03
どういうわけか、魔神達は全員私と同い年の高校生だ。
そもそも魔神化の条件や原理すら未だに分かっていないのだから、そんな事を疑
問視しても仕方ない。いくら不自然でも、そういうものだと受け入れる他無い。
そんなわけで、魔神だけの学校(私という例外は除く)とは言いつつも、それはあ
くまで生徒が、という話であって、教員はその限りではない。
私達を教育し、指導し、まとめているのはただの人間だ。
「そ、それでは……あー、ホームルームを始め……始めさせていただきます、あ、
いや、始めさせていただいてもよろしいでしょうか……? は、はは……」
もちろんただの人間といえど、この学園に召集されるのだから、それなりに特殊
な訓練を積んだエージェントだ。けれどこの状況において、そんな下積みには何の
意味も無い。
生徒は魔神。人類の敵。世界の八割を滅ぼした実績を持つ、掛け値なしの悪魔。
それが十一体いるのだから、委縮して当然だ。私だって、教壇の前に立ったら正気
を保つ自信は無い。
本日の教師は、筋肉質で強面の大男だ。けれど彼は恐怖に怯え、縮こまってしま
っている。せめて私だけでも励ましの視線を送っているけれど、きっとそれは彼に
とって何の足しにもなるまい。
「先生、きちんとして下さい」
情けない体たらくの教師を目にし、立ち上がったのは三途璃さんだった。
「教師というのは、生徒の見本になるべき立場です。常に毅然とした態度を取って
いただかないと困ります!」
ばん、と机を叩いて抗議する三途璃さんの姿に、教師は激しく動揺した。
……無理もない。彼は今、魔神の怒りにたった一人で晒されているのだから。死
よりも恐ろしい災害が今にも牙を剥きそうだと思うと、それこそショック死しても
不思議ではない。
けれど教師の男は勇ましく自らを奮い立たせ、震えながらも頷いた。かくして当
たり前の学生生活が始まる。一人の勇者が奇跡的に振り絞ったなけなしの勇気を代
償に……だ。
「今日も三途璃ちゃんは張り切ってますねえ」
呟くように感想を述べながら、隣の席の忍さんは猫背になって机にもたれかかっ
ていた。必死に話をする教師の話など、まるで聞いていないようだ。それどころか
次の時間には、最低限声を潜めつつ、堂々と私に話しかけてきた。
「ねえむーちゃんさん、あの先生は政府の方ですか?」
「え……はい、多分。名簿で顔を見た事があります」
「ふぅん。彼、家族とかいます?」
「さ、さあ、そこまでは……」
「なあんだ、それは残念です」
「あ、あの……それを訊いて一体何をするつもりだったんですか?」
「それはそうと、飴食べます?」
「もう騙されませんよ!? 今度こそ私、三途璃さんに殺されちゃいます!」
「むーちゃんさんは面白いですねえ」
貼り付けた笑顔のまま、忍さんは笑った。一体何がおかしいのやら……
照の方を仰ぐと、彼女は熱心にノートを取っている……ように見えたけれど、
よく見ると手元の動きがやたら大きい。どうやら授業とまるで関係の無い絵を描
いているようだ。
こちらの視線に気が付くと、意味深な笑みを浮かべ、ウインクしてきた。ええ
と……どう返せばいいのやら。曖昧に手を振ると、満足そうに頷いてまたお絵描
きに戻った。
照だから今みたいな適当な感じで済んだけれど……他の相手だったら機嫌を損
ねていたかもしれない。授業中によそ見をするのは思わぬ弊害がありそうだ。
という事で、真面目に授業を聞こう。「むーちゃんさん、急に真面目になりま
したねえ」茶々が入った。あっちから仕掛けてくるパターンがあるとは。
授業中も、決して楽ではない。どう返事を返すべきかと再度忍さんの方を振り
返って……
「あー……それではこのページを、不破さん。読み上げて下さい」
と、ここで教師からパスが来た。丁度現代文の時間だったから、教科書に載っ
ている小説の抜粋を朗読するだけのフェーズに突入したようだ。
生徒としてここにいる以上、私は指名を無視できない。忍さんもそこを弁えて
くれたのか、特にコメントも無く矛を収めてくれた。
と言っても、朗読は朗読で心が休まる時間ではない。なにせ朗読中は曲がりな
りにも教室中の注目を集める事になるわけだから。
たっぷり5段落分ほど読み終えて、ようやく次の人……もとい魔神の番が回っ
てきた。私の次は、後ろの席へ……げ。
後ろの席の個体は、枕を出してぐっすり眠っている。授業を聞く聞かない以前
に、完全に聞く気が無い。当然、朗読に参加する気も無さそうだ。
「……」
教師は困惑していた。けれど居眠りしている生徒を叱るほど、教師という役割
に殉ずるつもりはないようで、自然な調子で「では次の人……」と、一つ飛ばし
でさらに後ろの魔神へと意識を向ける。
しかしこの賢明で弱腰な行動を、他の魔神も見ているのを忘れてはならない。
「待って下さい、先生。ここは寝ている生徒を注意すべきではないのですか?」
三途璃さんが再び立ち上がり、教師を睨みつけた。
委員長たる彼女の指摘に、教師は……目を逸らした。
勇敢な彼を責めるべきではないと、私は思う。だってもしも三途璃さんの言う
通りの行動をしたとして、それが別の魔神の怒りを買わないとは限らないから。
授業に臨むスタンスは、個体ごとにまちまちだ。彼ら全ての要望通りに動くの
は、実のところすごく難しい。
ただ……この場合に限っては、どんなに難しくても上手くやるしかない。さも
ないと、待っているのは死しかないのだから。
「なんですか、その曖昧な態度は。あなた、本当に私達の先生をやる気があるん
ですか?」
自分の指摘を軽んじられたように感じたのか、段々と三途璃さんの口調が強く
なる。
やがて彼女はおもむろに右腕を伸ばし、大きく手を広げた。
瞬間、その手に収まるようにして、何もない空間から巨大な鎌のような物体が
現れた。自らの背丈よりはるかに大きく禍々しい真っ黒な大鎌を軽々と弄び、そ
の切っ先を教師へと向けた。
「やる気が無いなら、死ぬ? 覇気の無い授業を続けられるくらいなら、死体に
でも学んだ方がましよ!」
「ひ……」
喉元に刃を突き付けられて、教師は言葉を失った。
あれが……あれこそが魔神の魔神たる所以。
人知を超えた超能力の一端……武器の具現化。
三途璃さんの大鎌は一振りで目の前の生命を奪い、その生命を尊厳ごと愚弄す
る。そういう能力なのだ。生き地獄ならぬ死に地獄……今まさに、勇敢な教師は
はその瀬戸際に立たされていた。
今すぐ三途璃さんを止めないと、彼は死ぬより辛い目に遭うだろう。
周りの魔神達は……誰も止めようとはしない。不真面目な生徒は我関せずと内
職に没頭しているし、真面目な生徒も興味深そうに騒動を眺めているだけだ。生
徒という役割を半ば演じている彼らにとっては、委員長がやる気の無い教師に詰
め寄るというシチュエーションがエンターテイメントに見えるのだろうか。
頼りの照も動かない。もう私しかいない。
意を決して立ち上がった。
ただし、間に割って入るなんて無謀な真似はしない。いかにもそうするような
仕草をしてみせ、私は自分の机に足を取られたふりをして、その場で大袈裟に転
んでみせた。
どんがらがっしゃん。
どうにも締まらない古めかしい擬音とともに、私は椅子ごとひっくり返った。
「ちょ……何やってるのよ夢路!」
一瞬だけ怒りを忘れた様子の三途璃さんが、困惑気味に私を見下ろした。その
機会を逃さず、私は自分の足首を掴み、これ見よがしに表情を歪めてみせた。
「あ、いたた……すみません、足をくじいたみたいです」
いや、実際に痛い。演技ではなく、本当に捻挫した。でも多分、そのくらいで
ないと魔神相手に立ち回るなんてできない。ああ、痛い!
苦しみながら、刹那の間鎌の圧力から解放された教師へ視線を送り、ウインク
で行動を促す。お願い、伝わって……!
「あ」
はっとした表情をして、教師はすぐに取り繕った。
「すみません、黄泉丘委員長。負傷した不破さんを保健室へ連れて行ってあげて
ください」
「……分かりました、先生」
三途璃さんは抑揚のない声でそう言って、倒れた私の両脚と肩を抱き、お姫様
抱っこで素早く抱きかかえた。持っていた鎌は、いつのまにか空気に溶けてどこ
へともなく消えていた。
「あ、三途璃ちゃん! むーちゃんはわたしが連れてくよっ!」
何故か照が割り込もうとしてくる。いや、邪魔しないで欲しいんだけど……
「付き添いは一人でいいわよ、照」
「でも……」
やけに食い下がろうとする照に、視線を送る。照はとぼけた顔で首を傾げた。
くそう、伝わらない……私の意図、そんなに分かりづらいかなあ……?
「照、後で、後でね……!」
「え? うん、分かったよ」
最終的に小声でごり押して、無理矢理引き下がってもらった。悪いけど、今は
照を相手にする余裕はないのだ……心身ともに。
かくして私は三途璃さんとともに教室を出る。ぎりぎりで首の皮一枚繋がった
教師の、今尚続く紙一重の営みを耳にしながら。
「……」
「……」
三途璃さんは何も言わないまま、私を背負って保健室へと向かった。私はその
背中から感じる一種の高圧的な雰囲気に、何も言えずにいた。
保健室には養護教諭がいた。けれど三途璃さんは私を引き渡す事はせず、逆に
「この子と話す事があるので、先生は席を外して貰えますか?」と一蹴し、追い
出してしまった。いそいそと保健室を出ていく先生は、魔神から無駄に絡まれず
に済んだからか、どこか安心した表情だった。
え、なに、話す事? もしかしてさっきの、演技だってばれてた……?
「逆にばれてないと思ったの? あなたの動き、ものすごく不自然だったわよ」
「……」
まだ何も言ってないのに、開口一番三途璃さんがそんな事を言う。私はよっぽ
ど、口にしたい事が顔に出るタイプなのだろうか。彼女は私をベッドに降ろし、
銀色の眼光で鋭く私を突き刺してくる。
「そんな事より夢路、私は今怒っているわ」
「ご、ごめんなさい。授業を抜け出させるような真似をさせてしまって……」
「それは別にいい。負傷した生徒を保健室に連れて行くのは委員長として当然だ
もの。これからも同じ状況に陥ったら、気兼ねなく私を頼りなさい」
「わ、分かりました……」
「授業についていけなくなった時も私に声を掛けなさい。この私が直々に、懇切
丁寧に教えてあげるから」
「……分かりました」
「ちょっと返事が遅かったわよ。本当に私に頼る気、ある?」
「い、今のところ困っていないので……」
いやいや、冗談じゃない。魔神に勉強を教わるなんて真似、私には無理だ。何
をきっかけに機嫌を損ねるか分かったものじゃないのだから。
「まさにそこ、あなたのそういうところが気に入らないわ」
「えっ?」
何もしてないのに機嫌を損ねられた……!?
あ、いや、そもそも三途璃さんは怒ってるんだっけ。えっと、何で?
言外の疑問に答えるように、三途璃さんは私の負傷した足首に優しく触れた。
「随分とばかな事をしたわね。この足、痛むでしょう?」
「……はい」
「あんな三門芝居、必要なかったのよ。どうせ私があの先生を殺すと思って、そ
れを止めるためにやったんでしょう?」
「す、すみません……もしかして殺す気は無かったんですか?」
「いや、殺すつもりではあったけど」
「あ、あれ?」
「私が言ってるのは、止めたいのなら直接口で言えばよかったって話よ。どうし
てあんな回りくどい真似をしたのよ」
「そ、それは……」
「水を差された私が、怒りをあなたの方に向けるとでも思ったの?」
「……」
銀色の眼光がさらに鋭さを増す。そのまま私を射殺すつもりでも不思議ではな
いくらいの怒気を感じる。足の痛みを忘れるくらいに背筋が冷えてきた。
けれどその直後、急激にその表情が和らいだ。
「あなたは随分私に遠慮しているようね」
穏やかというか、寂しげな顔だ。
「魔神である私が怖いというの? ちょっと機嫌を損ねたくらいで、私があなた
を殺すと思うの? もしもそうなら悲しいわ。私はあなたの事、クラスメイト以
上である以上に友達だと思っているのに……」
「三途璃さん……」
要するに、「水臭い」と言われたわけか。それは信頼関係の裏返しであり、同
時にそれを裏切られた事への怒り。どうやら私は、自分が思っているよりも彼女
からの信頼を得ていたらしい。自惚れるつもりはないけれど、少しくらいは特別
な関係を築けていたのだろうか。
それは……私にとってはこの上無い僥倖だ。ならばこそ、その信頼に答えない
手はないというものだ。
「すみません、三途璃さん。私、つい人見知りしてしまう性格で……でも三途璃
さんの事が私を友達だと思ってくれるなら、すごく嬉しいです」
「……分かればいいのよ」
私の言葉を受けて、三途璃さんはようやく明るい表情を見せた。信頼関係を得
てから眺める彼女の表情は、まるで年相応の少女のようだった。
「……今回の事は、私も悪かったわ」
「え?」
「少しだけよ、ほんのちょっと!」
照れくさいのか、頬を赤らめて三途璃さんが私から目を逸らした。
「今日来た先生が情けなくて苛ついてたのは確かよ。委員長としてああいう適当
な態度は是正するべきだって、ちょっと意気込み過ぎてたのもあって、ついつい
我を忘れて行動しちゃってたわ。結局それであなたが怪我するに至ったんだし、
反省しなくっちゃね」
「ま、まあ、私の事は別にいいんですけど……」
「安心なさい。次はあなたが見ていないところでやるから」
「……え?」
「そういえば夢路、あなたも人間だものね。同じ人間を目の前で殺そうとするな
んて、デリカシーに欠けていたわ。他の皆にも、注意を促しておくわね」
「…………」
照れ隠しのように頬を掻きながら、反省を述べる三途璃さん。その表情には、
いかにも仲違いしていた友達と和解した後みたいな爽やかさが見て取れるけれど
……残念でもなく当然のように、全くもって噛み合っていない。
例えるならば、鳥かごのすぐ隣で焼き鳥を食べているみたいな致命的な配慮の
無さに、一体どうして気づかないのだろう。かつては自身も人間だったはずの三
途璃さんは、何故自分の発言のおかしさに気付かないのだろう。
私がショックを受けているのを全然気づいていない様子で、三途璃さんは「ゆ
っくり休んでなさいね」と機嫌よく保健室を出て行った。心身ともに置いてけぼ
りにされた私は、その背中を目で追う事さえ出来ず、思わず俯いてしまった。
魔神との仲は、遠いようで近い。でもやっぱり絶望的なほど遠い。
三途璃さんも、そして照も、私の理解の外にいる生物なのだ。
それでも、歩み寄る事を諦めてはならない。
さもなくば、私がここにいる意味なんて無いのだから。
さしあたり……すぐに教室に戻ろう。
足は痛いけど、あの調子の三途璃さんを放置する事なんて出来ない。
不承不承に、私は重い足取りで歩き出した。