01
魔神とは、人間相手にあらゆる慈悲と道徳心を持ち合わせないパブリックエネミ
ーである。
血も涙も無い獣。文明の破壊者。クトゥルフ神話の邪神。手塚治虫の火の鳥。
ありとあらゆる言葉で残酷さを表現される彼らだけれど、意外にも仲間意識とい
うものがあるのか、魔神同士で争う事は滅多に無い。殊更、世界を滅ぼすほどの力
を直接ぶつけ合うような事は、私が知る限り一度しか無かった。
それだって、せいぜい十万人足らずの犠牲を出す程度で留まった。これが犠牲と
して多いか少ないかという議論は、とりあえず置いておくとして。
ともあれよほどの理由が無い限り、魔神同士は戦わない。
それはひとえに、魔神達が共通して持つ特徴に由来するのだと、私は分析する。
一つ、無限の再生能力。
いかに強力な攻撃を与えようとも、魔神はすぐに復活する。極論、攻撃そのもの
に意味が無いのだ。だから魔神相手への暴力は基本的に無意味で、戯れでしか行わ
れない。人間でいうところの、スキンシップやじゃれ合いみたいなものだろう。
そしてもう一つ、圧倒的過ぎる破壊力。
魔神が一人につき三つ持つと言われている異能力はもとより、通常の身体能力に
関しても、常軌を逸したものがある。正式に計測されてはいないけれど、既存の野
生動物とは比較にならないのは確かだ。最低で見積もっても、巨大な象のようなも
のだと思えばいい。そんな彼らが暴れたら、周囲の被害が小さくない。人間相手に
は気を遣わなくとも、自分の周りの家具や道具が壊れたら困るはずだ。
この二つのストッパーがあるから、魔神同士は戦わない。
裏を返せば、二つのストッパーさえなくなれば、魔神同士は戦う。
再生能力が無意味になるような闘争のルールがあり、なおかつ周りに何も無い空
間があれば……彼らは心おきなく戦うだろう。
「今日の体育はドッジボール! 楽しみだなあ!」
どうしてこんな事になったんだろう。頭を抱えずにはいられない……
競技……それも全員参加となれば、魔神達に手を抜く余地は無い。いくら学校が
あるからって、体育のカリキュラムを組むなんて愚行にも程がある……!
「仕方がないんですよ。いつまでも体育の授業が無いなんておかしいと、黄泉丘三途璃から苦情がありましてですね……」
本日の教師役が額の汗を拭いながら言い訳を述べる。三途璃さんの主張はもっと
もではあるし、教師が彼女の進言を拒めないのは分かるけど……それにしたっても
うちょっと穏便に済みそうなカリキュラムを組めそうなものだ。
例えばダンスとか、体操とか。同じ球技にしたって野球や卓球でもいいし、わざ
わざ「相手の身体にボールを当てる」という野蛮極まりないルールの競技を採用す
る必要がどこにある……?
「それも仕方がないでしょう。クラス全員の多数決の結果そうなったのですから。
恨むなら、意見を挙げた空々忍を恨んで下さい」
「……ボールが当たったら私、死んじゃうと思うんですけど」
「そこは……頑張って下さいとしか」
「……」
他人事だと思って、適当な事を言う。最近の政府の人間は私の事を何だと思って
いるのあろう。私のバックアップも仕事のうちだろうに。
「骨くらいは拾ってあげますよ」
こんな事を言う始末である。彼らも魔神と関わり出してそろそろ一ヶ月半……あ
まりにも奔放な魔神達の挙動に絶望し、段々と投げやりになっているのかもしれな
い。政府の人間が仕事を放棄したら、いよいよ世界はおしまいだというのに……お
願いだからしっかりして欲しいなあ……
などと嘆いていても寄る辺ない。まずはこの場を生き残る事から考えないと。
校庭に出て、私を含めた十二人が体操服を着て並び立つ。出席番号順に並ぶと、
まだ大して親しくない魔神二人に囲まれるかたちになる。うう、怖い……
「まずはチームを決めよーよ。どうやって決める?」
照の主導で話が進み、最終的に代表者……照と三途璃さんの指名によってチーム
が決められた。
照チームにはジュジュさんが、三途璃さんチームには忍さんが振り分けられてい
る。私は……三途璃さんチームだ。
「ほんとは真っ先にむーちゃんを指名したかったんだけど……三途璃ちゃんに取ら
れちゃった」
「照の考えてる事なんてお見通しよ。勝負っていうのは、相手の思考の先を行く事
から始まるのよね」
などと三途璃さんは言っていたけれど、私を取る意味は多分無いので、既に戦術
で負けている気がする。
というか、そんな事はどうでもいい。私にとって勝ち負けは二の次。それより何
より、ボールという凶器から離れる事だけを考えないと!
不幸中の幸い、ドッジボールはゲーム開始時に外野が最低一人必要になる。外野
の人間は生き残りに数えないし、ボールを当てる事しか出来ないため、あまりやり
たがる者がいない。ただ、ボールで狙われないというとてつもないメリットがある
以上、私にとってはこれ以上無いほどのポジションだ。
というわけで、三途璃さんから若干引かれるくらいの勢いで外野を希望し、見事
に抜擢された。良かった……これで死の危険は少し減る。
「ふふふ……外野、頑張ってくださいね。頼りにしてますので」
忍さんが不穏な事を言う。まさかわざとボールをぶつけてきたりはしないだろう
けれど……不安だ。怖い。やっぱりこの魔神、何を考えているのか分からない。
でも今更欠席するわけにはいかない。ここで私が抜けたら六対五の勝負になって
しまう。実際、人間が一人いなくなろうが戦力に影響は無いように思えるけれど、
最終的に生き残りの人数で勝敗が決まる以上、内野を減らすのは致命的だ。私がい
ないだけでチームに迷惑がかかる……くそう、だから団体競技は嫌なんだよなあ。
などと四の五の言っても意味が無い。私の意志とは無関係に、勝負は始まった。
まずはジャンプボール。両チームから背の高い魔神二体が選出され、高く上がっ
たボールを追うようにして自分達も飛翔して……
「え?」
定められたゲームの開始を裏切るような光景に、思わず自分の目を疑った。
高く上がったボールは忽然と消え、ジャンプした二人は困惑する。
ボールの末路は……あった。私と向かい合うようにして立っている味方の内野に
いる魔神……忍さんの手の中だ。ああ、『マーフィーの愛と希望の幸福論』を使っ
たのか……便利だなあ。
などと呆れている場合じゃなかった。忍さんは手にしたボールを振りかぶり、無
防備にジャンプしている相手の魔神に向かって投げつけた。
ボールを受けた魔神の頭部が、粉々に爆ぜた!
もちろんボールも爆ぜた!
僅かに遅れて聞こえた破裂音が、校庭中に響き渡る。鮮血が飛び散り、倒れ伏す
魔神。あまりにショッキングな光景に、周囲がしんと静まり返った。
「……」
誰も何も言わない。やがて当たり前のように立ち上がった首なし魔神が、みるみ
るうちに頭部を回復させながら、未だ脳髄まで見通せるようなスケルトンな顔で、
一言。
「今のって顔面セーフじゃね?」
え……そっちなの!?
「いやいや、顔面セーフは顔面で受けないと駄目でしょう。あなた、顔面で受けき
れなかったですよね? アウトでは?」
対する忍さんも、論点のずれた返事をする。それを口火に、両サイドから加熱し
た声が上がる。
「顔面セーフって元々顔を狙うのが危ないから作られたルールでしょ? だったら
受けきれなくてもセーフじゃない?」
「それを言うなら、魔神は顔を狙われても危なくないから、やっぱりアウトだと思
うわ」
「……そもそもそれ以前に空々オマエ、能力を使うなんて卑怯じゃないのか?」
「能力を使ったらいけないなんてルール、決めてませんでしたよ」
「普通言わなくても分かるだろ! 全員が能力を使い出したら、収拾がつかなくな
るに決まってる!」
「それはあなたがそう思っているだけですよ。悔しかったらあなたも能力を使えば
いいんです」
「……」
忍さんに向かって突っかかっていたジュジュさんが言葉を失った。そして次の瞬
間……彼女の右手には、見覚えのある樫の杖が握られていた。『大魔導師の杖』。
ジュジュさんも自分の能力を使う気満々だ。
他の魔神達も二人の対決を煽っているし、ジュジュさんは今にも魔法を使いそう
だ。忍さんが謝ればこの場は収まるだろうけれど……謝るわけないよね。
やばい、惨劇が始まってしまう……止めないと!
いや、絶対無理だ! 明らかに怒り心頭のジュジュさんを止めに入って、無事で
いられるわけがない! 普通に死んじゃうって!
とはいえ、ここで二人が戦ったらどうなるか……忍さんの戦闘スタイルを考える
と、この辺一帯がぐっちゃぐちゃになるかも……その場合、やっぱり私も死ぬ!
ああ、なんて酷いダブルバインド……終わった。
全てを諦めかけたその刹那、私の視界に奇妙なものが映り込んだ。
それは……透明なシャンパングラスだった。中に赤黒い液体が注がれて、ごぽご
ぽと煮え立ったように激しく泡を立てている。さながらジュジュさんの怒りを示す
かのように。
体育の授業で手にするにはあまりにも不似合いはその物体を持っていたのは、私
の反対側の外野にいた一体の魔神だった。
混じり気の無いまっさらな白髪を肩の辺りで柔らかに揺らした美しい天然パーマ
に、およそ色というものを感じさせない不思議な光を放つ眠たげな眼。忍さんと同
じくらいの長身に、やや猫背な姿勢。その手に持ったグラスをくゆらせながら、彼
女はこちらを見つめ、不敵に微笑んでいた。
不意に、赤黒い液体に波紋が落ち、みるみるうちにそれがグラス全体に広がって
いく。すると禍々しい色をしていた水面が清涼な海を思わせる青色へと変貌し、激
しく沸き立つ泡も出なくなり、凪のように落ち着き払った様子になった。
それに呼応するように、ジュジュさんの背中から怒りの色が消え去った。いきり
立っていた肩から力が抜け、その手に握られていた杖も虚空に消える。
突然の変化に、さしもの忍さんも薄く貼り付けた笑みを失いかけていた。
「おや、どうしました? 能力、使うんじゃなかったんですか?」
「……ふん。ばかばかしい。こんなのは所詮遊びだ。ボクが熱くなるような事じゃ
ない。ただ、能力を使うのがありじゃゲームにならない。次から無しにしろ。それ
で退いてやる」
「……まあ、いいでしょう」
意外にもあっさりと忍さんが頷いたので、周りの熱も冷めていく。いくらオーデ
ィエンスが湧こうとも、当人達が醒めてしまっては騒ぐ甲斐もない。
しばらくすると、何事も無かったかのようにゲームが再開された。代わりのボー
ルとともに、バイオレンスな勝負が繰り広げられる。
その様子を、あちら側の外野にいる真っ白な魔神が満足そうに眺めていた。その
手にはもう、グラスは握られていなかった。
今のは……能力?
ジュジュさんの怒りを見事に消し去り、穏便に場を収めて見せた?
それが可能だという事にも驚いたけれど、まさかそんな気を回してくれる魔神が
いるなんて思わなかった。
彼女の名は、白瀬城菜。
今まで親しくなかった魔神だけど……興味が湧いてきた。
もしかすると彼女は、私の味方かもしれない。
照や他の仲良くなった魔神とは一線を画す、真っ当な倫理観を持った魔神。
そんなものがいるのなら、この世界の絶望はあっという間に希望へと塗り替わる
だろう。
何としてでも、彼女と仲良くならないといけない。
私の中で燻りつつあった使命感が、再び脈動を始めていた。




