第十六話
リリーナ・ミデル・アルテ。
俺の上着を着た(赤毛の命令だよ、畜生)金髪女は、嵐のような勢いで感謝を言いまくった後、そう名乗った。その傍らの、瞳に警戒の色を浮かべっぱなしの若い女は、赤毛の言ったとおりに侍女だった。名前はランシェとかいうらしい。顔立ちはちょっときつめだが、金髪に劣らず美形だし、カラスの羽を思わせる黒髪が何とも色っぽかった。俺的にはこっちの方が好みだ。是非お近づきになりたい。
だがまあ、赤毛に喋るなって念を押されたわけだし、相手が相手だ。俺の膨らみかけたアレとかコレとかも、すぐに正気を取り戻したよ。俺は木偶人形よろしく、時折赤毛の話に尤もらしく頷きながら、今日の昼飯は何にしようかと考えていた。
「なるほど。それは大変でしたね」
「ええ。あっという間に屋敷に入り込んできて、私はランシェのおかげで隠し部屋に逃れる事が出来たのですが……叔父様や叔母様、使用人達は―――」
お姫様はアメジストを彷彿とさせる紫色の目に涙をためた。侍女が肩を優しく抱いてそれを慰めると、健気に何度も頷いて見せたよ。
いやあ、良いもんだね。
美人はこうでなくっちゃな。繊細でなくても良いが、やっぱりよ、人が死ぬを見たら胸を痛めるべきだぜ。頬を赤く染めるなんて以ての外だ。男らしく慰めてやるどころか、むしろこっちが慰めて欲しくなるよな。あー、ランシェ嬢、良いなあ。俺も慰めてくれねえかな。
「お辛い目に合われましたね。ですがもう大丈夫です」
赤毛は憂い顔で微笑むと、お姫様の手を自分の両手でそっと握り込んだ。
「私どもが必ず、お二方をアルテまで無事に送り届けて見せます。この命に代えましても」
すっげーカリスマ。
お姫様はもとより、警戒心丸出しだったランシェ嬢でさえも、微笑む赤毛に一瞬見とれていたよ。とても十歳そこらのガキの台詞とは思えねえ。瞳で捕まえて言葉で落とす。はは、ジゴロでもここまで手際よくはいかねえよ。一体誰に教わったのかね。
「それは願ってもない申し出ですが、本当によろしいのですか? 私はアルテの第二王女という立場にありますが、このように世上が不安定になってしまいましたら、旅に役立つような力はありません。賊が屋敷を去ってから慌てて飛び出してきたので、換金できそうなものも持っていませんし、足手まといにしかならないと……」
「リリーナ様。どうかそのようなお気遣いなさらないで下さい。私は困っている人を見たら助けよと教わっております。失礼ですが、例えリリーナ様が私どもと同じような庶民であったとしても、私の意志に変わりはございません。人に尽くす事以上の幸せはございませんもの」
「なんと……」
お姫様は大切に育てられてきたんだろうな。赤毛の歯の浮くような台詞に、感極まったように顔を赤く染めた。しかしまあ、ランシェ嬢はさすがに世間を知っていたらしい、苦り切った顔で赤毛と主人を見比べた。そしてなぜか最後に俺を睨んだ。まさか俺にどうにかしろってか? おいおい、買いかぶらないでくれ。俺に出来るのは息を吸って吐くことくらいさ。タイミングが結構難しいんだぜ。なんならあんたにもコツを教えてやろうか?
そうやって俺が微笑みかけると、ランシェ嬢、小さく鼻を鳴らして綺麗な灰色の瞳を逸らしたよ。さもありなんって感じだったが、俺はハンカチを噛みたくなった。本当に持ってるのかなんて野暮な事は聞くなよ。俺があんたに言える事は一つだ、トイレから出てきた時の俺の前髪はちょっと濡れている。
しかしまあ、どうして俺は好みの女には嫌われ、絶対に近寄りたくない女に仲良くされちまうんだろうな。清廉潔白に生きてきたはずなのになあ。ん、何だその顔は。自慢じゃないがこの俺は、道理に反した事は生まれてこの方ただの一度もした事はねえんだ。
その道理って何だ、だと……?
んなもん決まってんだろ。人の見てるところで悪い事はすんな、人の見てないところでやれ、だよ。俺の世代はみんなそう教わったもんさ。まあしかし、時代は変わっちまったんだな。この間さ、親子連れの横をたまたま通りかかった事があったんだけどよ。どういう話の流れかは知らねえが、まだまだ若い母親が五歳くらいのガキに真面目な顔でこう言い聞かせてたんだよ。
人の嫌がる事を率先してやりなさい、ってさ。
ああ、ひでえひでえ。
あの母親、どこにでもいそうな女に見えたが、実際はとんでもねえ悪党だったんだな。しかもガキにまでそれを徹底させようとしてんだ、さすがの俺もその時ばかりは天を仰いだぜ。
ああでも、頷いたガキが母親のスカートを勢いよく捲り上げた時は、品の良い下着に包まれたキュッと引き締まった尻の方に目を向けたけどな。
なんでえ、あの母親。結構イイコト教えてんじゃねえかよ。
「ありがとうございます。先ほど助けていただいたことも含め、このご恩は必ずお返しします」
「ふふ、気にしなくても良いのに……それでは、すぐにでもこの街から脱出しましょうか。長居は危険ですし。ですが、どうぞご安心下さい。私の護衛は腕が立ちますので」
六つの瞳が俺を見た。
咄嗟に顔を逸らしかけたが、見慣れた青いやつがそれを許しちゃくれなかった。俺は仕方なく、無言で重々しく頷いてやった。だが結局はそれが良かったのかもな。ランシェ嬢は顔をしかめたが、お姫様の方は頼もしそうに顔を綻ばせてくれたよ。きっと無口な渋めのいい男に見えたんだろうな……だがまあ、実際はさ、口を開くと本音が出そうで怖かっただけなのよ。
あんたら、引き返すなら今が最後だぞ―――ってな。
ともあれ、旅の仲間もとい、旅の犠牲者が二人追加になったわけだ。
美少女の皮被った赤毛の悪魔。
眺める分には申し分ないが、一緒に旅をするには最悪の、人畜無害なお姫様。
一番まともだが、どうやら俺を敵として認識しまったらしい美人侍女。
滅多にお目にかかれない綺麗どころが集まってるんだ、傍から見れば俺は楽園にいるようにも思えるだろう。だがまあ実際は、俺は熱したフライパンの上を裸足で踊らされているわけだ。それでもこれが楽園だと言うのなら、俺は地獄の方を選ばせてもらうぜ。
はは、まあいいや。
俺は結局とことん振り回される運命らしいから、諦めて受け入れてやるよ。
でもな、このいかれたパーティーに、これ以上のメンツが増える事は、さすがの俺の勘弁して欲しいと思っちまうよ。何しろ全部が全部、この俺の双肩にデデーンと乗っかるわけだからな。なで肩になっちまったらどうすんだよ畜生。
「さあ、行きましょうか。グーデル、務めを果たしなさい」
赤毛の覇気に満ちた声に、俺はこれで見納めとなるらしいサウダルーデの空を仰いだ。もうすぐ昼になろうかったくらいのそれは、ああ、目に痛いくらい青かったよ。
俺は視線を下ろし、空以上に青い赤毛の瞳を見つめた。
「かしこまりましたとさ」