02
魔神は首を斬られても死なない。
以前にも唯野さんが首だけの状態で泣き喚いているのを見た事がある。彼らには
心臓で血液を巡らせる必要が無いようだ。
しかし当然、人間はそうもいかない。脳に酸素や栄養が行き渡らなくなるから、
首だけになったらすぐに死ぬのだ。
……なのに、どうして私は死なないのだろう。
どうして私は、自分の身体だったものをじっと見つめ続けていられるのだろう。
「クラスメイトとして一つ忠告しておきますが……尾行は趣味が悪いですよ」
私の生首を持ち上げながら、目の前の魔神……明智知英が微笑む。人の首を斬っ
ておいてその言い草は、まさしく危険な個体の言動だ。
「あ、あの……」
不思議な事に、しっかりと声が出た。
「私、今……どういう状態なのでしょうか」
「さあ、どうでしょうね」
明智さんは何も語らず、私の首と身体をずるずると引きずって近くの空き教室へ
と入り、それぞれ別の机の上に置いた。私の意識は首の方にあり、まるで水揚げさ
れた魚みたいな身体は頭のない首を垂れ下げて、力無く横たわっていた。
私の頭と身体を交互に見比べながら、明智さんは口を開いた。
「不破夢路。私はかねてより、貴女に一目置いていましてね」
「い、一目……ですか」
「人間である貴女が多くの魔神から支持を受け、愛されている。この事から、貴女
は他の人間とは何かが違うという事が分かります。その何かとはどういった類のも
のなのか……一度見ておきたかったのですよ」
「み、見るって一体……」
明智さんは私の問いに答える代わりに、自分の手の中から小刀を取り出した。さ
っき私の首を断ち切った刃物と同じ物だ。彼はそれを振るい、横たわる私の片腕を
切り取って見せた。
「ひっ……」
グロテスクな光景を覚悟した。自分の身体だというのに、ほとばしる鮮血を想像
するだけで血の気が引いてくる。突然過ぎる彼の行動にも、恐ろしさで震える。
でも私の予想と違って、血は出なかった。制服の肩の部分ごと切り取られた腕か
らはもちろん、腕を失った胴体からも血は出ない。断面はグロテスクに血の色をし
ているのに、血が流れ落ちないのだ。それでいて、血液の循環が止まっている様子
も無い。
これは一体……
「そ、その小刀……明智さんの能力ですか?」
「ふむ……貴女の腕は普通ですね。念のため、もっと細かく見てみましょう」
私の問いを完全に無視して、彼は手に持った腕をさらに細かく切断し始めた。
腕から手首が切り離される。
青白い手から、一本一本指が落とされる。
指も関節ごとに分解されて、丁寧に検分される。
私はそれを止める事も出来ず、眺めているしかなかった。
「腕は普通の人間と変わらないようです……やれやれ」
分解が終わった肉片を他の机に撒くように置き、彼はもう片方の腕へと目を向け
た。どうやらこの狂った蛮行は、まだまだ続くらしい。
「ち、ちょっと待って下さい!」
私の話を全く聞いてくれない彼だけれど、必死に声を張り上げると、動きを止め
て視線をこちらへ向けてきた。
「なんです?」
この状況で『なんです?』だなんてセリフを吐く時点で会話が成り立つかどうか
甚だ疑問ではあるけれど……どうやら話は出来るらしい。言葉を尽くそう。
「か、身体を分解しても意味が無いと思います! 私が他の魔神と仲良く出来てい
るのは多分、そういう人体構造的な話じゃなくって……」
「もっともな指摘です。あなたは聡いですね、夢路」
いかにも納得した様子で頷いた明智さんは、今度は私の頭に手を伸ばしてきた。
言うまでも無くそれは、彼曰く『聡い』事を言った私を褒めるためではなく、その
手には小刀が握られていた。
「検分するなら精神面……すなわち脳。当然ですよね」
そう言って彼が刀を振るった次の瞬間、その手の中には脳みそが握られていた。
あれ……私の? なんだかべたべたして濡れているけど……脊髄液って言うんだ
っけ。なんだか汚らしいなあ。しわしわだし妙に質感的だし、気持ち悪い。
なんて考えているのは、あの脳の中での事なのか。それが目の前に鎮座して、し
かも魔神に握られているという現実は、到底受け入れがたいものがある。ともすれ
ば発狂してもおかしくない状況の中、それでも私がかろうじて理性を保っていられ
たのは、目の前の魔神と一応会話が出来ているからだろう。
「や、やめてください! 私の脳を切ったって、何も分かりませんよ!」
「さあ、それはやってみないと分かりませんよ」
「分かりますって! 脳なんてただ電気信号流してるだけじゃないですか!」
「それは人間の科学です。魔神の目と耳で調べたら、全然違う結論が出ますよ」
「と、とにかくやめてください! 万が一傷つきでもしたら、私がどえらい事にな
ってしまいます!」
「それは面白い。是非やってみせてください」
「…………」
駄目だ、話が全然通じない。
いや、話そのものは通じているのか。さっきから私の指摘や否定に関しては、い
ちいち律儀に応対してくれている。「ちょっと待って」という懇願に対しても、一
応一瞬だけでも待ちの姿勢を取ってくれた。
聞いてくれないのは「能力を使ったのか」という問いと、「やめてくれ」という
懇願だけだ。その点に限ってだけ、意地が悪い。
魔神からすれば、人間の問いに答える義理なんて無いだろうから、当然といえば
当然だ。
でもこのままじゃばらばらにされて殺されるだけだ。なんとしてでも、どんな手
段を使ってでも、身を守らないと……!
「ま、待って下さい! お願いですから、ちょっとだけ手を止めてください!」
「何故?」
「……」
脳みそを取り出しておいてその呆け方はあんまりだと思うけれど……今は忘れ
よう。話を進めないといけない。
「ま、待って下さったら、あなたにもメリットがあるからです!」
苦し紛れの私の言葉に、しかし律儀な明智さんは興味深そうに手を止めた。
「ほう……それはどういう意味です?」
「み、見たところ明智さん、あなたは随分好奇心が旺盛なようですね……! 私の
身体を分解しようとしているのも、知識欲から来ているものでしょう……!」
「だとしたらどうだと言うのです?」
「こ、交換条件です! 私は今、九体の魔神の能力を知っています! この場を見
逃して下さるのであれば、そのうちいくつかをあなたにお教えします!」
「能力……ですか」
「わ、悪くない条件だと思います……! 魔神である明智さんはご自身の能力を行
使すれば、大抵の知識欲は満たせるでしょう! でも同じ魔神相手だとそうもいか
ない事があると思います……! 今後面倒な手順を踏まないと知り得ない情報を、
今なら私を見逃すだけで手に入れられます! わあ、これはお得! すごい!」
「……」
友人の秘密を売り、あまつさえ小芝居までしたというのに、明智さんのリアクシ
ョンは薄かった。うう……これはちょっと傷つくなあ。ただでさえ目も当てられな
い状態になっているというのに。
やがて彼は私の頭上に手を伸ばし、戻って来た腕には私の脳が無かった。
さらに明智さんは、どこからか手鏡を取り出してこちらへ向けた。普段なら吐き
気を催す鏡だけれど、そこに移った生首に元通り脳みそ……というか頭部がくっつ
いているのを見て、私はほっと安堵した。
「つまり夢路、貴女は私と交渉したいと言うのですか?」
微笑みを絶やさず真剣な口調で、明智さんが問う。私は必死に首を縦に振り続け
た。
「お、お願いします……!」
何度目かの首肯の時、私の首が掴まれた。持ち上げた明智さんの口元には、普段
よりも少しだけ喜色ばんだ笑みが浮かんでいたように見えた。
※
「魔神の具現化能力で生み出した道具……私はこれを『神器』と呼んでいます」
私の首と胴体をくっつけた明智さんが、自らの手に持った小刀を私に見せびらか
しながら、聞いた事の無い情報を話している。
「魔神の三つの能力のうち、必ず一つは具現化能力です。その特性は様々ですが、
共通して魔神の意志一つによって生み出されます。例えば大神さんは鎖を、大道は
秤を具現化しますね。もっとも彼女らと既に交流がある貴女にとっては、今更語る
までもない事でしょうが」
言いながら、明智さんは近くの机に自分の小刀を置いた。
「握ってみなさい」
「え?」
「貴女は先程、私の能力について問いましたね。試してみると良いでしょう」
彼の言葉に導かれるまま、私は小刀を手に取った。
まるで羽のように軽く、それでいて強い直感的な力を感じる。明智さんの具現化
した物体……神器とやらは、こんな感触なのか。
「いいですね。では早速、そこの机を切り付けてみなさい」
「え……机を、ですか?」
私の問いに、明智さんは答えない。言う通りにするしかなさそうだ。
おずおずと切っ先を机の天板へと当ててみた。するとその瞬間、机が倒れた。
ただバランスを崩して倒れたのではない。机を構成する四つの脚が全て外れ、天
板が取れ、骨組みが分解し、ばらばらになったのだ。天板も机の脚も溶接されてい
て、容易に外れるわけもないのに。
「え……」
見るも無残な机の残骸を見下ろしながら、私は先程までの自分自身の身体の状態
を思い出す。私の身体も、首と胴体のパーツが外れたようなダメージを負っていた
けれど……
「はい。私の神器『溶ける魚を解ける刀』には、物体を分解する力があります」
「分解……ですか」
「簡単に表現するとそうなります。ただし分解の具合や度合いについては、使用し
た者のイメージ次第で自由になります。今貴女は単純に机をパーツごとに分解した
だけですが、やろうと思えば天板のみを外す事も、机の脚一本の原子一つを取り出
す事さえ可能です。変則的ですが、見かけ上だけ分解して、実際は接続を保つ事も
出来ます。先程あなたの首のみを取り外せたのも、そのおかげです」
「……」
「分解方法によっては、そのまま繋ぎなおしたりもできますよ。それこそ身をもっ
て体感したでしょう」
明智さんは嫌になるほど懇切丁寧に、能力の詳細を教えてくれた。さっきまでそ
の凶刃が自分に向いていた事を思うとものすごく奇妙ではあるけれど……これは彼
が私を『取引相手』と認めた結果だろうか。条件付きで紳士な対応を取るタイプの
相手だと思うべきか。
だとしたら、条件が変われば再び危険な個体になるという事だ。今は優しいから
って、決して安心してはならない。気を張っていよう。
「え、ええと……ちなみにこれは、魔神にも有効なんですか?」
「もちろんです。ただし魔神には再生能力がありますから、肉体を分解してもじっ
くり観察するのは難しいですよ」
「か、観察はしませんので……」
「左様ですか」
明智さんは私の言い分を聞き流して、話を続けた。
「ちなみに神器の具現化条件……たとえば具現化にかかる時間や同時に出せる個数、
神器のディテールやサイズの変更の可否などは、個体ごとに異なるようです。私の
場合は一度に何本も出せますし、一度出したものは明確に消そうと思わない限り残
り続けます。その反面、大きさや見た目は変えられないのが難点ですがね」
「は、はあ……」
そういえば以前、忍さんは『処刑人の聖剣』の長さを伸ばしていたし、城菜さん
は『神域に至る聖杯』を一度に複数具現化していた。そういう操作は個体差がある
わけか。それは知らなかった。よく研究してるなあ……
「さて、私の方の手札は切りました。これをもって取り引き成立という事でよろし
いですか?」
念を押すような明智さんの言葉に、私は不安に満ちた返事を返す。
「は、はい」
「では……そうですね。まずは場所を移動しましょうか」
「え?」
「秘め事を話すにしては、ここは適していない。同行するのは不安ですか?」
「あ、いえ、その……」
それについては完全に図星だ。ただでも人気の無い状況で、ここからさらに『秘
め事』とやらが出来るくらいセンシティブ空間に行くとなると、いざという時の助
けが全く期待できなくなる。最悪照を呼んで助けてもらおうと思っていたけれど、
それすら敵わなくなるのはちょっと怖い。
でもそれ以上に、明智さんの持つ情報は魅力的だ。こうしてちょっと話をしただ
けでも、政府の人間を逆さに振っても出てこないような話ばかりが聞ける。危険は
大きいけれど、リターンもそれ以上に大きい。
だから私が声を上げたのは異議があるからではなく、それ以前の話。いそいそと
教室を出て行こうとする明智さんの行動に反して、彼が私に手渡した『溶ける魚を
解ける刀』が未だ私の手にあったからだ。
「あ、あの、これ……」
「ああ、それは差し上げますよ」
「え?」
「私の情報に関する副賞とでも言いましょうか。貴女から得られる情報にはそれだ
けの価値があると判断しました。貰って困るものでもないでしょう?」
「え、ええと……本当にいいんでしょうか」
「無論です。私がいない時でもその能力は使えますから、ご安心を」
「…………」
そういえば以前、あんまり自然にやってしまったので気づかなかったけれど……
私は終日さんの『夢枕<うつつ>』を彼の手から離れた状態で使用した。あれは彼
の意志あっての事だと思っていたけれど……そうじゃないの?
心臓が高鳴る。
皮膚が燃え上がるように熱くなり、その下で熱された血が駆け巡る。
興奮と恐怖と、大きな不安が押し寄せる。
これはもしかして……政府の人間はおろか、他の魔神も知らないのではないか。
具現化された神器は、手にすれば人間にも使用する事が出来る。
もしもこの特性が全ての魔神の神器に適用されるのであれば……それは人類の反
撃という観点において、極めて重要な事ではないか。
魔神の最も恐ろしい脅威である三つの能力……そのうちの一つを、シチュエーシ
ョンによっては人間側の意志で使えるのだから。
手に持った小刀が、恐ろしいほど熱い。いや、熱いのは私の身体か。
これから私は、虎口に飛び込む事になる。
この情報を生きて持って帰る事が出来れば……世界は変わるかもしれない。
これは今まで以上に重要な戦いになりそうだ。
絶対に生きて帰ろう。
そんな意志を密かに、私は教室を後にした。




