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第十八話

 矢の刺さった顔面の皮――もとい、咄嗟に突き出した干し肉を投げ捨て、俺は地面を転がった。

 甲高い風切り音が鳴り響き、先ほどまで立っていた場所に新しい矢が突き刺さる。俺は回転を止めぬまま近くのテントの影に飛び込み、矢が飛んでこなくなったのを確認して中腰になった。

 最低だ。

 俺は短くない時間あそこで飲み食いしてたんだぜ?

 そりゃあ緊張しまくってたってわけじゃないが、こっちも見張りをやってたんだ、それなりに警戒はしていた。

 しかし、今しがた矢を打ち込んできた野郎の気配を俺は一度も感じちゃいない――いや、今なお感じてないんだよ。これがどんだけえらい事だか、あんた解るか?

 普通よ、矢で得物を射るって行為にはかなりの行程が必要なんだよ。

 矢の当たる距離まで近づき、弓を構え矢をつがえ、標的の動きをみながら狙いを定め、風が一番弱くなった瞬間に矢尻から指を放す。

 これが暗殺とか狩りとか、相手に気づかれちゃまずい場合はもっと大変だ。どの行程が一番難しいのはあんたにだって解るだろう? そう、一番最初だよ。相手に気づかれない距離まで近づく……これが狩りの肝なんだ。

 人は動く時に色んな音をたてる。

 足音は最たるもんだし、呼吸に衣擦れなんてのもある。こいつを全て抑えたうえで、気配を殺さなきゃならん。音を消すのは割と簡単だが、後者は難しいんだ。何しろ標的には勘が鋭いやつも鈍いやつもいる。肉食う獣よりも草食うやつの方が敏感だし、町民よりも兵士の方が鋭い。

 それじゃあ臆病な俺はどうかって言うと、自慢じゃないがかなりのもんだ。人通りの多い町の中で歩いていて、後ろから誰かに見られていても気づく。視線ってのは俺にとっちゃ結構痛いもんなんだ。相手が殺意を持った刺客なら言わずもがなだ。

 早い話、矢が飛んでくるまで敵の存在に気づかなかったのは人生初めての事だったわけよ。あんまり驚きすぎて思わずアレが硬く――いや、違った。縮んじまったよ、うん。

 あー、しかし相手は誰だよ。

 真っ先に思い浮かんだ顔は赤毛を襲った帽子野郎のそれだが、何だろう、どうも違うような気がする。理由は何だって聞かれりゃあ上手くは答えられないけどよ。やっこさんは確かにべらぼうに強いんだが、その強さの質が違う気がするんだ。帽子野郎は例えるなら狼だ。強靱な身体と鋭い牙。効率を重視するから背後から襲ったりもするだろうが、その時は確実に一撃で仕留めてくるだろう。やつの握った剣にはそういった凶暴な自信がうかがえた。

 だが、この弓使いはそれとは違う。野郎が狼ならこいつはフクロウだ。猛禽でも鷹とは違う。ふわりと宙を舞い、無音で獲物に近づきゴキリと首をへし折る。荒々しさとは無縁の純粋なるハンターだ。今なおこうして沈黙を保っているところもそれだ。帽子野郎なら初撃を外した時点で撤収するだろう。狼は凶暴だがその一方で非常に賢い。無茶はせずに次の機会に備える。しかし、この弓使いはどうだ? 初撃を外した後、俺がここに来るまで二本の矢を放った。夜、動く標的に矢を命中させることは達人でも難しい。まして相手が干し肉で矢をかわすような手練れ中の手練れ、しかも最高に渋い男――何? 誰のことだか解らない? 馬鹿野郎、俺に決まってるだろ、俺――であれば、連射は控えるだろう。矢の無駄以外のなにものでもない。賢いやつなら二矢目を放たず逃亡、あるいは素早く場所を変えてもう一度狙撃。接近戦もいけるくちなら剣を抜いても良いだろう。

 そしてこれもカンでしかないが……やっこさん、まだ近くにいる。

 気配は相変わらずだが、空気が嫌な具合にざらついている。どこかに身を潜め、俺が動くのを待っているんだろう。

 さて、どうしたものか。

 刺客がどういう性格をしているか分析した上で知略を駆使した頭脳戦をやっても良いが、状況は俺の方が悪い。何しろ俺は今現在〝傭兵〟ではなく〝護衛〟だ。もし弓使いが女達がぐーすかやってるテントに狙いを変えればアウトだ。刺客が複数の場合もありうる。じっとしている時間の分だけ状況はまずい方に転がっていくわけだ。

 こちらから打って出るしかない。

 俺はそう結論付けるとすぐに手近な石を拾い集め、ポケットに突っ込んだ。そして石の一つを適当な方角に大きく放り投げると、テントの影から飛び出した。

 俺の予想は的中していたことはすぐに解った。

 放り投げた石がどこかに落下し小さな音を立てるよりも早く、視界の隅から小さな点が飛んできた。弓使いは依然としてそこにあり、そして俺の動きにすぐさま反応して見せたその技量は一流のものだった。相手が俺じゃなけりゃ今頃帰還の途についていたことだろうよ。

 しかしまあ、俺もそこそこだ。

 一直線に自分に向かってきた矢を見るやいなや、俺はがくんと身を伏せた。地面すれすれまでかがんだ俺の頭の上を、矢が舌打ちしながら通り過ぎる。この動きは反射的なもんじゃない。狙ったもんだ。テントから飛び出す時、俺はわざと背筋をぴんと伸ばし、敵が狙いやすくしたのさ。走るのも全力じゃない。いつでも身体を伏せられるように重心を前に倒さず、全身から力を抜いていた。弓使いってのは基本的に胴から上を狙うから、頭を低くすればなかなか中らない。もし腰下を狙われていても、身をかがめた状態であれば首筋なんかの急所は肩や腕で隠せる。まあ、背中に中ればおしまいだけどな。

 賭の一つさ。

 んで、一応俺の勝ち。

 だがまあ、俺が不利であることに変わりはない。何しろこの体勢だとすぐには動けない。射手が冷静なら二射目でけりをつけられるわけさ。

 俺はこの時初めて弓を引き絞る小さな音を聞いた。

 弓使いが焦ったんだ。

 それはもちろん千載一遇のチャンスが訪れたからであり、そして自分の居場所を知られるという最大の危険が訪れたからだ。急がなければ全てがふいになる――その動揺が音になったんだよ。こいつ、やっぱり帽子野郎とは違う。やつよりも格下だ。

 俺は笑った。

 笑いながら両手に握った石達を、身をかがめたまま、射手が潜んでいる暗闇の中に鋭く放り投げた。小さな石ころには殺傷能力はない。だが、小さくて軽いからこそ速く、そして大量に放つことが出来る。狙いは弓使いに傷を負わせることじゃない。野郎の気を逸らすことだ。

 石を投擲した俺が両足に力を込め、立ち上がろうとしたその時、二矢目が風を切り裂きながら飛んできた。しかし、今回のそれはこれまでのやつほど狙いがシャープじゃなかった。左の太もものあたりまで飛んできたそれを俺は余裕を持ってかわし、ポケットから新たな石を取り出しながら全力で駆けだした。もちろん、真っ直ぐ敵に向かうなんて馬鹿なことはしない。斜めに角度をつけて、だ。弓使いが一番嫌う動き方だよ。

 三矢目が飛んでくる。

 が、これもやはり焦ってる。

 もはや初撃のような一流の技術は影も形もない。ガキが手製の弓で木の的を狙ったような具合だ。矢を直接手でもって突き刺した方がマシだろうぜ。

 身を捻ることもなく、ただ走り続けただけで矢をかわした俺は、やがて弓使いの姿を捉えた。

 女だった。どこにでもいるような、色あせた黒髪とそれと同じ目をした二十歳過ぎの女だ。中腰で弓を構えたまま、俺の顔を見ても気配のほとんどを隠してるとこは大したもんだったが、矢筒から矢を引き抜くその指は焦燥に濡れていた。俺は鼻で笑い、女が腰の短剣を引き抜く前に手の中の小石を投げつけた。

「っ!」

 石に顔を弾かれた女は反射的に動きを止めた。

 そしてそれは、俺のような格好いい手練れの傭兵さんの前で見せちゃいけない隙だったわけだ。

「ほらよっ!」

 突進の勢いを利用した俺の蹴りが女の胸に突き刺さる。女は景気よく後ろに吹っ飛び、愉快に地面を転がった。俺は素早く間合いを詰め、胸を押さえて咳き込む女の膝をブーツのかかとで踏み抜いた。

 骨の砕ける鈍い音が伝わってくる。

 しかし女は身を大きく震わせたものの、悲鳴は一つも上げなかった。暗殺者のかがみだねえと頷きながら、俺はもう一つの膝を踏み抜いた。そして女が放り出した弓を手に取り、びくびくと身をくねらせる女の上にのしかかった。無理矢理口を開かせると、そこに弓を咥えさせ、弦をくるくると巻き付けて即席の猿ぐつわをつくった。舌を噛ませないためだ。これほどの暗殺者相手に情報が聞き出せるとは思えないが、赤毛に見せれば何か解ることもあるかも知れない。俺はそう思ったわけだ。

「ほう……美人じゃないが、不細工でもないな。身体は鍛えてるだろうし……ふむ」

 俺は人民の行く末を考える道徳者のような顔をして思案を重ねた。

 女の暗殺者。

 何をしても罪には問われない。

 赤毛のお陰で最近すっかりご無沙汰だ。

 ――大体解るだろう?

「へへっ、痛みはともかく、快楽に対しても無言でいられるかな……?」

 などと突然現れたヒーローにぼっこぼこにされそうなチンピラのような台詞を吐いた俺は、のりのりで女の服に手をかけた。乳首の色、乳輪の直径についての解を導こうと精神状態を賢者の領域まで押し上げつつあった俺は、しかし女が突然ぶるぶると痙攣し始めたことに気づき、強制的に人間の領域まで帰還させられることとなった。

「ちょっ、まさか薬飲んできたの!? この馬鹿! もっと身体を大切にしろよ畜生!」

 暗殺失敗時、身体の自由を奪われるなどして自殺を選べなくなった時のために、あらかじめ仕事の前に毒薬を飲んでおくやつもいる。仕事を終えた時のみ解毒剤を飲むことで機密を保持する仕組みだ。女はどうやらそういった暗殺者の一人だったらしい。白目をむき、口にくわえた弓の隙間から泡を零す女は、数秒足らずで絶命した。俺は久しぶりの活躍の予感に血をたぎらせていた相棒に首を振った。

 ――なあ、どうしたんだベイン! 敵の姿が見えないぞ、早く支持をくれ!

 ――終わったんだ。終わっちまったんだよバディ。俺達の戦争は、始まる前に終わっちまったんだ……。

「畜生」

 俺達は毒づいた。

 相棒はため息をついて眠りについたが、俺はもしやと思って死んだ女の身体をまさぐった。

 おい。

 あんたひょっとすると俺をカスだと思ってやしないか。

 俺はクズだ。それは認めるよ。だが、死体に手出すほどアレじゃねえぞ。んな狂ったことするくらいなら、俺はむしろモグラの穴にでも腰を振るさ。俺にだって分別はある。ホントだぜ? この間商人からたくさん買ったんだ。何なら今ここで見せてやっても良いくらいだ……。

 まあとにかく、俺は別に女の身体に用があったわけじゃない。俺が探したのは解毒剤の入った容器さ。何しろそれがなくちゃ暗殺が成功しても自分まで死んじまうからな。

「……ねえな。何も持ってねえ」

 しかし、女は解毒剤を持っていなかった。

 死亡時に様々な情報を知られることを避けるために、暗殺者がものを出来るだけ持ち歩かないことは普通だ。解毒剤も、もしかしたらどこか近くの拠点に隠してあるのかも知れない。だが、解毒剤を持っていない理由はもう一つばかし考えられる。

「脅されてたのか? 毒を飲まされた状態で放たれ、暗殺成功の証拠を持ち帰った時に解毒剤を渡される――」

 女は初撃を外した後、その場に居続けた。接近戦が出来ない弓使いが最高の攻撃を外されたんだ。無理して留まり続けるのはリスクが上がるだけ。普通はその場を離脱し、次のチャンスを待つ。あの腕前なら、状況が変われば一撃で俺を仕留めることだって可能だっただろう。

 焦っていた。

 そう考えると、あの無茶な行動も理解できる。崖っぷちだったのはむしろこの女の方じゃなかったのか? 俺は待ち続ければ自分の状況が悪くなると考えていたが、もしかすると違ったのかも知れない。ひょっとするとあのまま待ち続けていれば、この女の方が先に動いたかも知れない……。

 俺は死体となった暗殺者を見下ろしたまま、眉間に皺を寄せた。

 女を送り込んだやつは、腕利きの暗殺者を使い捨てなければならないと判断したわけだ。

 それはつまり、赤毛の目的――十歳ちょっとの小娘が帝国を滅ぼすことが可能であると、そう思っているわけだ。しかし、赤毛が如何なる情報を持ち、如何なる人脈を持っていたにせよ、普通はそんなことが出来うるとは誰も思わないだろう。何しろ相手はあの帝国なのだから。

 俺はふと、赤毛を殺さんと目論む誰かについて考えた。

 ひょっとするとその誰かさん、赤毛が所有する付加価値を恐れているのではなく、人格や精神といった赤毛そのもの恐れているのではないか。俺も赤毛は怖いし、やばい女だとは思っているが、帝国を滅ぼせるほどの人物とは思っていない。しかし、もし俺の推測が当たっていれば、その誰かさんとやらは赤毛のことを深く知っているということになる。それはつまり、付き合いの長い親や兄弟といった人物を指すわけだが……。

 

 はてはて。赤毛を殺そうとしているのは一体誰なんだ――?

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