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黒ノ聖夜 BLACK SANCTION  作者: さわやかシムラ


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黒ノ聖夜 BLACK SANCTION25

 クロウの野性的な声が、ドーム状の天井に反響した。

 銀色のフルートを吹く羽村の手が、ピタッと止まった。


 しかし、異常だったのは――座席を埋め尽くす五十人を超える子どもたちが、誰一人として振り返らなかったことだ。

 まるで精巧な人形のように背筋を伸ばし、虚空を見つめたまま微動だにしない。

 その異様な光景に、クロウの後ろから顔を出した良子は息を呑んだ。


「……これ、全員……?」


 この街から消えた子どもたちが、こんなにもいたなんて。

 良子は呆然と立ち尽くすしかなかった。誰一人としてピクリとも動かないその背中が、ただただ不気味だった。


 クロウは鋭い視線を座席の最前列へと走らせる。

 そこに――いた。

 虚ろな目で宙を見つめる、見覚えのある少年。

 公園で生意気にもクロウを負かした、あのカードゲーム好きのガキ。


「……待たせたな、タケル」


 クロウがギリっと奥歯を噛みしめる音が聞こえた気がした。


「……無粋な客だ」


 ステージの上、スポットライトのような月光を浴びていた白衣の男が、ゆっくりとフルートを口から離した。


 痩せこけた頬、落ち窪んだ眼窩。

 以前、新市立病院の取材時に写真で見た「優し気な院長」の面影は見る影もない。けれど、その骸骨のように浮き出た輪郭は、確かに良子が見た『羽村』の顔立ちそのものだった。


「演奏の邪魔をするなんて。……マナーを知らないのかな?」


 重低音にノイズの混じったような男の声が、地響きのように講堂を這った。


「へっ、何言ってるかわかんねぇなぁ!」


 クロウはツカツカと通路を歩き出し、子どもたちの座席の背もたれの上に手をかけた。


「子どもたちは返してもらうぜ、『ハーメルンの笛吹き男』さんよ」


 クロウは獰猛な獣のように口角を吊り上げるが、その目は笑っていなかった。


「この間の寒中水泳のお礼もしないといけないしな」


「……おや」


 羽村は首を傾げ、興味なさそうにクロウを見下ろした。


「あなたは……ああ、あの時の。水底に沈めと命じたはずですが、まだ動いていたのですか。しぶといゴミだ」


「悪いけど、お前の話に付き合う気はないぜ」


 クロウは自身の拳をかち合わせると、半身を捻り腰を落とし構える。

 その全身から、以前とは比べ物にならないほどの殺気が立ち昇った。


「子どもたちを笑顔にするのが、サンタクロースの矜持(きょうじ)なんでなぁ! 返してもらうぜぇ!」


 堅い床が軋むほどに蹴り出すと、拳を掲げたクロウが羽村へ一気に迫った。


「……野蛮な」


 羽村がフルートを唇に添え、音楽を奏でる。

 前と同じだ。コバエのようにうるさい男は、『ハーメルンの笛吹き男』の音楽で操るだけで簡単に排除できる。


 その瞬間。


 羽村の顔面にクロウの拳がめり込んだ。

 羽村は後方に吹き飛ばされて、全身を激しく壁に打ちつけると、壁にピシッと亀裂が走った。


「き、貴様、なぜ……」

 怒りの形相で羽村がクロウを見上げた。


 音楽の力で、人だろうが動物だろうが意のままに行動を操る。それが『ハーメルンの笛吹き男』たる『幻想の者(フェアリーテイル)』の力。

 その調べは間違いなく、黒いサンタ帽の男を操るはずだった。


 羽村は壁にもたれ、フルートを見下ろした。

 ——音が、外に漏れていない? そんなはずはない。


 クロウは軽やかにその場でステップを踏みながらニヤリと笑う。


「だから、何言ってっかわかんねぇって言ってるだろ」

 クロウは自身の耳を指先でトントンと叩いた。その両耳にはイヤホンが差し込まれていた。

「最近のさ、ノイズキャンセリングイヤホンって、マジでスゲーんだからよ」

 その光景を見て、良子はほっと胸を撫でおろした。


◆◆◆◆◆


 少し前の時間――良子とクロウは手をつなぎ、旧市立病院に向かう道を歩いていた。

 

 互いの情報交換の際、クロウは『ハーメルンの笛吹き男』の笛で洗脳されたこと、その結果、童話のネズミのように水に落とされて死にかけたことも話した。


 夜空を見上げたまま、良子はあっけらかんと続けた。

「音楽が聞こえなければいいんでしょ? だって童話の中でも難聴の子どもは連れていけなかったじゃない」

 空いた手で片耳を防ぐジェスチャーをする。


「お前さ、俺に両手で耳塞いで戦えっての?」

 呆れたように口を開いて肩を落とすクロウだったが、良子はくるりと振り返りニッコリと笑顔で返した。


「私、ノイズキャンセリングイヤホン持ってるよ。周りの音遮断したい時に便利なんだよねー」

 クロウは、ぽかんと口を開いたまま、驚きを隠せずにいた。


◆◆◆◆◆


 病院侵入前――良子はクロウにイヤホンケースを手渡した。

「ちゃんと充電してあるから、大丈夫だと思うけど」

「おう、ちょっと試してみるわ」

 クロウはケースから取り出して耳にイヤホンを取り付けた。


「ノイズキャンセリングイヤホンって、車の音とかも聞こえなくなるから、歩く時はしない方が良いんだけどね」


 良子はバッグから画面の割れたスマホを取り出して、音楽再生アプリを起動した。


「ついでだから、私の好きなクリスマスソングも聴いてよ。『ジャッジメントナイト』っていうんだけど」


 音楽再生アプリから、一つの曲を選ぶとリピート設定で再生する。クロウの耳元で音楽が流れる。


「……お前さ、こんなロックなクリスマスソングあるか? ……でもまあ、気分はアガるな。いいね、気に入った!」

「良かった。じゃあ、探索中はずっとこれ聴いててね」

「は? 音が大きくて、何言ってるかわかんねぇよ!」


◆◆◆◆◆


「き、貴様……! そんな物で……!? 私の崇高な調べを、たかだか電気仕掛けの耳栓で……!」


 羽村は口元から流れる血を手の甲で拭うと、プライドを傷つけられた怒りでわなわなと震えた。


 『ハーメルンの笛吹き男』にとって自らの音楽は絶対的な魔力であり、芸術であり、最大の武器だ。

 それが量販店で売られているガジェットごときに防がれた屈辱は、計り知れないだろう。


「さぁ、羽村さんよ、次の手品が無ければ、降参ってことで良いか?」

 クロウの耳元では、今も良子が選んだ『ジャッジメントナイト』の激しいギターリフが鳴り響き、彼の闘争本能を極限まで高揚させていた。


「……下劣な猿め」


 羽村の目から理性の光が消え、どす黒い憎悪が溢れ出した。

 彼は銀色のフルートを再び唇につけた。


「小賢しい知恵を……! たとえ貴様に効かなくとも、そこの女を操れば……!」


 再びフルートの美しい旋律が場を支配する。だが、良子はきょとんとしたまま、羽村に乾いた笑顔を返した。


「な……!」

「そこの女はとっくにワクチン接種済みだよ!」


 驚愕する羽村にクロウは再び拳を叩き込んだ。

 ――二発、三発、身体が浮くほどに連続で叩き込む。


「おらぁ!」

 鋭い回し蹴りが宙の羽村の横顔を捉えると、羽村は激しくきりもみしながら講堂の隅まで転がった。


「ぐっ……!」

 身体をひるがえし、すぐに体勢を立て直した羽村は、フルートを奏でながら月光が差し込む高窓まで身を浮かせる。そして窓ガラスを叩き割ると、外へ飛び出していった。


 チュウチュウ――。

 気が付けば良子の足元に無数のネズミが集まっていた。

 床を擦る音が、ざわざわと波のように迫った。


「え!? えええ!?」


 良子は黒い棒を胸に抱えて身震いした。


 クロウは講堂の壁の引っかかりに手をかけながら軽やかに高窓まで登ると、

「わりぃ、良子! ちょっと行ってくる!」

 そう言って羽村を追いかけた。


「ちょっと! クロウさん! 『お前を守る』はどうなったのよ!」

 良子の声が講堂内に空しく響く。


 良子は両手で黒い棒を握り直すと「……えい」と取り囲むネズミを軽く突いた。

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