05
あの時の事は、よく覚えていない。
まるで全てが夢の中の出来事だったかのように思える。それほどまでに思考を侵
食されていたのだとすると、恐ろしい話だ。
はっきりと自我が戻ってきたと確信したのは、勝負の後。三途璃さんの『ブリタ
ンの憐れな子羊』による命令により、物理法則を無視して私とジュジュさんとが分
離してからだ。三途璃さんの能力にそんな使い方があった事には驚いたけれど、そ
れ以上に心神喪失時の私自身の選択にも驚かずにはいられない。
私はあの時、敗北を選んだ。
今になってみると、それは正しい行いだ。ジュジュさんは合体だなんて言ってい
たけれど、あの状態の私はほとんど彼女の操り人形に等しかった。たとえ魔神にな
れたとしても、そんな状態では死んだ方がよっぽどましだ。
でもその時の私は、そんな事に気付かない。自分が異常な状態にある事さえ自覚
出来ず、ただただジュジュさんの甘言に乗せられ続けていただけだった。
そんな状態であっても尚、私は負けた。負けられた。その理由を、照は端的に語
っていた。曰く、私はあの時涙した照の姿に心を揺さぶられたのだ、と。
そんなばかな。
確かに照は友達だけど、同時に恐るべき魔神でにある。仲良くしたいとは思って
いるけれど、彼女に憐れみなんて持たないし、同情もしない。たとえいつの日か人
類が魔神の力を凌駕して、照がその凶刃の下に晒されようとも、自業自得だと嘲る
だろう。
その私が、まさか絆された……? いやいや、無い無い。
でもそうとしか考えられない。実際にこうして結果に表れているのだから。
「……ゆめじ、やっぱりオマエはボクを拒絶したんだな」
少なくともジュジュさんはそういう風に捉えていた。他ならぬ私と同化していた
彼女が、である。
いつのまにか放課後の教室には人がいなくなり、私とジュジュさんだけが取り残
されていた。敗北した彼女が再び私の方へと腕を伸ばす事は無く、まるで打ちのめ
されたようにがっくりと肩を落とし、項垂れていた。
「オマエはボクよりも、大神を優先したな」
「そ、それは……」
「言い訳はいらない。だからこそ、ボクらは今こうして向き合っている」
「……」
ジュジュさんは何を思って私と合体しようと思ったのだろう。私と合体する事で
何を得ようとしたのだろう。他の数多の黒魔術のように、ただ試してみたかっただ
けだろうか。
そうじゃない。でなければあんな勝負なんかせずに大人しく私を解放しただろう
し、勝負に負けたからと言ってこんなに落ち込む事も無かっただろう。
彼女は私に何かを期待していた。そしてそれが何か……今なら分かるような気が
する。一度は彼女に取り込まれたからこそ、多分。
「確かに私は、ジュジュさんと離別する事を望みました。でもそれは、照を優先し
たからとかじゃなくて……」
「言い訳するなって言っただろ」
「聞いて下さい。私は照を優先しません。だってそうしたら、忍さんや三途璃さん
をないがしろにしてしまうから」
「……ふん。分かってるよ。ボクより大神や黄泉丘の方が付き合いが長いからな」
「そういう事じゃなくて……私は皆さんと仲良くしたいんです。もちろん、ジュジ
ュさんとも」
「……随分と虫の良い話だな」
「そ、そう言わないで下さい……ジュジュさんとの黒魔術探索、すごく怖かったけ
ど楽しかったです。人間の生贄は嫌ですけど、そういうの以外ならまた一緒に行き
たいと思ってます……だめですか?」
「……本当にそう思ってる?」
「心から思います。私の本心、知ってますよね?」
「ああ。オマエが付和雷同な八方美人って事もな」
「……」
ぐさりと心に突き刺さる事を言いつつ、ジュジュさんは立ち上がった。真っ黒な
瞳に刻まれた陣は、まっすぐに私を見つめている。
「いいだろう。今回はそれで満足……いや、納得した事にしてやるよ」
たっぷりと含みを持たせた事を言いながら、彼女は去っていった。
……あれでよかったのかな。多分、あれでいいはずなんだけど。
ジュジュさんが求めていたのは、多分同志だったんだと思う。
黒魔術なんて一般的な趣味じゃないし、きっと人間だった頃から同じ趣味の相手
がいなくて、寂しかったんだろう。だからこそ私を捕まえていろいろと連れまわし
た。今から思えばあの夜の彼女の挙動は、自分の知識やコレクションを広げ、仲間
と一緒に楽しみたいという、純粋な思いから来ていたのかもしれない。
その結果、合体という暴挙に出たのは、さすがの魔神クオリティーとしか言いよ
うが無いけれど。今回、ジュジュさんと多少なりとも仲良くなる事に成功したけれ
ど……彼女の言動には他の魔神以上に注意が必要かもしれない。倫理観の壊れ方で
言えば、彼女は常軌を逸している。
仲良くなった相手の手綱を握れるかどうかは、これからの私の立ち回り次第だ。
せいぜい姫プに徹して媚を売るとするか。
私も教室を後にする。廊下に出ると、夕暮れを帯びた金色のツインテールが待ち
構えていたように現れた。
「あ、終わったんだね。お疲れー」
「照……ずっとここにいたの?」
「まあね! それで、珠樹ちゃんとはきちんとお話できた?」
「……」
照が私とジュジュさんの奇妙な関係をどう思っているのだろう。ジュジュさんが
無理矢理に私を取り込んだ……と考えているわけではなさそうだけど、事態を完全
に把握しているわけでもあるまい。まさか私の不用意な一言が発端だとは、さすが
に思ってはいまい。
「うん。なんとか話はついたよ」
「そっか、良かった。いやあ、わたしびっくりしちゃったよ! だって朝待ち合わ
せ場所にいったら、むーちゃんの様子が変なんだもん! 問い詰めたら何故か珠樹
ちゃんが出てくるし、むーちゃんも戻りたがらないし……」
「うん……本当にごめん。そしてありがとう。また照に助けられたね」
「えへへ……お安い御用だよ! それよりむーちゃん、覚えてる? わたし、初め
てダーツでむーちゃんに勝ったよ!」
「……その事なんだけど」
今回の照の勝利……あるいは私の敗北が誰のためであるかを考えると、複雑な気
分になる。だからこういう事は私の方から触れるべきではないのだろうけれど、幸
か不幸か照の方から触れてくれたので、私はおずおずと会話を切り出した。
「ねえ照。私、全体的にぼんやりしてたから細かい事は覚えてないんだけど……」
「どうしたの?」
「二回目の照の手番……あれ、イカサマしてたよね?」
「んー……」
照は返事にならない曖昧な声を出して私から目を逸らした。分かりやすいなあ。
「いや、結果的に私はそれで助けられたんだし、咎めはしないよ。ていうかそんな
資格も無いだろうし。ただ、念のため確認しておきたくてさ。あの二十のトリプル
三連打、何か仕掛けがあったんでしょ?」
「さあ……ねえ。むーちゃんは覚えてないだろうけど、あの場には細工の跡なんて
全然無かったみたいだよ」
「なんでこの期に及んで誤魔化そうとしてるの……? 確かにあの場には何も無か
ったのをおぼろげながら覚えてるよ。でも仕掛けなんてなくたって、魔神には人間
には使えないイカサマが出来るよね?」
「どうかなあ。わたしの能力じゃ難しいんじゃないかなあ」
「照だけならね。でも私、知ってるよ。今回の件で有効に使える類の能力をね」
「うーん……そのこころは?」
「『マーフィーの愛と希望の幸福論』……忍さんのアポート能力なら、矢を的の好
きな位置に誘導できる」
私達が的にしていたのは、空き教室の黒板……つまり壁際だ。もしもあの壁の向
こう側に忍さんがいて、照の投擲に合わせて能力を使っていたとしたら……あの不
自然な二十トリプルの連続にも説明がつく。
「もちろん、投げるたびに能力を使っていたらすぐにばれる。だからそのタイミン
グは、照の方から合図を送る事になってたんじゃないかな。たとえば、投擲の瞬間
に大声を出すとか」
「あー、そう言われてみれば、確かにわたしが二十のトリプルを出した時、気合入
れるために声出してたっけね! すごいねむーちゃん! キヅカナカッター」
「あの、さっきからその小芝居染みた誤魔化し方には一体何の意図が……?」
「もー、むーちゃんは情緒が無いなあ!」
噴飯もののセリフを吐きながら、照が半ば呆れた様子で首を振った。
「もー、認めればいいんでしょ? はいはい、わたしはイカサマしてましたー!
でも今更咎めても遅いからね? 勝負は勝った方が勝ちなんだからっ!」
「わ、分かってるよ……咎めるつもりも無いってば」
「だったらこの話はおしまい……で、いいよね?」
照が穏やかながらも、圧の強い調子で迫ってくる。魔神にこんな調子で迫られた
ら、私は首を縦に振る他無い。
照の期待通りのリアクションを取ると、彼女は無邪気に破顔した。
「よーし、むーちゃんいいこ! ご褒美に、家まで送ってあげよう!」
そう言って照が『つらなりの鎖』を具現化し、その一端を私の方へと伸ばしてく
る。その鎖に触れる刹那、私は一瞬だけ思惟に耽る。
照が叩き出した二十のトリプル三連続……さっきはその事にだけ触れたけれど、
多分彼女のイカサマはそこだけじゃない。
例えば、最後。持ち点が残り六十二点だった照は、またしても二十のトリプルを
出した後、一のシングル二回で締めた。一のシングルは狙いやすいから、イカサマ
を使って安全に六十を狙ったのだろう。
それは別に問題ない。勝負としては大問題な挙動だけれど、私としては助かった
から。ここで問題にするのなら、照の勝負に対する姿勢くらいだ。
それよりも、そこよりはるかに重要な一投がある。
私の最後の一投だ。
持ち点四十点に対し、六十のファンブルを叩き出したあの一投……当たった先は
やっぱり奇しくも二十のトリプルだった。
あのファンブルをもって、ジュジュさんは私が拒絶したのだと認識したのだし、
私は自分が意外とハートフルな人間であると思い知らされた。
あれがイカサマによる結果だったのだとすれば、その認識は誤りだ。
そうだ、思い出した。私の投擲の瞬間、照は叫んだ。私へのメッセージに見せか
けて、大声を上げた。まるでそれは、イカサマの合図のように。
もちろん根拠はない。ただ、状況証拠が揃い過ぎている。私達は、負けるべくし
て負けたのかもしれない。
照の囁き戦術……あれは私の失投を誘うためのものじゃなくて、イカサマを誤魔
化す口上に過ぎなかった可能性だってある。なんだかいろいろ良い事を言っていた
ような気もするけれど……全部演技だったのかな。
なんというペテン。私とジュジュさんは、最初から最後まで彼女の手のひらの上
で踊っていたにすぎないのかもしれない。
大神照……恐ろしい魔神だ。
「あれ? どうしたの、むーちゃん。帰ろうよー」
「……うん」
照の言葉に従い、鎖を掴む。掴んだ鎖がぐるぐる巻きに私を絡め取り、手錠と化
す。見慣れてきたその様子も、今日だけはどこか暗示的に見えた。
味方であるうちは、頼もしい。
だからこそ気を付けよう。照を敵に回したらどうなるか、私は知っている。
そうならないように、明日も上手く立ち回らないといけない。
気苦労は絶えないし、終わりは見えない。
明日も明後日も、生命があるとは限らない。
それでも前を向き、ひたむきに生きていく。
だって私は人間なのだから。




