37 ワイバーンゾンビ
北の山脈での任務を終え、ソレルがネクロエリシュオンへと帰還する。
パイコーンが引く荷馬車には、山頂で仕留めた巨大な獲物が横たわっている。
ネクロエリシュオンの城門を、重い車輪の音がくぐり抜け、出迎えたナナシの前で、ソレルは汚れ一つない動作で一礼し、懐から採取したばかりの素材サンプルを取り出した。
「ソレル、大儀だったな。無事の帰還を喜ぼしく思う」
「もったいないお言葉です、若様。こちら、山中で採取いたしました未知の植物と鉱石のサンプルにございます」
ナナシはそれらを受け取ると、すぐさま荷馬車へと視線を向けた。そこに鎮座していたのは、圧倒的な質量を誇る飛竜の遺骸だった。
「……これは、想像以上に大きいな」
間近で見る飛竜は、十五メートルに及ぶ巨躯、日光を弾く硬質な鱗。これがアンデッドとして蘇れば、どれほどの戦力になるか――ナナシは思わず、その冷たい鱗をなぞる。
「運良く、群れからはぐれた一体がおりましたので。ですが……」
ソレルはそこで一度言葉を切り、山頂での戦いを振り返るように視線を北へと向けた。
「今後、これらを大量に乱獲するとなると、少々骨が折れるかと存じます。奴らが周回しているのは頂上付近の極めて高い高度のみ。そこに至るまでの険しさを考えますと、兵を動かすコストに見合うかどうか……」
さらにソレルは、調査報告を続ける。
「また、道中では他の種族の姿は見られませんでした。頂上から周囲を展望いたしましたが、亜人の集落らしきものや、文明の痕跡も確認できておりません。仮に亜人国家があるとしたら更に奥深く入り込まないと分からないかと」
「なるほどな……」
ナナシは腕を組み、思考を巡らせた。 素材の質も、飛竜という戦力も一級品だ。しかし、量産体制を整えるには地政学的な障壁が大きすぎる。知性体との接触がなかったことも、外交ルートを築く上では「空振り」と言えた。
「それにしても、よくこんな獲物をあっさりと狩ってこられましたね。さすがはソレルさんですっ!」
巨躯の飛竜を見上げるナナシとソレルの横から、アニスがひょこっと顔を出して称賛の声を上げた。彼女の明るい声が、城門前の緊張感をほどよく和らげる。
「いえいえ。空へ逃げられはしないかと、内心では冷や汗ものでしたよ」
ソレルは謙遜しながらも、愛用の杖を軽く拭って答えた。実際に、高度を保つ相手を物理の技だけで引きずり下ろすのは、彼ほどの万能な将であっても綱渡りの作業だったのだ。
「アニスさんなら、このワイバーン相手にどう戦いますか?」
ふとしたソレルの問いに、アニスは人差し指を顎に当てて「うーん……」と思案する素振りを見せる。
「アタシなら、やっぱり斧を投げるか、思いっきり振ってソニックウェーブ(真空波)を飛ばすか……。あとは、めっちゃ挑発しますね! 『へいへーい、トカゲさん、こっちですよー!』って。……あ、でも、あんなに高いところだと声が届かないかもですねー?」
「……なるほど。力押しと精神揺さぶり、ですか。非常にアニスさんらしく、参考になりますな」
ソレルは苦笑を浮かべつつも、自分にはない直感的な戦法に頷いた。
会話を横で聞いていたナナシは、改めて目の前の巨大な死骸へと視線を戻した。飛竜の鱗は未だ鈍い光沢を放ち、失われたはずの魔力の残滓が周囲の大気に僅かな震えを与えている。
(……この素材なら、期待以上の個体が作れるはずだ)
「よし。まずはこのワイバーンを素体にして、アンデッドの作製に取り掛かるとしよう」
城内の少し開けた広場へと移動した一行は、横たわる巨大な飛竜の遺骸を囲んだ。 ここからがネクロエリシュオンの真髄、死者を兵卒へと変える儀式の時間だ。
ナナシは飛竜の冷え切った鱗に右手をかざし、静かに、しかし威厳を込めてそのスキルを唱えた。
「『クリエイト・アンデッド』」
実際のところ、今のナナシにとってこの動作も詠唱もシステム上は不要なものだ。思考一つで完結する処理ではあるが、緊急時でもない限り、こうした「雰囲気作り」を大事にする――というのか、元プレイヤーである彼のこだわりだった。
スキルの発動と共に、飛竜の死体が不気味な変化を始めた。 巨躯がドロドロとした黒い液体のように溶け出し、地面に広がる。それはまるで、元の肉体という「素材」を一度分解し、再構成しているかのようだった。
やがて、その粘り気のある液体が中心に向かって急速に凝集し、新たな形を作って起き上がる。
「……ぎゃーお!」
短く、しかし鋭い咆哮。 そこに現れたのは、元の飛竜よりも三回りほど、いやそれ以上小柄になった、悍ましい姿のアンデッドだった。翼の膜はボロボロに裂けて劣化しているように見え、露出した骨が鈍い光を放っている。
「うーん……これは。ワイバーンゾンビというより……『ドレイクゾンビ』って感じですかねー?」
アニスが首を傾げながら、率直な感想を口にした。
期待に胸を膨らませていたナナシにとって、目の前の結果は正直なところ「期待外れ」と言わざるを得ないものだった。
あの15メートル級の巨体を素材に使ったのに、これほど……良く言えば「可愛らしい」サイズのゾンビだとは、夢にも思わなかったのだ。
「……うーむ」
ナナシは思わず、眉間に指を当てて沈黙した。巨大な飛竜から再構成されたはずのドレイクゾンビは、今や大型犬を一回り大きくした程度のサイズに収まっている。素材の質量は一体どこへ消えてしまったのか。ゲーム時代とは違い、ユニットにもレベルのような概念があり初期化されるのだろうか…。
しかし、当のドレイクゾンビは、主の落胆など露ほども知らない様子で、行儀よくその場に鎮座している。ナナシは半ば諦め混じりに、目の前の小さな配下へと問いかけた。
「お前……飛んだり、火球を使ったりすることはできるのか?」
その問いを理解したのか、ドレイクゾンビは「ぎゃおぎゃお!」と元気よく鳴いた。そして、ボロボロで頼りなげな短い翼を、一生懸命にバサバサとはためかせ始める。
フワッ……。
「……お?」
アニスとソレルが見守る中、ドレイクゾンビの体が地上から浮き上がった。だが、その高度はせいぜい50センチ。滑空どころか、ようやく足が地を離れたという程度で、飛んでいるというよりは「必死に浮いている」といった様子だ。
「ぎゃお!」
それでもドレイクゾンビは、どうだと言わんばかりに胸を張り、空中で誇らしげに喉を鳴らしている。その健気な姿に、周囲には何とも言えない微妙な空気が流れた。
「飛行性能はもういい。……では次は、火球を吐いてみろ」
ナナシは期待を大幅に下方修正しつつも、最後の手札に望みを託して命令を下す。かつての飛竜が見せた、山肌を削り取るようなあの熱線を、この小さな体でどこまで再現できるのか。
「ぎゃお!」
ドレイクゾンビは、主の期待に応えようと短く、しかし気合の入った返事をする。 そして、かつての飛竜がそうしたように、胸を大きく反らせて深く、深く息を吸い込む…。その喉元が、微かな魔力の高まりによって赤黒く明滅する。
「……お、来ますかね!?」
アニスが身構え、ソレルも手帳を構えて注視する。 溜めに溜めて――ドレイクゾンビの口が大きく開かれる。
「ボフッ……」
湿った音と共に放たれたのは、破壊の火球ではなかった。 口から漏れ出たのは一握りの黒い煤と、風に流されて消えるような頼りなげな煙の輪が一つだけ。
「…………」
広場に、凍り付いたような静寂が広がる。 放った本人も何が起きたのか分からず数秒固まっていたが、やがて自身の不甲斐なさを悟ったのか、力なく首を垂れた。翼はだらりと横に広がり、地面にうなだれて「ぎゃう……」と消え入るような声で鳴く。
その姿は、空の覇者としての面影など微塵もなく、ただの「叱られた子犬」そのものだった。
「あはは!これじゃあ、戦力っていうより完全にペット枠ですね」
アニスがこらえきれずに吹き出し、地面でいじけているドレイクゾンビの背中をポンポンと叩いて慰め始めた。ソレルも、手帳に書き込んでいた「攻撃能力」の欄を静かに横線で消し、ナナシの方を振り返る。
「……そうだな」
ナナシは深く、深く溜息を吐いた。 十五メートルもの最高級素材が、ここまで愛らしいマスコットに成り下がるとは。強力な飛行部隊を組織し、空から敵を圧倒するという壮大な計画は、最初の一歩で盛大に躓いたようだった。
項垂れるドレイクゾンビを見つめながら、ナナシは次の素材確保への道のりの遠さを思い、遠く北の空を仰いだ。




