05
夜の海は激しい風雨に晒されて荒れ狂うように時化ていた。
客室内の電灯は明るいが、丸い窓の向こう側は闇に覆われている。雨粒が海面に
叩きつけられる音がひっきりなしに続く。その音に不安感を抱いたのか、自室のベ
ッドで膝を抱えた少女……不破夢路の表情は暗い。
彼女は今、自分の選択を後悔しつつあった。
大神照の正体を見破り、敵であると看破した。指摘された照自身も潔くそれを認
めたので、それは間違いではなかった。
だが敵はまだ二体いる。そんな状況下で、敵とはいえ最も信頼できる存在を自ら
手放したというのは、彼女にとって得策ではなかった。
ただでさえ、直前に空々忍が行動不能となったのだ。これで彼女が普段行動を共
にする、いわゆる『友達』という枠組みは、黄泉丘三途璃ただ一体となった。
しかも三途璃は、夢路に対して形容し難い複雑な感情を抱いている。夢路自身も
それを知っているから、あまり頼りたくないようだ。普段から姫プレイに徹し、八
方美人に愛想を振りまく彼女だが、相手の気持ちを知った上で利用しようと小狡く
立ち回るのは本意ではないらしい。
「……」
夢路はおもむろに立ち上がり、周りを見渡す。しかし何があったというわけでは
ないようで、また座り込んだ。落ち着かない様子だ。
夢路は思う。どうしてこんなに落ち着かないのか、と。
これは所詮、魔神の小競り合いでしかない。温厚で呑気な照が敵として参加して
いる以上、これはエンタメでしかないのだ。
船が沖縄に到着する頃には、この騒動は笑い話で終わっているだろう。知英も唯
も忍も、もちろん照も、何事も無かったかのように解放される。こんな事に頭を悩
ますよりも、ゆっくり休んだ方がいい。
それが分かっていて尚、落ち着かない。嵐のせいか、あるいはこの部屋で孤独に
喘いでいるからか。
照が船底の一室に投獄された後、夕食会は終わった。そして三途璃はその場で全
員に解散を命じたのだ。
「このまま全員で一緒にいれば、もう誰も襲われる事は無いって? そうね、確か
に夢路、あなたの言う通りよ。でもそれはアンフェアが過ぎるわ。これはゲームな
んだから、そういう方法は避けるべきよ。というか私がこんな事言わなくても、皆
この場に留まるつもりはないみたいね」
三途璃の言葉を聞き終わらないうちに、魔神達は席を離れた。こうして一人取り
残された夢路は途方に暮れ、結局自分の部屋に戻った。
そして今に至る。彼女は薄々、この選択が間違っていた事に気づきつつあった。
これがゲームにしろ本当の危機にしろ、自分の部屋で丸くなっている事に意味は
無い。相手が魔神である以上、どこにいたって安全な場所は無いからだ。部屋の鍵
など、あって無いようなものだ。
やがて夢路は部屋の外に出た。
船内の廊下は薄暗い。天井には一定の間隔でシーリングライトが埋め込まれてい
るが、光量が弱く、そのうちのいくつかは時折頼りなさげに明滅している。船その
ものは豪華な内装なせいで、不気味さが際立つ。おそらく魔神の誰かが面白がって
演出したのだろうが……夢路は顔をしかめた。
船内は四つの層に区切られている。
甲板から入ってすぐの一階層目には、割り振られた個室がある。各々の部屋には
ネームプレートが掛かっているため、迷う事はない。
二階層目には、昼食や夕食の会場になった大きなホールがいくつかある。いずれ
も一人で赴くような場所ではない。
三階層目には、キッチンや電気室なんかがある。三途璃の鎌によって生命を刈り
取られ、彼女の命令を聞くだけの存在となった躯人形達が食事の用意や雑用を淡々
とこなしている。
四階層目はがらんどうで、推定犯人である照が監禁されている。
外は雨が降っているため、甲板には誰もいないだろう。そうなると誰もが、各々
の部屋で各自暇を潰しているに違いない。
そう考えた夢路は、今会っておきたい人物の部屋を訪れた。
雨の音が、彼女の足音を掻き消す。まるで幽霊になったような気分で、彼女は部
屋の扉をノックした。
ほどなくして、部屋の主……白瀬城菜が現れた。
「おや、夢路ちゃん。どうしたの?」
「え、ええと、あの、どうしたって程ではないのですが……」
「ふぅん? まあいいや、上がりなよ。話はそれからでも遅くはないからね」
城菜は夢路を快く出迎えた。
「あ、扉はきちんと閉めてね」
「え? あ、すみません……」
指摘を受け、夢路は慌てて後ろ手で部屋の扉を閉めた。それを見ながら、城菜は
何かに気付いた様子で鋭い目を光らせた。
「え、えと、あの、ご迷惑だったらすぐに出ていきますんで……」
「……いいや、構わないよ」
夢路は彼女が何かに気付いた事にさえ気づかない様子で、恐縮しながら進められ
たソファーに着座した。
城菜は夢路の対面に座り、何事も無かったかのように振る舞った。
「さっきは見事だったね、夢路ちゃん。照が敵だったとは気づかなかったよ」
「あ、いえ……あれは偶然ですし」
「それで? 今度はわたしが敵だと思って、問い詰めに来たのかな?」
「そ、そんな事は……」
「うん、冗談だよ。きみがその気なら、三途璃ちゃんを連れて来るだろうからね」
話しながら、城菜はどこからかイーゼルを取り出し、その上に真っ白な紙を立て
かけた。どうやら絵を描くらしい。彼女の唐突な挙動に、夢路は驚かない。それが
日常であるかのように一瞥だけくれて、そのまま口を開いた。
「あの、城菜さん……この事件をどう思いますか?」
「どうって?」
「ですから、その、なんというか、目的が分かりませんし……」
「三途璃ちゃんはゲームって言ってたでしょ。ゲームなら、それそのものが目的じ
ゃないの? 要するに余興だよ。この船旅で退屈しないようにって、彼女が企画し
たお遊びさ」
「お遊びって……じゃあ三途璃さんも敵って事ですか?」
「さあ、どうかな。企画者がイコール黒幕とは限らないよ。敵……というかこの場
合犯人役だけど、それは抽選で決めたかもしれないからね。ただ、彼女がゲームの
全容を知る立場なのは間違いないだろうね。でないと、こんな遊びは考えないさ」
「……これが遊びじゃなかったら、どうなりますか?」
「さあ、どうかな。そうなると本当に動機が分からないし、三途璃ちゃんもゲーム
って言ってるだけで、本当はもっと邪悪な目的があるかもしれない」
「そ、それって……たとえば、魔神を滅ぼすとかですか?」
「そうなるとむしろ、夢路ちゃんは嬉しいんじゃないの?」
「い、いや、そんな事は……」
「取り繕う事は無いさ。でもまあ、そんな展開にもなるかもね」
「そ、その割には呑気に構えてますね……」
「もしもそうなったら、実力で反旗を翻せばいいからね。それまではゲームだと割
り切って楽しめばいいんだよ。なあに、安心しなよ。もしも夢路ちゃんがゲームの
中で死んじゃったら、わたしが生き返らせてあげるから」
「……」
軽々しく言い放った城菜の言葉に、夢路は複雑そうな顔をした。魔神の中の死の
概念は軽すぎて、彼女の感覚を狂わせているらしい。彼女とて、かつては自殺を敢
行した過去もあるから、尚更だろう。彼女は慌てた様子でかぶりを振って、自分の
中の感覚を必死に確かめた。
城菜は何故か明後日の方向を見つめながら、イーゼルに向かって筆を走らせる。
その最中、世間話のように夢路と話をしていた。
「ところで名探偵の夢路ちゃん。残りの二人の敵について、思い当たる節はあるの
かい?」
「……実のところ、あまり分かっていません」
「あまりって事は、少しは分かってるの?」
「……本当に少しですよ」
「焦らすねえ。かえって気になってきたよ」
「は、ハードルを上げないでください……」
夢路は困った顔を見せながらも、存外素直に自分の考えを述べ始めた。
「犯行の手口のお話になるんですけど……あれ、真珠化って表現すればいいんでし
ょうか。どうやったんだと思いますか?」
「真珠といえばアコヤ貝だけど……まさか人間を呑み込むサイズのアコヤ貝がいる
わけはないから、誰かの能力だろうね」
「……あるいは、そういう貝を能力で人工的に造ったか、だと思います」
「なるほどね。それで?」
「……犯人の中の一体は、必ずそういう能力を持っているという事になります。そ
してそれは照じゃありません。照は他人を真珠にする能力を持っていませんので」
「じゃあ残りの二人のうち、どちらかがそういう能力を持っていると?」
「はい。例えば終日さんと愛ちゃんはどの能力でも他人を貝にする事なんてできま
せん。どちらかが犯人という可能性はありますが、どちらも犯人であるというのは
あり得ないでしょう」
「ふむ……限定的だけど、理にかなった推理だね。他には?」
「えっと……城菜さんは犯人じゃないと思います。もしもあなたが犯人なら、被害
者はもっと芸術的に飾り立てられるでしょうから……」
「……極めて妥当な推理だね」
城菜はそう言って満足そうに頷いた。
さてしかし、と夢路は思う。
現在残った七体の魔神のうち、自分は既に四体の能力を全て知っている。
すなわち黄泉丘三途璃、木霊木珠樹、終日寝太郎、恋心愛。
しかし三途璃は『ブリタンの憐れな子羊』で、珠樹は『大魔導師の杖』で、それ
ぞれ真珠状態を再現できるだろう。そして残った三体……つまり白瀬城菜、桃井最
萌華、大道正義については能力が明らかになっていない。可能性は無限なのだ。
結局、例え話で城菜に論じた以上の情報は無い。相変わらず、真実は深い藪の中
に眠りこけているのだ。
「どうやらこれ以上考えても仕方がないみたいだね」
ようやく筆を置き、出来上がったであろう絵を丸めて仕舞う城菜。失敗でもした
のか、その絵を夢路に見せる事はせず、イーゼルを片付けながら続けた。
「これ以上推理を進めるなら、次の被害者を待つしかないね」
「え?」
「上手い具合に真珠を作れる人がターゲットになればいいけどね。わたしとしては
桃井の奴をそろそろ始末してほしいんだけど」
「……私情入ってませんか?」
「もちろんさ。感情的に発言するのは芸術的だよ」
「……」
芸術家たる城菜は独特な感性によって理解し難い言葉を吐いて、目の前に座る夢
路を見つめた。
「な、なにか……?」
「うーん……今ちょっと迷ってるんだ」
「ええと……絵のモデルの話ですか?」
「ん? いや、違くて……そっちは大丈夫。きちんと沖縄でのスケジュールを考え
ているからね」
「それじゃあ……」
夢路がさらに問いを重ねようとした。
そのか細い声は突然の金切り声に掻き消された。
「にぇええええええええっ!!?」
聞き慣れない声だった。
しかしだからこそ、声の主は明らかだった。
夢路と城菜は顔を見合わせ、部屋を出た。声のした方に目を向け、固まる。
廊下には、誰しもが予想したであろう惨状が広がっていた。
薄暗いシーリングライトに照らされ、不気味な影に縁取られる。恐ろしいものを
見たかのような形相をしている一方で、わざとらしく両手を上げて脚の片方をくの
字に折り曲げ、驚愕を表現している。まるで『驚いた』という感情を正しく理解し
ていないかのようなそのちぐはぐさはしかし、彼女らしい。
恋心愛は真珠のように固まっていた。
「なんとまあ……夢路ちゃん、きみにとっては残念な事だね」
城菜はそう言って屈み、不自然なポーズによって必然的に倒れ込んだ恋心愛の身
体に触れた。その指は、懐に刺さっていた一枚の台紙を取り出していた。
そこにはお決まりの文言とともに、夢路にとって致命的な一文が書かれていた。
『あと七人。我々は二人』
『もしも我々がこの船を占拠した暁には、世界を海に沈めよう』
外は嵐のように荒れ狂っていて、叩きつけるような雨が降り注いでいた。




