかった。内心、娘には押しつけたような結婚で不安はあったがこれで良かったのだと思えた。それに佳枝も先方の家で可愛がられていると聞き、また孫が連れて行かれたと嘆く妻にもなんとか我慢もさせられた。本音を言えば手元におきたいのは私も同じだった。
程なく麻子は身ごもった。その時生まれたのが孝治だった。先方の家も一刻も早く跡継ぎが欲しいと願っていたせいもあり、孫披露の時には当の亭主より、舅姑の喜びようと来たら尋常でなかった。大漁旗が港を回り、紋付き袴の亭主と家紋入りの留め袖を着た麻子が孝治を抱いて家々を挨拶に回った。そして訪問する先々に鯛と伊勢エビの折り詰めを配り、孝治を披露した。祝宴は何時間にもおよび赤ら顔の舅は涙を流して私に礼を言った。
「本当にありがとうございました。これでこの家も安泰です。俺も母ちゃんも息子と一緒になって、麻子や子供のために一生懸命働きます」
この時私は麻子をこの家に嫁にやって本当によかったと思った。妻も心底そう思っていたようだった。久しぶりに私の膝の上に座った佳枝も嬉しそうに笑っていた。
「爺ちゃん、僕達のいないとき独りぼっちなんでしょ?」
孝治が唐突に聞いてきた。妻はあることがきっかけで心労が重なり寝たきりになって、もう何年も入院していた。
「しかたないじゃない、おばあちゃんが病気なんだから」
余計なことを言うなとでも言うように、佳枝が孝治の手を叩いた。孝治は泣いた。
「こんなに可愛い孫が三人もいると思うだけで、爺ちゃんちっとも寂しくなんかねえ。それにおばあちゃんにはいつでも会えるすけ」
家内は極度の痴呆になっていた。話しかけてもぶつぶつ言うだけで会話にはならない。
「さあ、食べ終わったら、畑に行って野菜を採っろ。お母さんが帰ってくるまでに美味しいものを作ろうな。お前達が帰ってきて爺ちゃん大忙しだ」
そんな順風満帆と思っていた矢先、悲劇は起こった。台風が来そうなのでその前に仕掛けておいた網を引き上げようと、亭主達はそそくさと船を出した。その日はえらく大漁だと亭主の喜ぶ声が家の無線スピーカーを震わせたそうです。
「待ってろ、今日は佳枝の大好きなヒラメ持って帰るからな」
しかしそれが麻子の聞いた亭主の最後の声となった。船はその後音信不通になり、夜になっても戻ってこない。風はますます強くなり海は大しけで捜索隊のヘリも出せなかった。結局ただじっと台風の過ぎ去るのを待つしかなかった。私達夫婦も麻子からの知らせで夜中に駆けつけた。6歳になった佳枝は家の中の緊張を肌で感じていたのただろう、今にも泣き出しそうな顔で妻に抱きついてきた。麻子はもうすぐ一歳になろうとする孝治を抱きかかえ、ぶるぶると震えていた。
「おとうさん...」
「大丈夫だ、きっとどこかの港に避難している」
翌朝の港は憎らしいほどの秋晴れだった。カモメが高い空をどこまでも気持ちよさそうに羽ばたいていた。私達は漁協に行き、無線に入ってくる情報に耳を固唾をのんで聞いていた。そして正午、悲しい知らせが入った。麻子の亭主達が乗った船が、40キロ離れた沖合で転覆しているのが発見されたというものだった。そして一時間もしないうちに付近を捜索していた海上保安庁の巡視艇から、一人の溺死体が見つかったと続報が入り、身元確認のため隣町の港まで来て欲しいと言われた。私達は車を飛ばした。その時の私はどこをどう走ったのかも定かでないほど動転していた。赤信号が点滅するのも突っ切ってアクセルを踏んだ。後部座席で青ざめる麻子。間違いであってくれ、神や仏、キリスト、それこそありとあらゆる神に私は祈った。しかし、願いは無惨にも砕け散った。港に着くと野次馬が青いビニールシートを取り囲んでいた。
「こちらです、ご確認下さい」
制服姿の男は白い手袋をはめた手で青いビニールシートをめくった。麻子は絶叫し、妻は港のコンクリートに倒れたこんだ。佳枝も泣いた。私は、自分の犯した過ちに苛まれた。何故漁師の家に娘をやったんだろうと。
「すまん、麻子すまん、みんな父さんが悪いんだ」
「あなた...、目を覚まして、息をして、麻子って呼んでよ。いやだよ...」
自分の愚かさに死んでしまいたかった。出来ることならこの命、物言わぬ亡骸に吹き込みたかった。カモメが頭上を旋回しどこかへ飛び去っていった。まるで魂をあの世に連れて行くかのようだった。その日の夜までには舅達の遺体もみつかった。弔問に来た漁師仲間から聞いた話では、船に大量の魚を積みすぎていたのが災いしたらしい。台風のくる前に無理して船を出したところに予想より早く低気圧が接近した。港の何倍もの波が沖合でうねった。普段なら何とか制御できたはずの船も、魚の重さに負けたのだろうと聞かされた。
「ばかよ」
呆然と棺の亭主の頬をなでる麻子、孝治は私の膝の上に抱えられ、佳枝は塩おにぎりを一つ渡され、紫色の普段座ったこともないようなふかふかの座布団の上でうなだれていた。妻が寝込んだのはこの時からだ。
野菜といっても手入れの行き届かない畑には芋しかなかった。私はジニーが風邪を引かぬよう毛布にくるんだままおんぶしていたので、今夜食べるだけのサツマ芋を子供達に掘らせた。
「せーの」
芋の蔓を力任せに引っ張ろうとして孝治は尻餅をついた。佳枝は両手にサツマイモを持ち嬉しそうに私に見せた。彼女は自他共に認める芋娘、いや芋大好き娘だった。今夜は大学芋にでもしよう。
また麻子は実家に帰ってきた。無理もないが娘はまるで抜け殻のようだった。私はそんな娘を慰める言葉をもう持っていなかった。そして妻は心臓発作を頻繁に起こすようになり、入院を余儀なくされた。そんなわけで佳枝、孝治は私が面倒をみなければならず農協も辞めた。幸い近隣の農協が統合される事になり早期退職制度がもうけられ、その恩恵を受けられただけでも救いだった。
それからは私は懺悔のような日々を始めた。その間にも子供達は元気に育ってくれた。佳枝は小学校に入学し孝治も3歳になった。私は佳枝に一番上等なランドセルを買い、机も好きな物を選ばせてやった。姉ばかりとひがむ孝治には三輪車を与えた。そんな子供の成長を見ているうちに、麻子の凍り付いていた母性に温もりが戻り始めた。この時ほど子供達に感謝したことはなかった。確かに孫は可愛かったが、じじ馬鹿と呼ばれるほど孫を慈しんだのは、命の芽吹くような子供達の歓声が、いつか傷ついた麻子の心を温めてくれると望んでいたからだった。麻子、私はお前の父として何でもする。ようやく笑えるようになった娘を見ながら心に誓った。
夜は予定通り大学芋が食卓に上った。夕方、麻子から少し遅くなると電話があり、孫三人と私、そして野良猫のクロ一匹と食事をとった。自分で作って言うのも何だが大学芋は入れ歯の私には硬すぎて手が出なかった。それでも子供達は美味しそうに食べてくれた。芋娘の佳枝はご飯もそっちのけで、番茶を片手に大学芋を口いっぱいにほおばっていた。私はそれを見ながら、猫にあげたサバ缶の残りを酒の肴にちびちびやった。
「おじいちゃん、学校お休みしてきたけれどいつ私いけるの?学級委員だから文化祭の用意しなくちゃいけないの」
佳枝は少しだけ空いている口の隙間で私に訪ねた。口の中には黄色いサツマイモが洗濯機の洗い物のようにぐるぐると回っていた。確かに訳も分からず三人目の父親から引き離され、実家につれてこられた佳枝の身になれば、またかという不安がよぎったに違いない。
「大丈夫だよ、直ぐ家に帰られるから心配しなくていい」
「うん」
私の言葉に安心したのだろう。佳枝はまた次の大学芋を口に押し込んだ。
「姉ちゃん、さっき俺のこといったけど、姉ちゃんの方がずっと食いしん坊だろ。俺の食べる分が無くなるからもう止めて」
佳枝もそれに反論しようとするが、完全に蓋のされた口では言葉が言葉にならなかった。もどかしさに癇癪を起こした佳枝は、芋を取られてはならないと喧嘩を始めた。泣いたり笑ったり忙しい事だ。私は右手におちょこを持ちながら、左手でジニーのほ乳瓶を支えた。もう直に麻子も帰ってくるだろう。
麻子が人の前に出れらようになるまでに三年の歳月がかかった。あとは娘のしたいようにさせてやろうと思い、もう私は何も言わなかった。そして佳枝が三年生に進級する春、麻子の中でも何かが芽吹いたようだった。
「お父さん、私勉強したい。短大の時やっていた翻訳の勉強をもう一度して、もう誰に頼らなくても生きていけるようにしたい」
私は一も二もなく賛成した。打ちひしがれていた娘が、自分から何かをしたいと言い出してくれた。それが物になるかどうかなどどうでもよかった。小さくてもいいから希望の火が娘の中に灯ってくれた事が嬉しくて仕方ない。
「お前の人生だ好きなようにしたらいい。父さんはどこまでもお前の見方だから」
私は専門学校の入学金を援助してやった。娘は夫の保険金があるからと言ったが、子供の為に残しておきなさいと出させなかった。
娘はどこにそんな気力が眠っていたかと思えるほど、一生懸命勉強した。いくら短大で勉強していたとはいえそれも何年も前のこと、しかし麻子は寝る間も惜しんで机にかじりつき、二年かかるところを一年で終え、学校の紹介である翻訳会社に勤めることになった。しかし通勤に二時間半もかかり、朝早く家をでて夜遅く帰る生活になった。結果的に子供と接する時間は少なくならざるをえず、私は子供達を寂しがらせまいと前にもまして慈しんだ。こんな爺様じゃ可愛そうとは思ったが授業参観にも出かけた。それこそ運動会にも文化祭にも父親代わりに参加した。
「爺ちゃんが行くと恥ずかしいか?」
「ううん、でも無理したらだめだよ」
幼心の気遣いに涙が出た。そして二年があっという間に過ぎた。麻子も経験を積み、仕事がおもしろくて生き生きしているのが傍目にもよくわかった。35になった娘に言うのもなんだが、地に足のついた人間として認めてあげられるまでになっていた。そんなある日、子供達を寝かしつけてから、あたりをはばかる様に麻子は話しを持ち出した。
「お父さん、あたし好きな人が出来たの」
寝静まった闇の中で鈴虫の音が際立って鳴いていた。私は冷めたお茶を啜った。麻子はうなだれまま、私が何か言うのを待っていた。孝治は布団をけっ飛ばして腹を丸出しにしていた。
「一緒になるのか?」
「ううん」
「どうしたいんだ?」
「一緒にいたい、ただそれだけ」
「子供はどうする?おいていくか?」
「連れていこうと思う、それに....」
「なんだ」
「赤ちゃんが出来たの....」
「産むのか?」
「そうしてくれって」
正直言って堕してほしいと思った。孫が可愛くない訳じゃない。ただ娘がこれ以上背負う物を重くしてほしくなかった。しかし私は言えなかった。
「男がそう言うのか?」
「うん」
「子供三人育てられるのか?佳枝と孝治なら父さんが面倒見てもいいんだぞ」
「離れたくない、この子達と」
「男はこの子達を可愛がってくれるのか?」
「この前の休みにディズニーランドに連れて行ったでしょ。その時彼に会わせたの、子供達には私の友達だよって」
「どこの男だ」
「私の会社の社長、アメリカ人、45歳、奥さんとは10年前に別れたの」
「子供ことを男はなんて言っている?」
「君の宝物を僕にも分けておくれって」
「キザな言い方するやつなんか」
60過ぎの私には思いもつかない歯の浮くような言葉、文化の違いかなんかはしらないが不愉快になった。
「お父さんにはそう聞こえるかもしれないけど、私には最高のプロポーズの言葉だったの」
「じゃあ、なぜ結婚しない」
麻子は左手の手の平に右手の指で意味もない文字を書いた。
「怖いの」
目には見えないが傷は癒えていた訳ではなかったのか、そう思っていたのは私だけだったのか。麻子は疼く痛みにずっと耐えていたのだ。
「そうか...」
それから数ヶ月ほどして麻子は佳枝と孝治を連れて家を出ていった。外人のその男は九州なまりのおかしな日本語で私にあいさつをした。
「大切にしますけん、安心して、娘さんば、私にください、パパ」
腹はたったが、お腹の膨らんだ娘の姿を見ると何も言えなかった。
「爺ちゃんはいかないの?」
佳枝は私の手を放そうとしなかった。孝治は麻子に抱きついていた。
「爺ちゃんは婆ちゃんいるからいけないさ」
佳枝は口をへの字に曲げ目に大粒の涙をためて泣くのを堪えていた。
「佳枝や、爺ちゃん遊びに行くから、な、すぐそこだろ。いい子だな佳枝は、お姉ちゃんだから孝治の面倒みてくれよ、爺ちゃんとの約束だぞ」
「うん」
身を引き裂かれるとはこんな事を言うのだろう。鼻をすする佳枝に私は顔をすり寄せた。車の後部座席に乗せられた佳枝と孝治は不安そうな顔で、見えなくなるまで私に手を振っていた。庭先に残されていた孝治の三輪車にうっすらと雪が積もっていた。
外で車の止まる音がした。麻子の車の音だ。ドアの閉まる音は一つだけだった。私は夕食に作った大学芋を電子レンジに入れ、熱いお茶をいれた。
「ただいま」
疲れた声だった。
「飯出来てるぞ」
「うん」
「上手くいかなかったのか?」
麻子の口からため息が漏れた。
「子供達は?」
「風呂からあがったら、芋掘りで疲れたのか直ぐ寝たよ」
私は温まった大学芋の器をテーブルに置いた。麻子は頭をさげラップをめくった。
ゆらゆらと湯気が立ち上る器の中から麻子は芋を一つ摘んで言った。
「なんか言っていた?」
「佳枝がな、いつ学校に戻れるんだって」
「そう」
麻子と彼、つまりはアメリカ人の社長は仲良く暮らしていた。女の子のジニーも生まれ二人の絆は一層深まっていた。いつ結婚しても良いと男は言っているようだが麻子が頑なに拒んでいた。その頃には私もこんな形の幸せもあるのかなと何となく納得していた。そして一年が過ぎた。ジニー二歳の誕生日に何を送ろうかと考えていたときに麻子から電話があった。暫く子供を預かって欲しいと言うものだった。彼と喧嘩したのかと聞いたら違うと泣いた。なんでも融資を受けていた銀行が倒産し、債権を引き継いだ銀行にも融資を継続してもらえず、今は運転資金にも事欠き、社員への給与も滞っているらしい。そして今月末の手形が落ちなければ会社の存続は難しいと麻子は言っていた。麻子はあれほど手をつけるなと言っておいた前の夫の保険金も渡してしまったらしい。
「それでいくらいるんだ」
「2千万‥‥」
私も長年農協の出納係をしていてよく分かる。普段なら何でもない金額も借りる宛のなくった後の1円はとてつもなく重い。
「どうするつもりだ」
「...、もう倒産は避けられそうにないの、ただ」
「ただ?なんだ、早くいえ」
「このままだと保証人になってくれた友人に迷惑をかけてしまうって、彼、それだけはしたくないって。出来ることなら全てを精算し会社を閉められたらって」
「お前達はどうするんだ、それじゃ生活できんだろ」
「一緒にアメリカ帰ろうって。そこで出直そうって」
「麻子」
「なに」
「今おまえは幸せか?」
「なによこんな時」
「いいから」
「彼は優しいし、裏切らない人よ。今回のことは別として今は安心していられるの」
私は娘の表情を凝視した。もうこの子は親の手を放れやっと女になったのだと思った。
「彼にここに来とる様に言ってくれ」
「今はだめよ金策に回って忙しいの」
「いいから、連れてきなさい」
私は今までにない厳しい口調で麻子に言った。娘もそんな私に驚いていたがそれ以上は言おうとしなかった。私には私の責任がある。多分これが最後になるだろう。
翌日彼は昼過ぎにやってきた。この前見たときとは違っていた。金髪の髪はどことなく乱れ、ネクタイを締めているのに襟元がだらしなく感じた。
「スチュアート」
麻子は今にも倒れそうなほど疲れている恋人を玄関で抱きしめた。それでも男は麻子の唇にキスをして言った。
「I'm all right ,Don’t worry」
「スチュアート、話があるからこちらに来なさい。それから麻子は子供を連れて奥の部屋にいってなさい」
娘は私が何を言い出すのかと心配でなかなかその場を離れようとはしなかったが、スチュアートが大丈夫だからと頷いて見せ渋々部屋を出ていった。私は上座に座った。スチュアートは神妙な面もちで正座をした。囲炉裏のあった所に厚い板を乗せた座卓らしき場所で二人は向かい合った。電気ポットの蒸気が立ち上り私は急須にお湯を注いだ。さっきまで子供達の騒ぐ声が鳴り響いていた家が、今は息を止めたように静まりかえっていた。スチュアートが鼻をすすった。
「風邪を引いたのか?」
熱めのお茶を彼の目の前に置いた。
「ええ、でも直ぐ直ります」
緊張しているせいか努めて標準語を使おうとしているのが分かった。
「話は娘から聞いたよ」
私はズボンの裾にほころびを見つけ、糸を切ろうとした。
「ご心配掛けます」
「何とかなりそうなのかね」
「精一杯努力しているんですが」
ほつれた糸は切れずに裾の片面が一気に抜けてしまった。折り返した布が袋のように口を開けた。
「倒産は覚悟していると娘はいっていたが」
「ええ、出来れば今月末の手形は何とか落として、その後会社を閉じられたらと」
苦虫をかみつぶすという言葉がアメリカにはあるのか分からないが、どうにもならない現実に苛立つ表情がそこにはあった。
「いくら必要なんだ」
「それは、結構です。パパが心配しなくても」
「君の為じゃない、娘と孫が心配なだけだ」
「あ、はい」
「君も知っているだろうが、娘は男運のない子だ。しかし今は君のことを心底思っている。あの子におまえと別れろと言っても無理だろうし、言うことをきかんだろう」
「私も彼女とは離れるつもりはありません。子供達も愛しいです」
「そんなこといってもこのままじゃ家族五人、借金暮らしでどうにもならんだろ」
「すいません」
「一つ聞いていいか」
「ええ」
「一度だけ聞く、金輪際きかない」
「金輪際とは?」
「二度はないということだ、覚えておきなさい」
「はい」
スチュアートは湯にのみをテーブルに置いた。
「父親として聞く、麻子を最後まで大事にしてくれるか?」
「私が死ぬとき手を握っていたいのは麻子さんです。彼女以外にいません」
「本当か?」
スチュアートは顔を大きく縦におろした。それを見た私は正座し直して畳に両手をついた。
「私は麻子が何にも替え難いほど可愛い、もう泣かさんでくれ」
その時ズボンの裾の糸がさらに抜け、15センチばかり折り返していた生地が松の廊下でも歩けるほど伸びていた。畳についた私の手はシミがいくつも浮き出ていた。指の関節だけは太くなり皮一枚めくったら骸骨だけだろう。
その後私は多くを聞かなかった。ただ今の話は麻子にはしないこと。それと今夜はここで食事をしていって欲しいと頼んだ。そして私は出来る限りのもてなしをした。麻子もスチュアートと食事が出来る事がよほど嬉しかったのだろう、自慢の料理を食卓に並べた。子供達は久しぶりの母親のこしらえた料理に喜んだ。私は娘の作った料理を見て思った。過去のそれぞれの結婚生活で覚えた料理だと。スチュアートは今夜だけはと、全てを忘れたように酔った。おかしな九州弁も出た。私を気遣ってはしゃいでくれていたのかもしれない。父と息子で酒を酌み交わした最後の夜だった。
翌朝早くにスチュアートは帰っていった。子供達はまだ寝ていた。朝靄に煙る農道に消えていく車を娘と共に見送った。
「お父さん、彼と何話したの」
娘は私に背を向けたまま聞いた。夜雨が降ったのか地面は緩み靴に厚い泥が付いていた。
「いい男だな彼は」
それ以上、私は何を聞かれても話さなかった。
それから一週間が過ぎた。佳枝は学校に行きたくてしょうがなさそうだった。孝治は毎日野山を駆け回って遊んでいた。私は前日麻子に電話をしておいた。その日は妻知子の見舞いに行かなくてはならないから子供達の面倒をみてくれと頼んだ。いくら忙しくても、麻子もそこまで無理は言えないと子供達を会社に連れて行った。私は身支度をした。納屋にあった軽自動車に布団や鍋、そして七輪を積み込んだ。着る物は几帳面な妻が季節事に段ボールに入れてあったのをそのまま運んだ。
実は私は家を売り払っていた。畑も山も売った。それで1500万になった。退職金も佳枝と孝治とジニーの名に書き換えて定期貯金にした。手元には100万残った。エンジンをかけた。ポンコツの小さなマフラーはもうもうと白煙を上げた。
さらば我が故郷よ。じっさま、ばっさま、ご先祖さま田畑売ってすいませんでした。庭の柿の木にカラスがとまりこちらを見ていた。裏山の紅葉ももうすぐ終わり、まもなく辺り一面雪に覆われる。もう金輪際ここに帰ってくることはないだろう。65にして私はこの村から出ていく。四方全ての景色に手を合わせた。いままでありがとう。
アクセルをゆっくり踏む、慣れ親しんだ光景が後ろへ流れていった。涙は出なかった。これから病院に妻を迎えに行く。そして二人して命ある限り旅をしよう。もう遅いのかもしれないがどこにも連れて行ってやれなかった妻との旅だ。門出を誰が送ってくれるわけではないが私は父として、そして男として胸を張って最後の人生を生きようと思う。傍らには妻がいる。たとえぼけていても大切な妻だ。夢を明日につなごう。
私達には最愛の娘や孫達がいる。夢を明日につなごう。
麻子へ
父さんは母さんと旅に出ます。日本中まわって見ようかと思います。きっと楽しい旅になります。家も何もかも処分しました。お金は好きなように使いなさい。私達はもう何もいらないから。スチュアートと夫婦仲良く暮らしなさい。子供は大切にしなさい。アメリカへ行くなら新しい土地でがんばりなさい。彼はいい人だ、信じてついていきなさい。私達のことは捜さないでいいからね。いつか手紙を書くから。
麻子、私はおまえのことを一番に思ってきた、幸せになっておくれ。
父より
それから三年後。新聞の片隅に小さな記事が載っていた。オンボロ軽ワゴンの中で凍死している老夫婦が湖畔のほとりで見つかったと報じていた。そしてそこには次のようにも書かれていた。『老夫婦は抱き合い笑みを浮かべ、なんとも安らかな満ち足りた顔をしてい』と。