04
空々忍は睡眠を楽しむような性格じゃない。
当人がそう申告したのを聞いたわけじゃないが、確信を持って言える。魔神を二
種類……すなわち睡眠を楽しめる方か否かに分類した場合、彼女は間違いなく後者
に属する性格なのだ。
睡眠とは、三大欲求を満たすための最も原始的な行為の一つであり、あまねく全
ての生物が平等に享受できる最大の幸福だとおれは思っている。だからこそ魔神に
なった今も変わらず眠る事が大好きだし、暇さえあれば寝ていたい。
だから、おれはすぐに直感した。
空々忍とは相容れない……と。
「はい、むーちゃんさん。あなたの大好きな忍さんですよ。夢の中でまで会う事に
なるなんて、あなたは本当に文字通り寝ても覚めても私の事ばかり考えているんで
すねえ。我ながら照れますよ……うふふ」
空々はいけしゃあしゃあとそう言って、微笑を浮かべながら口元を隠していた。
なるほど容姿は端正だ。モデルのようなすらりとした長身は女子としてはかなり
のもので、男子として比較的小柄なおれとほとんど変わらない。耳の辺りで大胆に
外ハネした紫色の髪は鮮やかで、幻想的ですらある。顔立ちも整っていて、男子と
してその柔らかな口元に惹かれないと言えば嘘になる。
だがそんな魅力の全てを掻き消すようにして、白々しい笑みを貼り付けている。
仮面のように無機質で、彫刻のように冷徹で、奈落のように深淵なその表情は、見
る者が見れば恐怖を覚えるに違いない。
現に人間であるおれの友人……ゆめこと不破夢路は空々の登場に怯えたように肩
を震わせていた。
「し、忍さん……どうしてここに? だって、あの、ここには丁度さっき眠った人
が一人だけ来る事になってまして……」
「ほほう。であれば私が偶然その一人だったという事ですね」
「……もしかして、私の事監視してました?」
「相変わらず自意識過剰ですねえ。運命を信じましょうよ。あなたも良いお年頃な
のですから、もう少し風情を持ったらいかがですか?」
「……」
ゆめは何か言いたげに眉を顰めていたが、結局黙り込んでしまった。相手への畏
怖を持ったまま、呆れたように頬を膨らませる彼女の心中は、推し量るには複雑す
ぎるように見えた。
その容姿は控えめに言って、傾城傾国と呼ぶに相応しい。白魚のように細い手足
と虚弱で青白い肌が、奇跡的なほどのバランス感覚で造形美を生み出し、見る者に
溢れんばかりの庇護欲を与え、その代償に目を奪われる。流水のように淀みなくま
っすぐに伸びた黒髪を後頭部で縛ったポニーテールはその身体が恐怖や戦慄で震え
るたびにたなびいて、世界に強烈な色香を振り撒く。
オフの日の普段着なのか、夏らしい真っ白なワンピースを着ている。ややオーバ
ーサイズなせいか、女子としても背が低い彼女の小柄さが強調されているようだ。
その反面、ルーズな服の上からでも目に付くほどに主張が激しい胸のラインが扇情
的で、対面していると心が乱れてしまう。
何より、その顔。どこか投げやりで諦観を含んだアンニュイな目に、火照ったよ
うに赤くなったり、そうかと思えば分かりやすく血の気が引いた青を演出する正直
で可愛らしい頬。そして普段は自己主張に乏しく控えめなのに、時折卑しいくらい
に欲深な笑みを浮かべる蠱惑的な唇。全てが完璧で美しい。
だからこそ、ゆめは他人に好かれやすい。現に今も、空々が彼女の手を自然な調
子で掴み、今にも引き寄せようとしていた。
「夢とはいえ、せっかく運命的に巡り合えたのです。むーちゃんさん、これから遊
びに行きませんか? 今日こそルーヴルに行きましょう。夢なんかよりずっと楽し
い芸術を眺めて悦に浸りましょうよ」
「え、いや、あの……」
「断りませんよね?」
「……」
空々の問いかけに、ゆめはふいと目を逸らし……首肯した。
いやいやいや、待て待て待て!
どうしてそこで頷くんだよ。さっきおれと一緒に国造りするって言っただろ!
まったくもう……どうしてゆめはそう、引っ込み思案なのかね。世話が焼ける。
「……おい、勝手にゆめを連れていくな」
ゆめを連れ、早々に立ち去ろうとする空々に対し、おれは努めて冷静に声を掛け
た。その甲斐あってか、彼女は一瞬の間を開けておれを振り返る。
「……おや、あなたは確か終日さん。いたんですか」
「……なんだその呆け方は。きみ、おれに喧嘩を売ってるのか?」
「いえいえ、これでも人見知りする方でしてね。挨拶の言葉を知らないのですよ」
「……そうか」
どうやらまともに話して、まともな受け答えを期待するのは間違いらしい。明ら
かに嘘で誤魔化しているその態度を鼻で笑って受け流し、おれはゆめの空いている
腕に軽く触れ、そのまま力を入れずに掴んだ。ゆめが不安げに俺を見上げる。空々
は笑みを絶やさないまま、僅かに不快そうに俺を見据えていた。
「どうしました、終日さん。むーちゃんさんに何か用でも?」
「……悪いが、先約があるんだ。彼女はおれ達と一緒に活動する予定だ」
「……ほほう」
空々はいかにも大仰にそう言って、おれとその隣でぼんやりと成り行きを見守っ
ているもう一人の友人……大道正義を交互に見つめた。そして何を思ったのか、演
技っぽく噴き出して、意地悪そうにゆめを見下ろした。
「ふぅん、なるほどですねえ。むーちゃんさんはまたぞろお得意の八方美人を発揮
しているわけですね。しかも今度は男子を二人も侍らせて……あなた、ファム・フ
ァタールにでもなるつもりですか?」
「ひ、人聞きの悪い事を言わないでください……」
困り果てた様子のゆめが苦虫を噛み潰したような顔で「偶然です」と呟く。
空々の指摘は対外的に見て正しいかもしれないが……ゆめはもとよりおれとして
も業腹極まりない。確かに多少の下心は認めるが……だからってゆめをそんな風に
言われては面白くない。空々め……嫌な奴だ。
なるほどなどと言いながらも、空々はゆめの腕を離そうとしない。どうしてくれ
ようかと迷っていると、状況が分かっているのかいないのか、正義が口を挟む。
「いやいや、空々さん。勘違いしないでくれよ。俺達はただ、理想の夢の国を造ろ
うとしてるだけで、きみが思うような邪な考えは全然無いぜ」
「理想の夢の国……?」
「そうそう。きみも協力してくれないか? 元々そのつもりで呼んだんだし、意見
は大いに越した事はない。なあ寝太郎、いいだろう?」
「……そうだな」
正義の意見はもっともだ。意見を述べる人間は多い方がいい。
しかし、空々と相容れないと直感しているおれは、彼女がその提案を呑むわけが
無いと思っていた。
そして案の定、正義から事の経緯を聞いた彼女はかぶりを振った。
「残念ですが、遠慮しますね」
「え、なんで? 空々さん、クリエイティブな活動は嫌いか?」
「ええ、嫌いです」
遠慮も臆面も無く、さりとて機嫌を損ねた様子も無しに、彼女ははっきりとそう
言った。
「造る楽しさは理解できませんねえ。第一作ったところで、私達には何の得も無い
じゃないですか。時間と労力だけ掛かって、得られるものは何も無い。そんな事を
するよりも、既存の芸術を眺めた方がためになる気がしませんか?」
「うーん……」
空々の主張に、正義は難しそうに腕を組んで首を捻っていた。
「まあ誰にでも向き不向きってのがあるからなあ。強要はしないさ。でも夢の国で
はどんな欲望も叶えられるんだぜ。不破さんともここで遊んで行ったらどうだ?」
「……どんな欲望も?」
「ああ。空々さんはどんな願いがあるんだ?」
「……」
何を思ったのか、空々はこっちを見た。夢を司るのがおれの能力である事を把握
しているのだろうか。おれのこの能力は正義とゆめの他は、白瀬くらいしか知らな
いはずなのだが……
そもそもこいつ、ここにいる事自体が意味不明なんだよな……不気味な奴だ。
やがて空々はこれ見よがしに大きく溜め息を零した。
その切れ間に、ほんの小さくぼそりと呟く。
「……羨ましい」
「え?」
不意に、空々がゆめの腕を離した。
その手が開かれたかと思うと、次の瞬間には銀色の日本刀を握り締めていた。そ
の切っ先ははるか地平線よりも遠く、とても見通せない。刀というよりも、光線を
撃ち出したという表現の方が正しいかもしれない。
その光は、眼下の城下町を割った。
「ひっ……!」
突然傍で振り下ろされた刀の軌道に、ゆめが目を見開いて怯えた。大道は突然す
ぎたためか、アホみたいに呆けている。
おれはもちろん、空々に非難を向けた。
「……おい。おれの造った街を壊すな」
「おやおや、実に狭量ですねえ。望めば叶うのでしょう? 壊れたら直せばいいじ
ゃありませんか」
「……そういう問題じゃない。きみ、やっぱりおれに喧嘩売ってるだろう」
「……先に売ってきたのはそちらですよ」
「あん?」
意味深長な空々の言葉は、しかしおれに向けられない。代わりに彼女はゆめを振
り返り、耳打ちするように何かを呟く。
夢の中の世界ゆえに、その言葉は『深淵の大帝』が確かに聞いていた。
「……夢ってどうすれば見られるんでしょうねえ」
意味が分からなかった。ここが夢の中だと、彼女だって分かっているだろうに。
言われたゆめもまた、不思議そうに首を傾げていた。
そんな俺達を置き去りに、空々がさも当然の権利のようにもう一度刀を振った。
「その喧嘩、買って差し上げましょう。くだらない夢など、見ない方がましです」
「……どうしてそうなる?」
「強いて言うなら、八つ当たりですかね」
「……」
本当に意味が分からない。
だがこのまま空々を野放しにしていると、せっかく造った街が壊されてしまう。
もう一度造り直すのだって簡単じゃないし、そもそもこんな意味不明な奴のために
そんな労力を割くのはごめんだ。
「いい加減にしろ! 刀を振るな!」
好き勝手に街を壊す空々の手を止めようと一歩足を前に踏み出す。
その進行を、刀が咎めた。ご丁寧に刀身を縮め、俺の喉元に刀の切っ先を突きつ
け、挑発するように空々が笑う。
くそ……なんだってんだよ。
「……やる気か?」
「御随意に」
「……どうやら、バイオレンスしかなさそうだな」
どうやら空々は、よほどおれと戦いたいらしい。
よりにもよって夢の中で。
ここは完全におれのテリトリーだ。勝てると思っているのか?
舐められたものだ。
傍には気の置けない友人と、夢のように愛しい少女が一人。退けるわけもない。
「ま、待って下さいっ!!」
一触即発な空気の中、ゆめが遠慮がちに手を挙げながらも、しっかりと静止の声
を上げた。その視線は……空々に向いている。
「どうしました、むーちゃんさん。あなたも参戦しますか?」
「と、とてつもない冗談ですね……え、えっと、その、ここは一つ穏便に事を済ま
せられませんか?」
「嫌ですよ、だって私、傷ついたんですよ? このままでは沽券に関わりますし」
「で、でも、終日さんには悪気はないようですし……」
「だから許せと?」
「え、えと、あの、私が代わりに謝りますので……」
「それでは何の足しにもなりませんねえ。それに……」
「それに?」
「あちらさんも、このまま退く気は無いようですし」
「え?」
空々とゆめがこっちを見た。
おれは今、どういう顔をしているのだろう。何故だか無性に苛立っていた。
「ゆめ……ゆっくりこっちに来い」
「え? で、でも……」
「いいから」
「は、はあ……」
おれの要求通りに、ゆめがこっちに向かう。
しかしその足が一歩前に出た途端、空々が口を開いた。
「むーちゃんさん、私の傍にいてくださいな」
「うえっ!?」
ゆめが青ざめた顔になって振り返った。
空々の無表情を見据え、おれに視線を戻す。そしてどうすればいいか分からなく
なった様子で、その場に固まってしまった。
ゆめを困らせる気は無い。
だが、空々にゆめを渡すつもりは毛頭無い。
夢の国に加えて、ゆめまで手渡す義理はどこにもない。
これは非常につまらない意地かもしれない。
たとえここで空々を下したとしても、ゆめの心が手に入るわけではない。
逆にここで負けたとしても、ゆめの心はそう簡単に離れはすまい。
だがゆめを餌に、空々が挑発している。戦う理由としては、その程度で十分だ。
「あー……よく分からんけど、戦うつもりなら俺は寝太郎に肩入れするぜ」
どこまで状況を理解しているのかは分からないが、正義が手を挙げ、俺の隣に立
った。夢の国の建設はそもそも正義の発案だし、一時的にとはいえ壊される事に思
うところがあるのだろう。
「二対一だぜ、空々さん。いや、不破さんを入れたら三対一かな。どうだい、まだ
やる気か?」
「ほほう、三対一! むーちゃんさんはあっちのお仲間ですかあ?」
わざとらしく大きな声でそう言って、空々がゆめを威嚇していた。あの女……そ
んな事して、ゆめが肯定できるわけないと知っているくせに。
「あ、あの、でも忍さん、私も夢の国の建設は賛成ですし……」
「私を一人にしたら、悲しみのあまり何をしでかすか分かりませんよ?」
「そ、その言い方はいささか卑怯では……?」
ゆめが肯定も否定もしないまま、空々がその肩を抱き、無理矢理仲間に引き入れ
てしまった。
こうして夢の国において、二対二の戦いが幕を開けた。
だが実際のところ、ゆめは戦力になり得ない。
実質二対一なのは変わらない。というかゆめはこの国を滅ぼしたくないだろうか
ら、消極的に空々の足を引っ張るに違いない。
どう言い繕っても、三対一の構図は揺るがない。
負けるはずがない。
絶対的な自信とともに、おれは拳を握り締めた。




