04
次に部屋に入ったのは、キツイの方だった。残ったヤマイは深刻そうな顔つきで
キツイを見送っている。さっきのクライの試練を見て、難関だと感じたのだろう。
「……彼も無事にこちらに来られると良いのですが」
私の隣でモニターを見つめるクライが不吉な言葉を残す。
無事じゃなかったらどうなるのだろう。もしも試練を突破出来なかったら、どう
なるというのだろう。
全ては闇の中。暗中模索する術も無いまま、次のゲームが始まる。
キツイが扉を閉めた瞬間、例によって部屋の中に変化が訪れた。
今度は石壁による仕切りは無い。モニターを使うまでもなく、キツイの姿を視認
する事が出来た。
彼の足元には、二本の白線が現れていた。一本はすぐ足元、片脚が既にそれを踏
みつけている。もう一本はそこから二メートルほど先にある。石灰でグラウンドに
引かれたような簡素なもので、それ自体に大きな意味は無さそうだ。
問題はその先……二本の白線の向こう側の空間には、異様な存在感を放つ物体が
蠢いていた。
多分、ロボットだ。クマやウサギを可愛くデフォルメしたマスコットキャラクタ
ーのような大きな頭部に、無骨極まりない骨組みの身体が生えている。それらが全
部で五体ほど、モーター音を響かせながら右往左往している。動作に一貫性は見ら
れず、本当にただうろうろしているだけのようだ。足元には『おもちゃ箱』と書か
れた段ボール箱や、積み木や機関車の模型といったおもちゃが散乱していて、彼ら
は時折それらにつまずいては、コミカルに頭を掻く。けれど胴体が骨組みなので、
可愛くはない。
それとは別にもう一体、リスのマスコットがこちらの壁際に立っている。透明な
壁を挟んで、じっと私やクライを見つめている塩梅だ。こちらは棒立ちで、動く気
配が全くない。着ぐるみ特有のアルカイックスマイルが見下ろしてくる様子は、何
というか不気味だ。キツイからでは背中しか見えないだろうに……
リスの頭の少し上の壁には、いかにもバラエティー番組で使いそうな実用性が低
いであろう大きな押しボタンスイッチと、緑色に光るパトライトが鎮座している。
これは……なんだろう。
『なんじゃこりゃ……なあ皆の衆、これをどう思う?』
緊張からか、普段よりもちょっと上ずった声でキツイが言う。私達の声は届かな
いのだから、それは強がりを含んだ独り言にしかならない。キツイ自身もそれを認
識しているのか、私達の反応を期待せず、『とりあえず行ってみっか』などと努め
て軽い調子を演出しながら一歩前に踏み出した。
キツイの脚が、一本目の白線を跨いだ。
瞬間、けたたましい警報音が響き渡った。リスの頭上のパトライトが、真っ赤な
警戒色を放ちながら回転し始めた。
『な、なんだ!?』
キツイは驚いて脚を止めた。それを確認するかのように一呼吸挟んで、リスの口
が開いた。
『ダ~ルマサンガァ……転ンダ!』
気が抜けるような声だった。そして言い終わったリスは、まるで遊びのようにに
っこりと微笑んで、キツイの方へと振り返った。
『……』
キツイは硬直したように動かず、観察を続けている。それに倣うかのように、手
前でうろうろしていたクマやウサギも動きを止めた。さながら本当に「だるまさん
が転んだ」で遊んでいるかのように。
ただし一体だけ、それに失敗した奴がいた。ピンク色のウサギ頭をしたロボット
だ。他と同じく動きを止めるところまでは良かったのだが、止まる直前に足元の積
み木を蹴飛ばしてしまったのだ。
静止した空間で積み木が転がり、かつんと音を出した。
リスが積み木を見つめ、それを蹴飛ばした足を、そしてそのロボットの頭へと視
線を動かした。視線を追うように、リスの腕が迂闊なロボットの頭に向けられる。
そしてその腕から、何かの砲口が飛び出した。
『ピンクノウサギサン、捕~マ~エタ!』
リスが言葉を切ったのと、砲口から光線が飛び出したのは同時だった。光線はウ
サギの頭を貫いて、透明な壁に当たって部屋を揺らした。頭に穴を空けたウサギは
シュールにも『ヤ、ヤラレタァー!』などと呟いて、爆発した。
それを見届けたリスは満足そうに頷くと、不意にキツイに視線を送った。
『……!』
キツイは動かない、喋らない。ぎょっとした表情を浮かべながらも、その視線に
耐えていた。
やがてリスは視線を落とし、キツイの先にある二本目の白線を視界に入れ、また
こちらを向いてしまった。そしてにこやかに言葉を紡ぐ。
『ダ~ルマサンガァ……転ンダ!』
そして同じ事が繰り返される。今度はロボット達が下手を踏む事はなく、見咎め
られる事もなかった。
そのまま休憩無しで、奇妙な『だるまさんが転んだ』が始まった。
『つまり……俺もこれに参加しろって事か?』
悪い冗談だろう、とキツイが言う。私はクライと顔を見合わせた。
「……これはつまり、動いたら殺されるって事ですかね」
「そうでしょうね」
とクライ。
「あの奥の白線をキツイさんが踏んだら、彼もゲームに巻き込まれるという事でし
ょう」
「……高潔さ、関係あります?」
「今のところは無さそうですね」
これじゃあ単なる悪趣味な殺戮ゲームだ。大道さんは何を思ってこんなルールを
キツイに課したのだろう。普通に危険なだけの催しじゃないか。
「ただ……クリアそのものは簡単そうですね」
そう言ってクライは透明な壁にくっついている押しボタンスイッチを指した。
なるほど、これが「だるまさんが転んだ」なら、鬼にタッチすればだるま側の勝
ちとなる。この場合、あのスイッチを押せばゲームは終わりと考えるのが妥当だ。
部屋の広さは二、三十メートル。必然、鬼との距離もそのくらいだ。
鬼の台詞はそれほど早くない。急げば三回、ゆっくりでも五回程度の間を挟めば
反対側の壁に辿り着く事が出来るだろう。その時、余裕をもって動きを止める事を
心掛ければ、決して難しい事ではないはず。
あくまでペナルティーが重いだけの、簡単なゲームだ。
『……ふん、やってやるよ』
キツイもそれが分かったのか、勇ましく鼻を鳴らした。そしてリスがこちらを向
いている間に、あっさりと二本目の白線を踏み越えた。
『ダ~ルマサンガァ……転ンダ!』
一回目の台詞。キツイは五メートルほど距離を詰めた。『転んだ』の『こ』の字
辺りで近くの積み木を蹴飛ばしてしまい、見ているこちらまで肝を冷やす。けれど
最終的な判定には間に合ったようで、彼の頭は無事だった。
『ふぅ……焦らず行くか』
キツイは額の汗を拭い、落ち着いて行動するよう自分に言い聞かせた。
その甲斐あって、以降は危なげなくゲームが進行した。足元のおもちゃや近くを
うろついているロボットは邪魔になったけれど、十分に気を付けていればそれほど
脅威にはならないようだ。彼はあっさりと、あと十メートルほどの位置までやって
きた。
『……』
リスがまっすぐキツイを見つめる。けれどその頭を打ち抜く事はせず、くるりと
こちらを向いた。
『ダ~ルマサンガァ……』
キツイが動き出した。
と同時に、彼の背後で唐突に声が聞こえてきた。
『あれえ? ここはどこ? 僕はだれ?』
キツイは気を取られて振り返ってしまった。
そしてそこに、何の脈絡もなく突然現れた謎の少年の姿を見つけてしまった。
『うわあ、ロボットだあ!』
少年が目を輝かせて、近くをうろつくロボットを見てはしゃいでいる。リスの挙
動には全く興味を払っていない。動きを止める様子も無さそうだ。
「この場合、高潔さとは……?」
クライが青い顔でそう呟いた。
そうか、これがこのゲームの趣旨なのか……!
「だるまさんが転んだ」自体は簡単なゲームだけど、そこに庇護対象が現れた時
にどうすべきか。もしも高潔な人間ならば、あの子どもを見捨てたりはすまい。
でも……じゃあどうする? あの子どもの代わりに頭を撃ち抜かれるのが正解だ
とでも言うの? それで死んだら、高潔さなんて何の意味も無いのに……
『転ンダ!』
キツイが動けないまま、リスが振り向いた。その視線は無情にも、無邪気な少年
に向けられた。
『男ノ子、捕~マ~エタ!』
少年がロックオンされた。その視線を追うように、腕が動く。
撃たれる……!
そう思った瞬間、咆哮が上がった。
『うおおおおおおッ!』
キツイだ。リスが見ているその中で、彼は全力疾走を始めた。
その視線の先は、押しボタンスイッチ。どうやらなりふり構わずゲームを終わら
せにかかったらしい。
リスの視線が、より距離の近いキツイへと移り変わった。
『変ナオジサン、捕~マ~エタ!』
『誰が変なおじさんだッ!!』
キツイは飛び込むようにして押しボタンにぶつかった。
リスの腕から砲口が伸び、あわや撃たれる直前の出来事だった。
パトライトが止まり、緑色に染まった。リスが腕を降ろし、動きを止めた。いつ
のまにか少年も消えていた。
『オメデトウ!』
リスも賛辞の言葉を残し、掻き消えた。やがて部屋自体が空っぽになり、キツイ
がこちらへ出てきた。
「……だるまさんが転んだ、二度とやらねえ」
げっそりと憔悴したキツイが、恨み言のようにそんな事を言っていた。
「最後……随分パワープレイでしたね」
「おう、あのガキを放っておいたらやべえだろうからな。我ながらよくやったよ」
そう言ったキツイの顔つきは、どこか誇らしげだった。
一見蛮勇に見えたキツイの行動だけれど、結局彼は子どもも自分の生命も取りこ
ぼさなかった。私にあんな芸当、出来ただろうか。
「さあ、あと一人だ! ここまで来たら、皆でクリアしてえもんだなあ!」
試練を突破して安心したのか、声を弾ませたキツイが最後の一人……ヤマイを振
り返り、エールを送った。猫背のクライもその声に励まされてか、「やってやるわ
よ!」とこちらまで届く声で意気込んで、透明な部屋に入っていった。
またしても部屋の模様が変わった。今度はそれほど大きな変化じゃない。
変わったのは床だけだった。
『これは……ランニングマシン?』
ヤマイが困惑していた。
それもそうだろう。足元は、ヤマイがいるほんの僅かな空間を残して、全てがベ
ルトコンベアのような装いになっていた。音も無く静かに滑るその方向は、ヤマイ
の進行方向とは逆に走っていた。
ヤマイはおずおずと足を踏み出した。すぐに足が戻される。どうやらベルトはそ
れなりに速いようで、きちんと走らないと前に進めなさそうだ。
『……この試練、疲れそうね』
早くもうんざりした様子のヤマイが、しかしさっさと済ませたいらしく、大して
逡巡する事なく走り始めた。
ヤマイがゆっくりとこちらに向かってくる。順当に行けば、二分程度で扉まで辿
り着くであろう速度だ。
あくまで順当に行けば、だけれど。
「……このまま何も無いわけがありませんよね、多分」
クライが不穏な事を言う。そして残念ながら、それは正解だった。
突如、ものすごい音が響いた。ヤマイはぎょっとして、音の出どころ……自分の
背後に目をやった。
『な、なによこれ!?』
そしてほんの一瞬だけ、思わず走るのも忘れて叫んだ。
入室した側の壁が剥け、奥から現れたのは……ああ、口に出すのも恐ろしい。
壁一面が、巨大な破砕機になっていた。
歯車のようなごつごつした刃物が互い違いにぐるぐる回り、空気を呑み込んでい
る。もしも肉体があんなところに巻き込まれたら、あっけなく捩じ切れてしまうだ
ろう。想像するだけで吐き気を催す光景だ。
しかも壁はじりじりと嫌な音を立てながら、ヤマイの方へと近づいてきている。
そのせいでヤマイは、さらに急がなければならなくなった。
『な、なんでよ! なんで私の時だけ、こんな感じなのよ!』
焦り過ぎて語彙が低下しているらしく、誰に対しても筋違いな恨み言を述べてい
た。いや、確かに私もそう思うけど、それは試練をクリアしてから言って欲しい。
今はただ、それだけに集中して欲しい。
ヤマイは走った。部屋の半分くらいに到達する頃には、疲労と緊張のためか滝の
ような汗を掻いていた。
けれど決して足は止めない。止めたら死ぬからだ。
『い、行ける……! このペースなら、私は行ける!』
声を上げ、自分を鼓舞している。気づけば私達も部屋の出口に集まって、聞こえ
ないはずのエールを送っていた。
「がんばれ! 根性見せろ!」
キツイがまるで自分の事のように拳を振るっている。傍から見れば異様に見える
かもしれない私達の熱は、しかし決して恥じ入る事は無い。全てはヤマイの身を案
じ、共に先へ進みたいからだ。そんな気持ちが、高潔でないわけがない。
「……危ない、足元に気をつけて!」
不意にクライが叫んだ。気が付くと壁……ヤマイが走る少し前の足元くらいが開
き、そこから何かが飛び出していた。それは……さっきのおもちゃ?
「ひっ……!」
こんなところで足を取られたら命取りだ。ヤマイは必死にそれを避けた。けれど
無理な動きになったせいで、足がふらつき速度が落ちて、破砕機との距離が縮まっ
てしまった。
「くっ……」
ヤマイはもうこれ以上速度を上げられない。このままではじり貧だ。
おもちゃが滑るように床を移動し、破砕機に呑み込まれた。破砕機はぎぎぎ、と
不快な音を立て、おもちゃを砕いて呑み込んだ。
恐ろしい光景だ。でもおもちゃを呑み込むためにか、破砕機は一時的にヤマイに
迫る動きを止めた。そのおかげで、距離にかなりの余裕が生まれた。
『や、やった……!』
こちらの扉まであと少しの距離だった。ヤマイの手は、あと数メートルでノブに
届く。破砕機は再び動き始めたけれど、もう間に合わないはず……!
勝利を確信したのか、ヤマイの口元が緩んだ。
けれどその表情は、瞬く間に凍り付いた。
『あれえ? ここはどこ? 僕はだれ?』
さっきと同じだ。同じ顔をした少年が、ヤマイのすぐ近くに現れた。彼女の瞳に
絶望が映った。
『少年……走って!』
『え、なんで?』
『いいから走って!!』
ヤマイの言葉を理解出来ないのか、少年は走らない。みるみるベルトコンベアに
動かされ、少年が破砕機に向かっていく。
『ああ……もうッ!』
苛立った様子のヤマイが少年の腕を引き、走り出した。
でもそれは、共倒れの選択だった。
少年一人分の負荷は、それほど重かったのだ。
ヤマイのペースは露骨に落ち、後退しないのが精いっぱいというくらいになって
しまった。
こちら側の扉までの距離は縮まらない。でも破砕機までの距離はみるみる縮まっ
ていく。がりがりと音を立てて迫り来る脅威から、逃れる術はどこにもなかった。
『……』
ヤマイは必死な顔をしていた。
その表情はやがて、疲労とは別種の苦悶に溢れていった。
そして彼女は……唐突に手を開いた。
少年の腕を掴んでいた手を、離した。
『あれは幻……! 消えるのが分かってるから、これでいいの!!』
自分に言い聞かせるように叫びながら、負荷から解放されたヤマイがこちらに近
づいてくる。それでも破砕機の迫るペースには間に合わない。
でも破砕機の目の前には、少年がいた。突然ヤマイから手を離され、尻餅をつい
た少年が。
『あれは試練が終わったら消える! 本当の人間じゃない! 私はもうそれが分か
ってる! だから……だから!!』
悲鳴のようにヤマイが叫んだ。その目には涙が浮かんでいた。自分のやった事を
正しく理解している顔だった。
やがて、少年が破砕機に呑み込まれた。刃物に挟まれるまさにその瞬間、その姿
は大きな一枚の看板にすり替わった。こちらから見ている人間にしか分からないの
に、ご丁寧に文字が書かれていた。
『あなたは間違いました。不合格です』
「あ……」
私はもう、それ以上何も言えなかった。
クライもキツイも、何も言わなかった。
破砕機が看板を呑み込んでいる間に、ヤマイが扉のノブに辿り着いた。
彼女は汗びっしょりで私達を見つめ、ノブを掴んだ。
ノブは回らなかった。
『え……?』
ノブはがちゃがちゃと音を立てるだけで、回転しない。当然、扉も開かない。
『なんで……なんでよッ! 開いてよ、扉!!』
がちゃがちゃとノブを回しながら、拳を握って扉を叩くヤマイ。これがガラスの
扉だったら、多分割れていただろう。でも透明なだけで、多分ガラスじゃない。だ
からこちらには、その衝撃さえも届かない。
やがて看板を食い尽くした破砕機が、再び動き始めた。もうヤマイとの間を遮る
ものは何もなかった。
じりじりと嫌な音を立て、破砕機がゆっくりと近づいてくる。ヤマイには逃げ場
が無かった。
『嫌だ! 死にたくない! 死にたくないよ! 助けて! 助けてッ!!』
狂ったように扉を叩くヤマイ。その行為がおそらく無駄だと知りながら、涙を流
して助けを請う。
破砕機はすぐ近くにいた。その瞬間は、ほんの少しも待ってくれなかった。
『ああ……あああああ!!!!!! あああああああああああッッッ!!!!!
ああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛』
ぐしゃり。
破砕機はこちらの壁とぴったりくっついて、内側のノブまで呑み込んだ。
やがて部屋自体が薄ぼんやりと空気に溶けて、消えていった。
退路を失った私達は、前を向かざるを得なくなった。
「……行きましょうか」
耳にはまだ、断末魔の絶叫が残っていた。




