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第十一話

 ほとんど癖みたいなもんで、行動を開始すれば頭の中も心の中も極めてシンプルになる。

 つってもまあ、大抵の人間はそうだろう。目的がはっきりすると雑念がなくなるってのは、そうでもしなきゃ人間という種そのものが生きてこられなかったからかも知れん。ただでさえ俺たちは、考えなくても良い事を延々と考え、悩んでも仕方ない事をぐちぐちと悩むんだから。人間の心は過酷な自然の中を生きるには弱すぎるんだろうよ。

 しかしその〝弱さ〟が悪いもんじゃないって事は、まあそのうち話すとしよう。王子の死を見届け、赤毛を引き連れて屋敷を脱出しようと歩き出したその時の俺は、それを全く理解していなかった。赤毛の知らない一面を見ただけで動揺しちまった自分に、ほとほと嫌気がさしていたんだな。俺は〝弱さ〟を否定する事しか知らなかったんだ。

 とは言え、そう、行動を開始すればシンプルになる。再び館の中を走り始めた俺はいつもの俺で、ただのろくでなしに戻っていた。

「まずは脱出。それについて異議はねえな?」

 ちらりと背後に視線をやる。

 割と速めに走っている俺に必死に着いてくる赤毛は幾らか息を上げてはいたが、苦しげな様子を一切見せず、はきはきとした返事を投げかけてきた。

「はい。誰がどのような目的を持って連合大使館を襲っているか不明な以上、ここにいて利益を得る事は何もありません」

 リスクじゃなくリターンの方を優先して考えるやつは、大物かうつけ者と相場が決まっている。まあ中にはこいつみたく、その二つを掛け合わせたやつもいるんだがな。

「まあ、そうだな。大体、これほど大規模な傭兵の招集があると、普通は役人が気づくんだよな。クーデターには警戒するだろ? サウダルーデなら尚更だ。火薬庫での喫煙は誰も許さねえしな」

「……もしかして、こうおっしゃりたいのですか」

 勘の良い赤毛は声に緊張を滲ませた。

 緊張?

 いや、それだけじゃないな。

「これは帝国の総意である――――と」

 興奮だ。

 緊張よりもそっちの方が多かった。今にも笑い出しそうな狂った気配が背後で蠢いている。いや、ひょっとすると声にしないだけで既に笑っているかも知れん。俺はおっかなくて振り向く気も起きなかった。

「そうは言ってねえよ。これが帝国そのものの計画であれば、傭兵みたいなゴロツキを使うのはおかしいからな」

「なるほど。そうなると、憲兵の動きを抑える事が出来るほど軍部を掌握している人間、その独断という事ですか」

「さあな」

 うきうきと聞き返してくる赤毛に嫌気がさして、俺は質問を適当に流してやった。

 だが実際のところ、赤毛が口にしたとおりの事を俺も考えていた。

 先に挙げた理由、すなわち本来不可能なはずの大規模な傭兵の招集が可能だったという事実、それに加えてもう一つ、その予想を裏付けする事実がある。

 三十分。

 就寝中に襲撃を受けてから、廊下を走っている今この瞬間までに経過した時間は、大体それくらいだった。

 おかしな話だと、そう思わないか?

 帝国の憲兵はおしなべて優秀で、サウダルーデにおいては殊更、一ヶ月の犯罪件数が十以下に抑えられているほどだ。通報してすぐに憲兵が駆けつけ、圧倒的な勢いで全てを鎮圧する。その現場を目にした事がある者は、どれほど犯罪行為に興味を持とうとも、まず間違いなくまっとうに生きることを誓う。

 犯罪に対して容赦という言葉を知らない憲兵が、三十分という長い時間が経過した今、ここにはいない。

 これほどの騒ぎが通報されていないなんて事は、まずありえない。良くも悪くもしっかり監視されている大使館は、町中よりもよっぽど安全で、犯罪から最も遠い空間なのだから。

 もう解るよな?

 俺が何を言いたいか、解ったはずだよな。

「グーデル様。道をお間違えです。さっきの角を左に曲がらないと」

 赤毛はあれだ。

 テンション上がりすぎて状況がいまいち解っていないらしい。

 なんつーかな。

 俺はそれが無性に悔しかったんだ。

「玄関から出られるかよ馬鹿野郎! 完全武装した憲兵どもが待ち構えてるかも知れないんだぞ!」

 半泣きになっちまった。

 でもよ、可哀想なこの俺を一体どこの誰が笑えるって言うんだ?

 もしそんなやつがいたら俺がぶっ殺してやるよ!

「私は馬鹿でも野郎ではありません。どういう意味です?」

「やっぱり馬鹿野郎じゃねえかクソッ! お前は黙って俺に着いてくれば良いんだよ!」

「この状況でプロポーズですか。困ります。後日改めてお願いします」

「ううううう」

「グーデル様。泣かないでください」

 違う。

 違うぜ。

 言っとくけどな、あんた。

 俺は三十過ぎにもなって号泣したりはしねえよ。これは生理現象なんだ。俺にはどうにも出来ない事なんだよ。別に悔しいとか悲しいとかいう理由で涙を流しているわけじゃねえんだ。

「あ、なるほど。屋敷内の生存者は全て加害者であるとしておけば、傭兵も目撃者も目障りなものは一気に消せるわけですね。さすがグーデル様、荒事には慣れていらっしゃいますね」

 そ、そりゃあまあ、ちょっとはソッチ系の理由もあるかも知れんがな、大体の原因は感情云々じゃなくてこの煙が、

 ん……煙?

「野郎! 火ィつけやがった!」

「確かに、ちょっと煙たくなってきましたね。焼き殺すつもりなのでしょうか」

「あああ! 何でお前はそんなに余裕なんだよ!?」

「だってグーデル様がどうにかしてくれるのでしょう? 心配するだけ損じゃないですか」

「ふふふ。どうしてくれようかね、このお嬢様はよ」

 だがまあ、俺が何を言っても赤毛は赤毛のままだろう。やっても無駄な事に挑戦するほど俺は若くない。上手く生き抜くこつを学んじまった俺は感情をさっと放り出し、代わりに赤毛を抱き上げた。

 俺の左脇から頭をはやした赤毛が、楽しげに笑う。

「あら、楽ちん」

「テメェは黙ってろ!」

 速度を上げる。

 赤毛と一緒にちんたら走ってたら、あっという間に燻製になっちまう。幸い赤毛は小柄で軽い、持って走ったところで足枷にはならない。しかし厄介な事が一つだけあって、

「あ。グーデル様、武器を持った小汚い男が二人、進行方向に立ちふさがっていますよ」

「見えてるに決まってるだろ! お前は歯ァ食いしばってろ!」

 これだよこれ。

 何て運がないんだ俺は。

 敵なんか一切出て来ずに、真っ直ぐ脱出し得る可能性だって十分あっても良いのに、何でこう厄介事が重なるんだ畜生!

 通路の先でうろつく傭兵然とした連中と目が合う。俺は走りながら悲しげな笑みを投げてやったよ。

 それをまるで無視した連中は、対角線を結ぶ形に間隔を開け、無言で腰を落とした。手にした得物がこちらに向けられるのを見ながら、俺は手の中の赤毛をくるりと回し、片腕で肩の上に担ぎ上げる。

 剣を鞘から引き抜いた俺は、自らの不運と顔の隣にある赤毛のケツに腹を立てた。どっちかをぶった切りたい気分だったが、もちろんどちらも出来るはずがなく、仕方ないのでクソ野郎どもに怒りを叩きつける事にする。

 二人の内の片方、手斧片手に向かって左側から襲いかかってきた野郎に、足を止めぬまま、剣を一閃する。

 手斧を握った野郎の右腕が血を撒き散らしながら宙を舞う。悲鳴を背後に聞いたときには、二人目の野郎が俺と赤毛を一度に両断するべく、反りの深い刀を上段に振り上げていた。向かって左上から、袈裟懸けに振り下ろされたそれに、やはり足を止めぬまま、俺は自らの剣を軽く触れさせる。

 手斧野郎の腕を切ってすぐ、速度重視で伸ばした剣に力は入っていない。が、俺は最初から刀を弾くつもりはなかった。

 刃と刃が触れた瞬間、俺は剣を僅かに手前に引いていた。同時に手首を素早く、しかし柔らかく返し、野郎の刀の軌道を緩やかに変更する。刀は赤毛のケツと俺の頭の僅か上を通り過ぎ、何もない虚空のみを切り裂いた。

 刀を振り抜き死に体となった男の胸に、足を止めぬ俺の肩が接触する。グギリと胸郭を軋ませながら男は吹き飛び、道を譲る。俺は最初から最後まで足を止めぬまま、連中の傍らを通り抜けた。

 どうだ。俺も大したもんだろ?

 内心ハラハラドキドキだったが、持ち前の渋いポーカーフェイスでやり遂げた自分に、俺はスタンディングオベーションを送りたい気分だった。まあ、走っていたし、両手もふさがっていたから鼻で笑うだけだったんだけどな。

 が、クソ忌々しい事に、赤毛は俺の神業に何の感銘も受けなかったらしい。

「グーデル様。私の顔を前に向けてください。後ろに走っていくようで気分が悪いので」

「あーはいはい解りましたよ、お嬢様!」

 俺は剣を荒々しく鞘に収め、言われたとおりに赤毛の身体を回転させる。そのついでに薄い胸でも揉んでやろうかとも思ったが、そうするとなんだか負けた気になりそうなので止めておいた。

「それで、グーデル様。玄関から脱出しないなら、一体どこから出るんですか?」

 いけしゃあしゃあと尋ねてくる赤毛に俺は舌打ちをし、ちょうど通路の先に見えてきたそれを指さして見せた。

「あそこからだよ、あそこ!」

「ですがグーデル様。私には廊下の突き当たりにしか見えませんが。秘密の通路でもご存じですの?」

「テメェ、今俺の事馬鹿にしやがったな!?」

「被害妄想ですわ。それで、一体どうするつもりなんですか? あそこには何もありませんけど」

「お前の目は節穴か。ちゃんと窓があるだろうが」

「窓……あの、グーデル様。申し上げにくいのですがここは二階ですよ。人はこの高さから落ちたら、まず間違いなく死ぬんです。解りますか、グーデル様」

 左脇に抱えた赤毛が、どこか労るような優しげな瞳で俺を見上げてくる。

 馬鹿なガキを見る母親のような瞳で、だ。

「ふざけんな! んな事ァ解ってるんだよ! 窓の外にでけぇ木があるんだ、それに飛び移るって言ってんだよ!」

 例の習性だ。

 昨夜の晩餐の後、俺はトイレに行くと称し、万が一の時のために屋敷から逃げ出せるルートをいくつか見つけておいたのだ。その折目にした屋敷のすぐ側に植えられたでかい木、それに飛び移れそうな窓があの窓―――と、もう〝この〟だな。

 苛々している間に廊下の突き当たりに辿り着く。いい加減走り疲れた足を止め、赤毛を床に立たせた。

「俺の背中につかまれ」

 件の窓を開けながら顎でくいっと促すが、赤毛は俺の要求に従おうとしなかった。やつは顔を強ばらせたまま窓に近寄り、その向こうに広がる夜の闇を覗いた。

「遠い、ですよ。控えめに申し上げて、届かないと思います。第一、真っ暗でよく見えないし……」

 ぞっとしたように赤毛が呟いた。

 その顔はあれだ。

 サーカスのイベントでよ、「お客様の中で、誰かお手伝いしてくれる方いらっしゃいませんか」とかいうのがあるじゃねえか。ガキとかテンション上がったオバサンとかが勢いよく手を挙げるあれさ。

 それを例にするなら、こうなるな。

 手を挙げた訳じゃないのにステージに無理矢理連れて行かれ、しかも手伝わされる品目が空中ブランコだった。赤毛の顔は大体そんな感じだった。

 いや、実を言えばな。

 俺も似たような感じだったんだよ、うん。でもさ、俺がびびるわけにはいかないだろ? だから俺は赤毛の肩をポンと叩き、陽気な口調で言ってやったんだよ。

「んな事ねえよ! ちょっとした冒険さ。終わってみれば、きっと楽しい思い出の仲間入りさ。またやりたくなっちまうかも知れないぜ? ハハハハハ!」

「グーデル様。声がしっかりと裏返っていますよ。それに肩に乗った手から震えが伝わってきます」

「ぐちぐち言ってねえでさっさと負ぶされ。煙がやばいし、かなり蒸し暑い。きっともう一階は火の海だ。俺は水死と焼死はゴメンなんだ」

 俺は余裕を失った。

 首筋から吹き出し始めた汗を手で拭い、嫌々ながらちらりと後ろを振り返った。

 廊下は既に煙のパーティー会場と化しており、奥の方は全く見えない。煙の臭いを感じてからほとんど時間は経っていないのに、既にこの有様だ。火事の最も恐ろしい点は熱でも煙でもなく、その圧倒的な速さなのだ。

 あと五分もすれば屋敷の支えが燃え崩れるだろう。と、自分で下したその見解に、俺は居ても立ってもいられなくなった。

「悪い。先に行く」

 窓から飛び出そうとした俺の肩は、しかし赤毛の手でがっちりと捕獲される。

 何故だか笑顔になりながら、俺はゆっくりと赤毛を振り返った。

 するとそこには獅子が一頭、鋭い牙を剥いていた。

「この次一人で逃げようとしたら突き落とします。よろしいですか」

「はい」

 背筋が汗でじっとりと濡れた。もちろんその原因は火事ではない。火事の方がまだ可愛かった。

 赤毛と火事の板挟みになった俺は、故郷の歌でも歌おうかと考えた。とびきり陽気なやつさ。でも最後に歌ったのは大昔、咄嗟には出てこない。代わりに頭に浮かんだのは『おくり歌』だった。

 ああ、死者を送る葬式の歌だよ。

「かーみのーみもーとー……」

 虚ろな顔で歌い始めた俺の背中に、軽い衝撃が加わる。首だけで後ろを振り向けば、すぐ近くに赤毛の顔があった。俺の首に絡みつく二つの細腕にぎゅっと力が込められる。

「どうぞ。飛んでくださいませ」

 否。それはただの死神だった。

 俺は笑ったよ。

 自分じゃ見えないが、きっと綺麗な笑顔だったと思う。

 何だろう、きっと軽くなったんだな。全ての悩みから解放された、解放されちまったんだ。だからそう、俺はごろつきの傭兵でも、ひねくれ者の中年でもなく、その瞬間、名前のない一人の人間になったんだよ。自由になったんだよ。

 俺は窓からゆっくりと離れ、十分な助走距離を稼いだ。目を瞑り、深い深呼吸を何度も何度も繰り返した。

 ビシリ。

 屋敷の何かにひびが入る致命的なその音が、スタートの合図となった。

 俺は目を開け、走り出した。

 屋敷が崩れていく轟音が背中を叩いたが、俺は全く気にならなかった。ただひたすらに足で床を蹴り上げ続け、そして遂に窓枠に足をかけた。

 俺は闇に舞った。

 瞬間、生まれてから今までの様々な記憶が蘇った。他人に誇れるような人生では決してなかった。良かったと言える事なんて、片手の指が余るほどしかない。他人から見れば、きっとろくでなしの人生でしかねえんだろうよ。

 でもな、まあまあ悪くなかったぜ。

 俺はそう言ってやる。

 虚勢に過ぎないんだとしてもな、俺は地獄の門番に会ったらそう言って、その顔に唾を吐きかけてやるよ。

 それが俺。

 ベイン様なんだからな―――――。


「あはは! 確かにちょっと楽しかったですね!」


 木の幹にへばりついた俺の背で、死神がケタケタと笑っていた。

 俺は泣いた。

 訳もわからず、無言で涙を流し続けた。

 なあ、あんた。

 あんたなら解るか。

 俺は今だに解らないんだよな。この時の俺は、自分がまだ生きてる事が嬉しくて泣いたのか、それともまだ生きなきゃならん事が、背中の死神と踊らなきゃならん事が悲しくて泣いたのか。

 あんたなら解るかい?

 その時の俺は、やっぱり答えが出なかったからな、泣き止むために仕方なく自分にこう言い聞かせたよ。


 きっと煙が目に染みたのさ――――ってな。

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