07
後で知った事だけど、三途璃さんの選別はローマだけに留まらず、既にヨーロッ
パ全土で行われていたらしい。
ヨーロッパ全土の人口およそ四億人……そのほとんどが死亡した。選別で一体ど
れほどの人数が生き残ったのかは定かではないけれど、ローマでの惨状を見た限り
だと、おそらく一万人にも満たないだろう。
けれど私は薄情な事に、それ以上の犠牲が出ていない事に安堵した。
三途璃さんはあれ以降、選別をやめたのだ。
それがどういう心の動きによるものかは分からない。身の程知らずにも私が彼女
を袖にした事がどんな影響を及ぼしたのかは定かではない。けれどこれ以上虐殺が
行われなかった事については、喜ぶしかあるまい。
「鬼の目にも涙……ってわけじゃなさそうだね。あんまり三途璃ちゃんを責めたも
のじゃないよ。あの子はあの子できみへの思いを断ち切るのに必死だったんだ。き
っと今頃はどん底の気分だろうね。わたしもあれくらい一人の人間に熱中してみた
いものだよ。あれはあれで、一つの芸術だろうしね」
ローマから魔神の街へと私を送る道すがら、運賃代わりに話した今回の顛末に対
し、白瀬城菜はどことなく憧憬を抱いているようだった。
「あの……三途璃さん、これからどうなるでしょうか」
「さあね。彼女をどん底に陥れたのは夢路ちゃん、きみじゃないか」
「う……」
「なんてね。責めちゃいないから安心しなよ。あの生真面目さを思うと、きっと明
日には林間学校の事で奔走する事になるんじゃないかな? 忙しなくやってるうち
に、失恋の傷心も癒えるでしょ」
「だ、だといいんですけど……やけになって暴走しませんかね?」
「その保証は出来ないね。でもまあ、わたしとしては選別で名だたる芸術家が消さ
れてない事だけは確認したし、他の人間はどうでもいいよ。たくさん殺して三途璃
ちゃんの気が晴れるなら、それはそれでいいんじゃないかな」
「よ、よくないです……」
温厚な口調でさらりととんでもない事を口にする城菜さん。なんだかんだ言って
この個体も十二分に魔神なんだよなあ。興味の無い相手なら死んでも構わないとい
うスタンスは、単純に冷淡で恐ろしい。私はまだ彼女の興味の範疇だろうか。これ
から先を思うと、そうあってくれなくちゃ困る。
「それじゃあね、夢路ちゃん。林間学校、楽しみにしてるよ」
そう言って城菜さんは去っていった。そういえば林間学校の行き先については結
局、城菜さんの意見が通ったんだっけ。半ば強引なやり方だとは思ったけれど……
一体どんな企画を提案したんだろう。魔神が考えたプランというだけで、ろくでも
ない気がしてならないけど……
妙な身震いとともに空を見上げる。真夏の空が真っ暗になるほど、長い時間が経
過していた。星が綺麗に瞬いている。けれどそれに感慨を覚えるほどの精神的な余
裕はない。私は疲れ切っていた。
「ふう……」
早く帰ってベッドに寝転がろう。
そんな怠惰な気分で玄関扉を開け、真っ暗な玄関を潜り抜ける。
上がり框に足を掛け、廊下に上がる。
目の前に、イーグルアイが浮かんでいた。
「あら、夢路。思ったより早いご帰宅じゃない」
「うわあああああっ!?」
控えめに言って仰天した。
目の前の人影が廊下の明りを点けた。現れたシルエットは他でもない、黄泉丘三
途璃その個体だった。
「な、なんで三途璃さんがここに……?」
「なんでとは御挨拶ね」
三途璃さんは不機嫌そうに眉を顰めて、こっちに紙束みたいなものを寄越してき
た。ホッチキス留めで冊子の様式になっていて、表紙には大きなココヤシとソテツ
が生えた小島が描かれている。
「これは……」
「林間学校のしおりよ。出発は明後日。集合時間や持ち物はしおりの中で指示して
いるから、きちんとチェックしておきなさい。遅れたら拷問よ」
「ぜ、善処します……」
明後日とはまた急な話だ。日程や行き先もかなり重要だ。確認する事がたくさん
ありそうだ。それにしても三途璃さん、こんなしおりを作るなんて、相変わらず委
員長というロールプレイに忠実だなあ。
……いつもと変わらない三途璃さんだ。
もちろん私としてはそれに越した事はないけれど、こうなると却って気になって
しまう。彼女はさっきのあれを、どう解釈したのだろうか。
「……なによ、夢路。私の顔に何かついてる?」
「あ、いえ、別に何も! 用も無いのに見つめてすみませんっ!!」
「……あなたのそういうところが、私の心を乱すのよ」
「は、はあ……あの、すみません」
「……」
三途璃さんは何も言わず、ずいと私の顔を近づけた。
「……反省なさい。そんな調子だと、いつか私に食べられるわよ」
蠱惑的な顔をして、三途璃さんは舌なめずりをした。委員長らしからぬ、淫猥な
ジェスチャーだ。思わず私の方が照れてしまう。
……あれ?
「あ、あの、三途璃さん……? 私、その、言い辛いんですけど……」
「なによ。はっきりしないわね。苛々するからきちんと喋りなさい」
「ご、ごめんなさい……でもあの、私、あの時三途璃さんを、その……振ったはず
では?」
「……そうね」
三途璃さんは一瞬だけ表情を暗くした。けれどすぐに開き直ったようににっこり
と微笑んで、私を見つめた。
「それがどうしたの?」
「あえっ? いや、その、だったらアプローチを掛けても無駄といいますか……」
「ばかね、夢路。私をなんだと思ってるの?」
「へ?」
「たった一回振られたくらいで諦めるほど、私は軽薄じゃないわ。いつか必ず、あ
なたを陥落させてみせるわ」
「ええ……」
「もしかしてあなた、私が落ち込むとでも思った? 逆よ! むしろ燃えたわ!
選別は後回しにするとして、当面は夢路、あなたの方に注力するわ! 必ずあなた
を惚れさせてみせるから、そのつもりでいなさいね」
三途璃さんはそれだけ言うと満足そうに振り返り、「愛してるわよ」という言葉
とともに颯爽と玄関から去っていった。ご丁寧に、しっかりと後ろ手で玄関扉を閉
めるのも忘れずに。
「ええ……」
予想外である。思ったよりずっとポジティブで、私に対しての執着も強い。
選別もあくまで後回しになっただけで、やめるわけではなさそうだ。
これは……ますます三途璃さんの希望に沿うわけにはいかなくなった。
でも私、これからずっと三途璃さんを袖にし続けないといけないの……?
ストレスで胃に穴が空きそうなんですけど……
夏休み突入時に新たにした決意が、早くも揺らぎそうだ。まだ一週間と経過して
いないのにこの体たらくとは……情けない限りである。
しおりを持ったままベッドに転がり、スマホを見る。
スマホには黒服やノッポからいくつか不在着信が入っていた。きっとヨーロッパ
の件の問い合わせだろう。やれやれ、気の休まる時間が無いなあ。
でも無視するわけにもいかない。私は不承不承に通話ボタンを押した。
コール音が一回。二回。三回。
がちゃりという電子音が鳴った。どうやら相手が出たらしい。
『もしもし……ああ、夢路さんですか』
「……ヨーロッパの件ですか」
『話が早いですね、夢路さん。その事なんですが……』
「……」
『……』
「あの、もしもし?」
『ゆめちゃん、油断しすぎだにぇ』
「……え?」
突然、電話口の声が電子音になった。
驚いてスマホから顔を離し、画面を見る。簡素な通話画面だったはずのそれは、
いつのまにか少女の顔のアスキーアートと化していた。
その顔や特徴的な言葉遣い……考えるまでもない。
AIの魔神、恋心愛だ……!
「な、なんで……」
『なんでもいいのにぇ。アイちゃんと遊ぼうにぇ!』
電子音が終わった瞬間、スマホから真っ黒な細長い手のようなものが二本、飛び
出した。素早く動くそれは抵抗すら許さず、私の腰をぐるりと取り囲み、掴んだ。
「う……わあああああっ!!?」
引っ張られる。
画面の中に引っ張られる。
一体なんだというのか。
こんな突然、不躾が過ぎる。
でも恋心愛に言葉は通じない。たとえ私が今日、魔神を相手にダブルブッキング
を果たした直後だと言っても、無駄だっただろう。
三途璃さんとの出来事の余韻に浸る暇も無い。
私は画面の中に吸い込まれ、意識を失った。




