04
かつてその都市には、およそ三百万もの人間が住んでいたという。
計画都市として美しく形成され、世界遺産にも登録されたその姿は、魔神の手に
よって今や跡形もない。同じく荒野となった周辺の都市や国全体まで含めると、被
害者はおよそ二億人。人類史上かつてない怨念が渦巻いていても何ら不思議は無い
わけだ。
でも……だからって普通、お城まで化けて出るものだろうか。
好奇心……というか承認欲求に塗れた魔神、モモさんに手を引かれ、改めて目の
前のあるはずのない建造物を見上げて思う。
城である。海外に行った事が無いから分からないけれど、何となく西洋の城っぽ
い外観をしている。クリーム色のレンガの壁に、目も覚めるような真っ赤な櫓。前
後左右に突き出した尖塔に、正面の巨大な木製の城門。
「なんか……RPGに出てくるみたいな城ね」
「……」
そう言われると確かに、随分と現実感に欠ける建造物だ。ここ、南アメリカのは
ずだよね? いくらグローバルな世の中だったとはいえ、いくらなんでも文化が違
い過ぎないだろうか。そもそもここは近代になってできた都市だったと思うんだけ
ど……なんか、理屈に合わないような……
「でも朽ちた西洋の城って、ホラーの雰囲気に合うわよね……映える!」
「ええ……」
なんかモモさんは満足そうだ。確かに雰囲気はあるし、だから全力で逃げ出した
い気持ちでいっぱいではあるけどさあ……
「まあまあ、前向きに考えましょうよ。幽霊って怖がらせてなんぼなわけじゃん?
だからあたしらを怖がらせるために、敢えてこういう感じの建物を具現化したって
考えたらどう?」
「具現化って聞くと、霊というより異能な感じがしますね……」
「つべこべ言わないの。さあ、先陣切ってよ」
「ええ……モモさん先に行ってくれないんですか?」
「あたし、スマホ構えとかなきゃいけないし」
「……」
じゃあ私がスマホ構える係やりますよ、と言えるほど私の面の皮は厚くない。
前門の幽霊、後門の魔神。どっちみち私に選択肢は無いわけか。
仕方がない。腹を括るか……
城門に手を掛け、触れる。どうやら実体があるらしく、触れる事が出来る。触っ
た感じ、何の変哲もない木の扉だ。血が滴るとか透けるとか、そういう事ではなさ
そうだ。これなら安心だ。
ぐい、と押す。けれども扉は意外と抵抗が強く、そう簡単には開いてくれない。
「何やってんの、夢路。あんた力無いのねー」
そう言ったモモさんが私の肩越しに扉に触れ、ふいと押す。すると扉は勢い良く
開き……
「バアアアアアッ!」
「ぎゃあああああっ!!?」
扉を開けた瞬間、私の目の前に恐ろしい形相の人間が現れた。まるで白粉を塗り
たくったかのように青白い顔をしていて、私に向かって飛び掛かってくる。そして
私の顔にぶつかる瞬間に……消えた。
「あ、あう……」
思わず意味不明な言葉を口走り、その場にへたり込んでしまった。もしもモモさ
んが傍に居なかったら、みっともなく気絶して失禁していたかもしれない。心臓が
ばくばくとビートを刻み、身体中が震え出す。
「あっははははは! すっごいリアクション! あんた、役者向いてるわよ!」
モモさんがげらげらと笑い転げるのを見て、恐怖が急速に薄れていく。この魔神
の声にちょっと安心してしまった自分を戒めたい。全力で。
どうやら腰を抜かしてはいなかったようで、私はすっと立ち上がった。
「モモさん……あんまり私を笑いものにしないで下さいよ……」
「あははは……まあいいじゃない。ばかにしてるわけじゃないんだから。あたしは
ただ、あんたのリアクションが見事だったから感心してるだけよ」
「それにしては目に涙まで浮かべてますけど……」
「良かったじゃない。このあたしを泣かせたのはあんたが初めてよ」
「その言葉に対して、私はどんなリアクションを取ればいいんですか……」
なんだかものすごく釈然としないけど……とりあえずは、いいや。先に進もう。
城門を抜けると、すぐ向こうに正面扉が見える。その少し手前には水路が流れ、
大仰に反りあがった橋が架かっている。城内は何故かスモークを焚いたように霧が
深く、正面以外の光景はほとんど見えなくなっている。
「えーと……どこまで行きます?」
「もちろん行けるとこまでよ。ほら、橋を渡りましょ?」
モモさんに促されるままに橋を進む。うう……視界が悪いから余計に怖い。
橋に一歩足を踏み入れる。どうやら頑丈な石造りらしく、ちょっと体重を乗せた
くらいじゃびくともしない。豪華そうな欄干も掛かっているし、安全面に問題は無
さそうだ。
「と、とりあえず、橋を渡るだけでどうこうなるという事は無さそうですね……」
「もう、夢路ったら慎重になりすぎよ。どうせさっきみたいに脅かしてくるだけな
んだから」
「ユーチューバーの人が行方不明になってるの、忘れてませんよね……?」
いざとなったら助けてくれる……と思いたい。モモさんの場合、私のスプラッタ
ーなシーンさえもSNSに挙げてしまいそうだけど。
怖いからゆっくり行こう。欄干を掴み、一歩、二歩。欄干を掴みなおしてさらに
一歩、二歩。そしてまた欄干を掴み……
がらり。
あれ? 欄干を掴みなおした手が宙に浮く。まさか欄干が外れたわけじゃあるま
いに……そう思って握ったままの手を開くと……
ごとん。真っ白なドクロが転がり落ちた。
「え……」
恐る恐る欄干を振り返る。まるで小鳥がガードレールのポールに止まるみたいに
欄干のいたるところに白骨の頭が引っかかっていた。
「……」
私が息を呑むと、ドクロ達が一斉に笑い出した。
カタカタカタカタカタカタカタカタ……
「…………」
そして笑い終えたドクロ達はひとりでに転がり、水路に落ちて行った。私の足元
のドクロも、仲間達を追いかけるようにごろごろと転がり、消えた。
「……」
あー。あのね。
叫びますね。
「ひいやああああああっ!!!」
思いっきり叫んで、叫び過ぎて、思わずふらついた。あわや欄干にがしゃりと突
っ込む私の身体を、モモさんが優しく支えてくれた。
「ふふっ……あっはっは! あんなドクロに驚くなんて、夢路あんた安上がりね!
あたし、全然退屈しないわ!」
「あんなドクロって……あれ、偽物とかには見えませんでしたよ……?」
「本物の白骨かどうかなんてこの際問題じゃないのよ。あんな絵にかいたみたいな
恐怖演出に驚くのが面白いって話! あー、おかしい」
「何もおかしくないんですけど……」
段々と腹が立ってきた。いくら魔神でも、笑いすぎだろう。恐怖と憤慨の繰り返
しで、私は何とか平静を保っていた。
「もう……早く行きましょう」
「お、乗り気ね夢路」
「私、嫌いな食べ物は最初に食べるタイプなので」
「ふぅん。ちなみにあたしは嫌いな食べ物は他人にあげるタイプよ。今度ニンジン
とパセリは夢路にあげるわね」
「いらないです……」
「ちなみにうちのクラスに人肉好きな奴がいるけど」
「それは本当にいらないです!」
その情報は初めて聞いた。モモさんの戯言……だよね? そうであってほしい。
震える足を奮い立たせて、どうにか橋を渡り切った私は、正面扉に手を掛ける。
ここを開けたらようやく建物の中に入るわけだけれど……大丈夫かな。さっきの城
門での一件は、軽くトラウマなんだけど……
「大丈夫だって、安心しなさいよ。霊もワンパターンじゃないんだから、同じ脅か
し方なんてしてこないわよ」
「そう……ですかね」
まあ、それもそうか。ゲームじゃないんだから、似たような条件だから同じ罠を
踏む、とかそういう話じゃない。扉を開けてびっくりさせるなんて古典的な手を二
度も連続で使うなんて、いくらなんでも陳腐過ぎる。そんな化石のようなやり口が
まかり通るわけがない。
そう思って私は気を抜いたまま、今度はあっさり開いた扉の向こうを見つめた。
「バアアアアアッ!!」
「来ると思ったけどさあああああっ!!」
なんでさっきと同じなんだよ! なんでまるで同じ動画を再生してるみたいな形
相とポーズで跳んでくるんだよ! そしてなんで私はさっきと同じ事が起きたのに
懲りずに驚いてるんだよ!
がくがくと足を震わせ、その場にゆっくりと座り込む。ああもう、またモモさん
が爆笑してる……
「ああーっはははは! 夢路、あんた最高だわ! 天丼が丁寧過ぎるでしょ! あ
たしの期待、本当に裏切らないわねえ!」
「……確認しますけど、本当にモモさんの仕業じゃないんですよね……?」
「示し合わせてるみたいに見えた? 残念ながら、あたしの仕業じゃありません!
全部幽霊の仕業! ところがどっこい、これが現実ッ!」
はしゃぎまくるモモさん。それでも一挙手一投足がいちいち可愛いのが、彼女の
ギャルっぽいところだ。可愛さ余って憎さ何とやら。ああ、もう……
「どうでもいいけど夢路、早く立った方がいいわよ」
「え? い、言われなくても立ちますけど……何か?」
「いや、その体勢だとスカートの中が見えるし……」
「み、見ないでください!」
スマホで撮影してるのに、なんて事を……! いくらなんでも酷すぎる!
「座るにしても、もうちょっと女子力のある座り方すればいいのに……」
「そんな余裕は無いんですよ……っていうかモモさん、動画上げるなら後で修正し
てくださいよ?」
「分かってるわよ。ピー音と目線隠しくらいは付けてあげる」
「個人情報の話じゃなくて!」
「あはは! 元気出てきたじゃない! さあ、もっともっと先に進みましょう!」
「……」
なんだか上手くはぐらかされた気がするけれど……もういいや、後にしよう。
城内にも霧が蔓延している。手前二メートルくらいしか見通せないけれど、もう
既におかしな気配に囲まれているような気がする。一応足元には豪華そうな金縁の
赤いカーペットが伸び、広々とした空間が開けているのが朧げに見える。
震える足を一歩踏み出す。すると全方位から一斉に背筋がうすら寒くなるような
低い笑い声が聞こえてきた。
「ひっ……」
耐えた、耐えたぞ。なんとか叫び声を上げずに済んだ。振り返ると、モモさんが
ちょっと不満そうな顔をしている。よし、この調子で行くぞ
再び前方を向く。瞬間、目の前に迫る生首。
「ひやあああああっ!!?」
またしても生首は私の眼前で薄ら笑いを浮かべて消えていった。さすがにさっき
とは違うけど……またかよという気持ちは拭えない。
「なんなんですか、もう! 似たような手ばっかり使ってきて!」
幽霊に文句を言っても仕方が無いのは分かっている。でも、こうでもしないと私
の中の不満はどこにぶつければいいというのか。
「あはは! 夢路ったら苛ついてるわね」
モモさんが笑う。
「でも似たような手で驚いてばっかりのあんたも悪いんじゃない? そりゃ幽霊だ
って味をしめるわよ」
「こんなの驚くに決まってるじゃないですか! こういうの、ジャンプスケアって
言うんでしたっけ? 多用するのはホラーとして認められませんよ!?」
「だからって幽霊にストーリー演出を期待してもしょうがないわよ?」
「そ、それはそうでしょうけど……」
モモさんが私を見てまた笑う。うう、くっそう……魔神じゃなかったら手が出て
いてもおかしくないレベルの愚弄である。せめてモモさんも肝を冷やしてくれたら
溜飲の一つも下がるのに……この魔神、メンタル強いなあ。
「もう、分かりました! 私、開き直りましたので! ここから先は顔色一つ変え
ませんからね!」
「へえ、そう?」
私の決意表明に、モモさんは空返事に近い嘲りを見せた。また私がみっともなく
泣き喚くのを確信しているかのような態度だ。
強がりじゃない。本気だ。
私は当初、ここで行方不明になったユーチューバーとやらに思いを馳せていた。
だから幽霊を見る度に怯え、怖がった。自分も幽霊に連れ去られてしまうのではな
いか、と。
でもここの幽霊は私を驚かせるばかりで、ちっとも危害を加えようとはしてこな
い。第一、例のユーチューバーがこんな城に来ただなんて話はなかった。きっとこ
の幽霊達はユーチューバーを襲った奴と違って、脅かす事しか出来ないのだ。
肩透かしだ。魔神の脅威になる存在が現れなくて、がっかりした。失望さえ感じ
ると言ってもいい。丸太渾身の神頼みならぬ幽霊頼みは失敗に終わったのだ。
そう思うともう怖くない。こんなところに縛られ続ける幽霊が哀れでしかない。
所詮実体の無い残留思念が蠢いているだけだ。怖がる事なんて何も無い。
ほーら、おいでなすったよ。臆せず進む私の目の前に、大量の人影が現れた。も
ちろん人間じゃないのだろう。霧の中から姿を現したそいつらは、死体みたいに真
っ青だった。
もう怖くない。所詮はただ驚かせるだけの舞台装置。青白いだけの幽霊なんてば
かみたいだ。
だから私は何の感慨も無く、人影の群れに突っ込んだ。どうせ近づけば消えるん
でしょ? はいはい、もう分かったから。
「……え?」
そんな私の慢心を嘲笑うかのように、前に伸ばした私の手が人影に触れる。岩の
ように固く冷たい感触が指先に走った。
その瞬間、人影達が一斉に私の方へと倒れ込んできた。もちろん、岩のような感
触を伴って。
「うえっ!?」
予想外のダメージだ。私はたまらず押し潰されて、床に倒れてしまった。
慌てて這い出て、倒れ込んできた人影を恨みがましく見下ろす。
生気の無い人間みたいな外見だ。というかこれ、本当に……
「し、死体だ!!」
慌てて飛び退く。さっきまで直立不動だったはずのそれは、物言わぬ死体だった
らしい。そうなると、さっきまでとは別種の生々しい恐怖が湧いてくる。忌避感と
いう名の拒絶反応が、肌全体で叫び出す。
「あはは……! ねえ夢路、落ち着きなさいよ」
とモモさん。
「幽霊が怖くないんじゃなかったの?」
「こうなると話が違ってきますよ! 死体が出てくるなんて聞いてないです!」
「奇遇ね! あたしもよ」
質量を伴う死体が直接飛び掛かってくるとなると、いくらなんでも気味が悪い。
半ばパニック気味にモモさんの方を向く。彼女は私を見ながら「取れ高めっちゃ良
い!」などとご満悦だ。助けは期待できない……
そうこうしている間にも、怪奇現象は待ってくれない。今度は左右から挟み撃ち
するかたちで人影が近づいてきた。既に距離が近く、顔がはっきりと見て取れる。
いずれも苦悶の表情をした恐ろしい死体だ。
「あ、ありえません! ここの人達は核兵器で亡くなったんですから! こんなに
くっきり、焦げ跡の一つもない死体になるわけないんですよ!」
「あはははは! 誰に弁解してるの、それ?」
モモさんが笑い転げる。もはやスマホをこちらに向けたまま、お腹を抱えて私か
ら視線を外している。そんなにつぼにはまったのか、私の醜態が……
何かを言い返したい気持ちはあるのに、悪寒で口がろくに動かない。どうせまた
倒れ込んでくるんでしょ……? これ以上やられたら私、吐くよ!?
いっそ恥も外聞も無く泣いてしまいそうだった。これ以上の追撃はもう耐えられ
そうになかった。
それでも迫りくる脅威に、私は息を呑んだ。
「……」
あれ?
死体達はこちらに倒れ込んでこない。まるでもう自分達の仕事は終わったのだと
言わんばかりに、それ以上近づかない。
一体どうしたんだろう。未だ背後で冷めやらないモモさんの笑い声をバックに、
にわかに正気を取り戻した私は死体達をじっくりと見つめ……背筋が凍った。
私を取り囲む死体達……その最前列の二体は、首から何かをぶら下げていた。
真っ黒で無機質な、握りこぶし大の球体。
それが何なのか、私は何故か直感で理解できた。
あるいはそれが、今まさに炸裂の瞬間だったからかもしれない。
爆弾だ。爆弾が爆発した。
霧と夜の闇に包まれた視界が、一瞬にしてフラッシュアウトした。
油断した! 散々脅かされて苛ついて、半ばやけになったタイミングで、幽霊に
あるまじき直接的な殺傷攻撃……! タイミングは完璧だった。
一瞬だけ私の肌に熱風が触れた。
刹那、すさまじい轟音と地響きが鼓膜を揺らす。人間どころか戦車だって粉みじ
んになりそうなほどの威力を前に、私は無傷だった。
「……ああ、そう。そういう事。まったく、舐めた真似をしてくれるわね」
私の眼前、庇うようにしてモモさんが立ちはだかっていた。彼女はさっきまでの
ふざけた笑みを消し、スマホも仕舞い、悠然と眼鏡を持ち上げる。
「せっかくだし、そうね」
なおも湧いて現れた人影に、モモさんは鼻白んだ様子で語り掛けた。
「あたしの必殺技を見せてあげる」
何か能力を使う気だろうか。そう思ったのも束の間、彼女の掛けた『天色眼鏡』
が異様な光を帯び始めた。まるで莫大なエネルギーを蓄えるかのように。
「さしずめ、『熱視線』ってとこかしら」
モモさんが照れくさそうにそう言った瞬間、今度こそ私の視界は真っ白に染まっ
た。
さっきの爆発とは比べ物にならないほどの衝撃が全身を襲う。モモさんが私を抱
きかかえ、どこかへ跳んで行っているのが分かる。けれどそれでも尚強すぎる音と
光が、私の意識を強制的に締め出そうとする。
映画みたいなきのこ雲をバックに、モモさんが微笑んだ。
「今日は災難だったわね……まあ、どんまい!」
この魔神は一体何を言っているのだろう。
いまいち状況が掴めないまま、私の思考は閉ざされた。




