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第九話

 部屋に入ってから出てくるまでの時間を、俺はこの口で語るつもりはない。

 あんただって聞きたくないだろう?

 いい年こいた男が、年端もねえガキ相手に嬲られ、泣きそうになるのを必死に我慢している様を見たいか? 足下のふかふかの絨毯に真理を見つけた男の話を聞きたいか? それを聞きたいって言うのならあんた、俺はこの先何も語るつもりはねえよ。俺が例え去勢された豚であったとしても、守らなきゃいけねえもんがあるんだ。どんなにちっぽけに見えてもな――――。

 ……ああ、感謝するぜ。

 ここまで話が出来たのはあんたが初めてだから、叶うことなら最後まで話を聞いてもらいたいというのが俺の本音だからな。あんたの舌をフォークで引き抜くのは止めておきたい。

 それで、夕飯時だが。

 まあ実はここも、あまり話しておくようなものはない。知っておくべき事実は二つだけだ。目を疑うほどの豪勢な料理がバカでかいテーブルに所狭しと並べられていた事と、その席に座れたのは二人だけだったって事だ。

 赤毛とユッキー。俺はハブだ。

 まあな。

 解ってたよ。解ってたさ。

 ただ、頭の中の想像に理解を得るってのと、実際に目にする現実に納得するってのは全くの別もんだ。当然の話だがな。俺はそれに改めて気づかされたのさ。上品にナイフとフォークを動かす赤毛。その後ろの壁を背に立ち、虚空を親の敵のように睨む俺は、ああ、これまで話してきた中で一番引き締まった顔をしていただろう。きっと立派な騎士に見えたんじゃないかな。

 ああそれと、あのデブの王子様だけどな。

 やっぱり大したやつだったみたいだぜ。食事中に帝国の貴族連中との定例会議の話が出たが、無理難題を押しつけようとする連中にうまい具合に立ち回っているらしい。言ってる内容は俺にはさっぱりだったが、王子の、

「この都市の帝国貴族は、既に捨て駒と入れ替えられているからね。それをちょっと言葉の端に臭わせてやるだけで、すぐに大人しくなるから簡単だよ」

 っていう発言にはさすがの俺も肝を冷やしたよ。似たような事を知り合いのクソアマが一度言ってたのを思い出したからだ。

 ――――帝国における名ばかり貴族を次々にサウダルーデへと投入し、それまで都市にいた有能な人間を首都へと帰還させている……。

 解ると思うがな。

 これはやばい話だ。やばすぎる話なんだよ。知り合いの変態は所謂〝有能な人間〟の方であったからこそ、その裏事情を知る事が出来た。普通のやつならまず知らない、知る事が出来ないその事情。つまり機密情報さ。そいつを事もあろうに連合の大使である王子が知っているんだ。きな臭いどころか、火薬の臭いもするんじゃねえのかってくらい、やばい話だった。

「解ってると思うが、近いうちにこの都市は意義を失うよ。奪われると言っても良いが」

「ええ。ユキゴドリス様も、出来る限りお早い内にオーロスへと帰りなった方が良いですね」

「帰る場所などないさ。他でもないこの私も、捨て駒の一人なのだからね」

 王子はどこか疲れたように笑い、そしてそれが晩餐の締めくくりとなった。

 赤毛は何も言わず、小さく頭を下げた。

 その時のやつがどんな顔をしていたのか、後ろに立っていた俺には見えなかったよ。

 ただ、部屋に帰るべく席を立ったその横顔は、いつも通りの、熱に狂ったような色を浮かべていた。


     × × × × ×


 夜中の事だった。

 暗がりで顔を上げた俺は一瞬、空腹が目を覚まさせたのかと考えた。しかし、食堂から部屋に帰ってすぐ、侍女に持ってこさせた〝騎士相応の料理〟をたらふく食った事を思い出すと、自分が目を覚ますこととなった本当の理由を探し始めた。

 最初に目に入ったのはもちろん、隣ですやすやと眠る赤毛の顔だった。ついでに自分の背中や腰がギシギシと痛みを発しているのに気づく。

 はは。

 今、間違いなく勘違いしただろ?

 一発ヨロシク? 添い寝?

 馬鹿言っちゃいけねえ!

 前者のようなえげつない、後者のような可愛らしい想像をしたあんたは、まだまだ赤毛の事を理解しちゃいないようだな!

 あ?

 何をいきなり怒り出してるんだ?

 くくく。

 これを怒らずしていられるか。

 良いか、良く聞けよ。よーく聞くんだぞ。

 この俺様はな、この赤毛の悪魔にな、ベッドに眠るなと言われてな、床にも寝るなと言われてな、ベッドの横に椅子を置けと言われてな、そこに座って寝ろと言われてな―――――――。

 ふ、ふはは。

 ここまで酷い仕打ちを受けたのは人生で二度目だ。

 一度目は語りたくねえ。話したら俺の心は壊れちまうよ。

 しかしこうなったらよ。ガキの身体には一切興味がねえが、絶叫を上げてくれるなら一晩中腰を振っても良い気分だぜ……。

 とまあ、それはさすがに冗談だが。ガキ相手にアレがしっかり反応するかどうか心配だったからでもあるが、何よりもその後が怖かったんだよ。ビビって剣を抜きかけただけでもあれだったんだから、ガチで手を出したらそりゃあもう……。むしろテメェの純潔の代償に、地獄まで付き合えと要求してくる可能性の方が高い。まあ最も、既に似たような状況にいるのかも知れんが。

「……はあ」

 ため息をつき、傍らの寝顔を見下ろす。

「寝てるときは天使様ってか……」

 ―――ずっと眠ってて欲しいね。

 俺は儚い笑みを浮かべ、やれやれと首を振った後、静かに目を閉じた。

 明日は明日でしんどいんだろう。休める時に休んでおかないと、この災厄の渦から抜け出す切っ掛けを見失ってしまうかも知れない。

 俺は孤独なる戦士。

 赤毛が踊る現実という名の戦場に召喚されるまでは、夢という名の楽園で安らかに眠ろう―――――。

 現実逃避に駆られる意識が、緩やかに闇に落ちていく。しかし完全に闇と融け合う寸前、俺の耳に、容赦の欠片もない無慈悲なその音が飛び込んできた。それはそう、


 ―――楽園が崩れるその音だった。


 ガシャンという派手な響きが、意識に絡みつく眠気を一瞬で跳ね飛ばした。

 体中に飛びかかってきた窓硝子の破片を、顔にぶつかるぶんだけ腕で払い落としながら、俺はベッドの赤毛へと飛びかかった。冗談みたいに細いその腰を掴み、間髪入れずに後ろへと大きく飛ぶ。

 ベッドの上の闇を銀光が口惜しげに切り裂いたのは、俺がまだ空中にいるその時だった。

 割れた窓から風が吹き込み、カーテンを一息に払いのける。月光が音もなく溢れ、ベッドの上の人影から闇を奪い去り、その姿を無造作にあらわにした。

 ぴったりとした黒い衣装で全身を覆う、覆面の男。その男の瞳と男が手にした短剣の刃が水に濡れたように輝く。男がこちらに向かって走り出すのと、俺の足の裏が床を捉えたのはほぼ同時だった。

 ――――まずい。

「……んっ」

 妙に色っぽい呻き声を上げた赤毛を後ろの放り投げ、俺は全身から力を抜いた。するとリンゴが木から落ちるがごとく、俺の身体は自然と床へと沈んだ。

 ヒュンという口笛にも似た音が頭の上を駆け抜ける。予想通り、短剣の切っ先は喉を狙ってきた。ひやりと汗に濡れた己の首筋を笑い、下半身で力を爆発させる。バネのように伸び上がった身体を僅かに捻り、右肘をそこにあるはずの男の顎へと触れさせた。

 ―――手応え、あり。

 頭蓋骨が軋む音が接触した肘から伝導し、頭の奥を痺れさせる。甘い快感が全身を走り抜け、更なる攻撃を要求してくる。

 止める理由はない。

 振り抜いた肘を支点に拳を回転させ、男の左のこめかみを抉る。男は宙を飛び、壁ではなく床の上へと激突した。振り上げた右足の踵で、男の笑ってしまうほどにがら空きの首筋を踏み抜く。

 頸椎は物足りないほどに呆気なく砕けた。男はもう、ぴくりとも動かない。

「――――ふん」

 念のため剣で心臓を抉っておこうかと考えたところで、己の失態に気づいた。

「やべ……情報聞き出しときゃ良かった……」

 失態だった。

 いつもの俺ならまずやらない類のやつだ。それをやっちまった理由は、あんたにも解ると思うが。

 教訓その一。戦闘でストレス発散は止めましょう。

「何です……襲撃ですか?」

 何か情報になるものを持ってないかと、俺が死体をあさっていると、ようやく赤毛が身を起こし、何とも微妙な科白を口にした。

 俺は火で顔を潰した男を見て嘆き、赤毛の悪魔が帰還した事に嘆いた。

「ああ。だがまあ、この間のやつとは違う。刺客にしちゃあ質が低いぜ、こいつ」

「そうなんですか?」

 俺が目を覚ましたのは多分、こいつのせいだったんだろう。襲撃前に気配を漏らすとは、暗殺者失格だ。

「まあ、いいや。死体片づけて寝直そうぜ」

「そうですね」

 面倒くさい俺と、器がでかい、もとい器が狂っている赤毛は珍しく意見が一致した。死体は窓から放り捨てておけば良いかなあと首をひねったところで、俺は叫び声を耳にして思わず顔をしかめた。

「悲鳴ですね。しかもたくさん」

 赤毛が淡々と事実だけを告げる。

 俺はうんざりしながらやれやれと首を振った。

「屋敷ごと襲撃されてるぜ、こいつはよ………」

 無言でいそいそと着替えを始めた赤毛から目を逸らし、俺は割れた窓の外の月を見るともなく眺めた。

 ふと、嫌な想像が頭をよぎる。


 ひょっとするとこの襲撃。俺らとは全くの別口なんじゃねえか――――――?

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