01
初めて世界が滅亡の危機に直面した時、あらゆる国のトップがまず初めに行った
のは、それぞれの国民に対して問題を秘匿する事だった。
もちろんその行動には、少なからず保身も含まれていただろう。けれどそれ以上
に、国民達をパニックから守るという崇高な理由があったのだと、私は信じたい。
幸か不幸か、時の国家元首達は軒並みこの世を去っている。彼らの心中は、既に人
間が推し量る事は出来ない。魔神だったら出来るだろうけど。
ともあれ、当初は魔神の存在は公表されていなかった。初めは秘密裏に処理する
腹積もりだったのだろう。しかし現実はそうはいかず、世界規模の軍隊が動く未曾
有の事態に発展した。
その果てに、人類の八割が土に還った。そして今も尚、魔神の恐怖は世界中を覆
っている。もはや問題の秘匿なんて、考えるだけでばかばかしい。
ただでさえ、人間の口に戸は建てられない。怖い物知らずのマスコミが、文字通
り生命を張って世界中に魔神の情報を発信している。騒動の当初ならいざ知らず、
それから既に一ヶ月近くが経過している。
そろそろ魔神の顔くらい覚えられていても不思議ではないという事だ。
「ありゃりゃ……誰もいなくなっちゃったねえ」
往来の真ん中にぽつりと立ち尽くした照が呑気に呟く。逃げ纏う人々を虫を見る
ように興味無さげに見つめていたけれど、やがてそれにも飽きたのか、困ったよう
な柔らかい笑みを浮かべてこちらを振り返る。
「あてが外れちゃったね、むーちゃん。せっかくの繁華街なのに、これじゃあちょ
っぴり寂しいね」
「……まあ、仕方がないよ。当然の結果だし」
十一体の魔神の中でも、照はかなり恐れられている方だ。
人類の総戦力二千万人を一体で滅ぼしたのが他ならぬ照だし、以前には全世界を
一度に切り取った事もある。そして駄目押しに、あの騒動。
白瀬城菜。芸術が趣味の変わり者の魔神。彼女のちょっとした好奇心が世界規模
の混乱を引き起こし、その果てに照を暴走させたあの暴挙はつい昨日の事。
切り取られた世界は照が元に戻したし、ぼろぼろになった魔神の街もどうやった
のか、城菜さんが一晩で修復した。
けれど魔神の街以外には照が引き起こした災害の爪痕がたくさん残っているし、
二体の戦いに巻き込まれて死んだ人間は数万人じゃ利かない。ここ最近の魔神の暴
走は平和裏に解決していたのもあって、人類のショックは大きい。ショッピングが
てら、ちょっとアウトレットにお邪魔しただけでこうまで避けられても、こちらと
しては文句の一つも言う資格は無い。照から逃げ纏う人類の気持ちはよく分かるか
ら。私とて、彼女と旧知の仲でなかったら裸足で逃げ出しているところだ。
「うーん……人間は皆大袈裟だなあ。っていうか、目ざとすぎだよ。そんなにすぐ
に気付かれるくらい、私は人間離れした恰好してるかなあ」
「恰好は概ね人間だよ。でも照、目立つよ。頭とか目の色とかさ」
「金髪なんて今時珍しくないでしょ。目だってカラコンくらいあるし……」
純金のように輝く瞳を瞬かせながら、照は納得いかなそうに唇を曲げていた。確
かに金髪も金眼もそう珍しいわけじゃないけど……照のそれは人間のものとはちょ
っと……というか相当趣が違う。まるでそれそのものが仄かに発光しているみたい
に、きらきらと輝いているのだ。遠目から見て眩しいというわけではないけれど、
ちょっと目を凝らせばすぐに普通と違うのが見て取れる。
そしてこれは、照に限った特徴ではない。魔神は皆、そうなのだ。ジュジュさん
みたいに黒髪の個体もいて、彼女に関してはその限りではないけれど……まあ概ね
目を惹く。その輝きは、魔神の名刺みたいなものなのだろうか。
「まあいいや。今度は変装でもすればいいよね。今日はせっかくだし、無人のアウ
トレットでショッピングしよっか」
「……いいのかなあ」
「へーきへーき。お金はちゃんと払っておけば問題ないよ!」
「……」
ぶっちゃけ、アウトレットから丸ごと人が逃げ出した時点で経済的損失は計り知
れないと思う。今更お金を払おうが払うまいが、誤差にすらならない自己満足だろ
う。いや、払わないよりましだけどさあ……
ともあれそういうわけで、花の日曜日。私は照と異様に静かなアウトレットの散
策を始めた。
場所は東京、大都会。まだ日が高いこの時間に店員ごと姿を消し、それでいてシ
ャッターの一つも降りておらず、電灯さえも点けっぱなしの店舗がずらりと立ち並
んでいるのは、なかなかに異様な光景だ。
「なんかこういう無人アウトレット、映画とかで見た気がする……」
「ゾンビ映画?」
「うん……夜になるとゾンビが襲ってくるから、バリケード張って籠城するやつ」
「ゾンビかあ……三途璃ちゃんにお願いしたら用意してくれると思うよ」
「絶対やめて」
「あはは! でも映画のアウトレットより綺麗なまま残ってるからお得だね!」
「……」
お得とかいう話かなあ。まあ、足元にガラスが散らばっていても困るけど。
しかし……本当に人っ子一人いないなあ。普通こういう場合って、逃げ遅れた人
とか火事場泥棒とかいそうなものだ。それだけ皆、魔神が怖いという事だろうか。
あるいはこの状況で逃げる選択肢を取れない人間は、既にもうこの世にいないのか
もしれない。度重なる魔神の脅威を経験し、人間も弱い者から淘汰されているのか
な。その場合、私が淘汰されなかったのは照の都合なんだろうなあ。
「あれ? なんだか賑やかな声がするよ」
「え?」
私が脳内で勝手に出した結論に、早くも照が食いついた。その指が示したのは、
照を見た人達が最も多く逃げ出したと思しき、アウトレットの出口の方向だ。まさ
かそんなところに逃げた人達が固まっているわけがないし、逃げてきた人達が照の
存在を口にしたはずだ。それなのに、賑やかな声を出すなんて……
「もしかして、待ち伏せされてる? 人類の新兵器でも用意してるのかな……?」
そうだとしたら、どうして政府の人間は私に教えてくれないのか。私はもう、駒
として用済みだとでも思われているとか? うう、私はこんなにも人類のために尽
力してるというのに……
「心配性だなあ、むーちゃんは。何が待ち受けてたってへーきだし、むーちゃんは
守ってあげるから大丈夫だよ」
「どこから来るの、その自信……」
「うーん、経験則?」
「ぐうの音も出ないよ……」
照がバケモノなのは十分分かっている。三つの能力のうち、私が知っているのは
二つだけだけれど……それでも無敵だと思う。人類が立ち向かうには強すぎる。
だからこそ、危機感が噛み合わない。不自然な状況というのは、それだけで不気
味だというのに。
戦々恐々とする私の手を引き、照が楽しそうに喧騒の方へと向かう。私はそれに
抗えず、ただただ何事もありませんように、と願っていた。
その願いは叶った。
「……え?」
あまりに肩透かしな普通さに私と照は思わず顔を見合わせた。
そこにあったのは、おしゃれな屋外カフェだった。
ウッドデッキのような綺麗な木目の足元に、清廉な真っ白いパラソルを立て、ま
るで鏡のように磨かれた御影石のテーブルが並び、そこにビーチチェアのような先
鋭的な椅子がぐるりと囲む。随所に花壇が並べてあり、色とりどりのコスモスが咲
き乱れている。中央には噴水があり、何か仕込んであるのか水がラメのようにきら
きらと輝いている。
そこには、たくさんの人がいた。
お客さんも従業員も、普通にいる。どうみてもただの人間だ。それなのに照を見
ても騒ぐどころか気にもしない。従業員にいたっては私達を見て「二名様ですか、
お席にご案内いたしますね」などと言っていた。
他の店舗には人間はいない。がらんどうのアウトレットの中、そのカフェだけが
別世界のように何事もなく存在している。
一体これはどういう事だろう。呆然とカフェの奥に目を向けると、そこには照以
上に目立つ存在が座っていた。
これ以上鮮やかな色は存在しないだろうと言わんばかりに主張するショッキング
ピンクの髪が、仄かに光を帯びている。後ろ髪を背中まで伸ばし、左右の側頭部に
触角のような二つ結びを施したツーサイドアップはボリューミーで、髪色同様に人
目を惹く。くりくりとした大きな瞳は髪色と同じく派手なピンクで、顔つきの愛ら
しさも相まって可愛らしく見える。背は城菜さんと同じくらいに高く、オーバーサ
イズな空色のフレアスカートと飾らない白いエンジェルスリーブがよく似合う。
彼女の名前は桃井最萌華。私のクラスメイトで、恐るべき魔神の一体だ。
彼女……桃井さんは一人で楽しそうにスマホを弄っていた。その姿に惹かれるよ
うに、照が私を連れて駆け寄る。
「おーい。モモちゃん!」
「ん? あ、照。人間の街で会うなんて奇遇ね」
不躾な照の挨拶に、桃井さんは特別何も感じてない様子で応対し……視線を私に移
した。
「それと……うちのクラスの人間も一緒?」
「ど、どうも……」
半ば照の後ろに隠れるようにして挨拶すると、桃井さんは近くのテーブルから椅
子を二つ持ってきて、自分が座るテーブルに並べた。
「とりあえず座れば?」
「あ、はい……」
促されるままに着座する。桃井さんは私達を座らせつつも、特別何か用事がある
わけじゃないらしく、照と当たり障りの無い会話を始めた。
「学校の外で会うのは初めてね。照も人間も、私服は新鮮だわ」
「モモちゃんはとってもお洒落だね! すっごく可愛いよ!」
「ふふん、身だしなみには気を遣ってるもの。照もお洒落するといいわよ」
「えー、照れるなあ。わたし、どんなのが似合うかな?」
「照はそうね……せっかく金髪なんだし黒系統がいいわよ。フェミニンな感じが似
合うと思うわ」
「フェミニンってどんなの?」
「言葉にするのは難しいわね……女子っぽくて、可愛すぎずかっこよすぎない落ち
着いた感じって言えばいいのかしら」
「うーん……周りにそれっぽい恰好の人はいない?」
「生憎いないわね。あ、でもさっき行ったブティックで丁度良いのを見たわ。店員
は今季のオススメとも言ってたわよ」
そう言って桃井さんは、そのブティックがあった方角を指した。それは私達が来
た方向だった。
桃井さんは私達よりも前にここを訪れ、買い物をしていたらしい。つまり桃井さ
んを見ても、周りの人間は魔神だと気づかなかったという事になる。このカフェの
人間達だけならまだしも、照を見て逃げ出した連中もいただろうに……
「あ、あの……もしかして桃井さん、能力を使いました?」
「ん?」
思わず口を挟むと、照と桃井さんは二人してこちらを向いた。ああ、照までこっ
ち向かないでいいのに。必要以上に注目されるとやりづらいじゃん……
「えーと、人間……ごめん、名前は?」
「あ、え、えっと……不破です。不破夢路」
「オーケー、夢路。あんたの質問に答えてあげる……イエスよ」
桃井さんはそう言って右手を私の前に突き出し、親指と人差し指を立てた。する
と次の瞬間、指の間に収まるようにして赤縁の眼鏡が現れた。スリムな形状で、彼
女がそれを掛けると、ちょっと目が大きく見えて可愛らしさに磨きが掛かる。
「これ、『天色眼鏡』っていうの。あたしの能力よ。目で見る行為を補助するの」
「え、ええと……単なる視力の矯正ってわけじゃないんですよね?」
「まあ眼鏡だし、そういうのも込みだと思っていいわ。ところで夢路、今からあん
たは三回回って吠えるのよね?」
「え……急に何を言い出すんですか?」
突然の無茶ぶりに困惑しつつも、私の身体は実に素直に回転した。
くるくるくる、わん。
って、私は一体何をしているんだ……!
「はい、よくできました……あんた、面白いわね」
「桃井さん……今のは一体なんですか?」
「あはは、怒る事ないじゃない。実演しただけよ」
「実演って……」
「今のは催眠。眼鏡の力で、視線を送った相手の行動や認識を意のままに操る事が
出来るわ。ね、照」
桃井さんは照を見た。
「あたしの髪の色、どう見える?」
「あ、すごい! ゲーミングモモちゃんだ!」
「ええ……」
一体どういう暗示を掛けたのか、照は普段通りピンク色な桃井さんの髪を見て大
騒ぎしている。照にだけは、ピンクではない何かに見えているのだろう。
これが催眠……なるほど、三途璃さんの『ブリタンの憐れな子羊』に近い。原理
や使い勝手はよく分からないけれど、桃井さんの能力はかなり便利なようだ。
「つまり、桃井さん。あなたはその能力で、そこら中の人間に自分が魔神に見えな
いように暗示を掛けたって事ですか?」
「うん。いいでしょ。あたしはこれでいつでも人間社会に溶け込んで、同じように
生活ができるってわけ」
「……人間社会に溶け込みたいんですか?」
「あたし、人並みにSNSとかオシャレとか好きなのよ。でも他の魔神達はせっか
く花の高校生だってのに、華が無いから張り合いが無くってね。そういう楽しみは
まだまだこっち社会の方が楽しいわ」
私達の会話の間を縫うように、店員さんがやってきた。どうやら桃井さんの注文
を持ってきたらしい。手にしたお盆に載っているのは、ものすごい数のイチゴがク
リームがクリームにサンドされたような層が七、八段も重ねられた、とてつもない
サイズのパフェだ。グラス部分の三倍はあろうかという広さのパフェ層が、奇跡的
なバランスで成り立っている。
「わあ、すごいね! これ、モモちゃんが頼んだの?」
「映えるでしょ」
ごちそうを前に、桃井さんが手を擦り合わせた。SNS好きの彼女はもちろん食
べる前に色んな角度からパフェと自分をいい感じの割合でスマホに納めている。時
には私や照をカメラの端に捉えながら。
「『友達とカフェでギガパフェデラックス咀嚼』……と。よし、いい感じね」
写真を撮り終わると、桃井さんはパフェを食べながら私達をじっと見た。
「あんた達、これからどこに行くの?」
「うーん……まだ決めてない」
照が答えた。
「とりあえず繁華街の方に行こうと思ってるんだ。むーちゃん、いいよね?」
「ふぅん、繁華街ね……」
私の回答を待たず、桃井さんは一瞬だけ眼鏡を指でくい、と持ち上げて繁華街の
方に視線を送った。そして平然と言い放つ。
「繁華街の方にいる人間に暗示を掛けておいたわ。これであんた達が行っても人間
は逃げないわよ」
「本当? ありがとうモモちゃん!」
「いいのよ、貸しだから」
「えへへー、モモちゃんの世渡り上手!」
……え、あの一瞬で? 東京の繁華街って、多分何万人もいるのに……暗示って
そんなに簡単にできるものなの?
そう問おうとしたけれど、無駄なのでやめた。魔神のやる事にいちいちリアクシ
ョンを取っていても仕方ないし。
「よーし! じゃあ早速、デートを仕切り直ししようね!」
嬉々としてそう言って私の手を引く照。そんな私達を見守りながら手を振る桃井
さん。
彼女……いい魔神だったなあ。
などと油断するほど、私は愚かではない。城菜さんの一件で、魔神に対してそう
いう感情を持つ事が危ういというのは学んだ。
でも、桃井さんとは仲良くして損は無さそうだ。あの能力……何かに上手く使え
ないだろうか。
そんな私の奸計は、後に思いのほか早く進行する事になる。




