02
人類を滅ぼす力を持った驚異の存在、魔神。
彼らは現在一つの地区に集まって暮らし、同じ学校に通っている。
既に人類としての戸籍を必要とせず、その気になれば文明ごと消し去る事さえ出
来る超存在が律儀に学校に通っているなんて、普通に考えたらおかしな話だ。
でもきっとその方が都合が良いのだろう。照を見ているとよく分かる。魔神とい
えど心があり、欲がある。たとえ人間をゴミのように思っていても、同じ魔神相手
となると仲間意識の一つや二つあるだろう。学校に通うのも、一種のノスタルジー
の表れかもしれない。
そう思うと、魔神といえど愛嬌があると言えなくもない。
ただ……そこに組み込まれた人間としては、勘弁してほしいという気持ちしかな
い。一人相手でも怖いのに、学校に行けば全員と接する事になるのだから。
照に手を引かれ、学校へ。大きな校舎の中にあるたった一つのクラスに入ると、
どこか懐かしい平和な朝の風景が出迎える。登校しためいめいがホームルームの時
間まで好き放題に過ごしている。友達とお喋りをしていたり、隅っこで本を読んで
いたり、鏡に向かってお化粧に興じたり、枕を取り出して眠っている個体までいる
始末だ。私を除いた、十一体。その全てがバケモノだなんて、悪い冗談だ。
「おっはよー!」
教室に入るなり、照も平和な風景の一団に混じっていく。私はその後ろを追う事
はせず、用意された席に粛々と腰を下ろした。
「朝から随分と不景気そうな顔してますねえ」
一息ついたところで、背後から声を掛けられた。さっきまで誰もいないと思って
いた後ろの席に、魔神が座っていた。
すらりとしたモデル体型の、長身の女子だ。アメジストを思わせる濃い紫色の外
ハネショートボブを柔らかに揺らし、貼り付けたように微笑みを崩さない。大人び
たミステリアスな雰囲気を纏ったその美少女の名は、空々忍。私と比較的仲が良い
個体だ。
「どうせまた、政府の方から無茶な要望を聞かされたんでしょう? 人類に友好的
な魔神を味方に引き入れて来いとか、停戦協定をして来いとか……ふふ」
「……どうして分かるんですか?」
「質問に質問で返されても困りますよ」
忍さんは全く困ってなさそうに微笑を浮かべたまま、私の額に優しく人差し指を
押し当てた。
「あなたの事ならなんだって分かります」
「……それは、どういう意味ですか?」
「どうでしょうね。口説いているのかもしれませんねえ」
「……私の事、単純な奴だって思ってますね」
「おや、鋭い」
いかにもわざとらしく感心したような声を上げ、私の額から人差し指を離して大
袈裟に両掌で空を仰ぐ忍さん。まるで道化だ。
「ところでむーちゃんさん、飴食べます?」
「あ、いえ、私は別に……」
「遠慮はいりません。はい、どうぞ」
拒否したにも拘わらず、忍さんはどこからかイチゴ飴を取り出して私の口に直接
ねじ込んでくる。
「ちょ、ちょっと忍さん……」
「暴れちゃだめですよ。勢い余って指ごと喉を突き破るかもしれませんからねえ」
「…………」
「お利口さん」
固まった私の口内に、甘ったるいイチゴの味が広がる。うん……美味しいや。
唐突に飴を寄越した忍さんは、しかし自分は飴を食べるわけでもなく、かといっ
て何がしたいという風でもなく、私をじっと見つめるままだ。
一体何を考えているんだろう。全然分からない……
言動が幼く分かりやすい照と違って、忍さんは大人びていて分かりづらい。それ
ゆえに不気味で、名状し難い恐ろしさを感じずにはいられない。
忍さんは気まぐれに人を殺す。私はその場面に直接出会った事はないけれど、魔
神を監視している政府の人間や近隣の都市の住民が何人も殺されたという話を聞い
ている。
彼らは何もしていない。気まぐれで人を殺したいと忍さんが考えた時、たまたま
そこにいただけだ。トリガーの瞬間がいつ訪れるか、人間である私には想像もつか
ない。今この瞬間にそれが訪れ、私の首が飛ばされたって全然不思議じゃない。
教室に来て、椅子に座っただけでこのありさまだ。つくづく綱渡りで生きている
と自覚させられる。あまりにも身近に迫った死への恐怖から気を紛らわそうと、口
の中の甘い感覚だけに思いを馳せるとしようかな……
「授業前にお菓子を食べるのは校則違反よ!」
「ひゃあっ!?」
突然肩に手を置かれ、身が凍る。振り返った先にはいつの間にか忍さんとは別の
個体が立っていて、不機嫌そうに眉を吊り上げ、私を見下ろしていた。
暗闇でも輝きそうなほどに眩い銀色の前髪を額の辺りできっちり切り揃え、両耳
を隠す程度の毛束を残し、後ろ髪を背中まで伸ばした……いわゆる姫カットを携え
た、鋭い目つきの少女だ。忍さんほどではないけれど平均より高い背丈で、威圧感
に満ちている。スカートや靴下の丈が他の個体よりも長く、背中に定規を仕込んだ
かのように伸ばした背筋と合わせて、厳格な雰囲気を醸し出す。この少女の名は、
黄泉丘三途璃。忍さんと同じく、私と仲の良い個体だ……あくまで普段は。
「夢路」
文字通り鷲のようなイーグルアイが、ぎょろりと私を睨みつける。
「あなた、ホームルーム前に飴を食べてるのね。あなたは真面目な子だと思ってた
のに、がっかりだわ。校則違反は委員長として見過ごせないわよ」
「ち、違うんです三途璃さん! これは忍さんが……」
横目で忍さんを窺うと、実に愉快そうな笑みを口元に浮かべている。ま、まさか
これが目的で私に飴を与えたの……?
「私がどうかしましたか?」
「え、えっと、あの……」
忍さんがにこにこと私に問う。この表情は……だめだ、何を考えてるのかさっぱ
り分からない。でも多分、彼女は自分に責任を押し付けられるのを望んでいない。
そんな事をしたら、にこにこしたまま私の首を飛ばしてきそうだ。
かといって……うう。
三途璃さんは自称した通り、このクラスの学級委員長だ。不真面目な生徒を叱る
権限を持っているし、彼女自身も真面目なので積極的にその役を担う。魔神相手で
さえ物怖じしない彼女が、人間である私にどんな処遇を下すか……想像するだけで
恐ろしい。
「他人のせいにしないの」
三途璃さんが私の顎を指二本で持ち上げ、ずい、と顔を近づけてくる。輝き燃え
る銀色の眼光に、情けなく怯えた私の姿が映る。
「さあ夢路、校則違反の罰はどんなのがいい? 三角木馬と駿河問いならどっちが
好み?」
「わ、私に訊くんですか……っていうか、どっちもよく知らないですけど、拷問の
手法か何かですよね……?」
「そうよ。三角木馬は全裸になって尖った木馬に座る刑、駿河問いは全裸で縛って
吊るし上げる刑ね」
「ど、どうあっても全裸なんですね……」
「安心なさい。刑は私の家でやるから、誰に見られるわけでもないわ」
「安心できる要素が無いのですが……」
「で、どっちがいいの?」
「どっちも嫌……とかは、だめですよね?」
「駄目よ。違反したのなら、罰は必要だもの」
「違反の内容に対して罰が重すぎるような……弁護士を呼ぶのは無しですか?」
「魔神に司法が通じると思う?」
「で、ですよね……」
そうやって開き直られると、私に逃げ場は無い。魔神と人間という絶対的な力関
係の前に、理屈は無意味だ。私は彼女の手のひらから這い出るだけの力を持たない
のだから。
ごくりと息を呑む。その拍子に、甘ったるい塊が「んぐ」喉を通り抜けた。口の
仲には仄かな余韻だけが虚しく漂う。緊張で湿った私の舌は、早くもその余韻さえ
あらかた掃除してしまった。
「……ふぅん」
三途璃さんがぐい、と私の口を開け、愉快そうに笑った。
「証拠隠滅を図ったわね。夢路にしてはやるじゃない」
「え、ええと……」
「ホームルームまでに食べ終えたのなら、校則違反じゃないわね。グレーゾーンだ
けど、今回は多めに見てあげる。拷問は、次の機会を待つとするわ」
「……」
三途璃さんはそう言って私を解放した。離れ際に人差し指で私の唇をなぞり、そ
のまま自分の口に運び、舐める。
「ん、甘い」
「え、ええと……」
「早く席に着きなさい。そろそろチャイムが鳴る時間よ」
そう言い残して、三途璃さんは私に背を向け、自分の席へ戻っていった。
彼女の言葉に逆らうまいと、無意識に身体が椅子に沈む。へたり込むように放心
した私を見た忍さんが「大変ですねえ」などと他人事のように口にした。
大変ですねって……そりゃ大変ですよと言う他無い。どの口が、とは言えない。
チャイムが鳴り、ホームルームが始まった。
私は今日だけで、一体何度自分の身を案じなければならないのだろう。
こんな調子では、先が思いやられるなあ……