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第十四話

 解ると思うが、俺はガキのようにはしゃいでいた。

 その理由にはもちろん、無人の店で好き放題物を盗む事が愉快だったからってのもある。でもそれだけじゃない。戦争が再び始まったっていう現実味の欠片もない事実に、しかし認めなきゃならないその事実に、俺の惰弱な精神が悲鳴を上げていたのさ。

 あんただってそういう経験はあるだろう?

 想定もしていなかった困難な状況に陥り、どうしていいか解らなくなった時、愉快でもないのに笑っちまうようなやつだよ。ひたすらに気分がハイになっちまって、体力が切れるか、現実が選択を迫ってくるまで、気でも狂ったように暴走を続けるんだ。大抵は一過性のもんで、やがては火が消えたようにはっと正気に戻るが、中にはそんまま向こう側に逝っちまうやつもいる。戦場じゃ割とよく見かけるぜ。罪の意識に耐えられなくなったウブなやつが、けたたましく笑いながら敵に向かって突撃するんだ。時々仲間に向かってくるやつもいる。そういう時はみんな慣れたもんで、肩をすくめて野郎の股間を一撃するんだ。すると笑っちまうほどあっさりと正気に戻るんだから、オトコってのはつくづく情けないよな。

 俺は、と言うと、実は初めての経験だった。

 若い時から器用な質でな、どんなやばい状況でもするりするりと身を躱してきたのよ。器用な臆病者ってやつは、おかしくなったりはしねえんだよな、勘違いしてるやつも多いけどよ。

 じゃあ何故ぶっ飛んじまったか―――は、あんたなら聞かなくても解るだろう?

 そう。その通り、赤毛の悪魔だ。

 やつは俺のささやかな平穏を完膚無きまでに破壊し、破壊し続けている。その上寝不足で神経がすり減ってるんだぜ? 開戦なんて言う刺激的すぎるスパイスを頭から振りかけられれば―――ボンッ、だ。


「ハハハハハァ! 見ろよオイッ! ガラスが木っ端微塵だぜ!」

「グーデル様、物を放り投げるのはお止めください」

「けちくさい事言うなよ! ほら、お前も投げてみろよ、な? 楽しいぜ?」

「結構です」

「ほら、この鉢植えなんか良いんじゃないか? 良く飛びそうだぜ。あっちの屋根が良いな。風見鶏、見えるだろ。な、一発すかっとやってみ……」

「怒りますよ」

「…………」


 何でだろうな。

 俺と赤毛の会話は大抵この流れになる。

 赤毛が刺して、俺が凹むんだ。そして俺はその度に人生を思い、幸せはとは何かを考えるんだ。三十年ちょっとの時間の集大成がこれなのかってな。乾いた笑みなんて浮かべて見せたりしてな、鼻をすするのさ。俺、哀れ。ざまぁ見ろ、韻を踏んでやったぞ。

「正気に返りましたか」

「それ以上だな……心が折れそう」

「人生において肝心なのは、折れない幹を育てる事ではなく、根を広く深く張る事だと、いつだったかディアヒムおじさまがおっしゃっておりました」

「……あの変態野郎、一体何もんだよ……」

 頭にディアヒムのにこにこ顔が浮かぶ。

 が、精神上よろしくないためすぐに消す。以前見たときよりも幾分輝いて見えたよ。ああ、あいつを尊敬するようになっちまったらなんだ、噴水のションベン小僧が神に見えちまうだろうよ。魂の尊厳的にやっちゃなんねえ。

 ともあれ、俺は赤毛に心の股間を蹴り上げられ、それまでの意味不明なハイテンションを失った。さっきまでバラ色に見えていた町並みも、今じゃ人気がないだけのただの有象無象でしかない。雑貨屋からかっぱらった物が目一杯詰まっている背中のリュックサックが、途端に重くなったよ。死体でも入ってんじゃねえのかって具合さ。ああ、だとすると入っているのは俺の心の死骸に違いねえな……今度は逆に軽すぎねぇか、畜生。

「しっかりしてくださいね、傭兵さん」

 赤毛が壊れかけの人形を見るような目で俺を見た。ひでえ話だよな。ぶっ壊したのはてめぇのくせして、こっちが悪いみたいな感じなんだからよ。しかもあれだ、こいつの場合、壊れたからといって投げ捨てるような真似はしないんだよ。千切れかけた頭だの腕だのを縫い合わせて、また景気よくぶっ壊すんだ。

「泣いたら負けだよな……うん」

「そう、その意気です。ところでグーデル様、私たちは西門に向かってるわけですよね?」

「ああ、そうだ」

 上を見つめ続けるのも疲れるが、下ばっかり見るのも同じくらい疲れる。俺はとりあえず顔を上げる事にした。 

「サウダルーデから西にあるジョジーニャを知ってるか?」

「ええ。帝国領の町ですよね。ここほどじゃないですが、それなりに大きくて、何でも色々と〝融通の利く〟ところだとか」

「ああ、それだけ解っていれば十分だ」

 俺は赤毛と並んで人気のない朝の町を足早に歩きながら、サウダルーデの小さな空を見上げた。

 戦争が始まるというのがどういう事か。平和な時間を生きるあんたには解るか?

 ……いつ死ぬか解らない? 

 はは、そりゃあまあ、間違っちゃいねえよ。

 でもあんた、平和な時分だって同じ事だろう? 馬車にはねられる事だってあるだろうし、強盗に刺される事だってある。流行病にかかる事だってあるだろ。確かに戦時中の方が死ぬ可能性が高いのは認めるがよ。でもな、やっぱりそいつは的外れだ。

 次元が違うんだよ。

 死ぬとか生きるとか悩む余裕がねえんだ。

 戦争っていうのはつまり、「確かなものが何もない」っていう事実を、日和った人間どもにより強く認識させるものなんだよ。あんた、考えた事があるか? いや、考えているか? 一瞬後に自分のいる場所が砲撃で吹き飛ぶかも知れないとか、買い物に行ったら食い物が何一つ売ってないかも知れないとか、朝起きたら突然自分が奴隷になってるかも知れないとか。平和な時じゃただの冗談でしかないような話だよ。

 でもな、あり得るんだよ。

 戦時中じゃ日常茶飯事、平和時だって少なからずあり得るんだ。

 戦争が始まるってのはつまり、てめぇが立ってる地面が崩れるって事なんだよ。気づけないやつ、気づいても認めないやつ、認めても行動できなかったやつ。そいつらはみんな、足場と一緒に真っ逆さまだ。途中で頭ぶつけてお陀仏か、どこまでもどこまでも落ちていくか。這い上がってこれるやつもいるにはいるが、大抵はそのまま光も届かぬ穴の中で、おーしまい。

 そうならないためには身軽にならなきゃならん。

 精神的にな。

 素早く思考し、素早く実行するんだ。

 穴底に落ちながら何かするのは大変だから、まずは崩れにくい足場を探さなきゃならない。そこそこに安全で、それなりに食料の心配がなく、そして一番これが重要なんだが―――新鮮な情報がたくさん集まる場所。俺が記憶している中で、その条件に一番合っているのがジョジーニャだった。

「あそこの領主は根性がどうしようもねえほど腐ってるが、バランスをとるのに長けている。外交にしろ、内政にしろな。嫌らしさを考えなければ、賢明だと言っても良い」

「領主と言いますと、確か女性の……なんと言ったかしら。ですがグーデル様、その様子ですと、ひょっとしてその方とお知り合いなのですか?」 

 あからさまに訝しむ赤毛に、俺は顔を歪めながら頷いた。

「まあな。あのクソアマには貸しがあるんだよ。でもそいつについて詳しくは聞くな」

「どうしてですか?」

「俺という人間が三日ばかし使い物にならなくなる」

「……面白そうですが、聞かないでおきますね」

「おう」

 ふ、声がうわずっちまったぜ。

 ちょっとおなかも痛くなってきたよ。俺ってばどんだけトラウマになってんだ。しかも仕方ないとはいえ、これからそのトラウマに自ら向かっていくって言うんだから、俺もつくづく不幸だよな。

 鬱になりかけた俺を案じたのか――十いくつのガキに心配されるおっさんってどうなんだ――赤毛がどこか明るい様子で話しかけてきた。

「西門をしばらく進んだ先の丘陵には、騎馬民族の集落があるんですよね?」

「あ、ああ、そうだ。交渉して馬を駆りようと思ってるんだよ。大陸馬車連盟は耳が良いから、既に業務停止を決定しただろうし、ジョジーニャに行くのに足が必要だからな」

 ここからジョジーニャに向かう場合、四頭立ての馬車なら一週間はかかる。歩けば二ヶ月はかかるだろうし、何より盗賊が厄介だ。俺一人ならこそこそやってりゃあ問題ないが、今回は赤毛が一緒だ。安全的にも体力的にも徒歩は不可能、馬がどうしたって必要になる。

 なるほど、と赤毛は頷いた後、頬を紅潮させて照れたように笑った。

「ふふ、私は最初、グーデル様が丘に向かうとおっしゃった時は、ああ、族長を倒して民族全体を征服し、戦士達を率いて帝国軍を討ち滅ぼす気なのかと思ったのですが、どうやら違ったようですね」

「―――え?」

 俺は一瞬足を止めそうになった。が、赤毛がずんずん歩いて行くため、それこそブリキの兵隊のごとく、ぎこちなく足を動かし続けた。赤毛の横顔をおそるおそる眺めてみると、年相応にはにかんだままだった。俺はそのあまりの可愛らしさに愕然とした。

 オレ、コイツガドウシテテレテルカワカラナイ。

「あ、西門が見えてきましたよ」

 言葉と思考を失っていた俺は、赤毛の声に我に返った。我に返るついでに今見たものを記憶から投げ捨てた。実は俺、戦争が始まる前から戦場にいたんだな。

 俺は諸悪の根源である赤毛から目を逸らし、前方へと顔を向けた。

「あー、やっぱりか」

 俺はため息をついて足を止めた。  

 視線の先、サウダルーデをぐるりと囲むバカ高い城壁の切れ目、これまた巨人でも通れるんじゃないかってくらい巨大な門の周辺には、多数の人影が存在した。

「武装してますが……正規の兵士ではないようですね」

 同じく足を止めた赤毛が、頬にまだ赤みを残したまま、小さく首を傾げた。

「ゴロツキが町から逃げ出そうとする人々を襲ってるんでしょうか」

「まあ、そんなところだろうな」

 やれやれと首を振る。

 西門に集まっているのは……ああ、やっぱり俺の同業者みたいだな。小汚ねえ格好をした連中が、逃げ遅れた哀れな町民達に片っ端から襲いかかっている。町民達は荷物がいっぱいでろくに動くことも出来ないうちに、剣だの斧だので斬りつけられていた。襲う方も襲われる方も、数が少ないのがせめてもの救い……なのか? 

 でも何て言うかな、身内でも知り合いでもないけど、やっぱこういう時はちょっと悲しくなるぜ。連中も俺を見習ってクールかつストイックに、一般人には手を出さず、店で盗みをやるべきだとは思わないか?

「グーデル様と同じような感じですね。なんだか親近感が湧きます」

 赤毛は間違ってる。

 あんたもそう思うよな……間違ってると、そう言ってくれ。

「どうします? そろそろ兎の方が全滅していまいそうですけど。若い女性もいらっしゃるようですから、色々と時間はかかるかも知れませんが」

 てめぇも女の一人のくせに、心底どうでも良さそうにそう呟き、赤毛はくるりとこちらに顔を向けた。青い瞳には期待がいっぱい詰まっていたよ。

「やっぱり皆殺しですか?」

「自重しろ! この人でなし!」

「ですがグーデル様。人間なんてろくなものじゃないですよ? 違いますか?」

「だとしても、だ! あ……くそ。連中こっちに気づいたじゃねえか! お前のせいだぞバカ女!」

「多分グーデル様の声が大きすぎたからだと思いますが」

「ああ、もう!」

 俺は半泣きになりながら荷物を投げ捨てた。ああ、こういう時のために投げ捨てやすくしていたのさ。用意周到だが、何だろう、準備が報われたのに全く嬉しくねえ。

 剣を引き抜きながらふと考えたよ。

 あれ、戦場でもこんな頻度で剣を抜いた経験はなくねえか? しかも町中ばっかりだぞ―――――。

 賢い俺は考えない事にした。

「あ、グーデル様。女性が二人こちらに走ってきますよ。なんだか助けを求めているみたいですが」

「みたいだな」

「やっぱり皆殺しですか」

「どうしてそうなるんだお前はよ!」

 二人とも暗い色のフードを深く被っていたので顔は見えなかった。が、悲鳴と体つきはまさしく女のもの。片方が片方をかばうようにして、おそらく二人とも必死の形相でこちらに向けて走ってくる。

 しかしまあ、距離が遠い上に女の足。ごろつきにすぐに追いつかれ、石畳の上に組み敷かれる。片方の女のフードがめくれ、そこから長い金髪が零れた。

 悲鳴が一際大きくなるが、俺は面倒だったのでその場に突っ立っていた。助けてやれとか言うなよ? ボクは暴力は嫌いなんだヨ。

「あれ……まさか……」

 服を引き剥がされていく金髪女を顔色を変えずに眺めていた赤毛が、突然、驚いたように呟いた。

「どうした? はは、ひょっとして知り合いかなんかか?」

 俺は肩をすくめて笑ってやった。

 ああ、もちろん冗談だ。赤毛自身がこの町の知り合いはあの王子様だけだっと言ってたんだよ。第一こいつ、知り合いとか友達とか、ほとんどいなさそうじゃねえか? もしいたとしても、関係を持っておけば色々と便利だとか、そういう理由だろうよ。じゃなきゃあ俺のような奴隷――――あれ、俺の尊厳どこに落としたっけな。

「グーデル様! 今すぐあの二人を助けてください!」

 地面をきょろきょろしていた俺は、赤毛の叫びに近いその声にびくりと震えた。

「ど、どうした。マジで知り合いだったのか、あの金髪」

 顔を引きつらせて尋ねると、赤毛は恐ろしい形相で俺を睨んだ。

「理由は後で説明します。今すぐ助けにいきなさい。さあ―――――」

「は、はいッ! 行って参りますお嬢様アアァァ!」

 俺は猛々しく雄叫びを上げて敵に立ち向かっていった。

 いや、情けない悲鳴を上げて逃げ出した。

 ゴロツキを相手にする方がマシ、切れた赤毛の側にいるのに比べれば天国だった。

 剣を振り上げ泣きながら走ってくるおっさんを見て、襲う連中、襲われる連中は果たしてどのように思っただろうか。義憤に駆られた臆病者に見えたか、あるいは花粉症に悩まされる勇者にでも見えたか。まさかちっこいガキにどやしつけられ、逃げてきたのだとは思わなかったに違いない。

 悲哀と恐怖と後悔と絶望と憂いを乗せて、俺は手近な野郎の首に剣を振り下ろした。


 なあ、ディアヒム。砂漠に根を張るには一体どうすれば良いんだ……? 

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