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第十話

 他人が生きようが死のうが、どうでも良い。

 それが俺である。

 金をいくらか貰える可能性があっても、武器を持った連中が暴れ回るような空間に飛び込んでいくってのは、俺にとっちゃありえねえ話だ。日頃の仕事とは訳が違う。俺はプロフェッショナルだからな、一定ライン以上の情報を集められない限り、物騒な場所には足を踏み入れないのさ。だからまあ、たらふく飯を食わせてもらったとは言え、王子を助けに行く気なんて毛頭なかったんだ。

 あんたなら行くか?

 命の火が消えるのが見過ごせないっ、とか何とか言っちゃって、英雄気取りで意気揚々と人殺しにはせ参じるかい?

 助けられたやつはそりゃあ喜ぶだろうし、相手が女や金持ちなら色々とオイシイ事もあるだろうよ。周囲は褒めるし、名誉も手に入る。自分だって満足出来るだろうよ。

 でもよ、死ぬかも知れんのだぜ?

 どれほど高潔な正義を持っていようが、神懸かった剣の腕を持っていようが、死ぬ可能性は跳ね上がるんだ。戦場じゃ強いも弱いも関係ねえんだよ。慣れた野郎でも一つ二つイレギュラーが重なっただけで呆気なく死ぬ。危険は前にも後ろにも転がってる。裏切るはずのない味方ですら裏切る可能性があるんだからな。

 自分の命より大切なものも、生きる事で精一杯な俺には一生解らんだろうが、きっと確かにあるんだろうよ。

 だけどな、その大切なモンの方を優先するとして、優先してなお、最後の最後までテメェの命を惜しまないやつは、どんな理由があっても駄目なんだよな。生きる価値がねえと思うぜ。

 ……まあ、なんだ。

 ついつい熱くなっちまったが、俺が何を言いたいかっていうと、だ。

 極めてシンプルな事なんだが―――――

「ユキゴドリス様の元へ向かいましょう」

 危険に飛び込んでいくやつは、はっきり言えばそう、

「―――狂ってる……」

 そういうこった。

 しかし相手は赤毛。

 狂気は狂気でも、そんじょそこらの野郎と一緒にしてもらっちゃあ困る。

「可能なら敵を一掃して、大きな借りを一つ作っておきたいですね」

 ……俺に何と言えと?

 でも悪いがな、「はい喜んで」とは言えねえんだよな。だって無理なんだもん。

「ですがまあ、相手の戦力が不明ですし、取りあえずはユキゴドリス様だけでも助けましょう」

 ちょっとほっとした。

 てなわけで、俺は貝になるのを止めて口を開いてやった。

「お前ほったらかして、俺に助けに行けと?」

 上手い言い方だろ。

 あんたも見習うと良い。

 最初のやつを一言付け加えるだけで、如何にも誠実な義務感の強い人間に思えるんだからな。しかも別に嘘をついている訳じゃない。それがミソだ。

「私も一緒に行きます。恩を売るにはそちらの方がより効果的ですので」

「やらしいなあ。あのデブにそこまでする価値があるのか?」

「はい」

 俺は胡乱げに赤毛を横目で見る。

 暗がりの中、横顔を月光に照らされるそいつは、その愛らしい口元に腹黒な笑みを浮かべて見せた。

「王子は自分は捨て駒だと、口ではそう言っていますが、いざという時のためにいくつかの国と個人的なパイプを作っており、資産も相当に蓄えています。私がここに来た目的は、それらの乗っ取りですわ――――ですので、まだ死んでしまっては困ります」

〝まだ〟を強調して言いやがる。

 最悪だ。小悪魔なんてもんじゃない。伝説とかに出てくる大悪魔だ。人の生き血を啜る化け物だよ。

「行きましょう。死体には何の価値もありません」

 闇にも赤いその髪を紐でさっと縛り、さあ、と言わんばかりに小首を傾げて見せた。

 まあな。

 俺がどう足掻こうが、結局はこいつに振り回されるんだ。

 俺は赤毛に従うしかない。

 野良犬のようにやる気なく尻尾を振りながら、見えないところで狐のように隙を伺うのだ。首につながれた縄が緩むその隙を、じっと待ち続けるのだ。

 そしていつかは森を抜け出す。

 この赤い茨の森を、いつか必ず。

「―――道案内しろ。場所は当然解ってるんだろうな」

 赤毛は笑う。

 自分の望むとおりの結果になったと。こうなる事は最初から解っていたのだと、楽しそうにくすりと笑った。

「もちろんですわ。さあ、行きましょう」




 暗い廊下、背後に赤毛を伴って進む。

 忍び足ってわけじゃない、駆け足だよ。こう五月蠅くちゃ、大声でオペラを歌いながらだって同じ事だよ。

 悲鳴、怒号、金属音。

 いやはや、どいつもこいつも馴染みのもの。狭い部屋の中、狂った女にびびってるよりも、こっちの方が安心するってんだから、俺も大概哀れなものだ。おいおい、ちょっと視点を変えてみりゃ、俺はまるで赤毛から逃げているみたいにも見えるじゃねえか。

 ……リアル過ぎて笑えねえ。

「次を右です。しばらくすると下り階段になりますので、気をつけてください」

「あいよ」

 言われるままに角を曲がったところで、ここに来て始めて多数の死体を目にした。走りながらざっと横目で眺めれば、壁や床にへたり込む血だの内蔵だのをぶちまける連中は、どうやらほとんどがこの屋敷の人間らしかった。

「間に合わない、でしょうか」

 いつもと何も変わらない口調で、赤毛が淡々と尋ねてくる。

 ちょっと前の俺なら、そのいかれ具合に顔をしかめているところだが、流石にもう慣れていたんでな、走りながら肩をすくめてやったよ。

「さあてな。死体の傷を見る限りじゃ襲撃者の腕は微妙だしな」

「そうなんですか?」

「ああ。部屋の窓から突っ込んできたやついただろ。あいつが、こいつらをやった連中の仲間だとすりゃ、当初の計画は出来る限り隠密に屋敷の人間を殺す、だったはずだからな」

「騒ぎになっている時点で二流だと?」

「そういうこと。この死体もほら、刃物で斬りつけたらしいが、ただの使用人相手に何度も得物を振るってる。下手くそだ」

「襲撃者の目星はつきますか?」

「王子の敵なんか俺が知るかよ。ただまあ、多分屋敷を襲ってる連中は、真っ当な訓練を受けた兵士じゃない事は確かだ」

「何故です?」

「足跡だよ、足跡。歩幅がかなり乱れてるだろ。正規軍の兵士が真っ先に訓練させられるのが、同じ歩幅で歩く事なんだよ。集団戦術が基本だからな、ばらばらだと滅茶苦茶になる……それにこいつら、靴の種類がばらけてる。剣以外にも鈍器を使ってるやつもいるみたいだから――――俺の同業者の可能性が高い」

「傭兵……ですか」

「ああ」

 そう見て間違いないだろう。帝国の特殊部隊には、わざとこのような〝乱れ〟を残して、相手方の予想をミスリードさせる部署もあるらしいが、いくら何でもそれはないだろう。

 なぜかって?

 簡単だよ。部屋でやりあった野郎に、俺が勝てたからさ。特殊部隊は戦闘のエキスパートだ、俺がどうこう出来る相手じゃない。

 そうこうしてる内に、赤毛が言っていた階段が現れる。奈落の底に降りていくような急な階段。妙に狭いと思ったら、なるほど、壁や床に罠が仕掛けられていたらしい。首に矢をはやした野郎や、両足を膝から切断された野郎なんかが、それはもう両手の指に治まりきらないくらいの数転がっていた。

「……なあ、お前罠があるって知ってたか?」

 念のため背後に問うてみる。

「いいえ。前にきた時は何ともありませんでした。おそらく、王子が寝てから罠は作動するんでしょうね」

「………」

 おっかねえ。

 こいつらがいなけりゃ、間違いなく俺が死んでたぞ。何だ、襲撃者にすげえ感謝したい気分だよ………。

 しかしあれだ。

 階段の長い事長い事。真っ直ぐじゃなく、時折右に左にカーブしながら下っている。しかも罠の博物館かってくらいに、古今東西の様々な罠が仕掛けられているんだぜ? ここは最奥に宝が眠る洞窟か何かか? しかし苦労の末そこに辿り着いても、待ってるのはデブの王子様なんだぞ。絶望で自刃したくなるやつもいるんじゃねえか―――もしやそれが最後の罠なのか……!?

 とまあ、戦慄に身を震わせたりしていると、階段の先に扉が見えてきた。封を破られた開けっ放しの扉だ。それが意味するところはつまり、

「―――あの向こうが王子の寝室です。急ぎましょう」

「あいよ」

 まあ、別にどうでも良いもんな。

 俺はただの傭兵だし、王子様には何の恩義もない。関心はゼロだ。

 だが、ちょっと面倒だな。

 王子をぶっ殺した野郎が、扉の向こうにまだいるかも知れん。足音も歓声も聞こえてこないが、警戒はしておかなきゃならん。

「お前はここで待ってろ。俺が良いって言うまで中には入ってくるな」

「解りました。お気をつけて」

 扉までもう少しというところで赤毛を残し、剣を鞘から引き抜きながらゆっくりと階段を下りていく。

 扉の前まで来る。

 ここから更に慎重に足を一歩踏み出す―――と見せかけて、身を投げ出すようにして勢いよく扉をくぐり抜ける。

 着地と同時に、視線と共に剣の切っ先を四方に向ける。が、何の反応もない。攻撃どころか、人間の気配一つ感じない。真っ暗な部屋の中は驚くほどに静かだった。息を殺したまま、ゆっくりと曲げていた膝を伸ばしていく。

 廊下よりも暗い部屋の中、最初は見えなかったものたちも、闇に目が慣れれば次第にその輪郭を強めていった。

 見えたのは複数の死体―――その内の一つは、見覚えのある巨漢だった。

「入ってきて良いぞ」

 嘆息と共に扉の外に声をかける。するとすぐさま軽い足音が飛んできた。初めは焦点の合わなかった青い瞳も、やがて王子のその姿を捉えた。

「ユキゴドリス様―――!」

 短い叫びを上げ、赤毛は王子の死体へと駆け寄った。

 何となく茶番を見ているような気分になりながら、剣を抜いたままその後を追う。

 血が手に着くのもいとわず、赤毛は名を呼びながらその身を揺さぶった。

 すると驚いた事に、王子は小さなうめき声を上げた。

「……フィオナ・セリアード……か……」

 か細い声、そして赤黒い大量の血が口から零れ出した。赤毛の頬は強かにそれを浴びる。が、本人はまるでそれが気にならないらしく、血を拭うこともなく王子に言葉を叩きつけた。

「ユキゴドリス様、しっかりしてください! 死なないでください!」

 必死の物言い。

 俺は心中で「まだ死なないで、だろ」と呟きを漏らした。

「……私はもう駄目だ。刺客は何とか全員倒したが……私も致命傷をもらってしまったよ……」

「大丈夫です! すぐに医者を呼びますから!」

 俺はぎょっとして王子の周囲を見回した。転がる死体は全部で五つ。いずれも長剣と思しき切り口で、それは廊下で見かけた死体のやつよりも鮮やかだった。見れば王子の手には血まみれの剣が力なく握られていた。

 驚いた。

 この巨体で剣の達人とは。これで人並みに痩せていたら……は、もう良いか。

「……はは、安心してくれ……君の欲しいものは、机の一番下の引き出しに入っている………ほら、鍵はこの指輪だ……」

 王子は血まみれの顔に笑みのようなものを浮かべ、右手の人差し指にはまった金の指輪を赤毛に示して見せた。

 いや、驚いたね。

 王子に、じゃないぜ?

 もちろん赤毛にだよ。やつめ、王子の言葉を聞くとすぐさまその指から指輪を引き抜き、さっと近くにあった大きな机に向かうと、言われたとおり、一番下の引き出しを開けやがったのさ。ごそごそやった末、小さな宝石箱のようなものを中から取りだした。

「―――これですか、ユキゴドリス様」

 背筋がぞっとする冷たい声で、赤毛は王子に尋ねた。

 すると王子。死にかけの自分を放ったらかし、如何にも不躾に目当てのものを手に入れた赤毛に対し、しかし怒ることもなく、むしろ満足げに、先ほどとは異なるはっきりとした笑みを顔に浮かべた。

「ああ、そうだ……それが全てだ……私が手に入れた力、君に与えてやれる力の全てだ……」

 瞬間、王子の身体から死にかけの人間のものとは思えないほどの気迫が溢れ出した。生気を失っていたはずの緑色の瞳が爛々とした光を放ち、赤毛をにらみ据える。


「フィオナ・セリアード! 私はお前に全てを譲る! その代わりに誓え、お前の魂に誓え――――――お前の理想を必ず現実のものとすると!」

 

 俺は思わず後ずさっていた。

 王子が発した意志には、一人の人間が今まで生きてきた中で味わった苦悩や後悔、絶望や希望が、余すところなく込められていた。鼓膜ではなく心を震わされるような、壮絶な言葉だった。

 俺はすっかりびびっちまって、身を強ばらせているだけだったが、それを正面から浴びたはずの赤毛はピンと背筋を伸ばしたまま、無言で深く頷いて見せた。

 それを目にした王子はニィと悪魔的な笑みを浮かべると、満足げに頷いた。

 そして笑ったまま――――絶命した。

「………化け物め」

 ようやく声を出せるようになった俺は、顔を引きつらせながらそう呟いた。

 するともう一人の化け物は、嗤う彫像とした化した王子に歩み寄ると、その頬に小さく口づけをし、細い腕で王子の頭を抱きしめた。


「ありがとう――――」

 

 それは……何だろうな。

 ああ、俺は突然解らなくなったよ。 

 赤毛。フィオナ・セリアードって女が、一体何なのか、突然さっぱり解らなくなった。俺の中じゃそいつは貴族の令嬢で、十歳ちょっとのガキで、丁寧な物腰のくせに実は傍若無人で、手の付けられないほどの狂人で―――得体の知れない、人の形をした災厄でしかなかった。そう思ってきた。

 だが。

 だが、だ。

 その言葉は、俺の中にあったものとは真逆のものだったんだよ。

 小さな子供が、心から愛していた祖父に別れを告げるような、清くて儚いもんだった。

 あまりにもそう、弱々しかったんだよ。

 だから俺は、混乱せずにはいられなかった。思わず後ろから抱きしめてしまいそうなくらい、俺はどうしようもなく動揺していたんだ。いや、後二三秒もあればきっとそうしていたに違いなかった。

 でも、そうはならなかった。

 俺がまだぐらついている間に、そいつは次を見据えたんだ。

「さあ。行きましょう」

 立ち上がり、振り向いたやつの顔はいつもと同じだった。

 どこか狂ったような不敵な微笑み。

 俺が知るフィオナ・セリアードっていう女が、そこにいた。

「………ああ」

 俺は頷いた。

 微妙な顔をしたまま、女の心を見透かそうとその青い瞳をじっと覗き込んだ。

 

 ――――お前は一体、何者なんだ………。

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