04
魔神は不死身なので、戦う時はルールが必要だ。
ボクと明智が定めたルールはシンプルで、十秒間首だけの状態になったら負け。
内心ほくそ笑んだ。このルールなら負けるわけがない。
勝負開始とともに、ボクは跳んだ。漁船が豆粒みたいに見える高度で、視界全体
に超カスピ海の剣呑な海面が映り込んだ。
「これで終いだ……『破砕魔法』」
杖を振ると、眼下に高速回転する直径百メートル程度の巨大なドリルが現れた。
ドリルはその先端を明智に向け、空気を切り裂き飛んでいく。生半可な防御ならそ
のまま貫き、漁船ごと粉々にするだろう。ボクのモーターボートも犠牲になるだろ
うが……また作ればいい。
明智はボクを見上げたままだ。やがて巨大ドリルの影に隠れて見えなくなった。
このままで終わるはずがない。案の定、数秒後に巨大ドリルは粉々に爆ぜて消え
ていった。後に残された明智は、小刀を構えたまま無傷でいる。あの小刀の能力だ
ろうか。あるいは別の能力を使ったか……便利な力を持っているものだ。
「今度はこちらの番ですね」
そう言った明智は、両手に持った小刀を振りかぶった。
瞬間、小刀の影がぶれた。否、同じ空間に何百何千と武器を具現化したようだ。
明智の手を離れた小刀の群れは無数の刃となり、こっちに向かって飛んできた。魔
神の肩で投擲されたためか、音よりも速く、空気を唸らせている。ふん、面白い。
「のろまめ、そんな攻撃が当たるか……『飛翔魔法』」
空気を味方につけて、空中で勢いよく方向転換する。たとえ音速を越えた小刀の
雨も、所詮はまっすぐにしか飛ばないのだ。翼を生やしたように身を翻し、難なく
躱す。せっかくだ、このまま突撃してやろう。
勢いのままに投擲を終えたポーズの明智の頭上に降り立ち、無防備な首にドロッ
プキックをかましてやった。うすのろめ、もろに食らったみたいだ。
キックの勢いで漁船が真っ二つに割れ、明智の身体もはるか後方へと飛んでいっ
た。数百メートルほど先で湖面に落ち、大袈裟な水飛沫を上げて消えていった。姿
が見えなくなったが……首はもげなかったから見えても意味が無いな。
やがて明智が湖面から出てきた。足元に岩でできた陸地を作っているようで、水
平線が映える湖面に無粋な異物が出来上がっていた。
「……おい、湖の景観を乱すなよ」
「知った事ではありませんね。それより、自分の足元を気にしてはいかがです?」
「なに?」
突如、足元から岩がせり上がってきた。勢いよく尖塔をかたち作る岩に殴られ、
ボクの身体が宙に跳ねる。くそっ……やられた!
だが身体を欠損するほどではない。『飛翔魔法』の影響で空中でも自由が利くか
ら、宙返りして体勢を整える。あの野郎……
恨みがましくはるか下へ視線を送るが……あれ、明智がいない。
探す必要は無かった。いつのまにか視界の端に二本目の尖塔が立っていて、その
上から明智がこっちに飛翔してくるのが見えた。
反応が遅れた。杖を振ろうとした時には、祈るように組んだ両手を振り上げ、ハ
ンマーを打つようにボクの頭に振り下ろしてくる明智が目の前に迫っていた。
慌てて杖で頭部を守った。しかし明智の力は強く、杖をへし折った上でボクの頭
に強い衝撃を与え、しかもその衝撃で身体は勢いよく下へ飛ばされる。
だが湖面に当たるまでは時間がある。その間に杖を再生させ、『飛翔魔法』で優
雅に湖面に降り立つ程度は朝飯前だ。
顔を上げると、明智もまた尖塔を縮め、湖面近くまで降りていた。なんだその能
力……おかしな力だ。ボクを見つめながら、明智はにやりと侮蔑の笑みを浮かべて
いた。
「どうやら、腕力は私の方が上のようですね」
「……ふん、スピードはボクの方が数段上だ」
「しかし、攻撃が当たりさえすればスピードなど無力ですよ」
「……うるさい」
不意を衝かれなければいいだけだ。集中していればなんとでもなる。
「次行くぞ……『破砕魔法』」
さっきと同じく、ドリルを出す。今度は湖面の際なので、水を切り裂きながらド
リルが派手に飛んでいく。
「おや、先程と同じですか。しかも水の抵抗でご自慢の速度も落ちていますよ」
明智が余裕そうに呟いた。ばかめ、次があるんだよ!
飛翔魔法を継続したボクはドリルを追い越し、明智の背後へ降りた。ドリルの勢
いが削がれているがゆえに、挟み撃ちが可能になったわけだ。
「もう一個食らえ……『破砕魔法』!」
さっきは粉々にされたが、二つならどうだ。
「甘いですよ。私の神器は同時にいくつも使えますので」
その言葉とともに、二つのドリルが粉々になった。前後に小刀を構えた体勢の明
智は、ドリルの残骸の先にいたボクの姿に目を見開いていた。
同時に能力が使えるのは、こっちも同じだ。
「これも破壊出来るかな……『電撃魔法』!」
杖の先端から、鞭のような電撃を取り出した。自由に動く電気鞭は、明智の小刀
に触れる事無くその身体に襲い掛かった。
「ぐっ……」
電撃の鞭に打たれ、明智の身体が硬直した。今だ!
今度こそ至近距離から『破砕魔法』をぶち込めば、容赦無く粉々だ。後はその首
を抱えて十秒数えるだけ……簡単だな。
杖を構え、身じろぎ一つ出来ない明智をターゲットに構え……
「生憎ですが……貴女は未だ私の手のひらの上ですよ」
湖面が揺らいだと思ったその瞬間、無数の小刀がこっちに向かって飛んできた。
「な……なんだと!?」
明智は何もしていない。それなのに、一体どうやった!?
いや、それよりも……全方位を囲まれた。避けられない!
「く……『防壁魔法』!」
ゆめじに施したのと同じ全方位の防壁を張る魔法だ。
だが防壁は小刀の一本に触れた途端、ばらばらに砕けた。
そしてそれは、無数の小刀にさらされたボクの身体もまた同じだった。
全身がばらばらにされた。
体感してようやく理解した。明智の能力は……そういう事だったのか。
「『溶ける魚を解ける刀』……物質の分解は貴女の天敵でしょう。今のように相手
の動きを予測して応用すれば、時限的な罠を作る事だって容易です」
「……」
なるほど。つまりこいつ、ボクが背後に回るところまで読んでいたのか。悔しい
が、頭の回転が速いやつだと褒める他無い。
「さて、貴女はこれで首だけ……というか、全身ばらばらになったのですが……こ
のまま十秒数えれば私の勝ちですよね?」
「……生憎だが、カウントの必要は無い」
明智は身体の痺れが取れて来たらしく、ボクの言葉に首を傾げていた。
その間、ほんの二、三秒といったところだろう。
だがそれだけの時間があれば、ボクがばらばらの身体を再生するには十分だ。
十秒の半分にも満たないカウントさえ取れなかった明智は、ボクをまじまじと見
つめて溜息をついた。
「……素晴らしい。その再生速度、羨ましいものです」
言いながら、明智は気怠そうに自分の首を鳴らした。どうやら最初のドロップキ
ックで多少はダメージを負っているようで、それが回復しきっていないらしい。
「オマエは随分再生が遅そうだ。よくそれで白兵戦を挑んできたな」
「勝てると踏んだものですから。私の読みでは、貴女の実力は魔神の中でもせいぜ
い中堅程度でしょうし」
「……」
この期に及んでこの男……ボクを挑発しているのか?
ふん、乗ってやる。せいぜい後悔するがいい。
「オマエがボクより強いと言うなら、この攻撃を捌いてみろよ……『脈動魔法』」
杖を振るう。
瞬間、世界が揺れた。湖面が激しく波打って、水底の至るところから地響きが聞
こえてくる。湖面から足場を確保していた明智は、その揺れに足を取られかけてい
た。
「これは……貴女、地震を起こしているのですか!?」
「足元を操るのはオマエの専売特許じゃないぞ。さあ、どうする?」
言いながら、ボクは『飛翔魔法』で浮かび上がる。揺れと無縁になった視界の中
で、明智が間抜けなダンスを踊りながら周囲を気にしていた。
「こんな無法をしておきながら、よく私に景観云々を説けたものですね……」
「その軽口、いつまで叩けるか見ててやるよ」
杖を振るって魔法を操作する。地響きはさらに大きくなり、ついには明智の足元
に立つ岩の塔を倒壊させた。
無様に水没する明智。どれ、せっかくだからあいつの真似をしてやるか。
大地を揺るがせ、湖底の岩肌を激しく割る。その破片を明智の方に飛ばすようコ
ントロールしてやると、次々に水面から火山の噴火を思わせる岩の弾丸が飛び出し
て、明智を翻弄する。この程度でダメージを受ける魔神じゃないが、さすがに攻撃
を捌ききれずに困っている。ふふふ、いい気味だ
「明智、気分はどうだ? オマエは今、地球を敵に回しているんだ。空を飛べない
オマエはされるがままだ。このままの状態でボクが攻撃をすれば、オマエはどこま
で耐えられるだろうな。地球でも破壊してみるか? くくく……」
「……あまり派手に暴れると、海竜が死にますよ?」
「……」
どう煽っても、明智は思い通りに激情を見せてこない。水に足を取られ、大地か
ら拒絶されても涼しい顔をしている。
……つまらないやつめ。
あるいはボクの知らない別の能力で応戦してくると思ったが……まあいい。ろく
に抵抗しないなら、それはそれで構わない。この戦いを終わらせるまでだ。
「これで終わりだ……『破砕魔法』」
今度こそ明智の身体を粉々にすべく、ドリルを召喚した。
相変わらず津波のような激しい揺れが起きる海面を、ドリルの回転がさらに掻き
分けて割っていく。もはや足場を作る余地は無い。立ち泳ぎするだけの明智の鈍い
スピードでは、回避もままなるまい。ドリルはそのまま勢いを落とす事無く、明智
がいた場所を噛み砕いて行った。
やがて通り過ぎたドリルを消す。『脈動魔法』も解き、荒れ放題の湖面を元に戻
す。静かになった水面には、明智の姿は無かった。
「……」
念のため水中を見渡したが、やはり明智の姿は無い。傾きつつある夕日が巨大な
鏡のように湖面を照らしているのだから、逃れていたら見つからないはずもない。
多分、粉々になったんだな。
明智の再生速度を考えると、十カウントをするまでもない。元に戻るまで、多分
数時間は要するだろう。ボクの勝ちだ。
……ばかなやつ。初めからボクに傅いていれば、手下の人間も漁船も身体も失う
事は無かっただろうに。
周りを見渡す。もちろん明智の姿はないが、代わりに水上にぷかぷかと浮いてい
るゆめじを囲った防壁があった。さて、ゆめじが起きる前にボートを調達しないと
いけないな。湖底も元に戻さないといけないし……やれやれ。明智のせいでとんだ
手間だ。
あてもなく湖面を漂うゆめじの身体を引き寄せようと、杖を掲げた。
瞬間。
目の前に深緑の瞳が立ちはだかった。
「なっ……」
「お望み通り、反撃させていただきましょう」
突然現れた明智は慇懃にそう言って、ボクにぶつかってきた。あまりに突然で、
思わず防御し損ねた。
明智は人差し指を尖らせ、ボクの額を貫く勢いでぶつかってきた。
だが、衝撃はほとんどない。明智の身体は幽霊のようにボクの身体をすり抜け、
そのまま後方に飛んでいった。
……なんだ、今の衝撃は。あいつ、空気にでもなったのか?
そう思ったけれど、それを確認する事は出来なかった。
振り返るより先に、ボクの視界が真っ暗になったからだ。
「……」
なんだ、と口に出そうとしたが、その声も出ない。杖を持った手の感触も無い。
平衡感覚がおかしくなり、湖面に叩き落とされたのだけは分かったが、身体が水に
浸かった感覚がしない。手も足も動かない。
かろうじて機能する耳だけが、そのからくりを確認していた。
「逆転……ですね」
表情は見えないが、明智が勝ち誇っているのが分かった。
「これは私の能力、『アガスティアの栞』といいます。解説しますと、生物や物体
のパーソナリティーや生い立ちに追記する力です。先刻はこれで私の肉体が気体に
なるよう追記したおかげで貴女の攻撃と目から逃れられたのです。同様に貴女の聴
覚を除いた五感や四肢の動作に麻痺の症状が現れるよう追記し、今に至ります」
「……」
アガスティア、ね。ボクの個人情報を勝手に改ざんしたってわけか。趣味の悪い
能力だ。
「生憎ですが、貴女が何を思っているのか私には伝わりません」
ボクが一体どんな顔をしていたのか、明智は意地の悪そうな声で笑った。
「聴覚を残したのは、十カウントを聞かせるためです。これはそういう勝負ですか
らね」
「……」
「貴女の再生がいかに速くとも、十秒間肉体を刻み続ければ首だけの状態を維持で
きるでしょう。さあ、覚悟はいいですか?」
「…………」
なるほど、ボクはしてやられたというわけだ。
明智からの反撃を考えていなかったわけじゃない。
……その上でこのざまだ。見事に騙された。あいつの方が一枚上手だった。
それは認める。明智を侮った事を、後悔する。今後の糧にしよう。
だが、負けを認めるかどうかは別の話だ。
この状態でも、打つ手はある。
しかしそれをすると、この勝負の前提が壊れてしまう。ボクと明智のどちらも得
をしないし、ゆめじもがっかりするだろう。
ボクだってそんなのは望んでいない。
だが、事がここに至った以上、もう引き下がれるか。
これは意地であり、怒りの賜物であり、見栄でもある。
ここで引き下がったら、もしかするとゆめじはがっかりするだけじゃなく、ボク
に幻滅するかもしれない。こんなサイコ野郎に敗北する弱い魔神だと思われて、信
頼を失うかもしれない。そんなかっこ悪い事、容認出来ない。
ボクはあいつの前では、かっこつけていたい。
だって、それが友達ってやつだろう?
失った感覚を振り絞り、ボクは杖を振るった。
「……時空移動の魔法ですか?」
目が見えないボクの代わりに、明智が目の前で起こった事を口ずさんだ。
「何をするかと思ったら、夢路を転移させたのですか? なるほど、気に入ってい
る人間に負ける姿を見られたくない、と? ふむ、安心しました。貴女のような気
狂いな個体にも、人間らしい感情があるのですね」
明智は見当違いの事を言っていた。
そうじゃない。ボクはゆめじを逃がしたのだ。
ボクの奥の手は、制御が効かないから。
「これは……」
明智が一瞬だけ驚いたような声を上げた。やつの天下はそこまでだった。
すぐに視界がクリアになり、全身がずぶぬれになった嫌な感触が戻ってくる。身
体を起こして立ち上がり、『飛翔魔法』で空中に浮く。
「こういう時、ボクの能力は便利だな……『服飾魔法』」
魔女の恰好に着替えながら、ボクは明智を見下ろした。
明智の身体は既に塵と化し、首だけになっていた。どうやら腕が崩れた段階でや
つの『アガスティアの栞』とやらの効果も消えたらしく、首は実体だ。ボクの五感
や身体の制御も戻ってきている。
「さて、逆転だな。オマエも三つ目の能力を使ったらどうだ? ちょっとは抵抗出
来るかもしれないぞ」
「……いえ、無理ですね。私のそれは、貴女の力には敵いません」
こんな状況でも冷静な様子で、明智は負けを認めた。その心意気だけは、内心で
ちょこっとだけ褒めてやるか。
「じゃあ、勝負はボクの勝ちって事でいいな?」
「ええ……しかし一つ、気になる事があります」
「なんだ?」
「先程からものすごい勢いで、湖の生物の生体反応が失われているような気がする
のですが……」
「オマエ、そんな事に気を配ってるのか? だから負けたんだよ」
「……貴女の仕業ですか?」
「そうだ。ボクの三つ目の能力……『黄衣の王』は無差別攻撃だからな。かろうじ
て範囲をこの湖内に留めたが……みんなまとめて塵になっただろうよ」
「……では海竜も?」
「オマエが悪いんだぞ。ボクを追い詰めるからだ」
「……本末転倒ですね。貴女は本当にどうかしています。そんな貴女の心理までも
を読み解くなどとは、私には荷が勝ち過ぎましたよ」
「……悪かったよ」
明智があまりにも意気消沈しているから、さすがに申し訳なくなってきた。いつ
のまにか怒りも萎んできたし、軽く謝っておいた。
勝負はボクの勝ちだ。しかしこれでは、引き分けどころかどちらも負けたに等し
い結果に終わったわけだしな。
得たのは、ボクの些末なプライドだけ。
たまにはそういうのもありだろう。
「明智、オマエこれからどうする? なんだったら、平地まで送ってやってもいい
けど」
「……勝者が敗者に掛けてよい言葉などありませんよ」
「あっそ。じゃあな、気狂い野郎」
そう言ってボクは、生首と化した明智を置き去りにその場を後にした。
さて、ゆめじにはなんて説明したものかね……




