03
魔神達の住まいは、当然ながら魔神の街にある。
「この街は白瀬さんが作り出したそうです。我々は彼女から、好きなところに居を
構えてよいと言われていましてね。こうしてお言葉に甘えている次第なのですよ。
ちなみにこの街を創設には彼女の他に、発起人である大神さんとアドバイザーであ
る黄泉丘委員長も関わっているそうです。その他の、私を含めた者は言わば後発組
……彼女らから誘いを受けてここに来ました。いや、学校に通うというのはなかな
かどうして面白いですね」
道すがら、ぼんやりとこの街についての話をすると、明智さんは私の知らない情
報をたくさん教えてくれた。まさに一を訊いて十を話してくれた格好だ。
普段はあまり勘繰るのは良くないと思って、照にさえこういう話は振らないんだ
けど……その点明智さんは話が早い。私がいろいろ知りたいのが分かっていて、欲
しい解答をくれる。
ただ……取り引きである以上、その代償に私の話すべき情報が増えていくのかと
思うと、素直に喜べない。ああ、この先の展開が不安だなあ……
そんな不安を胸にしながら歩く事数分。目的地である明智さんの家に着いた。
外観は特筆すべき点の無い普通の家だ。私の家も含め、この街にある住宅はどれ
も似たような容貌だ。この街を作ったのが城菜さんなのだとすると、意図的に簡素
なデザインにしてあるのだろうか。
「派手に飾り立てるのみが芸術ではありませんからね」
明智さんはあまり興味が無さそうな口調で言う。
「日本の文化だと生け花などは足し算の美と言われていますが……反対に簡素で大
量生産向きの芸術が好まれた時世もあるようです。街そのものを規格化したデザイ
ンとして創り出す……大規模なアール・デコと言えなくもないでしょうね」
「あある、でこ……ですか?」
「失礼。芸術は専門分野ではないものでして。間違っていたら申し訳ない」
「あ、いえ……」
そもそも間違っているかどうかも分からない。でも明智さんがそれなりに博学だ
という事は分かった。噂通り、頭でっかちな魔神らしい。
とにかく、見た目は普通の家というわけだ。
ただし、中身は全然普通じゃなかった。
玄関扉を開け、思わず足を止めた。目の前に広がっていたのは玄関やその先の廊
下や居間といった当たり前の住宅の光景ではなく、壁を全て取っ払ったと思しき巨
大な一室にこれでもかと詰め込まれた電子機器の数々。モジュールというやつだろ
うか……床のほとんどを埋め尽くさんばかりに置いてあり、全てが目まぐるしく明
滅しながら稼働している。放熱のためか、室内全体が寒い。エアコンの一つも置い
ていないところを見ると、なんらかの能力で室温を一定にしているのだろう。でな
ければ、熱が逃げる場所すらも無く、あっというまに電子機器が壊れてしまう。そ
れくらい、非現実的な詰め込み具合だった。
「こ、これは家というより……」
「単なるサーバールームですよ。居住区は下です」
そう言って明智さんは玄関の隣を差した。モジュールだらけの部屋の中、その位
置だけ何も置いておらず、代わりと言わんばかりに下り階段が伸びていた。
「さあ」と導かれ、私は階段を降りた。
地下へと続く階段はそれほど長くはなく、すぐに居間と思しき明るい部屋へと辿
りついた。二十帖程度の四角いその部屋は、なるほど画一的な造りで、明るい照明
にソファーやテーブル、冷蔵庫やベッドまで全て一室に詰め込んである。居間とい
うより、ワンルームという印象だ。どの家具もほとんど使われた形跡が無く、彼も
忍さんや終日さん同様、私生活では人間のロールプレイをしていない個体というの
が察せられた。
「さあ、座って。早速貴女の持つ情報を教えてください」
そう促され、私は新品同然の柔らかなソファーに身を埋めた。
明智さんもまた、テーブル越しのソファーに座った。まるで本当に世間話でもす
るかのように、情報の交換は始まった。
「まずは大神さんの能力を聞かせてください」
「えっと……照ですか」
私は素直に照の能力を教えた。出し惜しみや嘘は通用しないと思ったからだ。も
しもそれが露見した時のリスクは計り知れない。自分の身を護るためには何もかも
話すべきではないとも思ったけれど、それだけの余裕は無く、私は知り得る限りの
全てを話してしまった。
照の神器、『つらなりの鎖』。対象を探知する力と、瞬間移動。加えていくらで
も伸び、先端を鋭くする事で攻撃に転化出来る武器だ。
「いくらでも伸びるとは羨ましい。加えて瞬間移動とは……彼女には白兵戦を挑ま
ない方がよさそうですね」
「そ、そもそも魔神同士で争うのは……」
「もちろんです。出来ればやめておきますよ……それで?」
照のもう一つの能力は『オッカムの断頭台』。腕を振るった先にあるものを切り
取ってしまう力だ。何でも斬れる『処刑人の聖剣』も食いちぎってしまうし、空間
ごと真っ白に消してしまえる。射程はおそらく無限で、やろうと思えば宇宙さえも
切り取ってしまえるだろう……恐ろしい事に。
「彼女は以前、世界を丸ごと切り取った事がありましたね。あれには驚きました。
ちなみに彼女が世界連合の人間を消し去ったのは有名な話ですが……」
「そ、そうですね。当人は明言していませんけど……多分この能力でやったのだと
思います」
「であればかつて世界を切り取った時と同じく、二千万人の兵隊もまた、やろうと
思えば元に戻せるというわけですね」
「あ……」
そんなのは考えた事もなかった。
確かにそうだ。照の能力で切り取った物がどこに行くのかは分からないけれど、
人間も一緒に元に戻っている。であれば兵隊達もまた、生きている公算が高い。
「もっとも、あれから二ヶ月近く経過しているわけですし……もしも切り取られた
先が単なる異世界なのだとしたら、普通に餓死している可能性もありますがね」
「そ、そうですよね……」
「しかし、調べる価値はありますよ。余裕があったら、今度彼女に直接訊いてみる
といいでしょう」
「は、はい……」
私はほっと胸を撫で下ろし、心密かに歓喜した。
明智さんとの話によって新たに浮上した希望があるのはもちろんだし、照に関す
る質問がひと段落した事の安心もある。
でもそれ以上に、彼は「今度」という言葉を使った。つまり私を生きて帰すつも
りでいるのだ。
もちろん今後の受け答え次第で運命は変わるだろうし、絶対ではないと思う。
でも生き残りの目が出てきたのは確かだ。頑張ろう。
「では次の情報を教えてください」
明智さんは引き続き情報を要求した。
次に訊かれたのは忍さんの能力についてだった。『処刑人の聖剣』と『マーフィ
ーの愛と希望の幸福論』……どちらも厄介な能力である。
さらに次いで、城菜さんの『神域に至る聖杯』やモモさんの『天色眼鏡』につい
ても話した、この二体に関しては特に能力へのプライバシー意識が高く、一つずつ
しか能力を話す事はしなかったけれど、それでも十分だと思ったのか、明智さんは
「ふーむ」と興味深そうに吐息した。
「なるほど、なるほど。夢路。貴女はなかなか有益な情報を持っていますね。この
四体に関しては、少しでも情報がたくさん欲しかったのですよ」
「え、ええと……それはどうしてですか?」
「他の魔神と比べて、彼女達は少々特殊なのですよ。どこがどう、という断言が出
来るわけではなく、あくまで感覚的なものなのですが……だからこそ、調べ甲斐が
あるというものです」
「は、はあ……」
少々特殊、と言われても……私にはぴんと来ない。確かに忍さんは得体の知れな
い圧があるけれど、他の三体に関してはかなり話が出来るし、気安さすらある。単
純に力が強いという事にしても、人間から見れば誰も彼も等しく人外なので尚更で
ある。ただ、一応今後のために気にしておこうかな……
一応こちらにはまだ五体分の情報があるけれど、明智さんはそれ以上訊く事はせ
ず、むしろ私に対して「逆に貴女の方から質問はありますか?」と訊いてきた。情
報を貰い過ぎたとでも言うのだろうか。変なところで真摯だなあ……
「え、ええと……じゃあ、根本的な事なんですけど」
「ええ、どうぞ」
「あの、気に障ったらごめんなさい。明智さんはいろいろ調べているみたいですけ
ど……それって何か目的があるんですか?」
彼に首を斬られて以降、ずっと考えていた事だ。
初めは単なる好奇心だと思っていた。けれどここに来て質問や追及を受けて、そ
れだけじゃないような気がした。その背景に、何かきちんとした理由があるように
思えた。それこそ、根拠のあるものではないけれど……
「……貴女、呆けた顔をしているわりに、核心を突いた質問をしますね」
「え、私そんな顔してますか……?」
「少なくとも聡明な顔つきには見えませんよ。顔立ちは非常に整っていますがね」
「そのフォローは要らないです……ええと、それで、どうなのでしょう。答えたく
ない内容なら無理にとは……」
「私に後ろ暗い事など何一つありません」
ぴしゃりとそう言い切って、明智さんは立ち上がった。
そしてそのまま私の傍を横切って、壁の方へ。そこには照明のスイッチと思しき
ものが付いているだけだ。けれど明智さんがそれを押すと、電気が消える代わりに
「えっ?」壁の一角がさらに地下へと落ち、代わりに大きな扉が現れた。サイバー
感溢れる丸い扉は、さながら金庫のそれのようで、青と白のラインが謎の光を帯び
て模様として扉全体に走っている。
「こ、これは……」
「隠し扉はロマンですよね。ちなみに指紋認証です」
にこやかにこちらを振り返った明智さんが言葉通り扉に手をかざすと、機械的な
音を上げて扉が開いた。そこには青白い仄かな光を帯びた廊下が伸びている。
「さあ、こちらへ」
そこまでお膳立てされて、躊躇する法は無い。私は彼の後に付いて扉を潜った。
私が通り抜けると、扉はそのまましゅいんと閉まった。
「私はこの場所で、魔神についての研究をしています」
前を向いて歩きながら、明智さんは後ろにいる私に向かって話しかける。
「魔神の生態には謎が多い。二ヶ月ほど前、私は魔神になりましたが……自分でも
自分という存在をはっきりよく分かっていません。人間だった頃と比べ、明らかに
おかしな生物になったという自覚はあります。夢路、貴女はカモノハシという生物
をご存じですか?」
「え?」
急に突飛な話になったので、思わず首を傾げた。ええと、カモノハシってなんだ
っけ。鳥……でいいんだっけ?
「確かにクチバシがあって卵生ですが、カモノハシはれっきとした哺乳類ですよ」
明智さんは何が面白いのか、笑いながらそう答えた。
「哺乳類は胎生なのが普通ですからね。そういう意味でカモノハシは非常に特異な
生き物です。では夢路、重ねて伺いますが……我々魔神はカモノハシと同じような
特異生物だと思いますか?」
「……いえ。全然違うと思います」
「私も同意見です。我々魔神は明らかに超自然的な存在です。人類が数百万年掛け
て築き上げた文明を、地球が四十億年掛けて作り上げた環境を、宇宙が百三十億年
掛けて生み出した世界を、一瞬で滅ぼせる巨大な力を持っています。敢えて断言し
ますが、これは歴史に対する冒涜です。我々魔神は、存在すべき世界を間違えたと
しか思えない。魔神の力は、我々に顕現すべきではなかった」
「……」
「間違いは是正しなければなりません。魔神は……いえ、魔神の力は無に帰すべき
なのです。人類はもちろんそう思うでしょうし、我々としてもこのまま永遠に不死
身でいるわけにもいかない。多少の好奇心で動いている節があるのは認めますが、
私は人類のため、世界のため、そして何より我々魔神のために、その力を永遠に放
棄するための方法を模索しているのですよ」
「…………」
明智さんが熱弁を振るっている。
相変わらず微笑んでいるままなのか、声のトーンは普段とそれほど変わらない。
けれどそれでも、彼が真剣なのは強く伝わってくる。詭弁や夢物語として口にして
いるのではなく、本気でそう思っているし、その展望をきちんと見据えているかの
ような、そんな口調だ。
「え、ええと……という事は明智さん、あなたの目的は人類と利害が一致すると、
そういう意識でいいのでしょうか……?」
「人類が魔神の力を放棄する事が目的なら、そうでしょうね」
含みのある言い方をするけれど、そんなの疑いの余地があるわけがない。少なく
とも政府はそのつもりで動いている。だからこそ、私がここにいるわけだし。
「じ、じゃあ明智さんは魔神の力を消すために、他の魔神の事を調べているんです
ね? そ、それに私の事を知りたがったのも、そこに魔神を懐柔するためのヒント
があると思ったから……?」
「残念ながら、貴女の方の調査は見送りになりそうですがね。しかし人類のためを
思うのなら、いつでも志願をお待ちしていますよ」
「……気が向いたら、そうですね」
私の脳を開いて何かが分かるならそれでもいいけれど、そんなわけはないので、
志願なんて一生しない。悪いけど待ちぼうけてもらいたい。
「そ、それで、あなたの研究って今、どうなっているんですか……?」
私が先を促すと、明智さんは愉快そうに振り返った。
「そう焦らないで。今からそれをお目に掛けるところですよ」
そう言って彼は足を止めた。廊下が終わり、目の前に再び扉が現れたからだ。
「さあ、扉を開けますよ」
明智さんは再び指紋認証の扉に手をかざし、奥への道を開いた。
そうして目の当たりにした奥の部屋には、すさまじい光景が広がっていた。
壁一面に、巨大なカプセルが並んでいる。高さおよそ二メートル、幅およそ四十
センチ程度のサイズで、不気味な緑色に光沢している。蛹を連想させられるその物
体がずらりと並ぶ光景は、蜂の巣を思わせる。
部屋は体育館よりはるかに広く、いくつも廊下が伸びていて、そこにもカプセル
が所狭しと置かれている。廊下の先は全く見えず、カプセルが一体いくつあるのか
見当もつかない。
「こ、これは……」
「私の研究ですよ。残念ながらどれもまだ成果は挙がっていませんがね」
淡泊な明智さんの言葉に、ものすごい勢いで嫌な予感が湧いてきた。このカプセ
ルが一体何なのか……もっと近くでよく見ないと分からないけれど、何故かその中
身を予想する事が出来た。
ふらふらとカプセルの一つに近づき、顔を寄せる。どうやら中身は何らかの液体
で満たされているようで、こぽこぽと泡立っている。液体が緑に光っているのか、
それとも……
液体の中に目を凝らすと……ああ。中に閉じ込められた人間と目が合った。
「ひっ……!」
思わず後ずさった。
取り乱す私を見て、明智さんは悪びれもせず笑う。
「やれやれ……あまりはしゃぐと危ないですよ」
「……」
正直、部屋に入った時点でこの状況は予想出来た。カプセルの中身は人間で、し
かも彼らは身体のそこかしこをいじくられているらしく、いずれも肉体のどこかを
欠損し、あるいは元々あるべき場所におかしな器官を取り付けられたり、はたまた
明らかに動物のものと思しきパーツと好感されていたり、メタリックな義肢を付け
られたり……まともな人間はどこにもいない。
いずれも虚ろな目をしていて、とても意識があるようには思えない。どころか死
んでいると言われても納得してしまいそうなほど、生気の無い顔をしている。
その光景から、およそ一ヶ月ほどに体験した事を思い起こした。ジュジュさんの
箱庭で見た悪趣味な合成生物達の姿……あれに似ている。
でもあれはジュジュさんの子ども染みた感性によるものだったし、ある意味で児
戯のような悪趣味さこそあったものの、嫌悪感を抱く程度のものだった。
でもこれはどう見てもそういう類のものではない。
好奇心というには、あまりに純粋すぎる。
悪趣味というには、あまりに無機質すぎる。
嫌悪感を抱くには、あまりに恐ろしすぎる。
人間を越えたバケモノが、純粋に人間を研究した……その結果なのだろう。
「あ、明智さん、彼らは一体……」
「人間を魔神にする研究……その前段階ですね」
私の問いに、彼は何の含みも持たせず答えて見せた。
「人間を魔神に変えられるなら、逆に魔神を人間に戻す事も可能だろうという着想
からこの研究を始めました。まずは『溶ける魚を解ける刀』で私の肉体の一部を彼
らに繋ぎ合わせてみたのです。なに、どうせ私はいくらでも再生しますからね。テ
セウスの船のパラドックスから考えるに、肉体の半分以上を魔神のものに変え、馴
染ませる事さえ出来れば、定義としてその人間は魔神となるはずなのです」
そう言って明智さんはカプセルの一つを指した。緑に濁ったその中身は、どろど
ろに溶けて原型も無い。
「彼は私の身体の六割を移植しようとした人間です。しかし残念ながら移植が終わ
った途端、その身体はどろどろに溶けてしまった。どうやら魔神の肉体は人間にと
っては劇薬のようなもののようです」
彼は他のカプセルを一つずつ順番に指し、続けた。
「一気に六割を与えたのが失敗だったのでしょう。では一割ならどうか。これでは
駄目でした。ならば一分では? まだ駄目でした。しかしもっともっと刻めばどう
か。今現在、それを確かめている最中です。しかし、ただ与える肉体の割合を増減
させるだけでは不十分かもしれない。だからこうして、色々な工夫をしているので
すよ」
そうして彼は語った。
生命力の高い動物や昆虫の肉体を取り付ければ、魔神の肉体への抵抗力が増すか
もしれない。
肉体の欠損や痛みに慣れてしまえば、精神的に部分的な交換への抵抗が無くなる
かもしれない。
当たり前の人間の形を忘れさせれば、肉体の拒否反応が薄れるかもしれない。
複数人の身体を繋ぎ合わせれば、抵抗力は数倍になるかもしれない。
肉体を限界まで膨らませれば、その分だけ強くなるかもしれない。
それはある意味真理を突いた、ある意味ばかげた仮定の数々。理屈は通っている
かもしれないし、適当な絵空事かもしれない。やってみなければ分からないし、前
例が無いから予想も出来ない悪魔の実験。
明智さんはそれをやっているのだ。涼しい顔で、人間を実験台にしているのだ。
「実験は困難を極めます。毎日毎日飽きるほど人間の身体をこねくり回して新しい
アイデアを試しては失敗し、まだまだ希望は見えません。しかし私は決して挫けま
せんよ。魔神の力をこの世から失くす……その大義がある限り、決して歩みを止め
る事は無いでしょう。どれほど道が険しくとも、必ずやってみせます」
誇らしげにそう言って、明智さんは薄く微笑んだ。
彼のくすんだエメラルドには、理解を拒んだ様子の薄汚い少女が映っていた。
「こんなの……おかしいです」
「どうしました、夢路?」
「お、おかしいと言っているんです!」
声を荒げるのは得策ではないのは分かっている。でもこんな光景を見せられて、
冷静でいられるわけがない。
「人間として、明智さんの考えは支持します。私だって魔神の力なんて無くなった
方がいいと思いますから。でもそのためなら何をやったって構わないというわけで
はないと思います! あなたの実験のために、こんな、一体何人の犠牲を……」
「今のところはおよそ二万人……正確には二〇三三八名ですね」
私の抗議をまるで気にしていない風な様子で、明智さんは丁寧に語る。
「しかし夢路、大義の前に多少の犠牲はつきものでしょう」
「に、二万人が多少……ですって?」
「他の魔神達が無意味に消費している分に比べれば可愛いものでしょう。例えば先
月、大神さんと空々さんが交戦した時、十万人近い死者が出たと聞いています。そ
の時、貴女もそこにいたんでしたよね?」
「……」
「それと、私は決して人間にばかり苦労を強いているわけではありませんよ。人間
に与える肉体は当然私自身から取り出したものですし、この実験以外でもいろいろ
と苦労して魔神に関する情報を集めています……それこそ貴女と交渉をしたのもそ
の一環です。労力で言えば、それほど不公平ではないとは思いませんか?」
「…………」
駄目だ。私には、彼の理論武装を突破する事が出来ない。
自分の肉体を削いで他人に与えるなんて狂気の沙汰、他の魔神だってやっている
のは見た事がない。彼は文字通り、実験に自らの骨身を惜しんでいない。
必要ならば、どんな残酷な事にも耐えるのだろう。
だからこそ、どんな残酷な事も他人にやってしまうのだろう。
そんなバケモノに対して、一体私はどう言葉を尽くせばいいのだろう。
一体私は、どうやってこの光景を自分自身に納得させればいいのだろう。
「……どうやら、まだ腑に落ちていないようですね」
私の顔を見て、明智さんが不承不承に肩を竦めた。いかにも私が聞き分けの無い
子どもであるかのようなその振る舞いには腹が立つけれど、どうやら彼に悪意は無
いらしく、「そう憤らないで」とこちらに優しく語り掛けてきた。
「貴女の他者を慮るその道徳心は、とても素晴らしい。だから貴女の崇高な思いを
無駄にするのは気が引けるのですが……今更そんな事を言い出すのは、さすがに少
々虫が良すぎるのではありませんか? 貴女達自身、この実験の事は知らずとも、
人類の犠牲については納得済みではありませんか」
「な、何を言っているんですか……?」
犠牲? 納得?
一体どこからそんな言葉が出てきたのか、不思議ではならない。私がいつこんな
ふざけた行為に同意したというのか。どんな文脈でどんな解釈をされたとしても、
『虫が良すぎる』だなんて言われる筋合いは無いはずだ。
「なんです、その顔は」
しかし明智さんは、私の方が間違っているかのような視線を向けて、言った。
「他ならぬ魔神対策室からの指令なのでしょう? 私の実験のため、毎日千人の被
験者を提供すると、そう約束して下さったじゃありませんか」
「……え?」
一瞬、思考が止まった。
明智さんの言っている事が理解出来なかった。
他の魔神と比べても並外れて倫理観に欠けた彼の言葉を、またぞろ読み取り損ね
たのかと思ってしまった。
でもそうじゃなかった。
なにそれ。
私、そんな話聞いてない……
「おや、知らなかったのですね。これは失礼」
混乱しきった頭の中で、冷静な声が咀嚼される。
「私はこれまで被験者を募る時、適当に攫っていたのですが……政府の方から『そ
れでは困る』という指摘を受けましてね。代わりに彼らが外国から金で買った人間
を提供すると申し出たもので、私としても手間が省けるので二つ返事でお受けした
のですが……情報、行き届いていませんでした?」
「……初耳です。そもそも政府の人間が直接魔神と交渉するなんて……」
「丁度、私が情報収集の一環として政府に赴いていたタイミングだったのですよ。
いやはや、貴女の他にも勇気のある人間がいたものですね」
「……酷い提案です」
信じられない気分だ。
外国から金で人間を買って、それを魔神にあてがうって?
それってただの生贄じゃないか。
そりゃあ確かにそうすれば、その分国内の人間は傷つかない。
でもそんな非人道的な事、許されるわけがない。
まして決定したのは政府で、しかも提案は政府の側から行ったって?
誰が言い出したのかは分からないけれど、でも政府がその決定を黙殺している時
点で、肯定しているも同然だ。
ふざけている。私のパトロンは、骨の髄まで腐りきっている。
怒りと嫌悪感のあまり、視界が歪む。
魔神は怖い。
政府の人間……殊更魔神対策室の人間は、それをよく分かっているだろう。
だからこそ、逃れる術があるならそれに縋りたくなる気持ちも分かる。私だって
彼らの立場なら、同じ手段を取っていたかもしれない。
でも、だからって……
「どうやら、あまり快い気分ではいられないようですね」
同情するような言葉を吐きつつも、平然と明智さんが私を見下していた。
「貴女のその潔癖さもまた、素晴らしい。私とて、かの提案者が心より敬服するに
値する人物とは思っていません。なまじ勇気があるからこそ、勿体ない事です。し
かし嘆くには値しません。そんな彼の汚名を雪ぐためにも、私は彼に禊を与えまし
た。今現在の彼の心情を思えば、そうばかにしたものでもありませんよ」
どこかずれた発言をしながら、彼はぱちんと指を鳴らした。すると一体どういう
仕組みなのか……いくつかのカプセルが床に呑まれるように落ちていき、代わりに
別のカプセルが下から浮上してきた。
といっても、同じように緑の液体に満たされているし、中に入っている肉片も似
たり寄ったりなので、あまり違いが分からない。
ただ一つのカプセルを除いて。
『た、助けてくれ! お願いだ、どうか、許して下さい!!』
カプセルの中から救いを求める声がした。緑の液体の中には他と違い、きちんと
意識を保っていると思しき青年が閉じ込められていた。服こそ奪われて情けない恰
好ではあるけれど、両手首が欠損している他には目立った外傷がない。
その顔には、かすかに見覚えがあった。その人物は妙に背が高いので、私は彼を
『ノッポ』と呼んでいた……政府の人間だ。
まさか、彼がその提案者……なのか?
「そのまさかです」
当然の権利だと言わんばかりに私の心を読んだ明智さんが、そのカプセルに近づ
き、ちょっと背伸びをしてその上部に触れるような仕草を取った。
二メートル近い高さのカプセルの上がどうなっているのか、私には見えない。け
れどどうやら何かのスイッチがあるらしく、彼がしばらく手をもぞもぞと動かして
いると、やがてかちりと音がした。
瞬間、部屋中に響き渡るほどの声がした。
『ぎゃああああああああッ!!』
ノッポが叫んだのだ。
まるで気が狂ったかのように、狂気の表情で苦しみを露わにしている。泡立つ液
体の中、溺れそうな勢いで暴れまわっている。がりがりとカプセルの表面を掻きむ
しり、『殺せ、殺せ』と騒いでいる。
「あ、明智さん……一体何をしたんですか?」
「なに、少しばかり痛覚を刺激しただけですよ。通常ならば精神が崩壊する程度で
すが、彼には特殊な細工をしています。決して狂う事などできませんよ」
そう言って彼がもう一度かちりと音を鳴らすと、ノッポはさっきまでの態度が嘘
のように落ち着いた。顔には憔悴が現れて、今にも死にそうではあるけれど、少し
待つとまた『出してくれ!』と元気そうに振舞っていた。
「彼には人間の許容限界を超えた痛覚を与えています」
明智さんが言う。
「もちろん目的は魔神の肉体に馴染ませるためですが……最も被検体が苦しむ方法
でしてね。言い出しっぺの彼が引き受けるには、丁度良いでしょう」
「そ、そんな……」
「おや、夢路。どうかしたんですか? 貴女、先程まであんなにこの提案者を憎む
ような事を言っていたではありませんか。そんな彼に、まさか同情しているとでも
言うのですか?」
「わ、私は別に……」
「そうでしょう。さあ実験のためにもっともっと、彼に苦痛を与えましょう」
彼は薄い微笑みとともに、再び背伸びをしながらカプセルの上に手を伸ばした。
ノッポの苦痛は、いわば因果応報だ。
他人を差し出して自分達だけ助かろうとした人間の末路だ。
人類のほとんどが滅んだこの世界で、そんなクズがここまで生きていた事そのも
のが、死んでいった人間に対する冒涜だとさえ言える。
私には何も言う権利は無いし、責任も無い。
だって政府は誰も何も教えてくれなかったから。
突然明智さんとの接触禁止を命じたのも、この密約あっての事だろう。すると黒
服は知らないのか。政府の中でも一分の人間が知っているだけなのかもしれない。
でもだからって、私に教えない理由にはならないじゃないか。
私が子どもだから? 知ったら止めると思われたから? 今の任務に悪影響があ
ると判断されたから?
理由がどうであれ、隠された以上責任は持てない。
だから私はノッポに対して、極めて無関心でいるのが正解だった。
そうあるべきだった。
でも、気が付くと私は大きく一歩を踏み出していた。
自分で自分の事が信じられなかった。
ばかか、私は! 何を考えているんだ!!
こんな事をして何になる?
百害あって一利なしだ!
むしろそんな事をしたら、これまでの全てがご破算になる!
おそらく生きては帰れない。私は死ぬ。無意味に、無為に死ぬ。
頭ではそんな事分かっていた。
でも冷静な思考とは裏腹に、私の腕は伸び、握り込んだ武器を目の前の魔神に向
けていた。背伸びをしたその無防備な身体に、思い切りぶつけていた。
「『溶ける魚を解ける刀』……明智さんの身体を破壊しろッ!!」
切っ先が触れた瞬間、その微笑みが一瞬だけ途切れた。
この神器は魔神にも通用する……彼自身からそう聞いていた通り、その身体はプ
ラモデルの部品みたいに無数の欠片と化し、弾け飛んだ。
「……素晴らしい」
瞼から取り出されたエメラルドが、私を賞賛した。




