下山
「あ、あのちょっと」
小豆はこわばってうまく動かない口を必死に動かして喋ろうとする。少女は小豆のジャケットについている警察の紋章を見て、顔を歪め、去ろうとする。
「ちょ、ちょっと!うわっ!」
少女を追おうと立ったところ、痺れた足がもつれて盛大に顔から転ぶ。地味な痛みが走る。
顔を上げると、思いっきり引いた顔をしている少女が崖上に見えた。一部始終を見ていたらしい。恥ずかしいが、とにかく少女の元に向かうべく、崖を這い上がって登る。
「あ、ありがとう。本当にありがとう。死ぬところだった……」
少女は警戒しているのか、目線を合わせようとしない。
商店街で会ったときは、暗くてよく見えていなかったが、その見た目から外国から来た少女だと思った。自販機の使い方もわからなかったみたいだし、スーツケースもかなり大きかった。けれどよく見ると顔立ちは日本人に近い。
「それで、どうしてここにいるの?」
「……」
「それは……ライフル?」
警戒が増して強くなる。とりあえず、警戒を解くためにも名乗ってみる。
「えっと、僕は小豆。村井小豆。ちょっといったところの、牛村警察署にいるんだけど、」
「……そうですか」
名乗ったが、まだ少女は警戒を緩めない。チラチラとこちらを見るだけだ。もしかしたら、警察に連れて行かれると思っているのかもしれない。
「あの、僕何もしないから、大丈夫だよ。って言われても、怪しいか」
少女がやっとこちらを向く。やはりそれを警戒していたようだ。
「えっと、とりあえず、また熊が出たら危ないから、下降りよう?」
返事はなかったが、少女はライフルバッグを背負い直して小豆の後についていく。小豆は、できるだけ緩やかな道を選びつつ下山していく。
でこぼこの獣道を歩きながらなるべく警戒されないように声をかける。
「そういえば、この間商店街でアイス買ってた子だよね」
「あ」
小豆のことを思い出したらしく、ぺこりとお辞儀する。
「ありがとうございます」
「全然!こっちこそ、暗くて外人さんかと思って話しかけちゃって」
それきり、会話は途切れてしまった。黙々と下山し、小一時間かけて牧場横まで出てきた。
「えっと、お家はどの辺?送って行こうか?」
少女はふるふると首を振った。自分で帰ります、と。
「あ、そっか。ありがとう、本当に助かったよ」
少女は軽く会釈して町の方に歩いていく。
幻だったんじゃないかと思うほどにあっという間の出来事だった。今になって疲れがどさどさと押し寄せてくる。気だるい体を引きずって、署に戻る。
役場に熊の処理を要請し、報告書を書いて、牧場にも連絡を入れないといけない。さっき対峙した熊一匹は駆除できたかもしれないが、まだいるかもしれない。その点も連絡しなければならない。
山積みの仕事を考えるとさらに重くなる体を引きずって、黄昏色の田舎道を歩いて行った。