02
無味乾燥な夏だった。
小綺麗な部屋の中で何の感慨も無く目覚め、日差しが差し込む窓を見上げる。夏
の暑さも太陽の眩しさも感じない。心地良い感覚には慣れきったもので、今やあの
気怠さや気持ち悪さが懐かしいくらいだ。
良く言えば快適だけど、悪く言えば平坦な日々。そこに退屈さを感じてしまうの
は、贅沢というものだろうか。
こんな事をつらつらと考えていても何の得も無い。でもこんな事でも真剣に考え
ていないと、あまりの虚無さに頭がどうにかなってしまいそうだった。
この終わりの見えない日々は、一体いつまで続くのだろう。
これから先、世界は一体どうなるのだろう。
いつまで経っても状況は安定しないし、環境に慣れる事は無い。他の皆はとっく
にこの変化に折り合いを付けているみたいなのに、私だけがずるずると流れ流され
流れ着いた先で、また流され続けているような気がする。
私が異常なのかなあ……でも他の皆は異常に見えるから、私が正常なはずなんだ
けどなあ。でもでも他の皆が正常で、私だけが異常って事もあるよね。どっちが正
解なんだろう。どっちが正解か分かったところで、意味あるかな……?
取り留めの無い思考を巡らせながら、今日も一日が過ぎていく……
そのはずだった。
平坦で無意味な日常に、今日だけは強烈な意味がもたらされた。
終わりの見えない日々に一筋差した強烈な光に、目を潰されないわけがない。
あれ? あの子に私の連絡先教えたっけ? そういえば教えたような気がしない
でもない。でも連絡が来たって事は、教えたって事だよね??
期待と歓喜に胸が高鳴る。
動いてなくても何の影響も無いはずの心臓が悲鳴を上げているのを感じる。
嬉しいな。あの子は私を忘れていなかった。
いや、実際のところどうかは分からない。あの子はあれで打算的で卑しんぼだか
ら、またなにか計算ずくで私に接触しようとしているのかもしれない。
だけどそれでもやっぱり嬉しい。あれ以来ちゃんと話が出来なかったから、てっ
きり見放されたのだと思っていたから、どうあれもう一度会えるのは嬉しい。
……私ってちょろいかなあ? 何となく自覚あるけど、やっぱりそうなのかな。
でもちょろくたっていいや。この胸の高鳴りにまで虚勢を張ってもしょうがない
もんね。
服、どうしよっかな。いつもと同じじゃ駄目だよね。あの子、ものすごく人目を
惹くだろうから、並んで歩くためには地味な恰好じゃよくない。小林幸子みたいな
ド派手な衣装を着込むくらいで丁度良いよね。でもあんまり気合入れて行って、引
かれても嫌だしなあ……
鏡の前で悩む事、たっぷり小一時間。結局普段とほとんど変わらない服装で家を
出た私は、ダッシュで待ち合わせ場所へ向かった。五月以降この身体は本当に軽く
て、軽く走っただけでも車よりも速度が出る。結局早く家を出過ぎたから、相手を
待つ事になってしまう。全く機能していない形だけの駅前で数分間、永遠にも感じ
られる長い時間を感じた。でも実際には、彼女は時間ぴったりに姿を見せた。
一目見て、現実感を失うほどに綺麗な少女だ。
すごく小柄で、同年代女子の平均身長から一ミリたりとも外れない私と比べて十
五センチ近く低い。手足も握れば折れてしまいそうなほどに細く、病的なほどに青
白い。白魚のようだと表現するのが最も適当だと思われる肌はきめ細かく、彫刻の
ように美麗だ。それでいて体格はものすごく女性的で、出るところは出ている印象
だ。ハイライトの薄い瞳は弱々しく、それでいて一度囚われるとなかなか視線を離
してくれない不思議な引力がある。顔立ちは芸術的なほどに整っていて、確かに白
瀬さんからモデルを依頼されるだけの事はある。後頭部で束ねたポニーテールは揺
れるたび、蠱惑的な雰囲気を周りに振り撒いている。
あまりにも虚弱で、恐ろしく綺麗な女の子。その姿を見ているだけで、女の私で
も胸のときめきを抑えられない。
彼女の名前は不破夢路。私のクラスメイトにして、友達だ。
会うのは数日ぶりだけれど、会話をするのは二週間くらいぶりだろうか。
緊張する。規格外に魅力的なその姿に、頬が上気するのを止められない。
恋愛感情があるわけじゃない。少なくとも私自身はそう認識している。どこまで
魅力的であったとしても、彼女はあくまで友達だ。仲良くしたいと思うのは、あく
まで友愛の精神に他ならない。
そう思っていても尚、動悸は止まらない。それほどまでに、彼女は魅力に溢れて
いた。
「え、えと、唯野さん、もう来ていたんですね……遅れてごめんなさい」
「え? いや、全然! 不破さんは時間ぴったりだよ! 私が早く着きすぎただけ
で……」
「あ、いえ、本来なら呼び出した私の方が早く着いておくべきで……すみません」
不破さんは本当に掛け値なしに申し訳なさそうにおずおずと頭を下げた。まるで
小動物みたいな臆病さに、思わず吹き出しそうになる。それを何とか抑えて「まあ
まあ」と何の気なさげな調子を保った私を、誰か褒めて欲しい。
不破さんのこういうところ、本当に可愛いんだよなあ……
気を抜くとくらくらしちゃいそうなほど健気で可愛らしいその態度は、犬や猫み
たいであり、同時にそれらには感じないはずの愛おしさも覚えてしまう。本当にこ
の子、人の心を掻き乱してくれるなあ……まだ会ってほんの数秒なのに、早くも心
を丸ごと奪われそうになる。分かってやっているのだとしたら、とんでもない小悪
魔だよね……末恐ろしいなあ、もう。
「え、えーと……今日は誘ってくれてありがとう。あの、それでこれからどうする
の……?」
「あ、そ、そうですね」
不破さんは必死そうに背筋を伸ばし、私を上目遣いに見上げた。だからさあ……
そういう態度は本当にまずいんだってば!
「唯野さんが嫌じゃなければ、近くの公園でのんびりしたいなって思うのですが」
「のんびり……いいね!」
正直、有難い申し出だ。遠出して、手に汗握るアトラクションや心奪われる絶景
スポットなんかに行った日には、私の心臓が保ちそうにない。文字通り破裂しそう
なほど、私は不破さんに心を奪われつつあるのだ。平和で牧歌的な遊びでもなけれ
ば、おかしな方向に暴走してしまいそうになる。
思えばこの間もそうだったなあ……
不破さんと仲良くなった事に浮かれて、変な欲を出してしまった。そのせいでヤ
バそうな人筆頭の空々さんと戦う事になって、ぼっこぼこにやられたんだっけ。あ
の時の事は二度と思い出したくない。私は自分の事を無敵だって思っていたけど、
所詮は井の中の蛙だったらしいと思い知らされた。あの人、まじで怖いんだよ……
出来ればもう二度と戦いたくないなあ。
まあ、今この場にいない人の事を考えてもしょうがないか。今はただ、大人しく
不破さんとの時間を楽しむとしよう。
「……唯野さんと話すの、久しぶりですよね」
公園に向かって歩き始めた不破さんが、不安げな顔で私を見上げた。そんな顔さ
れたら私、何も言えなくなるじゃん……
「あ、あの、この間は本当にごめんなさい……話の流れとはいえ、平手打ちなんか
してしまって……不快に思ったなら謝ります、本当に」
「え? あ、いや、気にしてないよ」
「ほ、本当ですか? 私の事、殺したいくらい憎んでたりはしてないですか?」
「そんなわけないでしょ……あの時は私も悪かったし、喧嘩両成敗ってやつ? と
にかくあれはもういいから、お互い忘れよ? ね?」
「はあ……唯野さんがそう仰るなら」
私の進言に、不破さんは悲し気に頷いた。
待って、何でそんな顔するの? そんな態度取られたら、不安になるじゃん!
私今、受け答え間違ったかな? 最善を尽くしたつもりなんだけど……
こうやってちょっと油断すると、思考回路の全部を不破さんに奪われてしまう。
人心を惑わすという意味ではこの子は本当に常軌を逸していると思う。魔神を怖が
っているけれど、あなたも十分ヤバいと思うよ、私は。
そんなこんなでなんだかんだ、公園へと辿り着いた。
魔神の街の真っただ中にあるこの場所には、当然のごとく人間はいない。不気味
なほどに静かな昼間の公園というのは、なんだか妙な異様さがある。たとえ周りが
明るくても、人気の無い公園っていうのは、どこか怖い。こういう時、不破さんも
同じ気持ちなのかなあ。
そう思って隣を見つめると、彼女は何とも言えない顔をしていた。
どこか緊張しているような面持ちで、けれどその一方で何も考えていないように
も見える。いずれにしてもその悩ましげな横顔は、私の頭を掻き乱す。
私の理性は果たしていつまで耐えてくれるだろうか。理性が吹き飛んだ時、私は
この芸術品みたいな娘に、一体どんな狼藉を働くのだろうか。
「あ……唯野さん、見てください。寝転がるのにちょうどよさそうな芝生がありま
すよ。あそこでゆっくり時間を過ごしませんか?」
そう言って彼女が指したのは、公園の中心に聳え立つ小さな丘だ。丁度良い高さ
まで芝生が伸び、ゆるやかな斜面が寝転がるのに最適な角度を作っている。河原の
土手に寝転がるみたいな爽快さが味わえそうな場所だ。
私は素直に、その場所が快適だと認めた。
「うん、いいと思う。のんびりしようか」
「……この街を作った城菜さんは需要をよく分かってますよね。痒いところに手が
届くというか、さすがですよね」
「…………そうだね」
不破さんってば、本当に……本っ当に私の心を掻き乱してくれるなあ!
いや、別に白瀬さんの名前を出す事自体は問題じゃないんだよね。彼女の事を褒
めるにしたって、不自然な文脈じゃないのは認める。
でもさあ……不破さんの隣にいるのは、一体誰と思ってるのかなあ。
私だよね? 白瀬さんじゃなくって、私なんだよね。
私と一緒にいるんだから、私を褒めるべきじゃない? ここにいない他の人を褒
めるのは、何か違くない?
私、面倒臭いかなあ。普通だよね、このくらい。
でも万が一面倒臭いって思われたら嫌だから、表面上だけでも平静を保つ。果た
してそれは有効だったみたいで、不破さんは何も気にしていない様子で芝生の上に
寝転がっていた。
そんな態度を見ていると、まるで私が空回りしているみたいに思えてくる。不破
さんってば、本当にいけない娘だよ。思わずお仕置きしたくなっちゃう。
いやいやいや、駄目駄目駄目。そんな事したら、彼女との距離が開くだけだ。
落ち着け、私。不破さんは友達なんだから、困らせちゃ駄目だ。私は彼女の友達
として、出来るだけ無害かつ有用である事をアピールしないといけない。そうすれ
ば、この娘は私をもっと信用してくれる。ゆくゆくは、毎日会える仲になる事だっ
て出来るかもしれない。
そんな儚い未来のために、今は我慢だ。耐え忍ぼう。
無防備に寝転がる不破さんの姿に必死に理性を保ちながら、私も寝転がる。隣に
いる暖かな存在感を受けながら、空を見る。変わり映えしない青と白に退屈さを覚
えながらも、強すぎる劣情に身が焦がれる。そんな私をかろうじて現実に引き戻し
てくれたのは、他ならぬ彼女自身の言葉だった。
「あの、唯野さん……真面目なお話をしてもいいですか?」
理解ある友人として、私は彼女の問いに頷く他無かった。
「どうしたの、改まって。何でも話してよ」
「あ、ありがとうございます……」
不破さんは遠慮がちに頬を赤らめ、お礼を言った。
……はっ! 危ない危ない、思わず理性がトぶところだった。私が思うに、不破
さんの厄介なところは、自分の魅力を全く自覚してないところなんだよね。そんな
調子だと、いつか他の魔神に骨抜きにされそうでちょっと怖い。
まあいいや。今はとにかく、不破さんの話を聞くとしよう。
「じ、実はですね、私……本格的に魔神の対策を取ろうと思っていまして」
「……うん?」
「え、えと、魔神と戦うつもりなんです。で、その……唯野さんには力になって欲
しいと思いまして、ですね……」
言いながら、不破さんが卑しんぼな視線を向けてくる。その綺麗な眼には、彼女
特有の打算が隠れもせずに見えていた。
ふぅん……あ、そう。つまり不破さん、私の力が目当てだと?
いや、予想してましたよ、うん。不破さんが下心ありきで私に近づいた事くらい
お見通しだよ。
でもさあ……ちょっと期待しちゃったじゃん。打算抜きで私と仲良くしたいと思
ってくれてるって、自惚れちゃったじゃん。
あーあ、白けるなあ。
でも……それでも尚、胸の高鳴りは止まらない。
どうあれ私を必要としてくれてる事に、身体と心が喜んでいる。
ああ、もう……私ったら本当にちょろいなあ! いいよ、分かったよ! 下心丸
出しのその申し出、受けてあげようじゃん!
「いいよ。具体的には?」
「え、ええとですね……」
不破さんはふいと私からちょっとだけ目を逸らし、言葉を次いだ。
「まずは、その……唯野さんの能力、詳しく教えてくださいますか?」
「能力? いいけど……不破さんはもう知ってるんじゃない?」
「……く、詳しく知っておきたいので」
「あ、そう。まあいいけどね」
本当なら、こういう事はなるべく話したくない。他の皆を見ている感じ、大っぴ
らにしているのは三つの能力のうちの一つか二つで、それすらもわざわざ詳細を語
ったりはしていないみたいだ。私と戦った空々さんも、能力を二つしか使っていな
かった。その上で完膚なきまでに敗北したのは、それだけ私が人間に近いからだと
思って納得したい。
そう、私は人間に近いんだ。
不破さんや他の皆は私の事を魔神だなんて定義してるけど、実際のところ私にそ
の自覚は無い。確かに能力はあるし、身体も再生するけれど、私は他の皆みたいに
わけの分からない理由で暴れたりしない。身近な人を殺すなんて絶対にあり得ない
し、そういう行為は大嫌いだ。
そして、そういうスタンスだからこそ不破さんは私と仲良くしてくれるのだと思
う。少なくともこの間まではそうだったし、今だって他の皆と比べて私が一番安全
だと思ってるからこそ、こうして二人きりで会いたいだなんて可愛い事を言ってく
れたんだと思う。私が他の皆よりも好かれているという自意識過剰な考えは、とり
あえず捨てておこう。
閑話休題。
とにかく私は大人しいし、協力的なのだ。そういうところが不破さんに評価され
ているのだとすれば、徹底しておきたい。そのためなら、能力についての情報を口
にするのも必要な事だと割り切ろう。
不破さんなら、悪用しない……よね? 多分。きっと。
いまいち隣の友人を信じきれない思いのまま、私は早速解説を始めた。
右手を上に掲げ、いまいち説明し辛い感覚を集中させるとともに握り込むと、手
の中には金ぴかの拳銃が現れていた。
「まずはこれ……『銀の黄金回転弾』ね! 弾数は無限で、撃った弾を自分の意志
で動かせるのが特徴だよ」
「……あ、あの、ちょっと貸してもらってもいいですか?」
「へ? い、いや、危ないよ?」
私の制止に「大丈夫です」とよく分かんない言葉を添えて、不破さんが手を伸ば
してくる。あれ……なんかいつになく押しが強い?
とはいえ、取り上げるような真似はしない。武器の威力は不破さん自身が知って
るだろうし、暴発の危険は無いでしょ、多分。
銃を手に持った不破さんは興味深そうにくるくると回しながら眺めながら、不意
に私を見上げてくる。
「あの、これ……弾倉が外れませんね」
「え?」
「撃鉄も無いし、スライドも動かないみたいですけど……」
「いや、そんなの無いよ。引き金を引いたら弾が出るから」
「そ、そういうものですか……?」
「実際の拳銃がどうかは分かんないけど、それはそうなってるよ」
「……」
私の説明を聞いた不破さんは、なんだか呆れたような困ったような顔になった。
そういう表情も可愛くてこっちが困惑するんだけど……それはそれとして、もしか
してディティールが変だとか思われてる?
「い、いや、でもしょうがないよ! 私、ミリタリー趣味とかじゃないし……銃の
造形とかよく分かんなくて!」
「そ、それはそうでしょうね……」
あれ? なんか外した? 見当違いな事言ったみたいな空気になっちゃった……
え、ええと、なんてフォローしようかな?
私の内心の慌てぶりをスルーするように、不破さんが遠くへ照準を合わせた。
「……ちょっと撃ってみてもいいですか?」
「へ? 不破さんにも撃てるの?」
「多分……えいっ」
可愛い掛け声とともに、不破さんが引き金を引いた。
すると本当に銃が火を吹き、銃弾が飛び出した! 螺旋状にぐるぐる回転する弾
はまっすぐに飛び、すぐそこにあったばね付きのパンダの乗り物に当たった。
パンダは瞬く間に捻じれ、黒と白の棒になってしまった。
「わあ……なんという近代芸術」
「不破さん、大丈夫? 怪我してない?」
私が慌てて彼女の肩に触れると、その身体が一瞬だけ跳ねた。
「え?」
「あ、す、すみません! ちょっと調子に乗りました……」
「へ? いや、全然いいんだよ! 本当に!」
しまった、怖がらせちゃったかな……? いきなり肩に触れたから、動揺したの
かな……? 無理ないよね、不破さんからしたら私って、ゴリラより強いわけだし
……ああもう、私ったらデリカシー皆無!
「……撃った衝撃はほとんどありませんでした。それはそうと、銃弾……貫通しま
せんでしたね。確か唯野さんが撃った時には、アスファルトの地面を壊していった
ような……」
「え? ああ、そういえばそうね。銃弾を止めようと思ったら回転も止まるけど」
「い、いえ、そんなつもりは無かったのですが……人間が使う分には、そこまでコ
ントロールが効かないのかもしれません」
ぶつぶつと思案顔で呟きながら、不破さんはもう二回ほど銃を撃った。その度に
直線状にあった遊具やベンチなんかが捻じれ、その度に彼女は「やっぱり駄目だ」
などとひとりごちていた。
あれ? 意外とこの子、メンタル強いなあ。さっきは確かに私に恐怖してたと思
うんだけど、もう冷静に分析してる……切り替え早いなあ。
ていうか、冷静な顔した不破さんが銃をぶっ放す姿って、なんかすごく絵になる
なあ。写真とか撮りたい。でもそんな事口にしたら、ちょっと引かれるかなあ……
「……えと、ちなみに唯野さん。この銃は具現化したまま寝たり意識を失ったりし
た場合、自動で消えたりしますか?」
「へえ? あ、うん、そうだね。やってみた事あるけど、ぼーっとしてたら三時間
くらいで消えちゃったかな……それがどうしたの?」
「……いえ、なんでもありません」
お返ししますね、と差し出された銃を、私の手の中で消す。
……いや、待って。なんでそんな残念そうな顔するの? 銃なんて消えようが消
えまいがどうでもよくない? そんな顔されると、私が期待に応えられなかったみ
たいじゃん! いや、別に気に病む必要は全然無いんだろうけど……張り切りたく
なるじゃんっ!!
「次は何? 何でも訊いてよ!」
「え……と、随分乗り気ですね……」
「もっと私を頼っていいよ!」
「え、ええと……じゃあ二つ目の能力の解説をお願いします」
不破さんに促され、私は次に手を開いてそれぞれの指から記号のようなものを浮
かべて見せた。
小指には桃色のハート。薬指には黒いスペード。中指には緑のクラブ。人差し指
には黄色いダイヤ。そして親指には赤と黒を縦に半分で割った色合いのピエロ。
不破さんは私の手元を興味深そうに見つめていた。
「親指のそれは……初めて見ますね」
「私の能力、『見かけの四連星』については体感したよね。それぞれのマークを付
けた相手に力を付与するんだよ。ハートは愛のある相手に命令を、スペードは敵に
欠損の呪いを、クラブは物体の意味に強化を、ダイヤは私に自身に力を、それぞれ
与える天使を生み出すんだ」
「……ちなみに、それぞれの天使に人格があったみたいですけど」
「もしかして、何かを思い浮かべてるの? そうね。詳しい理屈は分かんないけど
……簡単な受け答えはしてくれるみたい」
「……唯野さんご自身も把握していないのですか?」
「恥ずかしながら……あっはっは」
「……」
不破さんは明後日の方向を見つめながら、複雑そうな顔をした。え? それは一
体どういう意味の表情なの……?
私の疑問は結局、口から出る事は無かった。
「……えと、じゃあ親指は?」
「これはジョーカー! 効果は……全然分かんない!」
「……と言うと?」
「付けた相手に、何が起きるか分からないって感じかな。まさしくジョーカー!
正直、滅茶苦茶使い辛い能力だよ……」
「な、なるほど……」
困惑しながらも、不破さんはどこか興味深そうに舌なめずりをした。
うわ……その仕草、ちょっとヤバくない……? はしたないとか言うつもりはな
いけど、ちょっと扇情的過ぎない……? いや、多分そういう場面じゃないから、
本人は無自覚なんだろうけど……いや、待って……本当に待って、もおおおっ!!
「た、唯野さん……どうしたんですか?」
「なんでもないよ……なんでも! はい、これが三つ目ね!」
自分の気持ちを誤魔化すように、私は開いた手を閉じ、全身を風に任せるような
気分で胸襟を開いた。
すると……見かけでは何も変わらない。でもなんだか随分身体と心に解放感が生
まれたような気になる。これが三つ目の能力が発動した結果だ。能動的な能力じゃ
ないから私の方からじゃよく分かんないけど、不破さんの瞳に不穏な畏怖が浮かび
上がったのがよく分かった。
「そ、その能力……え、えと、『無窮にして無敵』でしたっけ……」
「そうだけど……あの、もしかして怖い?」
「き、気を悪くしないでください……少しだけ怖いです」
そう言った不破さんは僅かに身体を震わせて、見てはいけないものを見ているか
のような視線をこっちに向けてきた。怯えた様子は可愛いけど……さすがに正面か
ら向けられると、ちょっと傷つくなあ……
「あの、この能力使ってる時の私、そんなに怖い顔してるの……?」
「あ、いえ、怖い顔っていいますか、目っていいますか……あの、唯野さん。その
能力を使っている間、精神や身体に何か変化はありますか……?」
「よく分かんないけど……ちょっと開放的な気分かな」
「そ、それは例えば、人類をどうこうしようとかいう……」
「そんな事はしないよっ!」
思わず語気が強くなってしまったけれど、それに対して不破さんは更に怯えを見
せたりはしなかった。むしろ私が声を張り上げたのを安心したような表情さえ浮か
べていた。
いや、本当に私、どんな顔してるの今……
なんだか怖くなってきたから、元に戻った。実演しなくたって解説出来るし。
「今の状態でいると、受けたダメージをそのまま相手に反射出来るんだ。その場面
も見てたよね?」
「は、はい……忍さんの攻撃も反射出来るなんてすごかったです」
「す、すごいかな……えへへ」
「……強力な味方です」
「味方……そうだよね、味方だよね……」
何となく、私を過剰に持ち上げているのは分かる。でも褒められて悪い気なんて
全然しない。たとえリップサービスでも、不破さんは私を頼りに思っている。それ
がたまらなく嬉しい。ああ、でももう三つとも話しちゃったなあ……話せる事がも
う無い。うーん、もっと役に立ちたいなあ。
「まだ何か訊きたい事ある? 何でもいいよ」
「えーと……じゃあその、以前から気になっていた事があるんですけど」
私が必死に媚びているからか、不破さんの表情から緊張が解けてきたような気が
する。言葉遣いも最初より砕けてきたかもしれない。
いいぞ、その調子!
「あの、唯野さんの能力……『銀の黄金回転弾』『見かけの四連星』『無窮にして
無敵』、どれにも言える事なんですが」
「うん」
「これって、どうやって名前を付けてるんですか?」
「どうって……」
「唯野さんが自分で考えて名付けたわけじゃないですよね?」
「いや、私が自分で考えたんだけど」
「……それにしては随分と規則的というか」
「え?」
「なになに、何の話?」
「えっとね……ってええっ!?」
不破さんが不意に諸手を挙げ、ぎょっとしたように跳ね起きた。
え……? 何?
などと一拍遅れた私は、どこか抜けているところがあるのだろうか。目の前に現
れた人影に、ようやく気が付いたのだから。
私と同じくらいの背丈の、金髪ツインテールの女の子。心なしかいつもよりも愛
嬌溢れる笑みを浮かべているように見えるのは、誰の目から見ても明らかなくらい
大切に思っている大事な人が、すぐ傍にいるからだろうか。
大神照。私のクラスメイトにして……多分私よりも不破さんと仲の良い人だ。
「むーちゃんに唯野さん、なんだか珍しい組み合わせだねえ。二人で一緒に寝転が
って、何やってるの?」
「え、ええと……」
「悪だくみだよ、照」
動揺する私をよそに、不破さんは淡々とそう告げた。
その横顔を見て……ああ。私は酷い勘違いをしていた事を悟った。
気安いような、どこかぞんざいなようなその顔は、私と話す時のそれよりもずっ
と打ち解けた感じで、親しそうだ。不破さんは私よりも、大神さんと話している時
の方が気楽そうなのだ。
「照の方こそ、何してるの?」
「んー? お散歩だよ。三途璃ちゃんからの連絡も無いし、夏休みって案外退屈な
んだねえ」
「あ、それで思い出したんだけど、林間学校の件、照はどこに行きたいって希望し
たの?」
「んーとね。わたしは海だよ。むーちゃんとビーチバレーとかしたいし」
「そ、それは無理……死んじゃう」
「手加減するからへーきへーき」
「手加減とかそういう次元じゃなくって……せめて砂浜でお城作るとかさ」
「ふぅん……じゃあわたしは通天閣でも作ろっかな。原寸大で」
「魔神なら全然出来そうだから怖いんだよね……」
不破さんが楽しそうに大神さんと話している。
……なんか、気に入らないなあ。
なんとなく、二人が仲良いのは知ってる。前に不破さんを誘拐した時、真っ先に
気付いたのは大神さんだったし、不破さんの方も大神さんを頼ってる節はある。
第一、不破さんは誰に対しても敬語なのに、大神さんに対してだけはため口だ。
しかも下の名前を気安そうに呼んでるし。大神さんの方も「むーちゃん」だなんて
いかにも仲良さげなあだ名使ってるし。
なんだかいらついてきたなあ。どうして大神さんがこんなに好かれてるんだろ。
どうして不破さんは大神さんをこんなに信頼してるんだろ。
私の方が役に立つのになあ。
私の方が不破さんに協力できるのになあ。
……待てよ? そういうの、アピールすればいいんじゃない?
「ね、ねえ、大神さん!」
意を決して二人の会話に割り込んだ。大神さんはにこやかな笑みを絶やさずに、
けれどほんの僅かに眉を顰めて私を振り返った。
「どうしたの、唯野さん」
「私と……勝負してくれない?」
「え?」
勝負という言葉に反応したのは、大神さんじゃなくて不破さんだった。
「ち、ちょっと唯野さん、突然何言ってるんですか……?」
困惑する不破さんを優しく脇に寄せ、私はそのまま続けた。
「私が勝ったら、大神さんの三つ目の能力を教えてよ」
「……ふぅん。それで、勝負の内容は?」
「それは……ええと、どうしよっかな」
「ち、ちょっと待って下さい! 唯野さん、唯野さんっ!」
私が思案していると、不破さんが慌てた様子で私の両肩を掴んでぐいぐいと押し
始めた。どうやら対面している大神さんと距離を取ろうとしてるみたいだけど……
しょうがないからされるがままになりながら、私は不破さんを諫めようとした。
「どうしたの、不破さん。大神さんの三つ目の能力、知りたくない?」
「知りたいですけど……でも勝負なんて、あまりに物騒すぎますよ!」
「大丈夫だよ。不破さんが被害を被らないようにするし、他の人達を巻き込まない
ようにするからさ」
「で、でも……照に挑むなんて無謀ですよ!」
「……ん?」
なんか……引っかかる言い方だなあ。
不破さんも自分の失言に気が付いたのか、はっと口を噤んだ。
いや、遅いって。
「え、なに不破さん。まだ勝負内容も決めてないのに、私が負けると思ってる?」
「そ、そう言うと語弊がありますけど……でも照、滅茶苦茶強いですよ」
「私だって強いもん!」
「……照は忍さんと真っ向からやり合える実力があります」
「い、いや、それでもリアルファイトじゃなければなんとかなるし……」
「三途璃さんやジュジュ……木霊木さん相手でも軽くあしらってます」
「だ、大丈夫だってば!! 絶対勝つからっ!!」
勢いよくそう言っても、不破さんは不安そうな顔のままだ。
私が負けた時の事を慮ってくれているのは、いい。
でもそんなに私が頼りないと思われるのは心外だ。
こないだはフィジカルと戦闘経験の差で負けたけど、私は強いんだ! 私の三つ
の能力を使いこなせば、たとえ大神さんにだって負けるもんか!
「大神さん……勝負だよ!」
意気込みと不退転の意味も込めて、私は『無窮にして無敵』を発動させ、大神さ
んと相対した。どんな勝負でも、絶対に勝ってみせる!!
「んー……分かったよ」
と大神さん。どこかぼんやりとした返事をしながらも、きっちりと勝負をするつ
もりがあるらしい。
「勝負方法は、わたしが決めていい?」
「いいよ! 不公平じゃなければね!」
「ありがと。じゃあ早速準備をするね」
そう言って不破さんはこっちに腕を振り上げて……
「え?」
瞬間、私の視界は暗転した。
公園の景色も不破さんの姿も、何もかもを置き去りに、私は存在そのものを消し
飛ばされた。いや、そんな感じがしたってだけだけど。
……え?
『無窮にして無敵』……発動中なんだけど??




