02
普段から周りを見ていないせいで、教室での大道正義という個体が普段からどの
ような生活態度で過ごし、誰と仲良くしているかを、私は全く把握していない。
魔神全員と仲良くするという目標がある以上、本当はもっと視野を広く持つべき
というのは分かっているけれど、なかなか上手くいかないのだ。主に周囲の魔神達
のせいで。
ただ、私の目に留まらないという事は逆説的に、彼は普段からよく暴走するタイ
プではないという事でもある。つまり、ある程度常識的な側面が強い個体なのだ。
その点は唯野唯に近い。
今回の件にしても、人間の価値を低く見積もっているのはともかく、罪の無い周
囲の一般人を巻き込もうとしないだけ良識的だ。
いや、私だって罪無いけど。
でも巻き込まれてしまった。一体どうしてこんな目に……
気が付くと、私は不思議な空間に立っていた。
そこはまるで、遺跡のような石造りの建物だった。広さは多分、体育館くらいの
大きさだろう。足元や壁はくすんだ土器色の石ですっかり埋まっていて、太陽光が
差さないからここが地下なのか天空なのかも定かではない。ついでに言うなら、昼
か夜かも分からない。
頭上は高く、はるか天井にはシーリングライトのような無機質な光が薄ぼんやり
と存在している。静かな空間で、虫や動物の声も聞こえてこない。
石に囲まれたこの空間には、ほんの僅かな風が吹いているようだった。風の抜け
る先へと目を向けると、壁の一角に大きな穴が空いていた。まるで加工機で削り取
ったかのように綺麗な二メートル四方ほどの大穴で、先が長いのか奥の方まで見通
す事が出来ない。けれど明かりは確保されているらしく、穴の向こうにもぽつぽつ
とシーリングライトの光が見えた。
他にも何かないかな、と周囲を見渡してみる。すると私と同じように棒立ちで周
りに注意を払う人間が数名ほどいた。いずれも見覚えのない顔だ。
「ここは……」
皆が口々に独り言を零す。状況を把握している人はいない様子だ。
やがて私達は、全員を視認した。私を含めて五人。他にあてはなく、自然と近づ
き、顔を見合わせる。
「ねえあんた達、ここはどこだい? あたしをどうするつもりだい?」
図太そうな声でそう言ったのは、初老くらいと思しき女性だった。太ましい体型
と健康そうな腕に反して、目は疲れたように落ちくぼんでいる。
「不思議だな。俺はさっきまで……いや、何でもない」
意味深な呟きを途中で止め、また黙り込んだのは壮年くらいと思しき男性だ。先
の女性と対照的にやせ細っており、頬骨が浮いている。神経質そうな表情で、周り
をずっと警戒している。
その他の連中も同じように押し黙っている。ずっと俯いている長髪の女性と、悩
ましげに眉を顰める若い男性。そして私も黙っている。
私は多分、他の人より少しだけ事情を知っている。
これは大道さんの能力によるものだろう。そのせいで私と、他の四人はこの謎の
空間に閉じ込められている。そして彼らの素性は、何となく分かる。皆一様に、病
衣のようなゆったりとした簡素な服装をしているからだ。
逆に、カジュアルな普段着は私だけだ。その事が他の四人の注目を、悪い意味で
浴びているような気がする。
「ちょっとあんた……」
ふくよかな女性が私に何か言いかけた。けれどその声は、部屋中に反響するよう
な突然のアナウンスで掻き消された。
『諸君! 俺の声が聞こえるな? 早速だが、説明を始めるぞ』
大道さんの声だった。姿はどこにもない。私達は誰からともなく、天井を見上げ
てその声に耳を澄ませた。
『お前達は罪人だ。本来ならば俺の手で消し去るはずだったのだが……もしものた
めに何人かストックしておいて正解だったよ。これからお前達には簡単なゲームに
取り組んでもらう』
「ゲームだって……?」
誰かが呟いた。大道さんはそれに答えず、話を続ける。
『なに、そう難しいものじゃあない。人間として最低限の高潔な心があれば、誰に
でもクリアできる簡単な試練を乗り越えるだけだ。試練は二つ。どちらも突破出来
れば、恩赦……元の世界に帰れる。簡単な話だろう?』
「……」
なるほど、シンプルだ。要するに大道さんは、人間が高潔な心を持っているか否
かの論点として、こういう場を設けたわけか。口ぶりからして、他の四人は何らか
の罪で投獄された犯罪者らしい。
『試練に挑むのなら、壁に穴が空いているだろう? その先を進めばいい。では、
健闘を祈る!』
「ち、ちょっと待ちな!」
慌てた様子で声を張り上げたのは、太ったおばさんだった。
「あんた、一体何様だい!? こんな意味の分からない悪ふざけはやめな! ゲー
ムなんてやるわけないでしょ! ぶっ殺すわよ!」
強い脅しの口調だ。その怒りを向けられたのが私だったら、思わず竦みあがって
いただろう。
けれど相手は魔神なのだ。そんな脅しに屈するわけがない。
びしり。
突如、足元から不吉な音がした。音の出どころへ目を向けると、怒号おばさんの
足元に大きな亀裂が走っている。「ひっ!」慌てて飛び退き、尻餅をついたおばさ
んに対し、大道さんの声が冷たく放たれる。
『勝負の土俵に乗るつもりがないならそれでもいい。ストックはまだあるし、参加
者は五人じゃなくて四人でも問題無い。俺も無理強いするつもりはない。やらない
なら、そのまま消えてもらおうか』
おばさんを追うように足元の亀裂が大きく割れていく。そのひび割れに呑み込ま
れそうになった彼女は、慌てて叫んだ。
「や、やる! やるわよッ!」
その声と同時に、ひび割れが止まった。おばさんはすっかり怯えた表情を顔に張
り付けて、震えながら青ざめている。しばらく上手く立ち上がる事が出来ず、生ま
れたての小鹿みたいにふるふる脚を震わせていた。
その恐怖は、他の連中にも伝播する。反応こそおばさんより薄いけれど、彼らの
周りには確かに動揺が漂っていた。
私も……決して冷静ではいられない。でも声の主を知っているからか、多分他の
連中よりほんの少しだけ落ち着いている。だから私はなけなしの勇気を振り絞って
一歩前に踏み出した。
「……行きましょうか」
私の言葉に、皆は顔を見合わせた。どうするべきか迷っている様子だ。けれどこ
こに留まっても埒が明かないと判断したのか、そのうち消極的に頷くと、私に倣っ
て一歩前に踏み出した。
一人を除いて。
「ち、ちょっと待ちな! あ、あたしを置いていくのかい!?」
未だ健脚を震わせて、内股で立ち上がろうとしているおばさんが私を見咎めた。
どうやら自分が立ち上がるまで待って欲しいらしい。
「ええと……ゆっくりでいいですよ。制限時間は設けられていませんし」
「本当かね……後になって急かされちゃたまんないよ!」
「いや、そんな事はしないと思いますけど……」
「どうしてそう思うんだい?」
「え? いや、だってこれ、高潔さを確認するための試練ですし、急かす意味なん
て特に無いですから……」
「そんなの、誰かが勝手に言ってるだけだろう? あたしらを油断させるための罠
かもしれないだろう!」
「ええ……」
どうやらこのおばさん、錯乱して疑心暗鬼になっているらしい。ありもしない被
害妄想に囚われて、気の毒に……
「大体、何なんだいあの声は!」
「ええと……魔神ですよ」
「魔神!? 魔神ってあの、バケモノかい!?」
「ええ……ですから、あんまり騒ぎ立てない方がいいかと思います」
「どうしてあんた、そんな事知ってるんだい?」
「え?」
「そういえば一人だけ恰好が違うねえ! あんた、魔神のスパイなんだろ!」
「あ、当たらずとも遠からずといいますか……」
見かけによらず鋭いおばさんだ。その調子で私の行く末も言い当てて欲しい。
……などと呑気な事を言っている場合ではなかった。気が付くと、他の三人も私
に明確な疑いの目を向けていた。さっきまでは「ちょっとおかしいな……」くらい
だったのに、今はもう完全に敵意を向けている。
「あ、いや、違うんですよ皆さん! 私は別にそういうあれじゃなくって……」
なんという口下手。これじゃあ何も否定していないのと同じだ。
私がしどろもどろになっているところを、これ幸いに勢いづいたおばさんが威勢
よく立ち上がり、噛みつかんばかりの勢いで私に詰め寄ってきた。
「なんだいなんだい! こいつは全部あんたの仕業かい!? 魔神だなんて本当は
嘘っぱちなんだろう!? 本当はあたしら受刑者を適当にからかって遊んでるんだ
ろう!?」
何故か私に怒りを向けるおばさん……まずい、この人全然話を聞いてくれない。
意地でも目の前の現実を否定する気だ。こういうの、正常性バイアスっていうん
だっけ。
「……そんなわけないでしょう。落ち着いてください。また怒られちゃいますよ」
「うるさいうるさいうるさい! 魔神なんていないんだ! こんな不条理な話があ
ってたまるかい! 人をばかにするのも大概に……」
おばさんの声は途中で止まった。
その代わり、突如おばさんの額から何かが生えてきた。
「か」
おかしな声を漏らして、白目を剥くおばさん。その額に生えたのが日本刀の先端
だと気が付いたのは、その刃がするりと下にスライドし、刃が通った部分がじんわ
りと赤く染まり始めてからだった。
刃はそのままおばさんの首を通り、胴を通り、股下を通り、しまいには身体ごと
真っ二つに裂けてしまった。
身体が左右に倒れると同時に、噴き出す鮮血とまろび出る臓器。今日だけで何度
感じたか分からない新鮮な死臭と、噴き出す血に濡れた自分の身体。全てが不快な
中、私の目は何故か目の前に存在する不快な存在に釘付けになっていた。
「こんにちは。あなたの大好きな忍さんですよ」
血飛沫が飛び交う中、何故か一切汚れる事無く真っ白いワンピースを着た空々忍
が立っていた。いつも通り、貼り付けたような笑顔で。
「え、ええと……」
「どうしてここに、と言いたいのですね?」
「……じゃあそれで」
「ちょうど魔神の存在を信じない不届き者を見つけたので、制裁をしたんですよ」
「……ここって、異空間かどこかじゃないんですか?」
「むーちゃんさんは血塗れになっても白々しいですねえ。『処刑人の聖剣』が空間
を切り裂く能力なのをお忘れですか?」
そう言って忍さんはひょいと身体を横にずらした。彼女がいた空間には大きな裂
け目が出来ていて、その向こうには黒服や大道さんの姿が見えた。
大道さんが困り顔で眉を顰めていた。忍さんは肩を竦め、私に手を振りながら空
間の裂け目に消えていった。
まもなく裂け目も消え、魔神の介入は終わった。
後に残されたのは、血塗れの私と死んだおばさん。
そして残った三人は、叫び声をあげるでもなく、真っ青な顔で呆然と成り行きを
見守っていた。
ええと……今の茶番をどう説明すればいいのかな。
考えたけれど、何も思いつかなかった。
私は顔だけ血を拭い去り、もう一度言った。
「……行きましょうか」
しばらくの間、誰も答えてくれなかった。




