05
復習になるけれど、魔神は皆三つの能力を持っている。
一つ、『つらなりの鎖』や『溶ける魚を解ける刀』といった神器の具現化能力。
魔神の能力そのものはあくまで具現化する事であり、具現化した物体は人間にも扱
う事が出来る。もっとも、『大魔導師の杖』のような例外もあるようだけど。
二つ、『オッカムの断頭台』や『マーフィーの愛と希望の幸福論』といった、具
現化ではない能力。首だけになった唯野唯が『見かけの四連星』を使えなくなって
いたところを見ると、手や腕を失ったら一時的に使えなくなるのかもしれない。
そして三つ目。『無窮にして無敵』や『深淵の大帝』といった、文字通り私が三
つ目の能力と称しているもの。意図的なのかそうではないのか、ほとんどの個体が
自分から晒そうとしない、ある種切り札のような力。二つ目の能力と体系的な区別
は難しいけれど、どれも言いようの無い異質さがあるから見ればすぐに分かる。照
の『無貌』はともかく、『無窮』や『大帝』は、見ただけで身体の芯から震えるほ
どに恐ろしい。
そこへ行くと、今現在燃え盛る炎に包まれている黄泉丘三途璃は、三つ目の能力
を発動していると推測できる。それほどまでに、おぞましい何かを感じる。
落ち着いたグレーの姫カットが炎に揺られ、朱色に燃えている。激情を失って理
性的になったはずの瞳は水分全てを燃焼させたようにぎらついて、恐ろしい形相で
私を見つめている。
周囲には熱風が漂い、太陽が一つ増えたかのような熱気が湧いている。私の全身
は暑さを訴え、涙のような汗を流す。それでいて、心は芯まで冷え切って寒い。
何が起きたのか分からない。
どうしてこうなったのか理解できない。
さっきの試練、確かに色んな事があった。視界を奪われ、水責めに遭った。でも
人間の私ならともかく、三途璃さんがそれでダメージを受けるはずもないのに……
「どうやら、想定外の出来事が起きたみたいだね」
いつのまにか、白瀬さんが私を庇うようにして傍に立っていた。見上げると、複
雑そうな顔をしている。
「確かにわたしは三途璃ちゃんの感情を奪ったけれど、記憶や欲求には手を出して
いない。だからあの空間でちょっとした冒険をしてもらって、三途璃ちゃんが感情
という名の勘定を抜きにして、きみへの好意を表明できるかが鍵だった。愛情を越
えた思惑……まさに芸術だ。わたしはそういうのが見たかったんだけどなあ」
「……?」
城菜さんの説明を、私は上手く理解出来なかった。私への好意がなんだって?
それと今の状況と、一体何の関係があるというのだろう。好意があるなら、あんな
怖い顔でこっち見ないでしょ……
「え、ええと、結局三途璃さんは今、どうなっているんでしょう……」
「欲望が暴走しているね。彼女の名誉のために滅多な事は言わないけど、あまり綺
麗な決着じゃないんだよなあ」
「そ、そんな事言ってる場合じゃないんじゃありませんか? 三途璃さん、私に襲
いかかろうとしてません……?」
「ある意味、そうだね。わたしとしては止める義理はないんだけど」
「そ、そんな……」
「冗談だよ」
城菜さんはこんな状況で、さもお茶目っぽく微笑んだ。いや、やめてよ……
「わたしの『神域に至る聖杯』なら、欲望だろうがなんだろうが、内面に関する事
なら軒並みコントロールできる。照の時と違ってあの子は私よりも素早くないし、
邪魔される心配もないでしょ。すぐに終わるから安心するといいよ」
そう言って城菜さんは手元に『聖杯』を具現化した。その言葉通り、三途璃さん
の反応は間に合っていない。その中身はすぐに真っ赤な液体で満たされて……
炎上した。
「……えっ?」
城菜さんは動揺した様子で『聖杯』を放り投げた。燃え盛ったグラスはそのまま
空中で溶け、塵一つ残さず消えていった。
三途璃さんの様子は、依然として変わらない。
「まじで……?」
柄にもなく城菜さんの言葉遣いが崩れている。それだけ予想外だったのだろう。
今の三途璃さんには、『神域に至る聖杯』が通じない……?
三つ目の能力のせい? これ、やばいんじゃ……
三途璃さんが揺らめく炎と一緒におもむろに身体を動かした。その視線は、城菜
さんに向いている。
「白瀬さん……今、私を攻撃しようとした?」
「あ、いや……攻撃っていうか、今きみはちょっと正気じゃなくってね」
「言い訳無用! 丁度発散したくてたまらないところだったのよ!! その喧嘩、
勝ってあげるわっ!!」
さっき『聖杯』を溶かして消したからか、三途璃さんは明らかに感情を取り戻し
た様子で激昂していた。そして拳を握り、すごい速度で城菜さんに突撃する……!
「ちょ、ちょっと待ってよ……」
城菜さんは動揺しつつも、三途璃さんが繰り出した拳を捌いた。どうやら格闘で
は城菜さんに分があるらしく、拳を弾かれた三途璃さんの方が顔を歪めていた。
対する城菜さんは困惑しながらも余裕そうだ。
でもその余裕は長くは保たなかった。
「あちち……これはちょっときついなあ」
三途璃さんの拳に触れた城菜さんの腕が燃え上がった。慌てた彼女は腕を振って
鎮火させていたけれど……ぷすぷすと煙を吐き出すその肌は、骨が見えるくらいに
溶けてしまっていた。
三途璃さんの身体が燃えているせいで、防御がままならない……?
尚も三途璃さんは拳を振るう。城菜さんは表情を歪めたまま攻撃を躱し、俊足で
三途璃さんの腹に蹴りを叩きこんだ。
「くっ……」
三途璃さんが呻きながら後退する。代償に、城菜さんが履いていたローファーが
飴細工のように溶け、足裏までもが焼け焦げていた。
「お気に入りの靴だったんだけど……しょうがない」
肩を竦めた城菜さんは、もう片方のローファーも脱いで裸足になった。綺麗な足
がコロッセオの地面に着く。するとコンクリートの足元から、音も無く大柄な男が
這い出してきた。全身が灰色で、ふんどしを付けている筋骨隆々な男だ。何故か顔
の彫りが異様に深い。
え、なにこれ……?
謎の男に面食らっていると、城菜さんが私を見て可笑しそうに笑った。
「さっき空亡透からわたしの能力を聞いたでしょ? 『ラプラスの小悪魔』でコロ
ッセオの地面を擬人化させたんだ。彼の名は、そうだね……『灰土拳人』なんてど
うかな」
「……御随意にいたします」
生み出されたコンクリート男は寡黙な様子で頷いた。そして城菜さんが指を鳴ら
すと、その視線は三途璃さんの方へ向いた。三途璃さんは新たな標的に、軽く舌を
鳴らしていた。
「おかしなものを生み出したのね……それで私を倒せるとでも?」
「さあ、どうかな……行け」
城菜さんの合図とともに、灰土拳人が三途璃さんへ向かって突進していった。そ
の手にはいつのまにか、大柄の斧が握られていた。その身体と同じく、コンクリー
トのような色をしている。
「擬人化したものには、魔神の能力に似た力が宿るんだ」
と、城菜さんは解説した。
「あれには武器の具現化能力が備わっているみたいだね。剣闘士をイメージしただ
けあって、勇ましい力だ。それに身体もコンクリートみたいに堅いから、結構強い
闘士になるはずだよ」
「で、でも、魔神に敵うとは到底……」
私に疑問に答えるように、三途璃さんと接触したコンクリート男は瞬く間にその
身体に激しい蹴りを入れられ、宙に浮いた。彼はそのまま空中で火だるまになって
空気に溶け、消えていった。
「一対一じゃ無理なようだね。だったら数で攻めてみようか」
城菜さんはどこかこの状況を楽しんでいるように見えた。彼女の足元のコンクリ
ートから、さっきと同じ姿の男が大量に湧き出してきた。まるで蜂の巣をつついた
かのように、何百何千という男達が飛び出し、三途璃さんに一斉に襲い掛かった。
あれよあれよと灰色に囲まれた三途璃さんは、その肉壁に圧され……
「暑苦しいっ!!」
真っ当な文句とともに爆裂した。
まるで地雷でも埋めてあったかのように、三途璃さんを中心に爆発が起きた。数
千ものコンクリート男は一人残らず炎上し、何事も無かったかのようにコロッセオ
内部は静かになった。
「……」
城菜さんは驚かない。私も意外だとは思わなかった。相手は魔神なのだ。世界を
滅ぼすほどの相手に、数で何とか出来るわけがない。
「でもまあ、一対一よりは上手くいきそうだね。安心しなよ、本命は次だから」
城菜さんは私にそう言い聞かせるとともに、腕を振るった。するとその動線から
見覚えのある恰好の少女が生まれた。空間から現れた白装束……『空亡透』だ。
「この子の能力は触れた空間を歪ませる事。さっきは出口に使われちゃったけど、
本来この子が歪ませた先の空間にいる必要はない。三途璃ちゃんには悪いけど、異
空間で頭が冷えるまで大人しくしてもらおう」
城菜さんはそうして何体も『空亡透』を生み出して、同じように三途璃さんに向
かわせた。
前に照が言っていたけれど、三途璃さんは空間移動の力を持っていない。異空間
に放り出されたら最後、自力での脱出は出来ないはずだ。城菜さんがそれを知って
いたかどうかは分からないけど、それは極めて有効な手段だ。
たくさんの『空亡透』に囲まれた三途璃さんは、あっさりその身体に触れた。
空間が歪み、異空間が現れた。
三途璃さんの身体が呑み込まれる。
「小賢しいっ!!」
現れた異空間の入口を、三途璃さんが蹴飛ばした。
「……ん?」
目の前で起きた事が信じられず、私は城菜さんと顔を見合わせ、目を擦った。
異空間の穴が明後日の方向に飛んでいったかと思うと、炎上した。そしてさなが
ら普通の物体みたいにあっさりと塵になって消えた。
「……おかしいなあ。わたしの常識だと、空間の入口は蹴飛ばせないし燃えないは
ずなんだけど」
「……人間からすると、城菜さんが常識を説くのもどうかと思いますけど」
「ははは……ぐうの音も出ないね」
笑いながらも、城菜さんは眼前の強敵から目を逸らさない。さすがにこの状況を
すぐに打開する方法が思いつかないのだろう。あるいは、私の前で三つ目の能力を
使う事を検討しているのかもしれない。『ラプラスの小悪魔』でさえ、この段階ま
で明かしてこなかった彼女の事だ……あり得る。
三途璃さんはあっさり『空亡透』を全員振り払い、またこっちを見つめていた。
城菜さんは三途璃さんを見つめながら、横目で私を流し見した。
そして不意に肩を竦めた。
「やっぱりここは、夢路ちゃんに頑張ってもらおうかな」
「へ?」
三途璃さんが近づいてくる。再び戦闘が起こるほんの刹那の間に、城菜さんが私
に触れた。
「『ラプラスの小悪魔』……さあ、任せたよ」
一体何をどう任されたというのだろう。
私の意識は一瞬にして混濁した。
気を失ったのとは明確に違う混濁だ。
目覚めたままで夢を見ているようで、しかも酩酊している感じ。
白昼夢とかそういう素敵な感じじゃない。単にものすごく眠いみたいな、そんな
気分。視界がぼやけてふやけて破裂して、幾重にも重なり合っている。
私は一体誰だっけ。
重苦しい頭の中に、言葉が入り込んできた。
きみの事は『不破夢路』と名付けよう。
私はその言葉に従い、新たに生まれた自分自身をそう定義づけた。




