第四話
「ま、待ってください。どこに行かれるのですか―――!」
人生ってやつはな、あんた。
当然の話だが限りがあるんだ。一秒後か十年後かは知らねえが、いつかは人間死んじまう。病気だの事故だの事件だの、じゃなくても寿命の野郎がゴールに待ち受けてるんだ。
だからこそ楽しいんだがな。
散らねえ花の美しさってやつは俺には解らんしよ。
「ま、待ってください! お願いします!」
詰まるところ。
俺のやるべき事ってのは簡単だ。単純な話だよ。
限られた時間をよろしく生きる。
有り触れた言葉だろ?
でもまあ、真理ってやつさ。
天国とかいう家畜小屋を信じてる阿呆どもよりはよっぽどマシだと思わないか。連中はクソったれたテメェを誤魔化すために、与えられた試練だの何だの嘯いて惰性で日々を過ごすんだ。
この貴重な一瞬を祈りにあてるんだぜ?
死神みてぇなひでぇ面した女を買って、そいつに病気を移される方がまだ有意義に見えてくる。例えその家畜小屋が確かに存在したとしても、だ。ここで全力で生きられない奴らがどうしてそこで幸せになれるんだ?
「待って――――!」
おっと話がそれたな。
あの阿呆どもの話になると、ついつい熱が入っちまうんだ。
まあ、なんだ。
時間は貴重だって事だ。あ? それはもう聞いたって?
気が短い野郎だな。さてはあんた、ベッドの上でも独走してさっさとゴールしちまうタイプだろ?
だからさ。例の赤毛の女ってのは、貴重な時間を無駄にしちまう厄介事なわけ。そんなわけで俺は女の〝世迷い事〟を耳にするとすぐに席を立ったのさ。硬貨を数枚テーブルに叩きつけ、あっという間に酒場を後にした。
鮮やかなもんさ。
脱兎よりも俺の方が脚が速かったに違いない。十点満点のうち九点をつけても良い。俺の一連の動きはそれくらいの出来だった。
だがまあ。
「待ちなさい―――!」
追っ手は狐よりもしぶとかったらしい。
早足で歩く俺の正面に回り込んだ赤毛が、肩で息をしながら睨んできやがった。
「いきなり何も言わずに立ち去ろうとするなんて、あまりにも失礼じゃありませんか!」
俺は気にせず、斜めに避けて再び歩き出そうとした。
「待ちなさいと言ってるでしょう!?」
女、俺の腕を掴みやがる。
反射的にそれを振り払おうとしたが、俺はふと考えた。
こいつ。例え今日追い払えたとしても、明日は明日で俺を追いかけてくるんじゃねえか――ってな。
恐ろしい想像だ。
泣きぼくろが色っぽい巨乳の未亡人ならともかく、相手は赤毛のガキ、それも貧乳だ。悟りでも開いちまったらどうするんだよ。
仕方なく赤毛を正面に捉える。
「……はあ」
「ようやく口を開く気になりましたか。それじゃあ、話の続きをしましょう」
ふくれっ面。しかし上品さは欠片も損なわないなんていう離れ業を現在進行形でやる女に、俺は鼻を鳴らして見せた。
「しねえよ」
「―――何故ですか。まだ報酬についても一言もお話ししていないのに。言っておきますが依頼達成のあかつきには、この先働かずとも何不自由なく暮らしているだけの報酬をお支払いします」
「あのなあ。例えあんたがそれだけの金を用意できたとしても、だ。俺はやる気はねえぜ、それ。理由は言わなくてももちろん解るよな?」
「解りません。きっちり説明してください」
眉間に皺を寄せやがる。
細められた青い目は、そりゃあ槍の穂先のように鋭かったさ。
最も、俺はそういったのは慣れっこだがな。
「依頼内容が不可能だからだよ、お嬢様。帝国を滅ぼすなんて――ああ、言ってて力が抜けてきたぜ。俺の台詞じゃねえってのに……」
無駄ってやつだ。
大無駄さ。
こういうのはな、それだよそれ。
限られた人生。その貴重な時間をドブ底に投げ込むって事さ。
ありえねえ。
ありえねえだろ。
だったらほら、そういうのとは一刻も早くおさらばだ。下手に理解しようなんてしない方が良いんだ。
無視。
シカトだよ。
なかった事にして脇目もふらず逃げるんだ。
それが道理。
それが賢いって事だ。
賢い俺は女に指を突きつけた。
「俺は受けない。話は終わりだ、お嬢様」
ぺっと唾を吐き捨てて俺は背を向けた。
いつものペースで歩き出す。正直、あーだこーだ言って取りすがってくると予想していたが、女は腕を掴むどころか制止の言葉一つかけてくることはなかった。聞こえたのは息を吸い込む音と、ギリギリと歯を食いしばるそれだけだった。
ほっと一安心。
すぐさま俺はやばい女の事を頭から追い出し、帝国の青い空を見ながらこれから何をするかを歩きながら考え始めた。
まだ昼過ぎ、日は高い。酒場に戻る気分でもないし、宿に帰るのも早すぎる。博打もあんまり趣味じゃないし、金は無駄にしたくない。
さて、どうしたものか。
斡旋屋に顔を出して仕事の確認でもしてみるか。もちろんまっとうなやつだ―――。
「きゃっ――――」
そいつは背後からだった。
短い悲鳴だ。
本来ならもっと長かったやつを、途中で無理矢理ぶちぎったような悲鳴だった。
悲鳴。
そう、悲鳴だ。
馴染みがある、それも聞き覚えのあるやつだ。
嫌な予感?
予感どころの話じゃねえ。
ここは大通りであって酒場の中でもなけりゃあ、路地裏の暗がりでもないんだ。
白昼堂々。多くの人間が行き交う通りの中で聞くようなもんじゃない。しかも悲鳴の持ち主はガキ。貴族の令嬢だぞ? どういう状況ならそんなものを聞くことが出来るんだ?
疑問だ。
だが、俺は迷った。振り向いて疑問に答えを得るのを躊躇ったんだ。もちろん、明らかにそいつは厄介事だからだ。しかも遠いどこかにあるようなやつじゃなくて、目の前にあるそれだ。
振り向くべきじゃない。
俺は止まった自分の足の、そのつま先を睨みながら小さく頷いた。
よし、振り返らずにこのまま歩きだそう……。
と、その時だった。
「人さらいだ―――――!」
叫び声が耳に届いたのと、すぐ横を一頭の馬が走り抜けていったのはほぼ同時だった。
一瞬だった。
俺が目にする事が出来たのは、ほんの僅かだった。
黒毛の立派な馬。
それを操る帽子を被った男。
そして男の小脇に抱えられた、ぐったりとした小柄の女。そして―――、
赤毛。
気づけば馬の姿は消えていた。
視線の先から人々の悲鳴だけがちらほらと聞こえてくるだけ。全ては一瞬で通り過ぎていった。
あっという間。
だからこそ、妙にくっきりと頭の中に張り付いてしまった。
不運だ。
そうとしか言いようがない。
馬の行き先がこちらと反対方向であれば、無視する覚悟を決めた俺はそんなものを見る機会はなかったし、女を攫った野郎が事を起こすのをもう少しだけ遅くしていれば、俺は女の悲鳴を聞く事なんてなかったんだ。あるいは野郎がもっと早く決断していれば、そもそも女と俺は会うことすらなかった。
これが答えだよ。
クソ忌々しい事実だ。
そいつが向こうから飛び込んで来やがった。ちょうど背を向けたその瞬間に、だ。
神はいるね。
俺は確信したよ。
俺は今そいつに祟られてるんだ。どの時点で目をつけられたかは、心当たりが多すぎて解らないが、ずっとこちらの隙を伺っていたに違いない。じゃなきゃ、こんなに都合が悪い事が立て続けに起こるはずがない。
―――赤毛に従え。じゃなきゃテメェのカマ掘るぞ。
ああ。
何だろうな。
これが噂に聞く野郎の啓示ってやつか。
厄介事に抗う気力が集められねえ。つうかあれだ。背筋がマジで震えてやがる……。
「……くそっ」
一言だけ毒づいた。
近くに止まっていた馬車にさっと駆け寄り、四頭いたうちの一頭の馬を切り離し、その背に一息で飛び乗った。
「あ、あんた何するんだ!?」
持ち主らしき小太りの男が叫んでくる。
俺はそいつの脂ぎった顔に向けて歯を剥いてやった。
「俺が聞きてえよ馬鹿野郎!」
びびったそいつの顔から視線を引きはがし、正面に向けると馬の腹を強く蹴った。
すぐさま馬は走り出し、どんどんと速度を上げていく。悲鳴を上げながら飛び退く通行人を視界の端で捉えながら、俺は心でため息をついた。
――――もうどうにでもなりやがれ……。