第三話
話し合いの基本って知ってるか。
目を見て話す?
ああ、それも悪くはねえが、そいつは最悪の状況の引き金になる場合もあるんだよ。目は口ほどにものを言うってやつ。腹の底を読めるやつは実際のところ、結構いるんだ。かくいう俺もその一人さ。
笑顔……ねえ。
そいつもどうだろうな。
好印象を持ってくれるやつもいるんだろうが、俺の知り合いには少ないな。目の前でヘラヘラだかニヤニヤだかニコニコだかされれば、俺なら気分を害すぜ。野郎、薬でもきめてんのかってさ。
まあ、あんたの身につけた交渉術は置いといて、だ。
おっと。
そんなに怒るなよ。別に俺はあんたを軽んじたわけじゃないんだ。ただ聞いてみたかったのさ。
何しろこういう他人に対する〝構え〟ってやつは詰まるところ、自分に対してどう接しているかってのを現しているんだからな。
はは。
神妙な面しやがって。テキトーだよテキトー! 今考えついただけだ。深淵な意味があるわけじゃねえよ。あんたも案外素直なやつだなあ、くくく。
俺の場合、だ。
テメェとヤロウに対してどう接するか、だが。
「お前、ビジュテルンの関係者だな―――?」
目に力を込め睨み、声にはどすをきかせる。
威圧による先手必勝。
小物ならこれで大抵どうにかなるぜ? 最も、この演技も上手くやらなきゃあガキのツッパリだ。使いこなしたいなら羊か豚相手に練習してな。そうすりゃあんたは誰もが怖れる存在になれる。まあ最も、違う意味でびびられるわけだが。
とにかく、俺はそいつをお見舞いしてやった。もちろん目の前の赤毛にだ。
ところがこの女、やはり小物じゃなかったらしい。
「はい。ビジュテルンはセリアード家の、遠縁の親戚になります。貴方のお話を聞かせてくれたのはディアヒムのおじ様です。先の盗賊狩りでご活躍された、と」
「……あー、そうかい」
すらすらと喋ったあげく、あの嘘くさい可憐な笑みすら余裕で顔に浮かべて見せた。
やってらんねえ。
「まあ、要するにお前。貴族なわけか」
「はい。そうです」
違和感はない。
平民が一生働いても上着一つ、いや下着一つ買えないだろう女の服装は、派手じゃないが明らかに金のかかった代物だった。しゃべり方もそうだ。気持ち悪いくらいにはきはきしてやがる。
セリアード家ってのは聞いたことないが、俺が覚えている貴族は例のビジュテルンと知り合いのクソアマのところ、後は王家くらいだ。ああ、王家は貴族とは呼ばないんだっけか? まあ良いか。俺には関係のない話だ。
……ディアヒムか。
名前を聞いただけであの爽やか笑顔が頭に浮かんで来やがる。やつはあんたと同じタイプ、いや、あんたよりも一枚上手だろうな。話さない時も寝ている時も、にこにこ笑ってやがったからな……正直さ、盗賊よりもあいつの方が怖かったんだ、俺。
盗賊か。
まあ治安が落ち着いた今じゃ、あまり馴染みのないものなのかもな。だがそん時は帝国と連合国の戦の最中、賊と名のつくものは魚屋の魚の数よりも多かったわけだ。
鈍い反応だな。
言っておくがよ、盗賊つっても素人じゃねえんだぞ。脱走軍人だの傭兵のアルバイトとかだ。大陸最強と謳われた帝国に潰された数々の小国、そこらの連中が徒党を組んで復讐込みの凶行を重ねてたのさ。やつらは武器の扱いに長け、集団戦闘もこなせた。モチベーションが高いから、下手したら田舎の国境警備隊よりも強かったりする。
もちろん正規軍を使えば一発だ。練度は異常としか呼べないし、数も物資も段違い。当たり前の話だよな、国対群れの図式なわけだから。
だが、だ。
役人どもは正規軍は動かしたくない。
帝国がいくら強いつっても、敵の数が尋常じゃない。軽々しく軍を動かせば、いつ隙を突かれるか解ったもんじゃないからだ。それに金をかけて育てた兵士を要らぬ危険に晒したくはないってわけさ。
そこだ俺たちの出番さ。
奴隷の次に命の安い傭兵ども。戦争がある限り決していなくなったりしねえからな、いくらでも消費できる。役人どもが夕飯のワイン一杯を我慢する必要すらない。せいぜいつまみ一切れ分なんだ、俺たちの価値ってやつはよ。
傭兵による盗賊殲滅戦の一つ。
ちょっと前にあったそいつに俺は参加した。そこで傭兵どもを取り仕切る役人の一人がディアヒムだったわけさ。
「おじ様の話では鬼神のごとき剣さばきだったとか。一人で二十人は倒したと聞きましたわ」
「それはやつの妄想だ。盗賊は四五人しか殺してねえよ」
小遣い稼ぎに参加したんだ、体力使うのも馬鹿らしい。そう考えた俺はしばらく茂みでぼうっと空を眺めた後、疲労していた敵味方の背中に飛びかかっただけ。
……ん? ああそう、後の十五人だかは味方だったよ。
「正直、私も最初はそう思いました」
「へえ?」
「おじ様は素晴らしい方ですが、子供っぽいところもありますので、きっと初めての戦闘で興奮されたのだろう、と」
「……まあ、その通りだな」
ナニも勃ってんじゃねえのかってくらいだった。気持ち悪くて危うく殺しかけたってのは、俺とあんただけの秘密だぜ?
「貴方の腕については半信半疑、いえ、失礼ですがほとんど信用していませんでした」
「過去形じゃなくても良いぜ? 現在形でもそいつは真実だ」
「ですが、実際にお会いしてみて考えを改めました。おじ様は正しかった、と」
ちゃかしてみるが、女はそれをまるで無視しやがった。じっと青い瞳で俺を見上げてきたよ。
おいおい、次にポケットから取り出すのは指輪かって、まあそんな熱い視線さ。
「私は今、命を狙われています」
「――――は?」
耳と頭を疑ったぜ。
俺の自慢のその二つを、だ。
「敵は強大な暗殺組織。その刺客の腕前は恐ろしいもので、誰も暗殺だとは気づかないほどなのです」
更に女の頭とその口を、だ。
「……冗談か?」
笑えないけど。
「いいえ、冗談ではありません。事実です」
笑いたいぜ。
でもまあ無理だった。
何しろ相手は狂人―――何をしでかすか解らない。刺激しちゃあまずいだろ?
色々な事を考えたよ。
蝶よ花よと育てられた貴族の令嬢が、愛する父親が女装して部屋で美少年を犯してるのを見ちまったとか。継母の折檻が度を超してたとか、転んで頭を打ったとか。
理由がどうであれ、まあここは一つ話を合わせておこう。
腰抜けとか言うな。
相手は貴族様だぞ? ゴマするのが平民の仕事っでもんだろ。
「そうか……衛兵を呼んだら良いんじゃないかい?」
いけね。変なしゃべり方になっちまった。
「いえ。それは駄目です。もし衛兵が私を守ってくれたとしても、今度はその衛兵が彼らに殺されるだけです。家族を人質に取るかも知れませんし」
「そう……それはまずいね」
「はい」
おいおい。
いきなり露骨になって来やがったなあ。そういう恥ずかしい部分は隠すべきだぞお嬢さん。はしたないなあ。
……ふむ。
ではこうしよう。俺が力になれない理由ってのを、いくつか教えて差し上げたら良いんじゃないか? もちろん嘘八百だ。
名案に思えた。
思い立ったが吉日。俺は表情を暗くした。
「―――力になってやりたいのはやまやまなんだが、な。悪いが俺も国に嫁と子供がいて、あまり危険な仕事は引き受けられないんだ。俺が死んだら嫁は身を売るしか生きる道がなくなるだろうし―――」
悲しげな笑みだ。
ほらあれだよ。己の力不足を嘆く男が浮かべる、目にするだけで胸をかきむしられるような自嘲の笑みだ。
俺は演技派だ。
これくらい難なくこなせる。自信があったぜ、もちろん。
……だが。
だが、だ。
運悪くその時、デブの酔っぱらいが転がるバップの死体に躓き―――床を何度かバウンドしやがったんだ。
ぶよんぶよん。
俺は見ちまった。そして音も聞いた気がしたんだ。
「だから悪いがあんたの護衛は出来ないんだッ」
悲しげな笑み……?
ああ失敗さ。
笑いを必死に堪えている男が鼻で笑っただけだ。かきむしられるのはむしろ、胸じゃなくて鼻先だったんじゃねえかな。俺が女なら間違いなくきれてただろう。
「ああ、そうじゃありません。誤解させてしまったようですね」
だが女は落ち着いた顔で首を横に振った。赤毛がその後を追って宙をひらひら。風に揺れる花みたいだったよ。綺麗な綺麗な赤い花だ。
だがまあ、
「貴方にお願いしたいのは護衛ではありません。私は貴方に……」
花は花でも棘だらけの毒だらけ。
眺める分には良いだろう。
だけど触れるのはあんた命取り。
何触れた?
それじゃあんたはもうおしまい。
「貴方に、帝国を滅ぼして欲しいのです」
醒めぬ悪夢をご覧あれ――――。
なあ、あんた。
もしこの世に神ってやつがいたとしたらよ。
俺とこいつの一体どちらを救うんだ……?