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第一話

 悲鳴ってのは、俺にしてみれば割となじみのものだ。

 教会の青白い神父と説教、がりがりの娼婦と喘ぎ声。

 そんな感じさ。

 朝から晩までとは言わないが、目開けている時間の大半に耳にする、有り触れた類のものだ。

 まあもちろん、懺悔してえ野郎が来なけりゃ神父も説教できないし、客が来なけりゃ婆も声は上げられない。俺だって叩ききる奴がいなけりゃ聞くことは出来ない。

 そん時の俺は二三日前に手に入れた金を相応しい形で消費すべく、不味い酒だの臭え肉だのを貪っていた。だからまあ、悲鳴なんてあんまり聞くような状況じゃなかった事は確かだ。

「――――あ?」

 ともあれ、聞き慣れたはずのもんだ。

 だがそん時のそいつは、俺が普段耳にしてるやつとは少々毛色の違うもんだった。少々じゃねえか。かなり、だ。天と地ほどかけ離れたもんだった。野郎の断末魔とは馬鹿馬鹿しいくらいに違ったのさ。

「やめなさい! 手を、離しなさい!」

 女の悲鳴だ。

 それもガキ臭い、甲高い奴だった。

 それだけでさえひどく場違いなもんなのに、加えてその女の声は、育ちの良さがすぐさま解る、えらく滑舌の良い綺麗なもんだった。俺は声の方を見たよ。俺だけじゃない。酒場にいた全ての人間がそっちを見ていた。

「離しなさい!」

「そう言うなよ。な? その邪魔な布きれなんて取ってよ、ちょっと顔を見せてくれよ」

「お断りします! さっさと手を離しなさい!」

「けちけちすんなよ―――」

 女は男に絡まれていた。

 地味だが上等な布をまいた女の顔は、鼻から下しか見えなかった。

 まあ、例え全部見えたとしても、俺に心当たりなんてものはありゃしない。ガキの顔なんて覚えないし、帝国の幼い姫様の顔だって知らない。

 顔を上げてはみたものの、反射的なもんで興味なんてほとんどないわけだ。俺の視線は女に留まる事はなく、女に絡んでる男の方に向いた。

 ああ、こっちは割と知ってる奴だ。

 バップっていう俺の同業者だ。いつかの戦場で動かなくなったらしい左腕を、ぶらんぶらんぶら下げてる野郎。汚ねえ見た目からドブネズミの相性で親しまれてるこいつは、無類のガキ好きっつう変態だ。

 ガキ好きって解るよな? 

 そっちの意味だぜ? 

 性別は気にしない博愛主義者だから、本当に頭が下がる。正直、同じテーブルに座る事があったら、俺は野郎に強い酒ぶっかけて火をつけるね。きっとあんただってそう思うだろうよ。

 とにかく、状況が大体理解できたところで、俺は完全に興味を無くした。

 驚いたように近くで突っ立ってるウェイトレスの尻を景気よく叩き、そのごつい感触を鼻で笑いながら、手に握ったグラスを口につけた。そのまま一気にそれを呷ろうとしたんだが、


「この中にベイン様はいらっしゃいませんか! ベイン・グーデル様はいらっしゃいませんか!」


 手が止まっちまう。

 何も飲んじゃいないのに、口の中で苦い味がしたぜ。眉間に寄った皺をグラスを握ってない方の手で撫でながら、俺はテーブルの木目を睨んだよ。神が目の前にいたら力一杯殴りたい気分だったのさ。

「グーデル様! いらっしゃいませんか!」

 ご存じの通り、ベインってのは俺の名前さ。

 ジョージほどじゃないが、別に少なくない名前だ。だからそう、女が呼んでるベインが俺じゃないって事も十分あり得るわけだ。

 問題は、だ。

「グーデル様!」

 そう、それだ。

 グーデルってのは、別に俺の名前じゃない。だが、全く関係がないって名前でもない。

 何日か前の事だ。

 しつこく俺の素性を聞いてくるやつに姓を聞かれ、咄嗟に適当に作った奴だ。煙に巻くためだぜ? しつこかったんだよ。だから仕方なく、だ。金輪際耳にするはずがない名前、それがグーデルだったんだ。

「ベイン・グーデル様! いらっしゃい―――きゃ!」

 パンって響いたそいつは、そっちを見なくても解った。頬をひっぱたくその音だ。おおかたバップの野郎がやかましい女にぶちぎれて、張り倒したんだろう。だがまあ、俺はそれを理解してもやっぱり、神を呪う以上の事をしたくなかった。

「ね、ねえ……ベインってあんたの事じゃないの……?」

 顔を上げれば、さっき尻を叩いてやったウェイトレスが責めるような目で俺を見ていた。

 俺がどうしたかって?

「違うに決まってるだろうが」

 鼻を鳴らして酒を呷ったのさ。

 ウェイトレスは顔をしかめたが、俺は全く気にしちゃいなかった。厄介ごとは誰だってご免だろう? 進んで引き受ける奴は宗教関係者。つまりは極上のマゾって奴だけだ。

 俺は無視した。

 それで終わり。終わりのはずだった。


「あ、あなたがベイン様ですか!?―――――ベイン様ですね!」


 残念。女は地獄耳だった。

 明らかに俺に向けられて飛んできた声に顔を引きつらせながら、俺は顔をそっちに向けた。

 酒場の入り口、つまり出口だ。

 バップのましな方の腕に掴まれ引きずられる女の、その青い二つの瞳が、布の影から射殺さんとばかりに俺を睨んでいたよ。

 俺は悟ったね。

 そして嘆いたよ。

 ほら、厄介ごとに巻き込まれたぞ――ってな。

「離しなさいっ!」

 女は……ああ、正直大したもんだった。

 細い足を中々の速さで跳ね上げると、バップの股間をつま先で抉ったのさ。

 すぐさま酒場に響いた悲鳴は、馴染み深いやつだった。

 それをかき消すように足音を立てながら、真っ直ぐに俺に向かって走ってきたそいつは、酒だの肉だのの乗っかった俺のテーブルをバンと強く叩くと、鼻息荒く名乗りを上げた。


「私はフィオナ・セリアード! 貴方にご依頼したいことがあって参りました―――――」


 頭に乗った布きれが、その勢いに負けて滑り落ちた。その時の事は今も頭に焼き付いてるよ。

 なぜかって?

 それは布の下から現れた女の長い髪の毛がな………


 血のようにとても赤かったからさ。


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