03
かの有名な漫画の神様、手塚治虫が夢オチを禁忌にしたというのは有名な話だ。
もちろんそれは、あくまでフィクションの話だ。要するにストーリーのオチとし
て、ただ単に『何もかも夢だった』という事実を突きつけるのは、どんでん返しと
して安易すぎるからだ。
逆に言うと、安易でなければ夢オチでも許されるというわけだ。
「……で、この場合はどう解釈すべきなのでしょうか」
「あんまり難しく考えない方がいい。所詮は泡沫……この現実も、いずれはおれの
夢に消える運命なんだから」
時計を見ながら「まだ時間があるな」と寝転がって布団と戯れる終日さんは、実
に楽観的だ。一体何が起こったら、そんな態度が取れるのだろう。
「解説しよう」
終日さんが気怠そうに言った。
「おれの能力、『胡蝶の夢物語』。体験した通り、夢オチを発生させる能力だ。オ
チになったのはおれの夢だから、他の連中は気づかない……はずなんだが、ゆめ、き
みは気付いているみたいだな。多分直前におれが触れていたからだろう」
「……」
夢オチにする能力。すなわち、ゲームで言うところのリセットボタンの行使。そ
れは、私がこれまで見たどの能力よりも概念的で強力なものだ。あらゆる出来事を
一瞬で無に帰せるというのは、さながら全知全能の神に等しい所業だ。
何もかも、彼の胸三寸で無かった事になる。
それを認識してしまった私は、これからどうやって世界を見つめていけばいいの
だろう。やり直しの利く世界というのは、今までよりもずっと薄っぺらく見える。
いや、よく考えると私のやり直しは全然利かないから、あんまり変わらないか。
とはいえ、警戒はしないといけない。これから先、何らかの理由で人類が魔神よ
りも優位に立てたとしても……終日さんがいる限り、全く安心出来ないわけだ。
「どうした、ゆめ。何で深刻そうな顔をしてる?」
私の内心を知る由もない終日さんは、ぼんやりと眠たそうに首を傾げた。
「この能力を使えば、テストはもう何の脅威にもならないのが分からないか? テ
スト問題は間違いなくさっきと同じものが出る。マークシートだし、解答ももらっ
たから楽勝だ。記憶力まではカバーできないから満点にはならないけど、赤点を回
避するくらいわけないだろ」
「で、でも、これ、いいんですかね……? カンニングなんじゃ……」
「人聞きの悪い事を言うな。おれ達は夢に見たテストの答えを描き写すだけだ。夢
と現実が全く同じ内容だったとしても、それは別におれ達の責任なんかじゃない。
仮にそうでも、証拠はどこにもない。委員長だって、おれの夢には気づかない」
「そ、そうでしょうか……」
「うん。そうだ。さあゆめ、きみはそろそろ家に帰った方がいい」
終日さんに促され、私は再びさっきまでの行動をなぞる。家に帰って身支度を整
え、登校する。家を出た時刻も、さっきとほとんど同じだった。
もちろん秒単位で同じとはいかない。だからなのか、自分の家を出てすぐの往来
で、さっきは見なかった桃色のツーサイドアップと出会った。
「あら夢路、今から登校?」
モモさんだ。まるで私を待ち構えていたみたいにまっすぐこちらを向いていた。
私が駆け寄ると、彼女はおどけた様子で私の頭をぽん、と撫でた。
「あんた、やっぱり最高に面白いわよね」
「え?」
「じゃあまた学校会いましょ!」
それだけ言って、彼女はすたこら去っていった。
何だろう。すごく意味深だ。まさか夢オチの件、ばれてないよね……? でもば
れてないならそれはそれで、何であんなところでわたしを待ち構えていたんだって
話だし……
疑問を抱えたまま通学路を進み、照と出会う。彼女はいつも通り、屈託の無い笑
みを浮かべていた。
「むーちゃん、今日も可愛いね!」
「……」
意味の分からない言葉は適当にスルーするとして……照の挙動は普通だ。
でも会話を進めてみると、話題や話し方なんかは夢と全然違う様子だ。夢オチを
知覚していないなら、全く同じ挙動を取りそうなものなのに。
とはいえ、私の方の挙動も夢の時とは全然違う。テストの心配で頭がいっぱいじ
ゃないし、夢オチを知覚している事もあるから、照への視線や受け答えの反応が違
うのは当たり前だ。照の反応だって違って当然だ。
結局、それ以上の確認は出来なかった。
夢オチを知覚しているのかいないのか、あるいはおぼろげなのか。
二体の魔神の反応からそれを読み取る事は出来なかったけれど、とりあえず最も
手強い相手である三途璃さんは私の不正を疑っていないようで、顔を合わせると厳
しい目つきで「今日は頑張りなさい!」と言っていた。
ここいらで、私はようやく一息ついた。だって終日さんの言う通り、ここから先
は何一つ懸念する事が無いのだから。
テストが六つ、夢と同じ順番だ。覚えている限り解答と同じ場所にマークする。
そして夕刻……返ってきたテストは予想通り、満点に近いそれなりの高得点だ。
「ふぅん……夢路も終日君も、随分頑張って勉強したのね! やれば出来るじゃな
い! 私、ほんの少しだけ感心したわ!」
三途璃さんがにこやかに私の頭を撫でる。さすがにその甘い言葉は予想外だ。私
の胸に罪悪感のナイフが刺さる。うう……いくら魔神相手とはいえ、これは居心地
が悪いなあ……
所在なく目を逸らすと、終日さんは悩みの無さそうな顔で「もっと褒めてくれ」
と言いたげに胸を張っていた。どうやら彼の心臓には毛が生えているらしい。
「……」
その傍らで、忍さんが無言の視線をこちらに向けていた。いつも以上に演技くさ
いその笑みは、こころなしかいつもより冷たい気がした。
「あ、あの……なんですか?」
「……いえ、別に」
興が醒めた、とでも言わんばかりに彼女は私から目を逸らし、自分の答案を眺め
始めた。もしかすると、彼女も気づいているのかも……
でも私を咎めたりはしないし、不正を三途璃さんに伝えたりもしない。それもま
た、私の考えすぎなのかもしれない。
ともあれ、テストの一日目はあっさり終了した。
そしてその後の放課後も、私は終日さんの家にいた。
「黄泉丘の手前、勉強もしてないのに高得点を取るのは不自然だ。形だけでも勉強
会のふりくらいはした方がいい」
家に着くなり終日さんは枕を二つ具現化し、片方を私に放った。
「え、ええと……これは?」
「起きてても仕方ない。明日の登校時間まで寝るといい」
「い、今からだとまだ早いんじゃ……」
「早かろうが眠くなかろうが、眠れるのが『夢枕<うつつ>』のいいところだ。最
近の若者は夢を見ないって嘆かれてるらしいし、おれ達でそんな評価を覆そう」
「ぜ、絶対にそういう意味ではないと思うのですが……」
「いいから。お互い寝言は寝てから言おう」
どうやら眠りを至上の喜びとしているらしい終日さんは、私が眠らないのが不思
議らしい。いや、確かに起きてたってやる事は無いんだけど……なんだか怠けてい
るみたいで気が引ける。
でも終日さんはそんな都合なんておかまいなしに、強引に私を眠らせにかかる。
渋る私の両手首を掴んで枕をベッドに落とし、そのまま覆いかぶさるようにして、
私の頭を枕に押し付けた。
完全に組み伏せられた格好だけど、恐怖も不満も抱く余地なく眠気が先行した。
そしてすぐに気持ちよくなる。これが彼なりのコミュニケーションなら、それも
悪くない……のかな?
※
テスト二日目も、基本的には一日目の繰り返しだ。
「どうせ今日もまた夢オチにするんだ。今回はそのつもりで、気楽に行くといい」
昨日と同じ時間に終日さんの家で目を覚まし、同じように帰宅を促される。あま
りにも簡単に現実が夢になるものだから、起きた時点で頭が寝ぼけていた時は、三
回目のループが始まったのかと錯覚してしまったほどだ。
でも今回は日付が一日進んでいる。テスト二日目だ。
そして終日さんの言う通り、このテストでも高得点を取るためには、また同じよ
うに解答をもらったタイミングで夢オチになる。また今日一日が始まるかと思うと
頭がどうにかなりそうだ。
これが魔神の日常なのだ。ちっぽけな人間である私には耐えられそうもない。
そう、これは私の身の丈に合わない非日常なのだ。
「……あの、終日さん」
呼びかけると、彼は億劫そうにごろりと寝返りを打って私を見上げた。その深淵
な光を帯びた星に見つめられて、私は怖気づいて首を振った。
「……すみません、なんでもありません」
「そうか……? いや、いいけど。早く家に帰ったらどうだ?」
「……そうします」
逃げるように、終日さんの家を後にした。喉元まで出かかった疑問は、結局口か
ら出る事はなかった。
どうして終日さんは、私なんかに声を掛けてくれたのだろう。
夢オチを利用してテストの解答を知るというのは、なるほど完璧な攻略法だ。二
日目もこの調子で行けば、赤点は免れる。
でもそれは、彼一人でも十分出来る事だ。
この不正に私を組み込むメリットが、彼には全く無い。私は彼に協力しているわ
けではなく、彼のメソッドにただ乗りしているだけなのだ。
彼がそれを容認しているのは、本当に私を気に入ったというだけなのだろうか。
彼は私にもっと他の何か……手痛い代償か何かを求めているのではないだろうか。
……そう考えてみたけれど、意味は無かった。だって結局、私には他に取れる手
段は無いのだから。
家に帰り、身支度を整え、通学路を歩き、照と教室へ。今日はモモさんを見かけ
る事はなかった。
そして流れ作業のようにテストが始まる。どうせ無味乾燥な夢に消える運命に、
私はもう情緒を失っていた。
一限目、古文。現国と違って文法が見慣れないから全然分からない。赤点は確定
だろう。
二限目、数A。数Ⅰと全く同じ理由で断念。漠然とした不安が募る。
三限目、世界史。日本史に興味が無いのに世界史に興味が持てるわけもない。
四限目、生物。魔神の生態が解明されていない以上、何もかも無駄でしかない。
五限目、美術。実技で粘土細工を作る項目があったけれど、どうせやり直しにな
るのだからやる気は出ず、適当な感じになってしまった。
テストが進めば進むほど、投げやりな気分が増していく。こんな態度は良くない
というのは分かっているけれど、どうにも気持ちが追いつかない。今はまだこの世
界は紛れもない現実だというのに、どこかふわふわとした浮遊感に包まれている錯
覚に襲われる。
この感覚は……私を殺す気がする。
早く夢から醒めたかった。ここは夢でも何でもないのに。
まるで夢遊病のように覇気の無い私は、ほとんど空っぽのテストが返却されるの
を他人事のように眺めていた。他の魔神達の目にもその様子が異様に映ったのか、
遠巻きにいくつかの視線を感じる。こちらを案じるような照、下らなそうに一瞥く
れる忍さん。テスト返却中だから厳しいはずの三途璃さんでさえ、困ったような目
つきを投げかける。私はそれに気づかないふりをして、必死に解答のマークシート
を記憶する事だけに執心した。
テスト返却が終わった。昨日より少しだけテンションの低い教室の中、魔神達が
競争する声が聞こえてくる。三途璃さんが長い吐息とともに立ち上がったのが見え
た。その瞬間、背後から私の肩に手が触れる。振り返ると、終日さんがじっとこち
らを見つめていた。
彼が何をしようとしているのか、私には伝わった。返事代わりに小さく頷くと、
彼は小さく指を鳴らして見せた。
ぱちん。
先日聞いた、何かが弾ける音はこれだったのか。
そんなどうでもいい事を考えながら、視界が歪んでいった。
予定調和の夢オチだ。
そう思ったまさにその刹那、突然ノイズが走った。
「え?」
まるでテレビの砂嵐みたいに視界いっぱいに白い何かが走り、歪む視界が静止し
た。けれど教室の風景は既にどこかへ消し飛んでおり、ノイズが晴れた私の目に映
し出されたのは、名状し難い異世界だった。
「これは……」
思わず言葉を失うほどの光景だった。
夜のように暗く、遠くに星々が煌めいている。けれど星達は流星のように目まぐ
るしく動き回る。上下左右、縦横無尽だ。足元には太い白線がいくつも走り抜ける
ように一方向に飛んでいき、私を置き去りにする。白線が通り過ぎた後は透明とも
闇ともつかない、目を瞑った時に見える映像みたいなものが残っている。
遠くで何か、低い咆哮のような声がした。そちらに目を向けると、パッチワーク
で継ぎはぎしたみたいなブタともゴリラともつかない巨大な謎の猛獣が、折り紙の
ように薄っぺらい身体を踊るように回転させながら火を噴いていた。猛獣は一匹で
はなく、何体も何体も狂ったように折り重なっている。
時折、花火が弾けるような音がする。けれど景色には全く影響が無く、それが却
って不気味だ。
一言で表現すると、悪夢のような光景だ。
現実ではないのは確かだ。でも夢にしても、こんな脈絡の無い風景なんてどう捉
えればいいのだろう。
おかしいな。世界は確かに夢オチした。
だから私は、従来通り寝太郎さんの家で目覚めるはずなのだ。
それがどうしてこんなところにいるのだろう。
どうしてこんな事になったのだろう。
不安が増していく。
嫌な予感が膨らんでいく。
身体の震えが止まらない。
上下する肩を諫めるように、手が置かれた。
暗がりの中、闇の溶けるようにスターサファイアが浮かび上がった。
「ゆめ……平気か?」
「ひ、終日さん……」
一息だけ安堵を吐き出して、すぐに取り繕った。
「あ、あの……これは一体どういう趣向なのでしょうか」
「……」
終日さんはすぐに答えず、周りを見渡した。宇宙空間のようなこの場所に、出口
や道は一切見当たらない。すさまじく広いのに、とてつもない閉塞感だ。
「ここは夢でも現実でもない」
「え?」
ぽつりと呟いたその言葉の意味は、矮小な私には読み取れなかった。
「え、ええと……」
「簡単に言うと、ここは狭間の世界だ。夢と現実のな」
「……」
「夢オチは失敗だ。おれ達はここに閉じ込められた」
普段から呑気な終日さんが、柄にもなく深刻そうに眉間に皺を寄せた。
えーと……この場合、何オチという事になるんだろう。




