0 君がまだ恋をしてない頃のお話
*流血表現にご注意ください。
『白銀の戦乙女』彼女がそう呼ばれるようになったのはいつからだろう。
剣を持ち、戦場を駆ける事が幼い頃からの彼女の日常だった事を考えれば、それは何もおかしなことではない。
守るべき者を庇い傷つき、人並外れた才能故に周りからは恐れられる。
例え誰かに称賛されずとも、自身の家の為に貢献できればそれで彼女はよかったのだ。
「お怪我はございませんか、殿下」
戦いを終えた少女の姿は、傷つきボロボロだった。与えられたはずの美しいドレスは、激しい戦闘を物語るように引き裂かれ、足元まで覆っていた筈の布は所々千切れてしまっている。
美しい白銀の髪は激しく動いた結果によってぼさぼさの有様で。高いヒールを脱ぎ捨てた足元は土に染まり、手のひらに握られた剣には、賊たちと戦った証拠である鮮血が滲んでいた。
今日も護衛の依頼を完遂させたシルヴィーローズ・アンドラストは、表情一つ動かすことなく相手を振り返っていた。
そこに佇んでいたのは、王家特有の赤い髪を持つ一人の青年。顔立ちはきめ細やかな肌と、整ったパーツによって作られており、美形と言われる顔の類だっただろう。意思の強そうな瞳は、そこに佇む少女を前に、驚愕に見開かれたまま固まっていた。
殿下、そう呼ばれた彼の名はイクス・レイヴェルグレイグ。この国の第一王位継承権を持つ者だった。
シルヴィーは今日、騎士団からの命により彼の護衛を行っていたのである。
華奢な体つきからは想像もつかない戦闘能力を前にして固まるイクスに、再度シルヴィーは尋ねた。
「どこかお怪我をされていますか?」
「……いや」
「そうですか、では迎えの者がそろそろ参りますので。殿下はそちらの方で休まれていてください。私はこの者たちが逃げ出さぬように縛り上げておきますので」
彼女にとって、命を懸けた戦いなど日常茶飯事なのだろう。涼やかな表情のまま地面に横たわる男たちを、何食わぬ顔で一か所に集め始めた彼女は、どこから取り出したのか分からない縄を手にすると器用に伸びている男たちを纏め上げていく。
その様子を少し離れた場所から見ていたイクスは、手際よく男たちを締め上げていくそんなシルヴィーの姿をただ静かに、熱い視線のまま見つめていたのだった。
それが、今から一月前の出来事である。
シルヴィーローズ・アンドラストは、誇り高いアンドラスト家の長女として生まれ、騎士を多く輩出する家系でただ一人の女児として生まれた。
そんな彼女は、幼いころから剣を学び、物心つくころから戦いに明け暮れる毎日を過ごしていた。彼女は、アンドラスト家の中でも秀でた剣技の持ち主だった。故に、幼いころから戦場に立つことが多かった彼女は、いつからか『白銀の戦乙女』と呼ばれるようになっていた。
そんな彼女は、今年で18歳を迎える。15歳の時に騎士団の門をくぐった彼女は、見事にその才を発揮し、現在は王族を護衛する精鋭部隊の一番隊に所属していた。そんな彼女が一月前に王太子殿下を護衛したあの日から、シルヴィーは第一王位継承者であるイクスと形だけの婚約者として週に一度デートと呼ばれる時間を過ごしていたのである。
今日は、彼と過ごす四度目のデートの日だ。
「おはよう、シルヴィー。今日もいい天気だね」
「おはようございます、殿下。昨晩は雨が降っていたので、少し心配でしたが晴れて良かったです」
アンドラスト家の前まで馬車を用意して迎えに来たイクスに対し、エスコートされるシルヴィーの表情は相変わらず冷淡だった。
にこやかに笑いかけるイクスとは打って変わって彼女はにこりともしない。元々感情の起伏が少ないと言われている少女なのでそうして喋る姿は、からくり人形のような妖しさを醸し出している。
見目は母親譲りの美しい顔立ちで、長髪の白銀の髪は腰辺りまで伸ばされており、長いまつ毛の奥には宝石のように美しいサファイアブルーが覗けている。戦場に立てば負けなしの実力を有しているとは思えないほど、可憐で美しいのが彼女であった。
そんなシルヴィーの髪には、イクスが前回のデートでプレゼントした髪飾りが付いているようだった。緑の宝石が付けられた、蝶をあしらった美しい髪飾りは、彼女の白銀の髪に良く映える。
それを目にしたイクスは、嬉し気な様子で声をかけた。
「その髪飾り、やっぱり君に良く似合っているね」
「有難うございます、私にこのような装飾の髪飾りが似合うかは分かりませんが、殿下にそう仰っていただけて嬉しいです」
「君ならどんな髪飾りだって似合うさ」
感情の起伏があまりない、とはいっても、彼女をよく見ているとその表情は意外にもイクスの前ではころころと変化を見せていた。
イクスからの誉め言葉を受け取った彼女は、ほんのわずかに目元を緩めて礼を口にする姿が見える。
イクスからの熱い視線を受けて、シルヴィーはただ静かな表情を浮かべたまま、ゆっくりと視線を窓の外へと向ける。
密室の小さな空間に二人だけで座る時間で、彼女は何を感じているのだろう。
そこにある美しい青い色合いの瞳は、眩しそうに露によって輝く窓の外を見つめながら。
「眩しいですね」
と呟いていた。
イクス・レイヴェルグレイグは、あの日からこの令嬢に恋をしていたのである。
きっと、シルヴィー本人は自分との婚約を『仕事』の一環として考えているようだったが、この男は毛頭彼女を逃がすつもりは無かったのだ。
シルヴィーの言葉に、彼はただ一言、彼女だけをその視界に捉えて。
「そうだね」
と答えるのだった。