「急な仕事」と仰った日、街道は雪で閉じておりました
街道は王都へ出る一本きりです。ですから、通った人は必ず帳面に載ります。
関所で通行簿をつけている娘の、1話きりの話。
ヴィルヘルム様がいらしたのは、雪の融け残った日の午後でございました。
わたくしは帳場におりました。冬のあいだの簿冊を綴じ直しているところで、二月の頁に指を挟んだままお迎えすることになりました。行儀の悪いことでございますが、指を抜くと頁を探し直さねばなりません。冬の頁は紙が湿って、めくりにくいのでございます。
ヴィルヘルム様は外套を脱がずに立っていらっしゃいました。脱がないというのは、長居をなさらないということでございます。関所におりますと、そういうことが見えるようになります。荷を降ろす人と降ろさない人、馬を繋ぐ人と繋がない人。滞在の長さは、着いた瞬間の所作で決まります。
わたくしは硯に蓋をいたしました。話が長くなるようでしたら墨が乾きますし、短ければ蓋を取ればよいだけでございます。
「カタリーナ。話がある」
「はい」
「婚約の件だ。……この四年、僕は君を待たせた」
「四年と二月でございます」
「そう、四年と二月だ。だが僕にも事情があった。王都で職を得るために走り回っていた。君に会いに来られなかった日も、遊んでいたわけではない」
わたくしは頷きました。ヴィルヘルム様は、そのたびに手紙をくださいました。急な仕事が入った、王都へ発つ、次の月には必ず、と。
全部で十七通ございます。文机の抽斗に、日付の順で束ねてございます。読み返したことはございません。届いた日に一度読んで、それきりでございます。ただ、届いた日は簿冊の余白に印をつけておりました。手紙が来た日と、その方が関所を通った日が同じかどうかは、関所の娘であれば誰でも気になることでございます。
最初のうちは、印をつけている自分が嫌でございました。疑っているようで。二年目からは何も思わなくなりました。印は印でございます。
「わかっております」
「では、話が早い。父が、隣領との縁組を」
「その前に、一つよろしいでしょうか」
わたくしは、指を挟んでいた頁を開きました。
「わたくしは関所の通行簿をつけております。四年、ずっとでございます」
ヴィルヘルム様が、ほんの少しだけ姿勢を戻されました。
「この街道は、王都へ出るのに一本きりでございます。北へ回れば二本目がございますが、あちらは冬に閉まりますし、遠回りで四日かかります。ですから王都へいらっしゃるなら、必ずこの関所を通られます」
「……そうだな」
「通られた方のお名前と、日付を書きます。それがわたくしの仕事でございます」
簿冊を卓に置きました。開いたのは、去年の二月の頁でございます。
「お手紙をいただいた日が十七日ございました。急な仕事、王都へ発つ、と書いてくださった日でございます。そのうち十一日は、この簿冊にヴィルヘルム様のお名前がございません」
部屋の空気が、ほんのわずかに重くなりました。
「その、書き漏らしということも」
「ございます」
わたくしは頷きました。
「実際、去年の秋に一度、書き漏らしました。荷馬車が三台続いたときに、二台目の御者の名を落としております。ですから翌日に領主館へ届ける写しで直しました。訂正は赤で入れます。この四年で、赤は九つでございます」
わたくしは指で頁の端をなぞりました。赤は一つもございません。
「それから、十一日のうち三日は、書き漏らしようがございません」
「なぜだ」
「二月の十一日から十三日まで、街道が雪で閉じておりました」
ヴィルヘルム様は、何も仰いませんでした。
「峠の上で二丈積みました。関所は封鎖でございます。通れた方はゼロでございます。ですからその三日は、簿冊の欄が三日ぶん、まるごと空でございます」
わたくしは頁をお見せしました。線だけが引かれて、名前のない三日でございます。
「あの三日は、父と二人で雪をかいておりました。夜通しでございます。街道を開けませんと、峠の向こうの村へ塩が行きませんので」
二日目の夜に、父が鋤を取り落としました。手が凍えて握れなくなったのでございます。わたくしは父の手を自分の脇に挟んで温めました。それから二人で、また掻きました。掻いた雪は道の脇へ積みますが、積んだ端から風が吹き戻します。それでも掻きます。掻かないと道は道でなくなりますので。
三日目の昼に、ようやく荷馬車が一台通れる幅が開きました。最初に通ったのは塩の荷でございます。御者の方が、鞭を上げて礼をなさいました。わたくしは簿冊にその方の名を書きました。二月十四日の、いちばん上の欄でございます。
窓の外で、屋根の雪が滑って落ちる音がしました。
「……カタリーナ」
「はい」
「僕は」
ヴィルヘルム様は、そこで止まりました。何を仰ろうとしたのかはわかりません。わたくしは待ちましたが、続きはございませんでした。
「わたくしは、嘘だと申し上げているのではございません」
わたくしは簿冊を閉じました。
「通行簿は、誰かを咎めるための帳面ではございません。通った者と、通らなかった者を書くだけの帳面でございます。ただ、四年ぶん書いてまいりましたので、日付は覚えております」
◆
ヴィルヘルム様は、簿冊を貸してほしいと仰いました。
わたくしはお断りいたしました。
「写しは毎月、領主館へ出しております。四年ぶん、あちらに揃っております。ご覧になりたければ、あちらへどうぞ」
その一言で、ヴィルヘルム様は座り直されました。
わたくしがこの四年に書いたものは、はじめから公のものでございます。わたくしが握っているのではございません。わたくしは、書いて、届けただけでございます。
毎月の末に、写しを作ります。原本と同じ順に、同じ字で書き写します。時間のかかる仕事でございますが、これを怠りますと、峠で事故があったときに誰が通っていたかがわからなくなります。三年前の秋、崖崩れで荷馬車が二台埋まったときには、この写しで人数を割り出しました。生き埋めの数がわかりませんと、掘る場所が決まりません。
そういうもののために書いております。婚約の話のために書いているのではございません。
ヴィルヘルム様は、しばらく帳場に立っていらっしゃいました。外套は、とうとう脱がれませんでした。
やがて、行く、と仰いました。
わたくしは扉を開けて、外へ出るのをお見送りいたしました。雪解けの水が軒から落ちて、沓脱ぎの石に穴のような跡をつけております。毎年この時期に同じ場所が窪みますので、父が春に砂を入れます。
馬を繋いでいらっしゃらなかったので、繋ぎ場のほうへは回られませんでした。街道へ出て、北へ折れて行かれました。
わたくしは帳場へ戻って、その日の欄に一行書きました。名と、刻限と、行き先の欄には北、と。
北は、隣領のほうでございます。
二月十一日から十三日まで、欄が三日ぶん空いています。
あの空白を書きたくて、この話にしました。お付き合いいただき、ありがとうございました。
この「霜月りつ」名義では、声を荒げずに、記録だけで答える人たちの話を書いております。どれも一話で終わります。
・断罪の場で三年ぶんの議事録を読み上げた話 『断罪の前に、議事録を三年分だけ読み上げてもよろしいですか』
https://ncode.syosetu.com/n3145mo/
・三年ぶんの炭の数で答えた話 『わたくしが何もしていないと仰るなら、この屋敷の炭は誰が数えたのでしょう』
https://ncode.syosetu.com/n3130mo/
・呼ばれ方が変わった日を数えていた話 『あなたがわたくしを「おい」と呼び始めた日を、全部書き留めております』
https://ncode.syosetu.com/n3127mo/
・「すぐ駆けつけた」を旅程表で検算した話 『「駆けつけた」と仰いますが、王都からここまでは馬で二日でございます』
https://ncode.syosetu.com/n3125mo/
・診断書に書かれていない一行を読んだ話 『妹君の診断書に、安静を要すとはどこにも書かれておりません』
https://ncode.syosetu.com/n3152mo/
・持参金の返還額を関税表どおりに計算した話 『持参金はお返しに及びません。関税表どおりに計算いたしますので』
https://ncode.syosetu.com/n3137mo/
・十年ぶんの働きを見積書にした話 『真実の愛に賛成いたします。こちらが十年分の見積書でございます』
https://ncode.syosetu.com/n3188mo/




