02
ジュジュさんこと木霊木珠樹は、問題の多い個体だ。
まず沸点が低く、怒りやすい。尊大で他の個体と仲良くしないから魔神同士で衝
突しがちだし、それでなくとも簡単に人間を殺す。
それでいてアクティブだから行動範囲が広く、当然被害範囲も広い。倫理観も他
の個体と比べて殊更低いから、平気な顔で非人道的な行為に手を染める。
人間からすれば、厄介極まりない存在だ。
ただし、私にとって危険かと言われると、案外そうでもない。彼女は同好の士だ
と認めた私の事を気に入っているようで、ペースこそ合わせてくれないものの、私
を攻撃したり脅迫する事はない。同じく奔放で行動範囲が広く、私を振り回しがち
な忍さんと違い、その辺は安心できる。ただし彼女の趣味が趣味なので、別の方向
性で危険な旅程になりがちなので、気を抜く事は出来ない。
とはいえ、今回ばかりはそうでもなさそうだ。
「見ろゆめじ、ここが超カスピ海だ。まるで海だな。日本だと琵琶湖では水平線が
拝めるらしいが、ここはもっとすごい。なにせ一面水平線だからな。人間がいない
から余計なものも浮いてないし、絶景じゃないか」
「……ちょっと複雑ですけど、綺麗ですね」
ジュジュさんの『転移魔法』で連れて来られた超カスピ海とやらは、確かにもの
すごい景色だった。
見渡す限り真っ青な海だ。砂浜から見えるのは水平線を挟んだ空と湖面の青だけ
で、恐ろしく壮大だ。太陽が反射し、力強く輝いている。これが天然のカスピ海で
人間の喧騒もあったらもっと気分が落ち着く光景だったんだろうけど……さすがに
私とジュジュさんしかいないのは心細さを通り越してちょっと不気味だ。
それにしても…………広いなあ。
「……あの、ジュジュさん。こんな広い湖で海竜を探すなんて、ひょっとしてもの
すごく無謀なんじゃ……」
「ん? 何を今更言ってるんだ、そんなの当たり前だろ。いくらボクが不老不死だ
からって、こんな広い湖をあても無く彷徨うほど暇じゃない。そんな事にオマエを
付き合わせるつもりはないから安心しろ」
そう言ってジュジュさんはまた杖を振るった。
「『探知魔法』……今度はもうちょっと詳細な地図を出す」
さっきと同じように、目の前に地図が映し出された。彼女の言葉通り、今度の地
図は円形だ。さっき世界地図で見た、この湖の姿と同じ形をしている。そしてその
中心近くに、淡い光が現れた。
「えと、これはつまり……この湖の中心くらいに海竜がいるって事ですか?」
「おそらくな。鬼が出るか蛇が出るか……楽しみじゃないか」
「ち、ちょっと怖いですけどね」
「弱気な事を言うなよ。何かあったらボクが守ってやる。オマエはボクと一緒に楽
しむ事だけを考えていればいいんだ」
「は、はあ……」
「さあ行くぞ……『転移魔法』」
また杖を振るい、今度は目の前の空間を切り裂くジュジュさん。すると切り裂い
た空間から、落下するような勢いで真っ黒なモーターボートが飛び出してきた。砂
浜に半分埋まりながらも勢いよく着水し、綺麗な水飛沫を上げる船。切り裂かれた
空間は役目を終えたと言わんばかりに元に戻り、したり顔のジュジュさんが喜色の
笑みで私を振り返った。
「かっこいいボートだろう。塗装業者に頼んでわざわざ染めてもらったんだぞ」
「え、えと、ちなみに、その費用とかって……」
「そんなの脅したに決まってるだろ。金の心配なんて無粋だぞ」
「……」
どうして私が悪いみたいな言い方をするんだろう。どう考えてもジュジュさんの
考えが異常なのに。本当にこの個体、倫理観が欠片も無いなあ……
などと私が呆れている間にジュジュさんは船を押して水面に浮かべ、乗り込んで
いた。座席が二つあるボートには庇が付いており、日差しを遮りつつオープンカー
のように開放的なフォルムをしている。座席は広く、シートも高級そうでゆったり
できそうだ。新幹線のように先端が鋭く尖った形状で、いかにも速そうだ。言うだ
けあってかっこいい外観だけど……船?
「え、えっと……まさかジュジュさん、この船で海竜のいる場所に行くつもりなん
ですか?」
「なんだよ。船、怖い? オマエ、水恐怖症なのか?」
「あ、いえ、違くて……あの、せっかく空間移動が出来るなら、そのまま湖の真ん
中に繋げばよかったのでは……?」
「……おいゆめじ。オマエ、ボクとのクルージングが嫌なのか?」
「えっ? い、いや、そんなつもりじゃ……」
「どうせ時間はたっぷりあるんだ。道中を楽しもう。こんな広い湖をボートで走る
機会なんてそうそうないぞ。ほら、乗れよ」
「あ、はい……」
あんまりごねて機嫌を損ねたら大変だ。それに、ゆっくり話をする時間が出来る
のは私としてもありがたい事だ。舞台が広大な湖というのは万一を思うとちょっと
怖いけど……よく考えると魔神を前にしている以上、どこにいたって同じか。
良い方に捉えよう。開き直って、私もジュジュさんと一緒に楽しもうかな。
振り返って手を伸ばすジュジュさんに支えられ、私もボートに乗り込んだ。
座り心地は……すごくいい。ジュジュさんとの距離が思ったよりも近く、思わず
肩が強張るけれど、いずれは緊張も解けるだろう。
「えっと……ちなみにジュジュさん、モーターボート運転出来るんですか?」
「出来ないぞ」
「ええ……」
「する必要が無いからな……ほら、『制御魔法』」
ジュジュさんが再度杖を振るうと、モーターボートはうなりを上げて水面を切り
裂くように走り出した。
『大魔導師の杖』……本当に便利な能力だなあ。空を飛んだり服装を変えたり、
炎や電撃も出せるんだっけ。逆に何が出来ないんだろう。ジュジュさんは魔法っぽ
い事なら大抵出来るって言ってたけど、本当かなあ。
しみじみとそんな事を考えていたけれど、やがては波とともに雄大な湖の景色に
押し流されてしまった。隣に魔神がいる状況でも、感動的な景色に心を動かされる
だけの人間性が、私にはある。だって人間だから、こればっかりは仕方がない。
「お菓子でも摘まむか? 先は長い。楽しもうぜ」
そう言ってジュジュさんは私に、スナック菓子を手渡した。さっきまでは手にし
ていなかったこの嗜好品は、またぞろ魔法で仕入れたのだろうか。口元が寂しかっ
たし、ありがたくいただいておこう。
「……なあ、ゆめじ」
波音とスナック菓子を楽しみながら、ジュジュさんは不意に私に話しかけた。
「オマエ……ボクと一緒にいて楽しいか?」
「え? そ、それはもちろん楽しいです……!」
「……その言葉、信じていいのか?」
「へ?」
「オマエ、時々ものすごく他人に遠慮するよな。で、見え透いたお世辞とかおため
ごかしを恥ずかしげもなく口にする」
「え、ええと……」
「あ、別に責めちゃいない。ボクにはああいう恥知らずな真似は出来ないから、逆
に尊敬してるくらいだし」
「は、恥知らず……」
良くも悪くもプライドの高そうなジュジュさんが選びそうな言葉だ。私だって、
好きで魔神に媚びてるわけじゃないのに……うう、傷つくなあ。
「そんな顔をするな。ボクはオマエのそういう細かいところにいちいち反応すると
ころは嫌いじゃないが、時と場合を考えろ。今は細かいところを気にせず、ボクの
話を聞くべきだろう?」
「は、はあ……」
横暴というかなんというか、いまいち表現が難しいジュジュさんの主張に流され
るまま、私はそのまま彼女の言葉を受け入れた。
「要するに、ボクはオマエの虚飾染みた態度は好きだと言っている。その上で、そ
の態度のせいでオマエという人間が分かり辛いと言ってるわけだ」
「え、ええと……」
「オマエは本当に楽しんでるか? ボクが怖くて付き従ってるわけじゃないな?」
「そ、それは違います! カスピ海の海獣は、私も気になりますし……!」
嘘じゃない。ジュジュさんの誘いはいつも魅力的だ。これで彼女が魔神じゃなけ
れば最高だと思う程度には乗り気だ。もっとも、その点こそが致命的なんだけど。
「……仮に、ボクの誘いが平凡でつまらないものだったら、それでもオマエは喜ん
でボクの傍にいられるか?」
「え?」
「……何でもない。つまらない質問をしたな。許せ」
「え、ええと……」
「そんな事より、楽しい話をしよう。オマエ、古典妖怪と近代妖怪どっちが好き?
ボクはどっちも好きだが、一番気に入ってるのはくねくねって怪異でな……」
「あ、あー、知ってます。直視すると気が狂うってやつですね……怖いですよね」
「魔神としちゃあ気が狂うなんて全然怖くないけど、興味深いよな。くねくねとや
らの正体も、そのうち掴んでやるさ」
そんな事を言いながら、段々とジュジュさんの機嫌が良くなっていく。
好きな事を話している間、それに幸せを感じるタイプなのだろう。私としては、
太鼓を持ちやすい性格だと思う。破天荒に見えて、意外とコントロールがしやすい
個体なのかな? そうだとすると、私にはすごくありがたい事だ。
……計画が進めやすくなる。
「なあゆめじ、オマエは林間学校、どこを希望したんだ? ボクはもちろん海だ。
殊更海底は人類の科学じゃ辿り着けない神秘だし、第一人間が他にいない。煩わし
くなくて、気分も落ち着く。そういや、大道も同じ意見だったな。あの変人、前に
深海魚特集を見たって言ってたっけ。夏休みの過ごし方を決める大事な話なのに、
そんなどうでもいい事に意識を逸らすなんて、あの男とんでもない異常者だよな。
なあゆめじ、オマエもそう思わないか?」
「……大道さんらしいと言えばらしいですけどね」
「なんだよ、変に理解したような口を利くな。オマエ、大道と何かあったのか?」
「ええ……デスゲームをさせられましたよ」
「なんだそりゃ。オマエ、多分だけどそういうの嫌いだろ? オマエが引っ込み思
案なのは知ってるが、嫌だったら嫌って言った方がいいぞ」
「は、はあ……」
私は引っ込み思案じゃないし、魔神相手にろくに意見出来る立場でもない。助言
は嬉しいけど、実践は出来なさそうだ。
「いい天気だな……そろそろ弁当でも食うか」
そう言ってジュジュさんは『大魔導師の杖』を振りかざし、虚無の空間から小さ
なバスケットを取り出してみせた。蓋を開けると、中には芳ばしい香りのサンドイ
ッチが詰まっていた。
「はい、一つはゆめじのだ。遠慮なく食え」
「ど、どうも……」
ジュジュさんにサンドイッチを一つ手渡され、おずおずと受け取る。果たしてお
味は……うん、美味しい。ハムとタマゴとレタスを挟んだサンドイッチは、家庭的
で優しい味がした。外の生地もかりかりに焼いてあって、ほどよく暖かい。私の好
みの触感だ。モーターボートが放つ飛沫を見つめながら、水平線を見つめて食べる
食事は、なかなかに感動的だ。
「あ、あの、ジュジュさん……これは一体、どこから出したんですか? もしかし
て、他の人間がピクニック用に作ったものを取り寄せたとか?」
「人聞きの悪い事を言うな。これは自前だぞ。『料理魔法』……いつでもどこでも
好きな料理を具現化出来るんだ」
そう言ってジュジュさんは杖を振るってみせた。本当にこの神器、何でもありな
んだなあ……
あんまり無理をするつもりは無かったけど、こうなると欲が出てくる。
もしも『大魔導師の杖』が掛け値なしに本当に何でも出来るのなら、魔神との戦
いにおいてこれほど有用なものはあるまい。
さっきの話しぶりからして、ジュジュさんは私をかなり重宝している。自惚れか
もしれないけれど、それなりに好かれている気がする。趣味の事が無くても、私を
求めているような口ぶりだった。
その感情は、利用したい。早速やってみようかな。
「あ、あの、ジュジュさん! その杖……かっこいいですよねっ!」
「ん? どうした急に。オマエもようやく、ボクのセンスに気付いたか」
やや不自然かもしれなかったけれど、幸いジュジュさんは全く気にしていない様
子で、私に杖を見せつけてきた。
「あ、あの……ちょっと触っていいですか?」
「いいとも」
「……ちょっと貸してもらっても?」
「もちろん。ボクはボクで、別に具現化するだけだからな」
そう言って私に杖を手渡した彼女は、あっさりともう一つの杖を手元に作り出し
た。どうやら複数同時に具現化出来るらしい。
「え、えっと……あのジュジュさん。この杖は具現化して、どのくらい形を保って
いられるものなのでしょうか……」
「……こないだ話したろ。ボクが寝たら消える。ついでに魔法の効果もな」
「寝なかったら、いつまでも残るものですか……?」
「多分な。でもそんなの、どうでもいいだろ。消えたらまた出すだけだからな」
「そ、そうですよね……あはは」
「……オマエ、変な奴だよな」
「そ、そんな事ありませんよ! あ、あそこに魚が跳ねてますよ!」
おかしな猜疑心が首をもたげる前に、私は急いで話題を変えた。水面を跳ねる魚
を指して、違和感無い自然な動作を心掛けた。
「そ、そうだ! 私も魔法使って、あの魚を捕まえてみようかな……」
「え?」
「確か電撃を出す魔法がありましたよね……『電撃魔法』!!」
以前ジュジュさんが口にしていたのを思い出しながら、私は杖を魚に向けた。
雷は出なかった。
「へ?」
杖の先端から飛び出したのは、取るに足らない小さな煙が一筋だけ。
その先端が行く末を見つめる余裕も無く、私の視界は歪んでいった。
え? もしかしてこの神器……使っちゃ駄目だった?
遠くなった意識の中で、ジュジュさんが私の名前を呼び掛けているのが聞こえて
きた。でも私にはもはや、口を動かす気力は無い。
どうしてか分からないけれど、私はすごくまずい状態にあるらしい。
そんな危機感さえも、遠く離れて消えていく。
私、この後どうなっちゃうのかな。
仄かな不安とともに、世界が暗転していった。




