35 プレイヤーのステータス
ネクロエリシュオン主城、重厚な静寂に包まれた執務室。
戻ってきたアニスの報告に耳を傾けていた。
「…それで、王国の冒険者と接触したそうだな。どんな様子だった?」
ナナシが尋ねると、アニスはいつものように屈託のない、弾むような声で答えた。
「はいっ! 王都から来たセレーナさんという人に会いました。やっぱり、このお城の調査が目的だったみたいですねー」
「なるほど、やはり王国側も動き出したか……。それで?」
「等級とかは教えてくれなかったんで、実力を確かめるついでに軽く『じゃれついて』みたんですよ。斧で勢いよく振りかぶってみたんですけど……不意を突いたつもりが、普通に短剣で受け止められちゃいました。あはは、びっくりです!」
アニスは事もなげに言うが、ナナシは内心で戦慄した。近接職として調整されているアニスの、あの豪腕を短剣一本で受け流すなど、並の冒険者にできる芸当ではない。
「アニスのあの一撃を、まともに受け止めたのか…」
「そうなんですよー。最初は近接職かなって思ったんですけど、足元の土を泥沼に変えて私のバランスを崩したり、最後はケッパーちゃんみたいな隠密とはまた違う……そう、空間移動みたいな魔法でパッと消えちゃいました。しかも、私に傷一つ付けさせないまま」
アニスは少し残念そうにツインテールをいじりながら、自身の見解を述べる。
「うちのドラちゃんとはまた違うタイプの、万能なメイジって感じですねー」
(アニスの近接攻撃に対応できる反射神経と筋力があり、その上で高度な環境操作魔法と空間転移まで使いこなす……。あまり考えたくないタイプだな。魔法戦士、あるいは賢者クラスか……)
ナナシは指先でこめかみを叩き、思考を整理した。
「……分かった。そこまで戦える冒険者なら、王国だけでなく帝国側でも名が知れているはずだ。ケッパーが帝国から戻り次第、その名を聞いてみるとしよう。まあ、『セレーナ』が偽名でなければだがな」
一息つくと、ナナシは窓の外に広がる密林を見やった。
「それに、アニスが戦った場所は少なくとも王国の領土内ではない。あちらが何か言ってきたとしても、正体不明の不審者への正当防衛だったとでも言えばいい。目撃者がいない以上、いくらでも口実は立つからな」
「了解です! 次に会ったら、今度こそ逃がさないように頑張りますよー!」
アニスを退室させ、ナナシは背もたれに深く体重を預け、天井を仰ぎながら一息ついた。セレーナという不確定要素への対策も重要だが、国家としての足腰を強くするための「拡張」もまた急務である。
「……さて。そろそろ北の方も本格的に調べておきたいところだな」
ナナシは、机に広げた地図の北端に指を置く。
ケッパーや以前接触した冒険者たちの情報を統合すると、この北の最奥には「亜人国家」が存在するという。そしてその手前に連なる険しい山々「良質な素材」が眠っているはずだ。
「それに……確か、あの山脈には『飛竜』が生息していると言っていたな」
ナナシは続ける
「飛竜の死骸を素材にしてアンデッドを生成できれば、面白いことになりそうだ。純血のドラゴンゾンビとまではいかなくとも、それに近い存在が生まれそうだ…」
(私が直接現地へ赴いて、その目で確かめられればいいんだけどな…)
『ドラゴンキャッスル』というゲームにおける「プレイヤー」、すなわち今のナナシの肉体は、一国の主という立場に反して、あまりに脆弱な設計となっている。
その戦闘能力は皆無と言ってよく、ステータスは最低水準に固定されている。たとえ魔物の中でも最下級に位置するスケルトンが相手であっても、その古びた剣で一撃を受ければ即座に命を落としかねない。この絶対的な弱さが、ナナシという存在の前提であった。
しかし、その脆さを補うために、自国である「ネクロエリシュオン」の領土内にいる限りは、いくつかの絶対的な守護システムが機能する。まず、あらゆる状態異常が自動的に無効化される。さらに、領内に自身が召喚した英雄が一人でも存命であれば、ナナシ自身がダメージを受けることはない。たとえ強力な広域魔法に巻き込まれたとしても無傷である、さらに仮に味方によるものであったとしても「フレンドリーファイア」は発生せず、無傷でいられるのだ。
かつてゲームのプレイヤーたちの間では、この「領内での無敵性」を逆手に取り、あえて英雄を後方に下げて、死なないプレイヤーを最前線に立たせるという奇策が流行したこともあった。しかし、敵対するプレイヤーに強制転移魔法を使われ、領地の外へと引きずり出されて即死させられるという攻略法が確立されると、その戦術はあっという間に廃れていった。
本来のゲームシステムでは、万が一プレイヤーが死亡しても、それは永遠の終わりを意味しなかった。死亡後の一定時間は、国中の施設が破壊され、財産が略奪される「無防備な状態」に陥るが、その後プレイヤーは自動的に復活し、二十四時間の「初心者保護バリア」のような猶予期間が与えられる仕組みになっていたからだ。
だが、現実となってしまったこの世界において、そのシステムが今も機能しているという保証はどこにもない。もし復活の理が失われていれば、次に命を落とした瞬間、この国も、ナナシ自身の意識も、すべてが消滅することになるだろう。だからこそナナシは、北の山脈に眠る未知の素材や飛竜という魅力的な報酬を前にしても、自ら前線に立つという選択肢を慎重に排除せざるを得なかったのである。
「よし、まずは慎重に足場を固めるとするか」
ナナシは思考を切り替え、ひとり呟いた。いきなり大規模な調査団を北の山脈へ送り込むのはリスクが高い。まずは偵察を兼ねた、最小単位での「採取」から始めるのが定石だ。
「本格的な調査に乗り出す前に、ソレルを先行させることにしよう。目的は、未知の新素材の回収と、飛竜一匹の確保だ」
ナナシは確信を持って、自身の執務室へと従者を呼び出す。 ソレルは本来、軍を統べる将として設計された英雄だが、その非凡な才能は個としての活動においても遺憾なく発揮される。もちろん本職の「それ」とは劣るものの、苦手なことが極端に少ないという「隙のなさ」こそが、未知の領域へ最初に踏み込む偵察者として、何よりも信頼に値するのだ。
ほどなくして、重厚な扉が静かに開かれた。 現れたのは、落ち着いた物腰の中に、鋭い知性を感じさせる佇まいの妙齢の男性――ソレルである。
彼はナナシの前に進み出ると、騎士のような流麗な動作で深く頭を下げた。
「お呼びでしょうか、若様」
「ああ。急ぎの、しかし慎重を要する任務だ。お前に、北の山脈へ向かってほしい」
「目的は二つ。一つは山脈に眠る未知の魔法素材の採取。そしてもう一つは、野生の飛竜の死骸を一匹、こちらへ回収してくることだ」
更にナナシは続ける。
「どこまで山深くへ潜るかの判断は、お前の裁量に任せる。だが、何よりも優先すべきは各種素材の確保だ。無理な戦闘や深追いは避け、持ち帰れるだけの『価値』を確実に集めてきてほしい」
ナナシの言葉に、ソレルは静かに耳を傾ける。
「それともう一つ。もし山中で亜人国家の者と接触することがあれば、慎重に観察してくれ。彼らに言語や文化といった知性があるのか、そして何より、我々と対話が可能な相手かどうか。それを見極めてほしいんだ」
「……承知いたしました。山脈の険しさは問題ありません。まずは素材のサンプルを揃え、現地住民の文明度を測って参ります。もし話し合いの余地があると判断すれば、その兆候も報告に含めましょう」
「ああ、頼んだぞ。お前なら、最善の引き際を見誤ることはないと信じている」
ソレルは深く一礼し、音もなく執務室を退室する。
主の期待と、未知への好奇心をその胸に秘め、ネクロエリシュオンの「万能の将」は単身、北の山々へとその足を進め始める…。




