01
魔神の生態には謎が多い。
何をきっかけに、どういう条件で発生したのか。二ヶ月前に発生した十一体の他
にも新たに魔神が誕生する可能性はあるのか。
彼らが持つ無限の生命力や再生能力を、科学兵器や特殊なシチュエーションによ
って人為的に阻害する方法は無いのか。魔神は本当に不死身なのか。
何が出来て、何が出来ないのか。個体ごとにどのくらい身体能力差があるのか。
弱点や苦手なものは無いのか。逆に好きな物は無いのか。こちら側がそれを提供す
る事によって、味方に引き入れられないか。
ただでさえ劣勢……というか既に敗北状態の人類にほんの僅かな勝機があるとす
れば、それは情報戦に他ならない。十一体の魔神が抱える秘密を余さずつまびらか
にすれば、あるいは人類が存続する可能性もゼロではない。
そういう奸計から、政府は魔神と交流が可能な唯一の人類……すなわち私をこれ
でもかと酷使する。毎朝のように嫌味ったらしく魔神からの被害情報を述べて、激
励と称した後ろ指を差してくる。早く他の魔神と仲良くしろとか、既に仲の良い魔
神から協力を得ろとか、無茶ばっかりだ。そんなに言うなら、教師役の人間にも同
じ指令を出して欲しいものだ。もっとも、調子に乗って魔神と交流を図った教師は
一人の例外も無く殺さるか精神に異常を来たす事態に陥っているので、やむなしで
はあるけれど。
だからこそ、今朝の指令には絶句した。
「明智知英との接触は免除します。今後一切、彼と関わりを持たないように」
登校前に私の家を訪ねてきた顔なじみの男……黒服が相変わらず不景気そうな顔
で、そんな事を言う。その表情には、苦々しいものが垣間見えた。
明智知英。
私がまだ接触していない魔神の一体だ。終日寝太郎とは違う意味で接触が困難な
男性型の魔神で、かねてより政府からは彼との接触を催促されていた。
「それが一体、どういう風の吹き回しですか?」
「い、いや、私にもさっぱりでして……」
私の問いかけに、黒服は「命令ですので」とただただ困っていた。どうやら彼に
は知らされていない何かがあるらしい。結局彼は何の情報も吐かないまま、私の家
を出て行ってしまった。
「……怪しい」
私は一応、政府が派遣した諜報員として活動している。
でもだからって、政府を全面的に信用しているわけではない。以前には私の生命
を餌に魔神同士の仲違いを狙った作戦に巻き込まれた事もあった。一部の人間の中
では、私は捨て駒同然というわけだ。
死ぬのは怖いけど、世界平和のためならやむなしと思っている。でも魔神という
種の底が見えない現状、犬死にする未来しか見えない。そんなのはごめんだ。
というわけで、流れに身を任せているのは危険だと思った私は、件の個体に関す
る情報を集める事にした。
「んー、明智君? えっとね、頭良いんだよ。こないだのテスト結果、クラス内ラ
ンキング一位だったんだ」
登校途中で、社交的な照は私の問いに快く答えてくれた。ただしその直後、不穏
そうな顔つきでじっと私をねめつけたけれど。
「……でもむーちゃん、明智君と話した事無いよね? どういう風の吹き回し?」
「え、ええと……ちょっと気になったから」
「気になったっていうと?」
「い、いや、その……まだ話した事ないから、ね」
「ふぅん。皆と友達になろうと頑張ってるんだ。むーちゃんは偉いねえ」
なんだかんだ呑気な顔をした照からは、大した情報は聞けなかった。
教室に着いて周りを見渡す。件の魔神はまだ来ていないみたいだった。所在無く
視線を彷徨わせていると、見慣れた姫カットが頬を緩ませてこちらに来た。
「夢路、誰かを探しているの?」
三途璃さんだ。この間のテストで赤点を取った私は、彼女から三日間の過酷な補
習を受けたばかりなので、若干トラウマだ。予想していたより甘やかしてもらえた
けれど、やっぱり勉強漬けの日々は尋常じゃなく辛かった……
「あ……三途璃さん。あの、明智さんってどんな方かご存じですか?」
「明智君?」
私の口から出た名前に、彼女は面食らっていた。
「まさか夢路、彼に勉強を教わろうとしているの? 悪い事は言わないからやめ
ておきなさい。確かに頭はいいけれど、教え方は委員長の私の方が上手いはずよ」
「あ、い、いえ、そういうわけじゃ……」
「違うの? だったら尚更やめておきなさい」
「……ど、どうしてですか?」
「今この場にいない相手を悪く言いたくないけれど……彼はあまり規範的じゃない
から」
「規範……」
「要するに、倫理観が無いのよ……ちょっと、なによその顔は」
「あ、い、いえ、何も!」
そんなのどの魔神も一緒じゃないか、と言いそうになった口を慌てて閉じた。危
ない危ない……さすがに言っていい事と悪い事があるぞ、私。
自分の席に戻っていく三途璃さんを尻目に、私は珍しく背後からの視線を受けて
振り返った。
「……ゆめ、今知英の話してたか?」
スターサファイアを半開きして、猫背の姿勢から私を見上げる終日さん。ここ数
日一緒に補習を受けた仲間として、ある程度仲良くなった彼は時折こうして学校で
も話しかけてくるようになった。喜ばしい事だ。
「え、ええと……終日さんは明智さんと仲が良いんでしたっけ?」
「……一応友達だ。このクラス、男子が少ないからな」
「それで、彼はどんな方なんですか?」
「……物腰柔らかでノリの良い奴だ。正義とは違う意味でひたむきだが、決して褒
められた性格じゃないな。声を掛けるなら気を付けるといい」
「……」
どうも皆、件の魔神に抱いている印象が微妙に一致していないような気がする。
でも近づくべきじゃないという評価だけは一貫している。私も同感だ。
頭の中で情報を整理しているうちに、彼……明智知英が教室にやってきた。
他の魔神の例に漏れず、大胆なカラーリングだ。彼の場合は色鮮やかな緑。さら
さらのストレートと相まって、落ち着いた雰囲気を醸し出している。彫刻のように
整った顔立ちの中に、エメラルドを思わせる深緑が鈍く光を湛えている。
外見に威圧感は無く、声や性格も穏やかで、取り乱したり声を荒げたりしている
のを見た事が無い。社交的で、大道さんや終日さんの他、照や三途璃さんとも会話
しているのを見た事がある。
もちろん授業中に暴走している姿は見た事ないし、政府の人間から彼が人間や建
造物を傷つけたという噂も聞かない。
見聞きした限りの情報だけなら、善良とは言えないまでも比較的無害そうな個体
である。
しかし私は彼を警戒している。終日さんと違って、精神的に話しかけづらい。
何故なら彼は、常に微笑みを浮かべているから。
さながら忍さんのように、不自然なほどににこやかなのだ。
それこそ忍さんという前例を知っているからこそ、恐怖が先行する。彼女はたま
たま照と仲良しだった関係で、当初から私にある程度友好的な態度をとっているけ
れど……もしもフラットな状態だったなら、間違いなくこちらから歩み寄ったりは
しないだろう。
そういう類の苦手意識は今もある。だから私は明智さんに話しかけたりしない。
あくまで遠巻きに、彼の様子を観察するだけに留めておく。もしもその結果、行動
が必要になったなら……それはその時考えよう。
かくしていつも通りの学校生活が始まった。
そして観察し得る限り、彼はいたって普通の言動しか取らなかった。
授業中は教科書を広げ、そこそこ真面目に板書を写す。
休憩時間は主に男子達と、時には照やモモさんみたいな社交的な女子とも会話を
していて、コミュニケーションに難は無さそうだ。
お昼休みには食事を摂る。健全な男子高校生が食べそうな量の、普通の弁当だ。
誰かが暴走しそうになった時は興味深くそれを見つめ、行動する事はない。
魔神同士の衝突が起きそうになっても、眉一つ動かさない。
多少落ち着きはあるけれど、それ以外に目を見張る点は無い。
政府の人間は一体何故、私に彼との接触を禁じたのだろう。
温厚過ぎて脅威ではないから?
いいや、断じてそうではない。相手は魔神なのだ。脅威でないのなら、だからこ
そ積極的に取り込みたいはずなのだから。
ならば明智さん側から干渉しないで欲しいと政府に掛け合ったとか?
それも多分無いだろう。魔神から見た人間なんて、所詮微生物以下の存在だ。煩
わしいなら滅ぼしにかかるのが当たり前だ。皆、彼の事を危ない存在だと認識して
いるみたいだったし……人間が嫌いなら、真っ先に私が殺されているはずだ。
よく分からない。きっとまだ情報が足りないのだ。
もっと彼を観察していれば、何かが分かるかもしれない。幸い今日は城菜さんと
の約束の日じゃないし、三途璃さんの補習も終わったばかりだ。放課後、私を縛る
者は誰もいない。一緒に帰りたがる照は、適当に次の休日に遊びの約束をしておけ
ば喜んで引き下がってくれるだろう。
そうして、待ちに待った放課後。
帰りのホームルームが終わり、三々五々。魔神達は帰り支度を始めた。皆やりた
い事があるのか、あるいは気が短いのか、すぐに教室を出ていく。私もその波に乗
るようにして、さりげなく明智さんの背を追った。
彼は昇降口で靴を履かず、代わりに下駄箱を素通りし、渡り廊下を通って別の校
舎へと向かっていった。
やっぱり何か企みがあるのだろうか。
私はいかにも何か忘れものをした風を装って踵を返し、下駄箱から魔神達が消え
たのを見届け、大急ぎで渡り廊下を走り抜けた。幸い、明智さんの背を見失う事は
無かった。
「……」
明智さんはそのまま階段を上がり、人気の無い校舎を昇っていく。
窓から差し込む陽の光が眩しさを増していく。夕暮れに染まる準備をしているよ
うな陽の様相に、不思議な焦燥感を抱かずにはいられない。
そういえばここ、前に来た事があったっけ。一ヶ月ほど前に来たときは、空き教
室でジュジュさんが黒魔術の儀式をしていた。ならば明智さんも、似たような蛮行
に及んでいるのだろうか。
やがて彼が一番上の階で廊下の方に曲がっていった。どうやら屋上ではなく、最
上階のどこかの教室に用があるらしい。慎重に呼吸を置いて、私もそっと曲がり角
を抜けた。
「え……?」
瞬間、濁ったエメラルドがまっすぐこちらを向いているのが見えた。
目を見開いた私の姿が、昏い緑の中に映し出される。その全身を塗りつぶすかの
ように、こちらに手が伸ばされた。
長い腕だ。その腕には懐刀のような短い刃物が握られている。
その切っ先は、まっすぐに私の首をめがけていた。
防御や回避はおろか、声を出す暇も無かった。短いながらも私の首を通すには十
分過ぎるほどの刃渡りが駆け抜ける。
背中に鳥肌が走ったのを自覚した頃には、刃は既に私から遠ざかっていた。
ずるり。
視界が揺らぎ、浮遊感とともに落下していく。
身体が軽い。否、何も感じない。
気持ち悪いほどの身軽さを伴って下へ降りる視界の中、首から上を失った無様な
少女の身体が見えた。
私の身体だった。
身体の高さから落下した後頭部が床に落ち、小さくない衝撃が襲う。
痛みを感じる余裕もない私は、相変わらず微笑みながらこちらを見下ろす翠玉か
らの得体のしれない視線に、言葉に出来ない類の恐怖心だけを抱いていた。
明智知英は、私の首を掻っ切ったらしい。




