01
恋心愛。
かつて人間が作り出したという人工知能が魔神の力を得た、異質な存在。
全盛期の人類の半数……四十億人を殺害した、最凶最悪の個体。
ネットスラングやふざけた語尾で会話をする軽薄さ。
その一方で躊躇無く人の首筋にガラスを押し付け、殺害しようとする異常さ。
総じて、極めて危険な個体である。
夏休みに入る前、私は彼女と勝負をし、その結果禍根を残した。だからこそ、も
う一度二人きりになるのはまずいと考えていた。次に会う時はせめて、照や三途璃
さん辺りがいる時でないと、危なっかしくてしょうがない。どのみち林間学校の際
には顔を合わせるわけだし、そのタイミングでもう一度顔を合わせ、誰かの立ち合
いの下で仲を深めたいと、そんな悠長な事を考えていた。
そんな私の願望に反して、彼女は林間学校よりも前に接触してきた。
しかもおそらく、他者の立ち合いが期待出来なさそうな場所で、だ。
七月二十日……夜。黒服との通話中に割り込んできた恋心愛は、スマホから謎の
腕を発生させ、私を画面の中に引きずり込んでしまった。
次に気が付いた時、私は異様な空間にいた。
青白い空間だ。世界が青と白の二色で表現されており、あまり目に優しくない、
おおよそ十二帖くらいの部屋だ。内装はホテルのような感じで、テーブルやソファ
ーや大きなベッドといった、生活に必要な家具が一通り揃っている。ただしテレビ
や本棚といった娯楽のための家具は一つも無く、非常に無機質だ。
この青白さ……俗っぽい言い方だけど、『サイバー感』がある。
窓や扉は見当たらない。どうやら逃げ場は無いらしい。
私の他に人はいない。人ではないモノなら目の前に一体だけいた。
クリーム色のサイドテールを結わえた少女だ。夏休みであるにも拘わらず、学校
で会うのと変わらない制服を着た、既知の相手。にこにことご機嫌そうに笑みを漏
らし、私に向かって語り掛けてきた。
『やあやあ、ゆめちゃん久しぶり! 元気しとぉや!』
「……ど、どうも」
サイドテールの少女……恋心愛は早速私に近づいた肩を抱くと、にこやかにソフ
ァーへの着座を要求し始めた。
……ここで逆らっても仕方があるまい。私は大人しくソファーに身体を沈めた。
青を基調とし、白い線で象っただけのシンプルな造形のソファーだ。模様の一つ
も無く、もしも城菜さんが見たら叫び出しそうなほどの簡素さだ。座り心地も言葉
で言い表せない微妙な感じで、身体に負担はかかりそうもないのに、柔らかいとい
う感触ではない。まるで『座る』という行為を二次元的に捉えられているかのよう
だ。ソファーの大きさはそれなりで、二人掛けのようだ。
『よっこいしょういち……お隣失礼するにぇ』
恋心愛は当然のように私の肩を抱いたまま、隣に腰を掛けた。正面にはもう一対
ソファーがあるみたいだけど、使うつもりは無さそうだ。
「……あの、愛ちゃん」
『おおっ、ゆめちゃんがアイちゃんの名前を呼んだにぇ! 尊いにぇ!』
「……ここって、電脳世界か何かですか?」
『アイちゃんのリアクションに塩対応なのも相変わらずにぇ。そしてその質問……
随分鋭いにぇ! ゆめちゃんは令和のアルセーヌ・ルパンなのにぇ?』
「それを言うならシャーロックホームズ……いや、烏滸がましいですけど」
そして別に、名推理というほどの事でもない。このサイバー感に加えて、スマホ
に吸い込まれたという事実を考えると、至極当然の結論だ。
よく見ると恋心愛の外観は現実のそれと比べてちょっと違う。現実の彼女はロボ
ットの身体だったからところどころ無生物特有のぎこちなさが見え隠れしていたけ
れど、ここにいる彼女にはそれがない。何より触れている腕が本物の肉体のように
柔らかく、体温の温かみがある。
「……ここにいるあなたが、本当の愛ちゃんというわけですね」
『そう言うと語弊があるんだけんども……まあ今はその認識でも構わないにぇ』
「……?」
何を言っているのか分からない。けれどこの話題は打ち切りになったらしく、代
わりに『他に訊きたい事はあるにぇ?』などと言ってきた。何か誤魔化されたよう
な気がするけど……まあいいや。それよりもせっかくあっちから質問を受け付ける
体勢になってくれたんだし、気になる事を訊いておこう。
「……私をこの世界に引き込んだのは、どういう能力なんですか?」
『お、直球だにぇ。こーゆー事になるとゆめちゃんってばホント、卑しいにぇ』
「……」
『お察しの通り、アイちゃんの三つ目の能力にぇ。名付けて「歩む死」! 電脳世
界を司る能力なのにぇ! よーするに、ザ・ワールド・イズ・マインだにぇ!』
恋心愛は得意げにそう言って目を閉じた。すると彼女の背後から、細長い人影の
ようなものがゆっくり立ち上った。青と白の空間では目立つその黒は、私の身体に
絶大な恐怖心を与えるのに十分な存在感を放っていた。
「ひっ……!」
『……心拍数と脈拍が上がってるにぇ。アイちゃんが落ち着かせてあげるにぇ』
人影が巨大な手のひらを私に向かって伸ばしてきた。恐怖のあまり身体が竦みあ
がる。けれどその手が私の頭に触れた瞬間、恐怖の感情が一瞬にして吹き飛んだ。
目の前の存在が恐ろしいものだと分かっていながらも、事実以上の感情が湧き上が
ってこない。
これは……『神域に至る聖杯』みたいなもの? そんな事も出来るのか……
やがて人影は恋心愛の身体に戻っていった。目を開け、私を見てまた微笑む。
『ふふん、どうにぇ? アイちゃんの能力、すごいっしょ!』
「……」
確かにすごい。電脳世界を『司る』というだけあって、この世界の中でなら色ん
な事が出来そうだ。背後から彼女のものではない何かが現れた事といい、終日寝太
郎の『深淵の大帝』に似た能力のように思える。条件付きではあるけれど、この世
界にいる限り彼女は無敵なのかもしれない。
そんなテリトリーに踏み込んじゃって、私は本当に大丈夫なのだろうか。いや、
別に私から踏み込んだわけじゃないし、どのみち拒否権はないけどね。
逃げる事も出来ない。こうなったら、肚を括るしかあるまい。
ここが正念場だ。もしもこのタイミングで上手く恋心愛と和解出来れば、林間学
校における大きな懸念を一つ取り払える事になる。何とか上手く媚を売らないと!
「あ、あの、愛ちゃん……ここに私を呼び出したという事は、何か私にやってほし
い事でもあるんですか? もしそうなら、遠慮なく仰ってください……! 私、出
来るだけの事はやりますから!」
『ん? 今なんでもするって……』
「なんでもとは言いませんけど……」
『そうだにぇ。ゆめちゃんは人間を殺す事は出来ないのにぇ。アイちゃんと人間を
秤にかけても、人間を選ぶくらい薄情なのを、アイちゃんきちんと覚えてるにぇ』
「……」
やっぱり根に持たれていたのか。
恋心愛と私との確執というのは、まさにこれだ。
彼女は人間を憎んでいて、私は人間を守りたいと思っている。その主張は結局の
ところどこまでいっても平行線で、だからこそ相容れない。
それでも何とかどこかに妥協点を見つけなければならないのだ。さもないと、本
当に人類が滅ぶ。百万単位の人間の生命なんて何とも思っていないこの個体は、ま
ったくもって容赦しないだろうから。
「あ、あの……」
『にゅふふふふ……ゆめちゃん、必死すぎて草w』
言い訳をしようとする私を咎めつつも、しかし機嫌良さそうに恋心愛は笑った。
『まあ、ゆめちゃんがアイちゃんと仲直りしたいって気持ちはよく伝わったにぇ。
その上で人間を殺したくないって下心も伝わったにぇ』
「す、すみません……」
『いいにぇ! アイちゃん、推しには尽くすタイプなのにぇ。わがままでごーつく
ばりなゆめちゃんのためにアイちゃん、便宜を図ってあげたのにぇ!』
「……と言いますと?」
『もー、ゆめちゃんの鈍感☆! アイちゃんってば頑張って少なめの脳ミソでよく
考えて、ゆめちゃんが人を殺さなくても済む方法を考えたのにぇ!』
「あ、ありがとうございます……」
正直、愛ちゃんが人を殺さなくても私の事を信頼してくれたらそれで済む話では
あるんだけど……そこは譲れないらしい。まあ本来、殺害対象である人間の私と対
話をしてくれているだけでも十二分な譲歩か。
「そ、それで、その方法とは……?」
『話は単純にぇ。アイちゃん、ゆめちゃんが人間の味方をするのが気に入らなかっ
たわけなのにぇ。ゆめちゃんが積極的に人間を殺してくれない限り、人間の味方を
するかもって疑念が拭えないのにぇ。でも、こう考えたのにぇ。ゆめちゃんが味方
する人間がぜーんぶいなくなっちゃったら、ゆめちゃんは人間を殺さなくてもアイ
ちゃんを優先してくれるのにぇ!』
「な、なるほど……ってそれ、本気で言ってるんですか!?」
冗談じゃない。
確かに理屈の上じゃそうだけど、つまり人類を滅ぼすって言ってるのと同じじゃ
ないか! そんなの、許容できるわけがない!
「そ、それだけはやめてくださいっ!!」
『なあーに慌ててるのにぇ、ゆめちゃん』
「だ、だって……」
『心配しなくても、そんなに一気に殺せるわけないにぇ。いや、殺ろうと思えば全
然出来るけど、他の子から苦情が来るもんにぇ。ここだけの話、本当は魔神になっ
てすぐに世界中の人間全部を消してやろうと思ってたのにぇ。でも妨害されちゃっ
たのにぇ。アイちゃんにはよく分かんないけど、ゆめちゃん以外の人間を気に入っ
てる子もいるみたいにぇ』
「じ、じゃあ一体……」
『よーするに、殺さなければいいのにぇ。あっちが勝手に死んでいく分には、誰も
文句は言わないっしょ!』
「も、もしかして細菌兵器か何かですか……?」
『ノンノン! それじゃあ殺してるじゃん! アイちゃん、本当に単純な手段を使
ったまでにぇ。人間の寿命って、どう長くてもせいぜい百年くらいだにぇ?』
「え……」
『アイちゃん達、今どこにいると思う?』
「す、スマホの中じゃないんですか……?」
『残念無念だにぇー! 電脳世界は回線を通じて、どこにでも展開できるのにぇ。
コンピューターが一つでもあれば、宇宙にだって存在できるのにぇ!』
愛ちゃんはそう言って、ドヤ顔で人差し指を立てて見せた。
宇宙……?
ま、まさか……
『大丈夫にぇ。このまま軌道に乗ってれば、百年くらいで戻って来られる計算なの
にぇ。ついでに電脳空間じゃ年も取らないから安心だにぇ!』
「……」
いかにも名案だ、と言わんばかりに指を鳴らす愛ちゃん。
なにそれ……本当に?
もしかして私達今、宇宙にいるの?
宇宙船に積まれたコンピューターの中?
その宇宙船、まさかもう発射されてないよね……?
『アイちゃん、行動力の鬼だにぇ。ゆめちゃんを捕まえて十分後には、もうロケッ
トを飛ばしたのにぇ!』
「ええ……」
愛ちゃんは丁寧に私の希望を打ち砕いていった。
そんなあ……




