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黒ノ聖夜 BLACK SANCTION  作者: さわやかシムラ


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黒ノ聖夜 BLACK SANCTION08

 遮光カーテンの端から漏れた光が、じわじわと頬を刺してくる。

 ビジネスホテル・ルミナリエXXのベッドの上で、園辺良子は片目だけを開けた。


「……おはよう、全身筋肉痛」


 声に出してみてから、自分で苦笑する。

 この街に来てから、市役所、新病院、商店街、小学校、丘の上まで、一通り回った。

 昨日も一日中歩き回ったせいで、肩も足も同じように重かった。


 熱めのシャワーでどうにか人間の形に戻り、コンビニのパンと紙パックのカフェオレで簡単に朝ごはんを済ませる。

 そのあとで、ベッドの上にノートPCと手帳とレコーダーを並べた。


 PCを開き、これまで撮った写真のサムネイルを順番に眺めていく。


「……うーん、こうして見ると何が『奇跡』だったんだろ」


 良子はノートPCの画面と、紙のメモを何度も見比べた。


 四年前の『パンデミックを完封した奇跡の街』。

 市役所のパネルに、新市立病院の広報に、朝倉院長の言葉に。


 どこを切り取っても、


『迅速な対応』

『市民一丸となった努力』

『医師たちの献身』


 そういう、教科書みたいなフレーズで埋め尽くされている。


「でも、どこの街でもやってたことばかりだよね」


 手帳の一枚目には、丸で囲ったキーワードがいくつも並んでいる。


『奇跡』

『成瀬市長』

『羽村史郎(院長・故人)』

『新市立病院』

『旧市立病院(現在は使用されていない)』


 それらを矢印でつなごうとして、途中でペン先が止まる。


「どこから、どうやってほどけばいいんだろ……」


 良子は一度、深呼吸をした。


 市役所ロビーのパネル展示。

 『奇跡の街』と大きく書かれたコピーと、その横に並ぶ当時の写真。

 スーツ姿で笑っている成瀬市長と、防護服姿の羽村史郎。

 新市立病院ガラス張りの外観と、院長室でまっすぐこちらを見る朝倉。

 夜の駅前。商店街。タバコ屋のカウンター越しにこちらを見る年配の店主。

 そして、丘の上から見上げた、真っ暗な窓だらけの旧市立病院。


 けれど――


 手帳をぱらぱらとめくる。

 昨日までのページには、走り書きのメモが重なっていた。

 どの人の発言にも、『大変だった』『助かった』という言葉が繰り返し出てくる。

 テレビで見た『奇跡の街』の主役は成瀬市長だったはずだけれど、取材してみた誰しもが口をそろえて『羽村先生』の尽力で、と語っている。


「まぁ『奇跡の街』と評価された時には、亡くなられてたんだよねぇ。ご存命だったならばテレビに出てたのは羽村先生だったのかな」


 良子はページを戻して、市役所で聞いた話のメモに目を落とした。

 『ロックダウン』『市民の協力』『医師たちの献身』。

 きれいな言葉が並んでいる。並んでいるが――。


「先駆けてロックダウンを決めて、学校や施設を迅速に守って。

 ――そこまでやるには、当然、物と金が動いてるはずなんだよねぇ」


 羽村が「ぎりぎりまで対策を打っていた」という朝倉の言葉を思い出す。

 その『ぎりぎり』が、予算の話なのか、人員の話なのか、物資の話なのか。

 まあその全てだったのかもしれない。


「やってることを考えれば結構な金額が動いてると思うんだけど、市立病院まで新しく建築してるし、どこから予算引っ張って来てるんだろ」


 良子はボールペンをくるくる回し、天井を見上げた。


「ん〜、美談の枠からはみ出るところほど、たぶん一番おいしい部分なんだけどなぁ」


 ペン先が止まる。

 ふと、昨日の小学校の前で聞いた子どもたちの声が脳裏をかすめた。


 ――なーなー、知ってる? このへん、夜になると幽霊が出るんだって。


 そのあとで、丘の上で風が鳴ったときに聞いた、あの「ピィ……」という音。


 手帳にペンを走らせようとしたが、

「……さすがに、関係ないか」

 そう呟くと、手を止めてそっと手帳を閉じた。


「そういえば朝倉さんは、羽村先生のこと『子どもや弱い立場の方に、とても心を砕く人でした』って言ってたよね。とりあえず近い学校にあたってみるか」


 良子は地図アプリを立ち上げて近くの学校を検索した。いくつかヒットしたが、その中で一番近そうなところを指さした。


「まずは、高校から、かな」


 最初の目的地は、駅から歩いて十五分ほどの県立高校だ。


◆◆◆◆◆


「申し訳ありませんが、今日はお引き取り願えますか」


 正門の前で、グレーのジャンパー姿の男性職員が、申し訳なさそうに頭を下げた。

 門の奥、校舎の方には『インフルエンザ流行のため臨時休校中』と書かれた紙が貼り出されている。


「せっかく来ていただいたのにねぇ。校長もインフルで倒れちゃってて……。取材のご相談でしたら、日を改めていただけると」


「あ、いえ。こちらこそ、すみません。お忙しいところ……」


 門前払い、というほど冷たくはないが、それでもどうしようもない。

 良子は名刺だけ渡して、取材の主旨と連絡先を伝えると、校門から離れた。


「うーん……先が思いやられるなぁ」


 マフラーに顔をうずめながら、吐いた息を白く散らす。

 まぁ実際にインフルエンザが流行している最中(さなか)なので、学校が慎重になるのも当然だ。


「次は……小学校、か」


 地図アプリを確認すると、近くに市立小学校が二つある。

 どのみち、午前中は『顔出しと雰囲気確認』だけになるだろう。

 良子はとりあえず、商店街を抜けて小学校へ向かうルートを選んだ。


◆◆◆◆◆


 駅前から少し外れた商店街は、まだ開店準備中の店も多く、シャッターの半分だけ上がった店先からは、パンの香りや惣菜の匂いが少しずつ漏れ始めていた。


 良子がアーケードの下を歩いていると、前方で「きゃっ」と短い声が上がった。


「危ない!」


 視線を向けると、厚手のコートにマスク姿の小柄なお婆さんが、紙袋とスーパーの袋を二つ抱えたまま、段差に足を取られてよろめいた。

 抱えていた紙袋の口がはじけ、白い封筒や書類がアーケードの床一面に散らばる。


「あっ」


 良子が慌てて駆け寄った瞬間、足元に滑り込んできた封筒を踏んでしまった。

 ツルッと足が流れ、そのまま派手に尻もちをつく。


「いたたたた……!」


「ご、ごめんなさいねぇ、お嬢さん! あたしがよろけたせいで……!」


 お婆さんは荷物を落としたことより先に、良子の方へ小走りで寄ってくる。

 白いマスク越しに、皺だらけの目元が申し訳なさそうに細められていた。


「いえいえいえ! 私こそ足元ちゃんと見てなくて……あ、大丈夫です、骨は折れてないです!」


 良子は痛む尻をさすりながら、なんとか笑顔を作ると、その場に膝をついて散らばった書類を拾い始めた。


「これ、こっちの封筒で合ってます?」


「ええ、それそれ。ありがとねぇ……ほんと、年は取りたくないもんだよ」


 良子はお婆さんに怪我が無いことに安堵しつつ、とりあえず拾い上げた書類をまとめてお婆さんに手渡した。


「はい、これで全部……だと思います」


「ごめんねぇ。本当に助かったよ。腰、大丈夫かい?」


「はい、大丈夫です。自慢じゃないですけど……転ぶのは慣れてるので」


 冗談めかして言うと、お婆さんはマスクの奥でくすりと笑った。


「気をつけておくれよ、お嬢さん。ここのアーケード、朝はなんだかんだで滑りやすいからねぇ」


「ありがとうございます。おばあさんも、お気をつけて」


 軽く会釈を交わし、お婆さんは紙袋と封筒を抱え直して、商店街の奥へとゆっくり歩いていった。


 良子はその背中を見送ってから、ふうと息をつき、スマホを取り出す。

 時刻と、次のバスの時間を確認しようとして――画面に表示された数字を見て、肩を落とした。


「あー……バス行っちゃってる」


 ちょうどさっき尻もちをついていたあたりの時間帯が、バスの発車時刻だったようだ。


「今日もついてないなー……」


 尻の痛みをもう一度さすりながら、苦笑いでそう呟く。


 とはいえ、小学校までは歩けない距離ではない。

 良子はスマホの地図アプリでルートを引き直し、気を取り直してアーケードの先へと歩きだした。


◆◆◆◆◆


 黒いサンタ帽をかぶった男が、公立中学校の近くにあるたこ焼き屋で、焼き上がりを待っていた。

 エプロン姿のおばさんが器用にピックを回転させて、くるくると生地を踊らせて丸くしていった。

 夜咎クロウの視線が、興味深そうにその動きを追いかける。


「お兄さん、青海苔とマヨネーズはかけていい?」

 クロウが答える前に、腹が「ぐう」と返事をした。

「お、おう」

「はははっ、お腹空いてんだね。一個オマケしとくよ」

「マジか、助かる」


 発泡スチロールのトレイにたこ焼きを並べると、おばさんは黒いソースを塗り、青のりを振って、マヨネーズをかけた。熱で鰹節がゆらゆら揺れた。


 クロウは「すぐ食べるから」とビニール袋を断って、トレイのままで受け取ると、さっそく一つ口に放り込んだ。


「――あっつ!」

 クロウは涙目になりながら、口をハフハフと動かしたけれど、飲み込むわけにもいかず、たこ焼きを口の中で転がし続けた。


「はっは、そりゃ当たり前だよ。――お茶百六十円だけど、いるかい?」

 クロウはポケットから小銭を取り出して、ペットボトルのお茶を購入し、グイッと一息で半分ほど飲み干した。


「あーー! あっついけど、うめーな!」

「でしょ?」

 おばさんはニコニコと笑いながら、鉄板のたこ焼きをひっくり返す。


「ところでさ、最近翔流(かける)くん見かけないけど、元気してんの?」

 クロウは昨日やんちゃな奴から聞いた名前を頼りに、まるで知ってる風を装っておばさんに訊ねた。


「あれ? アンタ翔流(かける)の知り合いかい? あの子なら――どっか行っちまったよ。不良仲間にでもそそのかされて家出なんて、あたしゃ情けなくて周りに言えなくてさ。アンタも言いふらさないで黙っててちょうだいな」


「ふぅん、家出、ねぇ」

 クロウはおばさんの表情を見ながら、もうひとつたこ焼きを口の中に放り込んだ。


「なんだい? あたしの顔に何かついてるかい?」


「……いや、なんでも。早く帰ってくるといいな。俺も見かけたら帰るように言っといてやるよ」


「……そうだね。バカ息子を見かけたらよろしく頼むよ」

 おばさんはそう言って笑ったが、その目尻からすっと一筋、涙がこぼれ落ちた。

 彼女自身、自分がなぜ泣いているのかすら、気づいていないようだった。


 クロウはたこ焼きのトレイとペットボトルをカウンターの端にまとめ、「悪ぃ、これ捨てといてくれ」と一声だけかけた。

 そして、踵を返すと、背中越しに手をヒラヒラと振りながら立ち去った。


「……あれは、心の底から家出だとは思えてねぇな」

 道を歩きながらクロウは独り言ちる。


「間違いなく、誰かにそう思わされている。――こりゃあ『幻想の者(フェアリーテイル)』が噛んでるので確定だな」


 クロウはポケットに両手を突っ込むと、睨みつけるように空を見あげた。


 ふと横目に、公立中学校の校門が入る。

 XX市立第二中学校――白地に紺色の文字で書かれた校名看板の前を、まだ制服のままの生徒が数人、自転車を押して通り過ぎていく。

「まずは、ここら一帯、もう少し調べてみるか……」

 クロウはぼそりとつぶやき、校門とは逆方向へと歩き出した。

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