1話 俺が女へと変わった日
ある事情で改正版として書いてみました。
改正前の本文の方が良かった場合など、色々と意見がありましたら気軽にくださいませ。
「……ねぇ、どうして。あんなに約束したのに、なんで守ってくれなかったの」
太陽は既に地平線の下へ沈み、満月は夜空に煌めく。しかし、目の前に佇む彼女の心はまるで闇のように沈み切っていた。
俺が何と言っても聞いてくれる様子はなく、口を開こうとすれば拒絶。裏切り者に耳を貸す筋合いはない。彼女から直接言われたわけではないが、そう言われた気がしてしまったんだ。
何も言えずにただ立ち竦むことしか出来なかった俺に、彼女は瞳に大粒の涙を溜め、言葉にならない言葉でこう言った。
「絶対に、絶対に復讐してやる! アンタに私の気持ちを痛いほどわからせてやるわ」
復讐――。
彼女の口から一番聞きたくなかった言葉だったけれども、彼女を裏切り、傷付けてしまった俺には言い訳をする暇すら与えて貰えなかった。
言い終えたと同時に彼女は家とは真反対へ走り出し、制止の言葉を振り切った。
その後のことを、俺はまったく覚えていない……。
まっすぐ家に帰ったのか。はたまた自業自得とはいえ、彼女によって抉られてしまった胸の傷を癒すために道草を食っていたのか。今はもう、思い出すことも出来ない。
ただ、思い出すのは一つだけ。
「……本当にごめん。ごめんな、明菜」
公園のベンチに深く腰掛け、結果として裏切ってしまった幼馴染のことを憂患したことだけ。
俺こと篠崎優斗は、このときを境として、ただひたすらに落ち目へ向かっていったこと。
◇
その二ヶ月後の午前二時。
喉が急激に熱くなり、苦しくなったことで目が覚めたオレは、喉に手を当て、何も変化がないことを確認した後にベッドからスルリと降りて、キッチンへと向かう。
キッチンへと向かう道程の最中だというのに、非情にも喉の痛みは襲ってくる。
ベッドから降り、部屋を出て廊下を少し歩いただけ、たったそれだけだというのに、三時間ぐらいずっと走り切った後のような疲労感を感じていた。
「……けほけほっ。な、なんで急に痛く」
声がいつもよりも不安定で、きちんと話せていたかどうかすら怪しかったが、今はそれよりも何か喉を潤す物を飲んでしっかりと休養させたいと一心不乱にキッチンへと向かうオレだった。
いかにも疲労困憊という言葉が当て嵌まりそうな態度を取っていたオレがキッチンへ着いたのは数分後。喉の痛みが少しだけ安らいだ頃のことだ。
いつも応急薬などを入れてある応急箱を開いてみると、一際存在感を発している薬が三つほど視界に入った。
オレのこの喉の痛みに良く効く薬がどれなのかはまったく理解不能だったが、ビンの形や中に入っている薬がどうやらまったく同じ形であることからどれを飲んでも同じだろうと高を括り、錠剤を二つ取り出し、水で一気に流し込む。
「薬はいつ飲んでも慣れないな」
良薬、口に苦しとはよく言ったものだ。口に入れてからすぐに飲み込んだはずなのに、口内にはまだ薬独特の苦味が存在を主張しているのだから。
幼いときからずっと、今に至るまで病気というものにあまり掛かったことのないオレだったので、あの薬の苦さは決して忘れるものではないだろう。
「あれ、なんでもう一人分の料理が置いてあるんだ」
口直しになにかジュースを飲もうと冷蔵庫を開けると、昨晩の夕食として作ったパエリアが綺麗にラッピングされ保存されていた。
オレ自身が食べ忘れたのかなと思ったりもしたのだが、食器乾燥機の中にパエリアに使った皿が置かれていたのでそれはない。だとすると、彼女? いや、オレに彼女なんていない。実年齢=彼女いない暦のオレなのだから、彼女とか親しい友人なんてことは絶対にありえない。
「もしかして、今の今までのことはすべて夢で。実際は彼女がいるとかいう……」
パターンかな。と言い終える前に、後ろから忍び寄ってきた人物によって口と両手を塞がれてしまった。
いつもなら簡単に振り解けるランクなのだが、今のオレは何故か力が入らなくて、後ろの奴をぶっ飛ばすこともままならない。
「んっ!! んーーっ!」
「だ~れだ♪」
(それをするなら、口じゃなくて目を隠すんだろ)
と脳内でツッコミながらも、必死に振り解こうとする。
「……まったく、私という者がありながら。優は彼女を作ったのかね?」
身動き取れなくしてきた相手は、囁きかけるようにオレの耳元で呟く。その声音にゾクゾクと寒気を感じつつ、どこかで聞いたことのある声だなと思った。
最近、会う機会はほとんどなくなっていたある人なんだ。
「本当にそうならお仕置きしないとね」
そう言って、耳をペロリと舐めてきた。唯一の抵抗手段であった腕を拘束されてしまったオレは成す術なく一切の抵抗もしなかった。
すると、反撃が出来ない状態であると思い込んだ姉は、もう片方の腕でオレの胸元を……。
「いたっ!!」
下心を剥き出しにした獣は、本能に逆らうことなく体を弄り始めようとしたが、それ故に空いた手を使ってオレは姉の鳩尾を殴ることが出来た。
興奮していたせいで彼女は気付くことがなかったのだろうが、口を塞いでいた方を離さずに胸元を触ろうとすると拘束している方の手を離さなければいけなくなる。無抵抗を装っていたのも完全な無意味ではなかったということだね。
姉の性格を完全に把握している立場の人間だからこそ出来る戦法だと一見思えがちだが、本能に従って行動する人の思考ほど読みやすいものはない。
この人はオレの義理の姉で、『篠崎 結菜』。極度のブラコンで所構わずオレに引っ付いて来る問題児だ。彼女がオレを気に入っている理由がまったくわからないが、彼女は何度も弟のオレに対して告白をしてくる。義理とはいえ、姉と付き合うことは絶対にしたくないので今までずっと断り続けていた。
「ふんっ。それぐらいで済んでありがたく思いなよ。本当ならもっと威力をあげてたよ」
「いてて……。何よ、今日は一段と機嫌が悪いわよ?」
「別に」
「はっはーん。なるほどねぇ。今日はあの日なんだね~」
あの日ってなんだよ。意味わかんねぇ。
姉さんの言っている言葉の意味がよくわからないオレは、怪訝そうな視線を姉に向けると姉は仕方ないなという表情を醸し出していた。
「女の子の日だよ♪」
「はぁっ!?」
最初は何を言ったのかまったく理解出来なかった。オレの聞き間違いかと疑って掛かったのだが、どう考えても間違いではなく「女の子の日」と姉は言いやがった。
男のオレにそんな日が来るわけないだろう。バカじゃないの。
「んなわけねぇだろ。そんなもん来ないよ」
「えぇーっ、もう来てるんじゃない? 年頃の女子だし」
「え……」
この姉は何を言っているのかな。歳を取りすぎて脳が腐ってきているのか。あるいはあれか、オレを女みたいに扱うようにして昔みたいに女装をさせるつもりか。何にせよ許容出来ない内容を話していることはわかった。
「冗談でも許せないことってあるからね? 男にそんな冗談言うなんて、姉さんどうかしてるよ」
「は? 優のどこを取ったら男になるのよ」
……本当に姉は何を言っているのだろうか。それに優って。
いつもオレのことを呼ぶ場合、優斗とフルネームで呼ぶことが大半なのに。優斗と呼ばないパターンは基本的に公私混同しないため、篠崎って呼ぶだけだし。
つまりはオレのことを「優」と呼んだことなんて一度もない。
「何言っているんだ……。だってオレは男で」
「それを言いたいのはこっちよ」
これ以上、年上をからかったらただでは済まさないよ。という視線を送りながらも、心底呆れていた姉が目の前にはいた。けれどもオレは、未だに姉が言っている言葉の意味がわからない。
「けどっ!」
「あー、もう、わかった」
決して反論を許さないと言わんばかりに手でオレの勢いを制止し、自身が持ち歩いている鞄の中に手を突っ込みとある物を取り出した。
「鏡?」
「そ、これでアンタ自身を見れば自覚もするでしょ」
そういうと、手鏡のミラー部分をこちらに向けてオレに手渡して来る。
姉が差し出して来た鏡に映る自分の姿は、今まで馴染んできたものではなかった。
「えっ……。な、なんで」
腰辺りまで伸びている長い黒髪。とても綺麗にしていた結果か、見るだけで艶々としていることがわかる肌。そして、まるで人形のようだと思えるぐらい端整な顔立ち。何をとっても男に見えることは決してない。
「これでわかった? アンタが何を言おうと関係ない」
鏡を見ながら呆然とするオレを傍目に姉は言い切った。
「アンタは正真正銘、女なのよ」
今まで築き上げてきたものすべてが無駄になったというのに、涙はまったく出ず、未だに現実を受け入れきれないオレがいた。
そう、オレは今の現状を絶対に受け入れることはない……。