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『宇宙的恐怖』というジャンルの読み物がある。
詳しくは知らないけど、要するに『広大な宇宙やそこに巣くう超存在から見た人
間の繁栄が、いかに脆くてちっぽけであるか』を描いたお話……らしい。
多分今、実際に人類はそんな状況に置かれている。
始まりはつい一ヶ月ほど前の事。
日本に住む普通の人間だった十人くらいの高校生が突如として人間を辞め、後に
『魔神』と呼ばれる特異な能力を持った新たな生物として覚醒したのは。
魔神によって、世紀末が訪れた。
既に人類の八割が死に絶え、ほとんどの主要国家が消滅した。
繰り返すけれど、たった一ヶ月で……である。
対する魔神側は、誰一人として欠けていない。人類からの総攻撃を受けて尚、ほ
んの僅かな戦力さえも削れなかった。それどころか、まともに人類と戦った個体は
半数にも満たない。その身に宿した異能力をフル活用し、全力を出した個体なんて
一体たりともいない。
人類の死力を尽くした戦いも、魔神にとっては片手間の面倒事ですらないのだ。
残された人類の文明は、魔神達の気まぐれであっさりと消されてしまうだろう。
これが恐怖でないと言うのなら、きっとこの世に恐怖なんてものは無い。
……少し前置きが長くなって申し訳ないと思う。ごめんだけど、もう少し続く。
でもここらで一つ安心してほしい。暗い話ばかりじゃないから。
ここまでやられっぱなしの人類だけど、たった一つだけ光明がある。魔神達の中
に諜報員を一名、潜入させる事に成功したのだ。
魔神達の気まぐれを内側から抑え、あわよくば殲滅のための手がかりを探す。そ
れがこの私、不破夢路に課せられた唯一にして絶対の使命である。
「はあ……」
あまりの重圧に、溜息を零さずにはいられない。だって私、ただの人間だし。異
能力どころか格闘術の一つも履修していない、ごく普通の一般人だ。そんな私がど
うして世界の危機という重圧を背負わなければならないのだろう。
答えは簡単、私にしか出来ないからだ。
どんなに気が重くとも、気が進まなくとも、やらなければ人類皆で共倒れだ。頑
張らないという選択は、もはやない。
私にも、人類にも。
蝸牛のような速度で前へ進む。目指すは魔神達の巣窟だ。
そんな決意を新たにしたところで、突然背後から声がかけられた。
「おっはよー!」
よく通る元気な声だ。振り返ると、セーラー服を着た少女がそこにいた。
流れるような美しい金髪を両側頭部に携え、ツインテールを結わえた中肉中背。
金剛石のように輝く瞳に、幼さが残る端正な顔立ち。一般的な観点からして、間違
いなく美人だと断言できるその少女は、こちらに敵意の無い笑みを浮かべていた。
「むーちゃん、今日は随分早いねえ」
私の夢路という名前から『夢』の一文字を取って幼稚な呼び方をする彼女は、無
邪気に私に問いかける。
「何かいい事でもあったの?」
「……ううん、そういうわけじゃないけど」
「またせーふの人と話してたの?」
「……そんなとこ」
「へーえ。まあどうでもいっか。今日はわたしと一緒だよ!」
少女は私の手を取り、マイペースに歩き始めた。
この金髪少女の名は大神照。私の昔の友達で、無邪気で人懐っこい。
でも油断しちゃだめだ。こう見えて彼女は、人類が文明の存続を賭けて用意した
全二千万人の連合軍を、たった一人で消し飛ばしたバケモノなのだから。
「ねえねえむーちゃん、今日の放課後一緒に遊びに行こうよ」
「いいけど……どこに行くの?」
「むーちゃんと一緒ならどこでもいいよ!」
「……じゃあ、図書館に行こうか」
「えー、わたし本とか読めないんだけど!」
「照がどこでもいいって言うから」
「ん……まあ、ね。でも本読んでる時はむーちゃん構ってくれないもん」
「本読んでるからね……じゃあ別のところにする?」
「いや、図書館でいいよ! むーちゃんのお膝でお昼寝するから!」
「それ私いる……? いや、照がいいならいいけど」
「いい!」
予定が決まった照は嬉しそうに腕を振り回す。本当に子どもみたいだ。こうして
普通に会話していると、彼女がもはや人間じゃないという事を忘れそうだ。
でも照が魔神で、彼女が友達のいる生活を望んだからこそ、私はここに連れて来
られたというのを忘れてはならない。
ごく普通の一般人である私が諜報員足りえたたった一つの理由……それは、照と
友達だからというだけの話だ。
多分、私の存在は照という個体の脅威を多少なりとも和らげているはずだ。
見たところ、照はかなり人間である私に関心を寄せている。だからこそ私と同じ
人間を弄ぼうとは思わないだろう。
魔神は簡単に人間を殺害する。
でもその性質は、人間を慈しむ心を持てば変わるはずだ。
今は照だけだけど、もしも魔神全員から関心を寄せられたなら、もはや魔神は脅
威ではなくなる。
それこそが私の諜報活動の目標であり、人類が助かる唯一の道。
多分、すごく難しいと思う。
たった一人から好かれるのも大変なのに、十人近くとなると困難を極める。
でもさっきも言った通り、私がやるしかない。
人類のため、未来のため。私は皆に媚びへつらい、八方美人になる。
……頑張ろう。