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黒ノ聖夜 BLACK SANCTION  作者: さわやかシムラ


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黒ノ聖夜 BLACK SANCTION28

 クリスマスというイベントが一夜にして終わりを迎え、世間はあっという間に年始に向けたムードへと切り替わる。


 ネットニュースがSNSのトレンドに入り、少しだけ世間を騒がせた翌朝。

 どの新聞の朝刊も、一面をその記事で賑わわせていた。


 警察には、事前に記者から証拠もろとも通報されていた。

 容疑者側の逃げ道を塞ぐには十分だったのだろう。警察は、成瀬市長以下、柘植建設社長および事件に関与した社員、新市立病院朝倉院長たちについて、逮捕状の請求から身柄拘束までを迅速に進めた。

 後手に回らずに済んだことで、警察はかろうじて面子を保った。


 XX市の静かな商店街のタバコ屋。

 撫でつけるように整えた白髪の店主が、タバコをくわえ、眉を寄せ厳しい表情で朝刊を睨みつけていた。

 そして、小さな息をひとつ吐くと、新聞を畳んだ。


「グランドエイトひとつちょうだい」

 いつの間にか全身を黒い服で着飾った男がカウンター前に立っていた。


 店主は眉を寄せると不愛想に「はいよ」とだけ言うと、棚から白い箱を取り出した。


「どうだい、爺さん。朝刊は楽しめたかい?」

 クロウが小銭で支払いながら、軽いトーンで声をかけた。


 店主はピタリと手を止め、預かったお金を手の中に握りしめた。


「そういえば、あんたは、オカルトの記者さんだったかな」

 店主は視線をレジへと落とし、ゆっくり拳を開くと、レジの中にお金を片付けた。


 店主は商品を手渡したが、男はその場から動かない。


「……まだ何か?」

「なぁ、爺さん。どうしてアイツにこんなことをさせたんだ」

「……何のことだ」


 黒い男が小さく首を傾けた。


「おかしいと思ったんだよ。俺が『幽霊先生』を訊ねた時に、あんたは『病院へ行け』って言って俺を追い払った。でも普通は『先生』って聞けば『教師』を最初に思いつくはず。それなのにあんたはすぐに『医者』を思い浮かべた」


「……」


 店主の顔色を変えずに、ただ男の語りに耳を向けていた。


「それで俺は、あんたが『幽霊先生』を『羽村院長』とすぐに結び付けるぐらいには、羽村のことを知ってるんだと理解した。

 それと、俺の知り合いの記者が言ってたんだけど、あんた、話の中で『旧市立病院の場所』について詳しく教えてやったんだろ?」


「ああ、そんなこともあったかもしれん」


「旧市立病院っていうのはな、質の悪い奴のせいで『普通の人には上手く認識できない』状態だったんだわ。

 まあもともと体質的に『認識改変』を受け付けにくい状況だったのはあるが、決定的なのは、あんたがその記者を『招いた』こと。

 そのおかげで、そいつは無事に旧市立病院に辿り着けちゃったわけだ。つまりあんたも『隠れ家』の主と認められた一人ってわけだ」


 黒い男がポケットからUSBメモリを取り出した。


「あと、これアンタのだろ? ああ、これはもう中身は取り出した後のガワだけだ」


 そう言って男は店主の手のひらにUSBメモリを押し付けた。


「これにはいろんなデータが入っていた。録音記録はまあ羽村本人が用意していたんだろう。成瀬と柘植の談合資料も羽村かもしれん。

 でも、羽村が絶対に手に入れられない資料がひとつだけあった。

 羽村の死後――朝倉院長の不正資料。だからこれは羽村に近しい奴が用意した、かつ、『幻想の者(フェアリーテイル)』の羽村を知っている人物が用意したことになる」


 そこまで言って、黒い男は少しだけ優しい微笑みを見せた。

「……よくここまで調べたな」


 店主は少しの間、天井を見上げると、観念したように、肺から深く息を吐き出した。

 くすんだタバコの煙が空気に混じってかき消えていった。


「……旧市立病院に行ってもいいとは言ったが、近づくなとも言ったのにな」


 店主――三島は、灰皿にタバコを押し付けて火を消した。


◆◆◆◆◆


 ――五年前。


 三島は羽村との通話の中でパンデミックの恐ろしさを色々と聞かされていた。


「だけどよ、史郎。そんな新しい感染症だといって、思い詰め過ぎなんじゃねぇか? インフルエンザみたいな物だろう? 慌てなくても、なんとかなるんじゃないのか?」

「いや、対策はやってやりすぎることはない。だけど――」


 顔の見えない音声の向こう側で、歯ぎしりのような音を聞いた。


「だけど?」

「もし想定以上の猛威を振るえば、どれだけ完璧に対策したと思っても、制御しきれるものではないんだよ、父さん」


 史郎の母と離婚して、数えきれないほどの年月が過ぎていたが、史郎とは親子の縁が切れずに、ここまで生きてくることができた。

 顔を直接合わせることはほとんどないし、誰にもその関係を言うことは無かったが、それでも三島にとって大切な息子だった。


「大昔のペストが流行った時みたいに、『ハーメルンの笛吹き男』が現れて、全て洗い流してくれたらいいのにな」

 史郎は、感染対策は万全ではないと悟っていた。

 息子の、その現実逃避にも似た悔しそうな声が、三島の耳にいつまでも残っていた。


 そして史郎の予測は悪い方で当たってしまった。


 緊急事態宣言。


 全国がパニックになる中、XX市はいち早く感染対策を行った。その甲斐あってか全国で感染者が報告される中、XX市では宣言後ひと月が経過しても感染者ゼロで耐えていた。

 史郎が率先して指揮をとったと言われていたが、その激務の中で、史郎は持病を悪化させ、命を落とした。そう聞かされた。


 三島もまた史郎を失った悲しみから、魂が抜けたような日々を送っていたが、店頭の男たちの世間話で耳を疑うような話を聞いた。


「羽村もでしゃばらなければあんなことにならなかったのにな」

「社長……! その話は――」

「おっとそうだったな」

 作業着の男たちは、地元ではよく名の知れた者だった。

 柘植建設。いつも上手く入札して市の事業を引き受けている建設会社だった。


 さらに数日後、三島の元に差出人不明の封書が届いた。中には、音声データの入ったUSBメモリが同封されていた。


 三島が史郎の死の真相を知って間もなく、街の中で思いもかけない後ろ姿を見た。――史郎だった。


「おい、史郎!」

 三島はその白衣の影に駆け寄ると、史郎はゆっくりと振り返り、うつろな目で三島を見つめた。

 その男は、

「今は運が良いだけだ。このままでは近いうちに感染者が出てパニックになる」と独り言のように呟いた。

 まるで史郎の亡霊だった。

 心配のあまり化けて出たのか。

 だが、これは史郎の形はしているが、近いようで別の何かだ。

 神なのか悪魔なのか、それはわからないが超常の何かであることだけは、三島は魂で理解していた。


「……おい、お前……頼みたいことがある」


 三島の頭には、史郎の無念がよぎる。

 通話の向こうで悔しそうに言葉にした『ハーメルンの笛吹き男』の話と共に。


「この街を――パンデミックから守ってくれ」

 この瞬間『ハーメルンの笛吹き男』が生まれた。

 三島は『ハーメルンの笛吹き男』が要求する報酬に、あえて「羽村の失った財産」すなわち「成瀬と柘植が結託して手に入れた金」を提示した。

 契約は二千日。XX市は五年間の安寧が約束された。


 一年ほど経過して、XX市は感染被害ゼロの『奇跡の街』として名を馳せた。


 三島は懸命に証拠を集めた。

 そして、集め終わったときには、全てがどうでもよくなっていた。

 何をしても史郎は帰ってこない。


 街の人も市に、そして、史郎に感謝していた。

 街には笑顔があふれていた。


 その笑顔を見た時に三島の胸をよぎったのは、


『この街は、史郎の屍の上で成り立っている』

 という負の感情だった。


 人々の笑顔が三島の胸をチクチクと刺す。

 皆から笑顔を向けられるたびに三島の笑顔は消えていった。

 いつしか、『この街はもうどうなっても良い』と思うようになった。


 証拠は捨てる気にならなかったので、誰にも見つからない場所――旧市立病院に隠しておいた。


 そしてパンデミックのことも人々の記憶から薄れてきた今年。

 契約期間は終わり、報酬の清算のために『ハーメルンの笛吹き男』は子どもたちをさらい始めたのだった。


◆◆◆◆◆


「この街の人間どもは――助けてもらったことにも気付かずにのうのうと暮らしてやがる。

 史郎が子どもをさらい始めた時に、成瀬も柘植も孫が失踪すれば、子を失った俺の気持ちが多少理解できるだろうと思っていた。

 実際、あいつらのガキどもが失踪したときは胸がすく思いだった。どうだ、辛いだろう、悲しいだろうってな。

 だが、誤算だったのは――子や孫が居なくなっても、なぜか親はさして気にしなかったってことだな」

 三島は苦笑いを浮かべて新しいタバコの箱を取り出した。


 黒い男が、悲しそうな目で三島を見つめた。

「どんな理由があれ、罪のない子どもを巻き込んじゃいけねぇよ」

「……ああ、そうだな」

 三島は、全てを見通す眼の、目の前の黒い男の顔をじっと見た。


「子どもたちは無事だったかい」

「ああ、皆ピンピンしてたよ。誰一人衰弱してる者はいなかった。……羽村が大切にしてたんだろうさ」

「……そうか」

 三島はふっと笑い、新しいタバコを取り出した。

 タバコをくわえて、ライターを擦る。

 三島の手は震えていた。上手く火が付かなかった。

 何度も何度も、ライターを擦った。


 その姿を見ていた黒い男が、ポケットからマッチを取り出すと、箱に擦って火をつけた。


 三島は少しだけ目を丸くしたが、穏やかに微笑むと「悪いな」と言って、マッチの火に口のタバコを近づけた。


「……おう。『マッチ売りの少女』から貰った特別のマッチだぜ。……良い夢、見られるといいな」

 三島はタバコの煙を肺いっぱいに吸い込んで、ふうっと吐き出した。

 視界が白くぼんやりと霞む。

 その先に、明るい日差しの中を駆けるように、陽気に笑う史郎の姿を見た気がした。

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