黒ノ聖夜 BLACK SANCTION12
路線バスを降りると、そこは倉庫と駐車場ばかりの一角だった。
低い建物、錆びた看板、コンクリートの隙間から伸びた雑草。
地図アプリを確認しながら歩くと、色あせた社名プレートの付いた倉庫が見えてくる。
『キヨタサプライ』
シャッターは半分だけ開いていて、中は薄暗い。
「あの、園辺です。お邪魔します」
声をかけて中に入ると、片手に作業用手袋をぶら下げた中年男性が顔を上げた。年のころは五十前後だろうか。短い髪には白い毛がところどころ入り混じっていた。
「ああ、どうも。清田です。わざわざすみません」
軽く会釈を交わす。
紙と埃と、プラスチックの匂いが鼻をついた。
倉庫の中は思ったよりも散らかっていた。
隅にアクリル板とビニールカーテンのロールが少し。書類の入っていそうなダンボールが、いろんなところに転がり、物によっては中身が床に散らばっているものもあった。
本当にここでまともに営業していたのかと、疑いたくなるほどの散らかりっぷりだった。
「……なんだか、泥棒にでも入られたみたいですね」
良子は冗談交じりに笑った。
「ええ、実は以前に入られていまして」
清田の言葉に、良子は笑顔のまま固まった。
清田は、足元の空箱を脇にどかして、歩くスペースを作った。
「兄がいなくなってから、ちょこちょこ片付けようとはしていたんですけど……なにぶん量も量でして。
そして、ある時見たらこの有様で。警察も呼びましたけど、その時に現場保全だかなんかで作業を中断してからは再開する気にもならず……。
それでも、いい加減倉庫の維持費も馬鹿にならないので、この年の瀬に片付けてしまいたかったんですよね」
「何が盗られたのかまでは、分かっているんですか?」
「お恥ずかしながら、何があるかを把握してるのも兄だけだったものですので。
警察によると、業務用のPCや、恐らく請求書や納品書控えの束がいくつか盗られたのだろうという話でしたが。
まぁ別に価値のあるものでもないので、もうそのまま放置になっていますね」
「なるほど……」
良子は、壁際の棚や床をざっと見渡した。
「何か残っているものは、片っ端から見ていきたいんですが、触っても大丈夫ですか」
「はい。私も中身はちゃんと確認していないものがほとんどですので、助かります」
二人で棚から荷物を下ろしていく。
空のダンボール、古いカタログ、使いかけのファイル。この辺りは手がかりにはならなさそうだ。
さまざまな請求書や納品書の控えが入ったダンボールがあったので、取り出しながら見てみたが、こちらも特に関係がありそうな物は無かった。
一通り確認し終えて、床の上には雑多なものが広がり、大半はゴミとして分別されて大きなダンボールに突っ込まれることとなった。
「……こんなもんですかね」
「ありがとうございます。『何も出てこない』って分かっただけでも収穫です」
良子が手帳を閉じかけたとき、清田が棚を振り返った。
「この棚も処分するんですけど、私ひとりだと動かせそうもないので。申し訳ないんですが、中央まで押すの手伝ってもらえませんか?」
「いいですよ」
二人で棚の端に手をかけ、「せーの」で押す。
ぎぎ、と金属が擦れる音。棚が少しだけ前に出た瞬間、裏側から紙が一枚、はらりと落ちた。
「あ」
良子がしゃがみ込んで拾い上げる。
「すみません、なんか落としちゃって」
「……それ、兄の字っぽいですね」
コピー用紙を雑に半分に切ったような切れ端だ。
『羽村・寄付』という文字を囲うように大きく丸が付いており、その下にボールペンの走り書きで、行がいくつか並んでいる。
『P板小 30』
『P板大 15』
『卓上シールド 50』
『ビニールカーテン一式』
『市立XX小・中、児童館、福祉施設』
その下に、少し濃いインクで一行。
『支払 羽村先生 あとで精算』
良子は、無意識に息を止めていた。
「……羽村先生」
「兄は電話しながらこういうメモよく取ってましたね。
あとからPCに登録してちゃんとした伝票にするんですけど、このメモはきっと、風か何かで棚の裏に紛れ込んだんでしょうね」
清田は、少し目を細め、良子の手元のメモを穏やかな顔で眺めた。
居なくなった兄を思い馳せているのかもしれない。良子は静かにその表情を眺め、そして再びメモに視線を落とした。
「P板というのは、何かわかりますか?」
「パーテーション板のことですね。ほら、緊急事態宣言のとき、席と席を仕切る板が必要だったでしょう?」
良子は当時のことを思い出しながら、軽く頷いた。
「羽村という名前に丸がついてますけど、何でしょう……。この名前は市立病院の羽村史郎さん、ですよね」
「この丸は羽村さんから直接電話があったという意味でしょうね。誰からなのか記すのに、いつも最初に名前を丸で囲んでから、メモってましたから。
その羽村って方が市立病院の方かはわかりませんけど、『先生んとこ優先』って言ってたのは、何回か聞きましたし、そうかもしれませんね」
良子は紙を落とさないように持ち直した。
「『支払 羽村先生』って書いてありますけど、ふつうは企業名とかじゃないんですかね。それとも、これで病院への請求になるんでしょうか」
「あれ? ホントですね。兄はそういうところ間違いがないように社名とかで書くんですけどね」
良子は紙に視線を落とし、しばらく考え込んだ。
「これ、写真を撮らせてもらっていいですか?」
「写真ですか? そんな紙切れでよければ、どうぞ持って行ってください」
「ありがとうございます。大事に扱います」
メモを両手で掴んだまま、良子は深く頭を下げた。
「お手伝いいただいたのに、そんな紙切れだけで申し訳ないですけど」
その姿を見て恐縮した清田も、肩をすくめて小さく会釈した。
スマホで全体と『支払 羽村先生』の部分を何枚か撮影し、その紙切れを手帳の間に挟み込む。
形式も印鑑もない、メモ書き一枚。
けれど、品目と数と学校名と、「支払 羽村先生」の字面だけで、十分に意味を持つ。
倉庫を出ると、空は少し傾き始めていた。
良子は手帳を開き、今日の日付の欄に短く書き足す。
『キヨタサプライ/一部書類持ち出し?/棚裏メモ
P板・シールド・ビニールカーテン 支払:羽村先生』
「……うん。これはちょっと問題のあるメモだよね」
小さく呟いてペンをしまい、良子はバス停の方向へ歩き出した。




