02
ふと気が付いた時、状況が全く呑み込めないという現象にも慣れてきた。
誘拐や監禁なんて序の口で、合体して意識を取り込まれたり、感情を勝手に弄ら
れたり、デスゲームさせられたり、異空間に放り込まれたり……思えば無駄に場数
を踏んだものだ。人生において、これほど無意味な経験もそうあるまい。というか
普通の人生では一度として体験しない事だらけだし。
そして、慣れたところで何の足しにもならない。
そこは、小さなテントのような空間だった。
直径五メートル程度の円形の足元から、円錐を形作るように壁がある。床も壁も
石のように堅牢で、踏んでも叩いてもびくともしない。床と壁以外には何も存在せ
ず、明かりさえも見当たらない。それでいて周囲がぼんやりと紫色なのが分かる。
一定の光度が保たれており、呼吸や生存活動に一切の不便を感じない。
なんだここ……簡易的なピラミッドかな? それでいくと、私は死んだのだろう
か。でもピラミッドが墓だっていうのも俗説なんだっけ。よく分からない。
思考は明瞭に働く。むしろ普段よりも調子がいいくらいだ。まるで頭蓋骨を丸ご
と取り払ったかのように頭が軽い。身体もまた、重さを失ったかのようだ。
オーバーヒートしそうなほどに回転する頭が、ここに来る前の出来事を刻む。
そうか、私は眠らされたんだっけ。という事は、あの後どこかに連れ去られた?
いや、それならこの妙なコンディションに説明がつかない。
もっと簡単に考えよう。ここは多分、夢の中なのだ。
それに気づくまでに、たっぷり時間を要した。やっぱり経験なんて無意味だ。
「さて……」
終日寝太郎の能力『夢枕<うつつ>』は、眠りの質や時間をダイヤル式の操作で
自由に決められたはず。その項目の中に夢を見るか否かの文言もあったっけ。
つまり、この状況は終日さんに仕組まれた事だ。でもこんなところに閉じ込めた
りして、私に一体何を期待しているのだろう。
その疑問が解消されるよりも先に、突然状況が一変した。
紫色の円錐が突然解けたのだ。
円錐の頂点がぱらりと剥がれ、岩のように堅牢だった壁が折り紙のように外れ、
消えた。必然、私の視界の全景がクリアになる。
現れたパノラマには、たくさんの人がいた。
「うえっ!?」
思わず恐怖と驚愕の声を上げた。だって私の周りを取り囲む大量の人間達は皆、
こっちを向いているのだから。しかも何やら狂ったような歓声を上げ、異様な熱気
を伴って騒ぎ立てている。怒りや嘆きではなく、喜色一面のようだけど……意味が
分からなすぎて怖い。なんなの!? なんなの!?
老若男女様々な人達がいるけれど、恰好は皆同じだ。赤と青のツートンカラーの
服を着ていて、まるでピエロだ。誰も彼もが仮面を被ったように笑みを貼り付けて
いて、不気味極まりない。いつまで経っても鳴りやまない歓声を上げたまま、彼ら
の中の一人が叫んだ。
「よーし! このまま胴上げだーっ!」
その言葉とともに、周りを取り囲んでいた集団が一斉に私に飛び掛かってきた。
「ひっ!?」
突然の事に、懐に忍ばせた小刀を振るう暇も無かった。あっという間に謎の集団
に囲まれた私は、文字通り持ち上げられてしまった。持ち上げられたまま人々の頭
上で転がされ、これまた文字通り人の波に流され……気が付くと私はどこからとも
なく現れたド派手な神輿の上にいた。民衆と同じく赤と青のリボンや電球で装飾さ
れたその乗り物は、足元から暑苦しく楽しげな気合の声とともに、どこかへ向かい
始めた。
神輿の上からは、ヨーロッパ風の街並みが見えた。石畳の床と煉瓦の家々、街中
を流れる穏やかな河川。狂ったような歓声で沸き立った人々で埋め尽くされた道の
先には……絵に描いたようなお城が建っていた。
私は今、お城に向かって運ばれている?
なんで? 意味が分からない。状況が謎すぎて、脳が理解を拒んでいた。
そのまま神輿がお城まで辿り着くまでの間、私はひたすらへたり込んでいた。
やがてお城の中に運ばれ、そのまま階段を上り、巨大な建造物を昇っていく。最
上階は見晴らしの良い吹き抜けで、城下町が一望出来た。ようやくそこで神輿を降
ろされ、私は解放された。さっきまでの耳障りな歓声が嘘みたいに無表情になった
人々は、神輿を降ろすとともにお城の外へと掃けていった。
神輿を脱出し、正面を臨む。いい具合に街を見下ろせる位置に、大仰な玉座が二
台、一定の距離を開けて並んでいた。
その上に、魔神が一体ずつ座っている。
大道正義。そして終日寝太郎。
二体とも興味深そうに私を見つめ、愉快そうに笑っていた。
「どうだ、おれ達のもてなしは楽しんでもらえたか?」
「も、もてなし……ですか」
思わず間抜けな調子で問い返してしまった。今の一連の珍事は、彼らなりのもて
なし、だと……?
「え、ええと、あの……そもそもいまいち状況が理解出来ないのですが」
「なんだよ不破さん、えらくつまんねえ反応だな。肩透かしだぜ」
私の態度を見た大道さんが鼻白んだ様子で眉を顰めた。あ、機嫌を損ねた……?
慌てて取り繕おうとしたけれど、その前に隣の終日さんが口を挟んだ。
「多めに見ようぜ正義。ゆめは今、戸惑ってるみたいだ。おれ達のやり方が強引過
ぎたのかもしれない。改善の余地ありって事だぜ」
「なるほどなあ……寝太郎がそう言うなら、まあいいか」
大道さんはそう言って、さして気にした様子もなしに鼻を鳴らし、下げた眉を元
の高さに戻した。良かった……機嫌を治してくれたみたいだ。
「え、ええと、それで……」
私が二人を見上げると、終日さんが手招きしてきた。
「順番に説明しよう。とりあえずゆめ、こっちに来い」
誘われるままに終日さんの方へ近寄った。すぐ近くまで近寄ると、彼は満足そう
に頷いて、言葉を続けた。
「ここが夢の中なのは理解してるか?」
「は、はい……あの、私を近づけてどうするつもりですか?」
「どうもしない。近くで話がしたかっただけだ」
「ええ……」
無意味に近くなった藍の瞳がじわりと星型の瞬きを帯び、その中に私の姿を閉じ
込めた。その表情に、普段のような眠たそうな様子は見られない。既に夢の中にい
るからだろうか。それでも持ち前ののんびりとした口調は変わらないようで、終日
さんは欠伸をかみ殺したような声で言葉を紡ぐ。
「きみ、おれ達のトラップに引っかかったろ」
「え? と、トラップって、あの……大量の枕ですか?」
「誰か訪ねてくるなら知英か委員長かと思ったが……まさかゆめ、きみが来るとは
想定してなかった。まあ、結果オーライだな。新鮮な反応が見れたしな」
「……」
何が新鮮だ、と心中毒づきたい気持ちでいっぱいだったけど……その感情は一旦
引っ込めよう。まずは、頭の中で諸々を整理しなくては。
この状況はどうした事だろう。私は今、夢の中で終日さんと大道さんに出会い、
話をしている。夢の中の出来事だけど、普通じゃない状況だ。明らかに、目の前の
二体のどちらかの干渉を受けている。でも私の知る限り二体とも、夢の中に干渉す
る能力なんて持っていないはずだ。
どちらかの、三つ目の能力だ。
どちらのという疑問は無く、私は直感的にこれを終日さんのものだと理解してい
た。眠るのが好きな彼らしい力だ。
「あ、あの……差し支えなければですが」
「おれの三つ目の能力か? 悪いがあんまり明け透けにするものじゃない」
「う……」
「けどまあ、どうせここにいる時点である程度想像つくか。特別だぜ」
そう言って終日さんは眠るように目を閉じた。
その彼の身体から、生気のようなものが抜けていった。感覚的な話ではなく、実
際に煙のような白い何かが、彼の背後に立ち上ったのだ。激しい光を放ちながら立
ち上るそれは、瞬く間に人間の姿を形成していく。
やがて現れたのは、神々しいトーガを纏った老人だった。常人の十倍近い巨大な
身の丈に、古強者を思わせる屈強な肉体。顔に刻まれた深い彫りからは、厳しさと
残酷さがありありと見て取れる。能力を使用した終日さんと同じ蒼い瞳は、天空の
ような圧倒的な壮大さを湛えている。
その姿はさながら、神話に登場する最高神のようだった。絶大過ぎる威圧感と極
大さに、身体が芯から凍えているのを自覚する。本能的な畏怖が、私の心身に多大
な負荷を掛けているようだ。
これは……唯野さんの『無窮にして無敵』を見た時と同じだ。本質的に似ている
能力なのだろうか。
身体の震えが抑えきれず、私はその場にへたり込んでしまった。
私の醜態を見た大道さんが苦笑いを浮かべると同時に、目の前の神が消えた。代
わりに目を閉じていた終日さんが起き、立ち上がって私の震える肩に手を置く。
「ごめんな。怯えさせるつもりじゃなかったんだ。おれの『深淵の大帝』は夢を司
るだけの単純な能力だから安心していい」
「……」
恐怖がまだ身体の中に残っている。結局私は半ば介抱されるかたちで終日さんに
玉座を譲られ、十分ほど深呼吸を繰り返す事でようやく口が利けるようになった。
「不破さん、随分神経質なんだな。魔神の能力なんて見慣れてると思ったけど、そ
ういうところが人間ぽいよな」
私の顔を覗き込んで、大道さんがあっけらかんとそんな事を言う。人間ぽいも何
も、こちとら人間である。まったくもって失礼な言い回しだ。
まあ……いいや。みっともない姿を晒してしまったけど、結果的に終日さんの能
力を知る事が出来たし。
「え、えと、つまり……終日さんは『深淵の大帝』の力で、夢の中にいる私に接触
してきたという事ですか?」
「ああ。現実世界にばらまいた『夢枕<うつつ>』をトリガーにしたのさ。それよ
りゆめ、きみはさっきのおれの質問に答えてないぜ」
「し、質問ですか?」
「もう忘れたのか? さっきのおれ達のもてなしを」
「あ、あー……」
あの謎の神輿について、感想を求められているんだっけ。
これ、正直に言っていいやつかな。嘘でも気に入ったって言うべきかな。
でも最初の段階で取り繕うのに失敗したし、今更おべっか使ってもしょうがない
のかな。仕方がない、正直な感想を伝えよう。
「し、正直、心臓に悪かったです。不気味だし、唐突だし……」
「……」
私の言葉に、終日さんの眉がぴくりと動いた。どうやら少なからず彼の機嫌に干
渉したらしい。
対して、大道さんが嬉しそうに指を鳴らした。
「ほら見ろよ寝太郎、俺の言った通りじゃあないか! やっぱいきなりパレードは
ハード過ぎるんだって!」
「……どうかな。ゆめはのんびり屋だからそう思っただけかもしれん」
「そうかあ? 不破さんはこう見えて俊敏だぜ。俺のゲームをクリアしたし、その
中でモンスターからも上手く逃げおおせてるからな」
「……おい、なんだよその話。お前、ゆめをいじめたのか?」
「怒るなよ。きちんとした勝負だぜ」
「へえ……まあ、当人同士で納得してるんならいいけど」
なんだか懐かしい話をされているような気がする。例のデスゲームについてはト
ラウマなので、あんまり掘り下げないでもらいたいんだけど……
「え、ええと、結局どういう話なんですか……?」
おずおずと切り出すと、大道さんが「よく訊いてくれた」と身を乗り出した。
「なあ不破さん、きみは世界幸福度報告って知ってるか?」
「へ? な、なんですか、それ……?」
「国連が発行する、国辺りの国民の幸福度を数値化したものらしいぜ。街頭調査と
かアンケートとかで、所得とか今の満足度とかを総合するんだって。まあ俺もつい
昨日テレビで知ったんだけどさ」
「は、はあ……それで?」
「その番組だと、日本の都道府県別で幸福度を、毎月で数値化してたんだ。すると
びっくりだぜ。ここ数ヶ月で、数値は軒並み駄々下がりなんだ! 総合幸福度は例
年の四分の一以下だとよ! 同じ日本国民として嘆かわしいぜ! 日本は一体いつ
からそんなディストピアになったんだろうなあ?」
「げ、原因ははっきりしていると思うのですが……」
そんなの、どう考えても魔神のせいに決まっている。多くの社会制度が滅び、自
分達もいつ理不尽に殺されるか分からない世界で、幸福に生きられるわけがない。
断言してもいい。魔神が発生して以降、それまで以上に幸福になった人間なんて
ただの一人もいない。魔神とは、掛け値なしのパブリックエネミーなのだ。
しかし元凶の一体である大道さんは、それを自覚しているのかいないのか、いか
にも義憤に駆られた様子で熱弁を振るう。
「テレビを観て、俺は使命感に駆られたぜ。こいつは何とかしないといけないだろ
うってな! だが俺だけじゃあやれる事はたかが知れてる。だからこうして寝太郎
と手を組んだわけだ」
「こうしてって……」
いまいち要領を得ないので、私は終日さんに視線を送った。スターサファイアが
光を帯びて、情熱的に私を見つめる。
「おれに出来るのは、人間を眠らせる事と夢を操る事くらいだ。人間を永遠に眠ら
せてやるのも悪くないが、何しろ大がかりで面倒だからな。だからこうして、夢の
中に楽園を築く事にした」
「楽園……?」
「夢の国さ。争いや恐怖とは無縁で、何でも叶うエデンの園。現実で悲惨な思いを
しているやつらも、せめて夢の中くらい幸せにしてやろうって計らいだ」
そう言って終日さんが指を鳴らすと、何も無い空間から突然大きなテーブルが現
れた。その上には、瑞々しくて美味しそうな林檎が乗っている。大同さんが舌なめ
ずりしながらそれを手に取って齧り、「上手い!!」と叫んでいた。
「きみも食べな。ヨモツヘグイじゃないんだ、食べても悪影響は無い」
終日さんが林檎を二つ取り、そのうち一つを私に投げてよこした。恐る恐る口に
すると……あ、美味しい。すごく甘くて、この世のものとは思えない味だ。
「な? 夢の中だと、最高の甘味も手軽に味わえる。他にも望みはなんだって叶え
られる。いい事だろう?」
「……」
いいか悪いかで言われると、いいに決まっている。
むしろよすぎて信じられない。この二体の魔神は、まさか本気で人間のためのエ
デンを作ろうとしているのだろうか。
「あ、あの、夢の国に来た人間を帰さないとかって考えてます……?」
「いや、別に。勝手に楽しんで勝手に帰ればいい。現実の夢の国と同じだぜ」
「み、見返りとかは……?」
「そんなもんないよ。人間の用意できる対価なんて、自分で勝手に調達できるし」
「え……じゃあ、お二方にメリットは無いんですか?」
「強いて言うなら、国造りってのは意外と楽しいぜ」
「そうそう、ゲーム作るのと同じ感覚だな!」
大道さんが終日さんとハイタッチして、楽し気に笑っていた。
どうやら本当に善意だけでやっているらしい。
思えば以前、大道さんが犯罪者を全滅させた時も、その根源的な動機は社会的な
福祉のためだった。良くも悪くも正義感が強く、フットワークが軽いのだろう。あ
の時は人間の生死が関わっていたから対立せざるを得なかったけど……本質的には
善意が強いのだろうか。
終日さんも、能動的に他人を襲ってはいない。この二体、思ったより安全な個体
だったりするのかな……?
油断はしない。でも、彼らが善行をしているのを、止める理由も無い。
「しかしまあ、男子二人でやりくりするのも限界を感じてたところなんだ。そろそ
ろここいらで、別の視点も欲しかったのさ」
終日さんがふいと目を逸らしながらも、私の方に手を伸ばしてきた。
「どうだ、ゆめ。どうせおれを訪ねて来たんだから、予定は無いだろう? おれ達
の国造りに協力してくれないか?」
その誘いには、ほんの僅かな邪気も感じられない。
二体とも、国造りという大義がある。そこに加わる事で、自然に会話や質問が出
来るかもしれない。そうすれば、私の活動は思った以上に進むはずだ。
上手くすれば、夏休み中は接触が困難だと思っていた大道さんの情報も得られる
かもしれない。ここで活躍すれば、二体に恩を売れるかもしれない。
何より、魔神の恐怖から逃れるためのエデンなんて、素晴らしいじゃないか。
ますます気合が入る。
頑張ろう。私の力で、この夢の国を素晴らしい世界にして、人類を幸福にしてや
ろうじゃないか。




