01
実のところ、世界が滅ぶまであと何日くらいなのだろうか。
時々思う事だ。
今現在私は奮起して、今まで以上に魔神達と仲良くし、情報と味方を増やそうと
試みているけれど……果たしてその行動は正しいのだろうか。もしかすると、そん
な悠長な事をしている場合じゃないのではないか。破滅へのカウントダウンがあと
僅かだとしたら、もっと他にすべき事があるんじゃないか。
そう思うと、モチベーションが下がる。色んな形の終末を思い浮かべては、心が
どんどん沈んでいく。
けれど結局は考えてもしょうがないという結論に至る。至った後、半ば開き直っ
てちょっとだけ元気になる。
未来の事なんて、人間である私に分かるわけもない。全ては魔神の気分次第なの
だから、相応に頑張るしかないのだ。
世界が滅んだら、その時はその時だ。
「さて……今日はどうしようかな」
朝目を覚まし、自分が正常である事を確認するために独りごちる。もちろん答え
が返ってこない事に安堵して、一日の予定を考える。
昨日は唯野さんと話をしたんだっけ。途中で照が乱入したから曖昧な感じで終わ
ったけど……一応有事の際には味方になってくれるって言ってくれた。それだけで
も大きな収穫だろう。
ただし、唯野さんが本当に頼りになるかはちょっと別の話かもしれない。
もちろん魔神を味方につけたという事実は果てしない僥倖だし、そこに不満を漏
らすのはあまりにも贅沢というものではあるけれど……対魔神を想定した場合、ど
うしても不安が残る。良くも悪くも人間的な彼女は、照や忍さん相手に戦い、順当
に惨敗を喫している。相手が悪かったと言ってしまえばそれまでだけど、もしもの
場合にそんな事は言っていられない。
もっと戦力が必要だ。
極端な話、魔神全員を味方につけるくらいの気概でいかないと、到底勝ちが見え
る戦いではない。そもそも戦いの方法さえまだ定まっていないけれど。
作戦も無い。その展望すら見えない。そのためには、最低条件として魔神達の誰
に何が出来るのか、手を尽くせるだけ尽くして開示させるべきだろう。
幸い、昨日はその方面でも駒を進められた。
照の三つ目の能力……『無貌』。
これで唯野さんに続いて、全ての手札を切った二体目の魔神が現れたわけだ。こ
の調子で全員……とは言わないまでも、半分くらいの個体の手の内を明かしたいも
のだ。
じゃあそのために誰を狙うべきかと考えると、意外と難しい。
連絡が取りやすいのは、学校がある時普段から一緒にいた忍さんや三途璃さんだ
けど、忍さんは下心で近づくと殺されそうだし、三途璃さんは合宿の準備で忙しい
だろう。
ああ、そうだ。合宿もあったっけ。
その辺も考えて動かないと。こっちも準備すべきかなあ。でもいつ始まるか分か
らない行事だし、あんまり急いでも仕方がないよね。とはいえ……
思考がなかなかまとまらず、時間ばかりが過ぎていく。
とりあえず身支度だけ整えよう。その間に、何か思いつくかな。
そう思って顔を洗い、歯を磨き、髪を整え、寝間着から普段着へと変身する。そ
の間、ぼんやりとしたアイデアが浮かんでは消え、結局は水泡に帰した。
そんな駄目な私に、幸か不幸か転機が訪れた。
朝食を食べようかどうかと迷っていた時、玄関からインターホンの音がした。黒
服やノッポを呼んだ覚えは無いから、魔神の誰かが訪ねてきたのだろうか。
恐る恐る玄関に近づき、擦りガラスの向こう側を確認すると……あれ? 誰の影
も見えない。
念のため扉を開けても、やっぱり誰もいない。この街でピンポンダッシュなんて
あり得ないはずなんだけど……なんだったんだ?
扉を閉め、振り返る。
「ばあ」
「わあああああっ!?」
振り返ったすぐ正面に、気配も無く突然何かが現れた。
均整の取れた美しく、どこか幼い顔立ちと、闇のように深い黒に魔法陣のような
紋様を刻んだ瞳。慌てて尻餅をつきそうな私の手を握って引き戻したその手には、
直前まで樫の杖が握られていた。
「じ、ジュジュさん!?」
「随分鈍いな。ゆめじオマエ、早くも夏休みボケか?」
「え? い、いや、なんで背後から現れるんですか!?」
「演出だ。サプライズって言い換えてもいい」
「……」
えーと……いや、思考停止してる場合じゃない。
切り替えよう。落ち着け。単にジュジュさんが訪ねて来ただけだ。それだけなら
何の問題も無い。取り繕え、私。
「な、何の御用でしょう……」
「御用とは御挨拶だな。用が無ければ会いに来ちゃ駄目なのか?」
「え? い、いや、そんな事は……」
「冗談だ。そう構える事は無い。オマエはボクの相棒だ……そうだろう?」
「は、はい……」
上がるぞ、とジュジュさんは靴を脱ぎ、ずかずかと居間へ上がっていった。あま
りの唐突さに呆気に取られそうになるけれど、危ない危ない。お客さんが来たんな
ら、お茶くらい出さないとなあ。
冷蔵庫で冷やしたお茶を丁寧にグラスに注ぎ、外側の水分を拭く。そのままグラ
スを持って居間へ赴くと、ジュジュさんはソファーに身を沈め、すっかりくつろい
でいるようだった。お茶を渡すと、「気が利くな」とだけ言って飲み干してしまっ
た。どうやら長居する気は無いらしい。グラスを私に返すや否や、彼女は私の腕を
掴み、軽く引いた。
「まあ座れよ。話はそれからでも遅くない」
「は、はあ……」
促され、彼女の隣に腰を掛けた。すると彼女は右手で私の肩を抱き寄せ、もう片
方の手を虚空にかざし、樫の杖を取り出した。
「あ……『大魔導師の杖』ですね」
「そうだ、よく覚えてたな。褒めてやる」
「……重要な情報ですし」
「当然だな。さてゆめじ、今から出すものをよく見ろ……『探知魔法』」
振るった杖の先端に付いた宝玉が輝き、その光が私達の眼前に広がっていく。す
るとまるで映画のスクリーンみたいに、大きな画面と化した。
そこに移っているのは……世界地図? 私の知っているそれとはちょっとばかり
違うみたいで、ところどころ形が歪な気がするんだけど……
「そうだ。これは世界地図だ。ただし、今現在の世界の地図だがな」
「……?」
今現在と言われ、ぴんと来るものが無かった。
けれどすぐに思い当たる節を見つけ、首を振る。残念ながら、優雅に指を鳴らす
気になれないのは、彼女の表現に悲劇的な意味があるからだ。
私の知る世界地図は、およそ二ヶ月半前……魔神が現れる以前のものだ。それ以
降、核爆発やらパンデミックやら、ついでに人類同士の不毛な戦争なんかがあって
世界の様相は変わっただろう。この地図は、それを如実に示していた。
日本やヨーロッパ、アメリカの一部なんかはほとんど変わっていない。ただ、西
アジアや南アメリカを代表に、多くの土地が傷つき、場所によっては空洞と化して
いる。北極と南極に至っては、影も形も無い。もはや氷が解ける事で水位が変化す
る事を危惧しなくても良くなったのは、不幸中の幸いだろう。まあそんな事気にし
なきゃいけない頃には、とっくに世界は滅んでいるだろうけど。
「……世界って今、こんな感じなんですね」
「ああ。ボクもこないだ何気なく見てたが、結構変わっててびっくりしただろう」
「……凄惨ですね」
「まあ一部、ボクがやった地域も含まれてるんだが」
「……え」
「それよりここを見てみろよ」
ちょっと無視し難いセンテンスをさらりと口にしたジュジュさんが、世界地図の
一部を指した。西アジアの辺り……ロシアとの境界くらいかな。まるでドリルでも
使ったみたいに丸い穴が空いている。縮尺を考えるとかなりの大きさだ。近くにあ
るインドが丸々中に納まりそう。ぼろぼろになっている地図の中でも、一際巨大な
空洞だ。
「これ……ジュジュさんがやったんですか?」
「いや、違うが? 核爆発で空くような穴じゃないし、うちのクラスの誰かの仕業
だろ。なんでこんな事したのかは知らないが、癇癪でも起こしたんじゃないか?」
「……」
癇癪で世界地図に穴を空けられてはたまったものじゃない。既に放棄されている
土地も少なくないとはいえ、何千万人……下手をすれば何億人もの生命が脅かされ
るところだ。私の監視下でこんな事されたら、発狂しない自信は無い。
「……とんでもない話ですね。でもジュジュさんはどうしてこれを私に?」
「くくく……どうしてだと思う?」
「え……その、なんでしょう。ここで何か、不思議な事があったとか?」
「うむ! ゆめじはボクをよく分かっているな!」
ジュジュさんは嬉しそうに喜びを露わに顔を綻ばせた。邪気の無いその表情をず
っとしていてくれたら……いや、ジュジュさんは笑ったまま人殺しが出来るタイプ
だろうから、どのみち駄目か。
「なんだ、ゆめじ。どういう顔だよそれ」
「え? い、いえ、何でもないです! 変な事なんて考えてません!」
「ふぅん……まあいいけど」
興味無さげにそう言って、ジュジュさんは話を続けた。
「ゆめじはこの穴の部分が元々カスピ海だったって知ってたか?」
「え? ええと、いえ……」
「なんだよ、地理に疎いんだな。そういえばオマエ、テストでも補習食らってたっ
け。大人しいなりして、勉強出来ない方?」
「うっ……」
図星である。勉強なんて出来ようが出来まいが、どうでもいいじゃん……
「くくく……そう落ち込むなよ。オマエは本当に面白いな」
「で、出来ればそこには触れないで貰えると助かります……」
「約束はしないけど、考えておいてやるよ」
ジュジュさんは愉快そうにそう言って、にこにこしながら地図へ視線を戻した。
「とにかくこの位置には世界最大の湖、カスピ海があったんだ。今は周りの陸地が
綺麗に沈んで、もっと大きくなったけどな。さしずめ、超カスピ海ってところか」
「は、はあ……」
「ここに、巨大な海竜が現れたって報告があったらしい」
「へ?」
何を言い出すかと思えば……海竜?
海竜ってなんだろ。フタバスズキリュウみたいなやつかな。それともネッシー?
「ネッシーの方だ。いや、カスピ海に出たからカッシーだな。こないだ人間の通信
施設を襲った時に、そういう情報を手に入れたんだ」
「え? 通信施設を?」
「そこは引っかからなくていい」
いかにもどうでもいい事だと言わんばかりに私の問いを切り捨てて、ジュジュさ
んは楽しそうに続ける。
「元々のカスピ海に海獣の噂は無かった。するとこの爆発に乗じてどこかから流れ
着いてきたか、核爆発の放射能で変質した生物が誕生したか……いずれにせよ、興
味深いじゃないか。まるでゴジラだ」
「な、何かの間違いって可能性はありませんか……?」
「いい反論だが、それは無いな。ボクの『探知魔法』は今、全長十五メートル以上
の生物を検索している」
そう言って彼女が指を鳴らすと、地図上の至るところに淡い光が宿った。その中
には日本や、海の中も含まれているようだけど……
「動物園の蛇が稀にひっかかるかもな。海にはダイオウイカやクジラもいるから、
その辺は仕方がない。だがカスピ海は湖だ。そんなデカい生物がいるわけがない」
「そ、そうですね、確かに……」
「どうだ、ゆめじ。今日は何の予定も無いだろう? ボクと一緒にこの未確認生物
を見に行かないか?」
「……」
これは……渡りに船だ。
ジュジュさんは危険な個体だけど、これまでに何度か二人きりで過ごしている。
人間や建造物への被害こそそれなりに覚悟しないといけないけど、私自身への攻撃
はしてこない。
どころか今回の海獣探しなら、人間に危害が及ぶ可能性さえそうそう無いと考え
てよさそうだ。
だったらいつもより気が楽だ。私自身、未確認生物とやらは気になるし、彼女の
趣味に付き合うのもやぶさかではない。
何より、そのくらいの気楽さなら話もしやすい。
この状況に乗じて、ジュジュさんの三つ目の能力を聞いておきたい。
それが駄目でも、『大魔導師の杖』の使用確認や有事の際の協力を仰ぐ等、やり
たい事はたくさんある。
やれるかどうかは別だけど……それもその場の流れ次第だ。
頑張ろう。
私はジュジュさんの手を取った。
ジュジュさんの綺麗な瞳が、嬉しそうに輝いた。
私の手を握る力に優しさが含まれる。
多分……大丈夫だよね。私、結構信頼されてるはず……だよね?




