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朝、福島駅東口に出たケータは、近くのミスドへ入り、何種類ものドーナツを10個購入。
金銭的に厳しいというのに、出費が激しいついこの頃。
自転車の修理、もしくは新車を買うつもりだったのに、なぜか、働けば働くほど財布から金が去っていく。
これも因果応報といえば納得せざるを得ない。
謎の少女、野村 椛を轢いてしまった時点で、責任は免れない。
本人が許しても、お天道様は許してくれなかったようだ。
そして、今から出向く場所は、考えるだけで胸が痛い。
憂鬱になるが、覚悟を決めて待ち合わせ場所へと歩いていく。
フォーラムまで足を進めると、さらに緊張感が増した。
なぜなら、店の前に鈴音の姿があったからだ。
鎖骨が露わとなっている暗いグレーのトップスに、下は黒のジャージ姿でスマホをいじっていた。
ケータは自然と足早になり、彼女に近寄っては挨拶を交わす。
「おはようございます、星さん」
「ッ! おはよ…」
声をかけられ、横目でケータを視認し、時間を確認する。
「早くない? 集合時間20分前なんだけど」
「いや待たせちゃいけないと思って、早めに出てきたんですけど…」
「…へェ」
どうやら、彼女も同じだったようだ。
「それ、何?」
鈴音は、ケータの手にある袋に関心を向ける。
「ああ、これは迷惑をかけてしまったお詫びも兼ねて…。
良かったら椛と食べてください」
「そう、ありがとね」
鈴音の乾いた返事に、ケータは若干違和感を覚えるが、気にすることなく頭を下げる。
「あのッ、ありがとうございます。
見ず知らずの子を、急なお願いを聞いてくれて、本当に感謝してます。
何度も迷惑をかけてしまい、申し訳ございません」
「…いいよ、別に」
心からの謝意を示すが、彼女の反応は薄く、しばらく気まずい空気が流れた。
「それじゃ、行こっか」
「あッ、はい」
鈴音がスマホをしまうと、先導する背中をケータは素直についていった。
交通量の多い場所から離れ、高架下を歩いていくうちに公園が現れる。
鈴音は、なぜかその公園に入っていき、ベンチに座った。
あれ? まっすぐ家に行くのでは――?
疑問を抱くケータに、鈴音は足を組んで口を開く。
「アンタに訊きたいことがあるんだけど――。
あの子、椛のことなんだけど、自分の保身のために警察に行かなかったって言ってたけど、他に理由があったんじゃないの?」
「…と、言いますと?」
「何か事件に関与してるんじゃないか、とか」
ケータは何も反応せず、鈴音の話に耳を傾ける。
――昨日、椛をお風呂に入れた時、体のあちこちに擦過傷があった。
最初、アンタが原因かと思ったけど、それにしては範囲が大きすぎる。
あれは、明らかに自転車でできた怪我じゃない。
何かもっと大きな事故にあったんだと思う。
持ち物も確認したけど、手がかりになるものはなかった。
アンタ、あの子の傷を見て何かしらの事件に巻き込まれたって考えたんじゃないの?
「――仮に、記憶喪失が本当だったとしても、あの子に刺激を与えないよう、保身のためとか言って矛先を自分に向けた。
そうじゃないの?」
そう尋ねられて観念したのか、重苦しい沈黙の中、ケータは口を開く。
「確かに、大体は星さんの言った通りです。
傷からして只事ではないですし、多分、警察に行ったら逆効果だろうと思ったんで」
「逆効果?」
身元不明で事件性が高いはずなのにと、当然の疑問を抱く彼女に、ケータは話を続ける。
「ここ最近、ネットニュースやテレビでそれらしい報道がされていないところを見ると、おそらく強い圧力によって揉み消されたんでしょうね。
隠蔽するくらいですから、よほど世間にバレてはまずいことに関わっていたんでしょう。
もし、椛を警察に渡したりでもすれば、その後、何をされるか分かったものではありません」
真面目に説明している彼に対し、鈴音は、ぽかんと口を開けていた。
「…何です?」
「アンタ、何言ってんの?」
ケータの突拍子もない妄想に呆然としてしまう。
「もしかして、陰謀論とか好きなタイプ?」
「いや、実際あるんですよ。
警察よりも権力が上で、マスコミの情報操作が可能な組織ってのが」
「…へェ」
ケータに冷ややかな視線を向け、とりあえず耳を傾けることにした。
「ちなみに何なの?」
「それはちょっと…。
ただ、その筋に詳しい人と知り合いで…」
「あっそ」
そういえば、こいつもオタクだったわ。
特設帰宅部の男子陣を思い出し、アニメやマンガ好きな生徒ばかりで、中二病を患っていてもおかしくはなく、信憑性が薄く感じてしまった。
「とにかく話を戻しますけど、保身のためってのは本当ですよ。
世間体気になっちゃうんで。
でも、その罪を背負う以上、相応の対応をするつもりで椛と接しているので、責任は取りますよ」
「そう、分かった」
ケータの言い訳を聞いてゆっくりと腰を上げ、ベンチから離れた。
「少し遅くなっちゃった。
あの子が心配しちゃう」
そう言って、また先に行き、ケータは黙って後をついていくのだった。
5階建てのマンションに到着すると、ケータが唖然と見上げていた。
「どうかした?」
「いや、いいところに住んでるんだなァと思いまして」
「あっそ…」
鈴音が気にすることなく、自動ドアの中へと歩いて行ったので、ケータも慌ててエントランスに入っていく。
非接触キーでさらに自動ドアが開き、奥のエレベーターに乗ると5階の表示を目にする。
エレベーターから出て端の部屋へと向かっていく。
「もしかして、星さん家って角部屋?」
「そうだけど、なんで?」
「いやマンションの最上階で角部屋って、かなりの好物件だなって」
「そうなの? 気にしたこと無いからわかんないわ」
「もしかして、星さん家って金持ち?」
「さあ? 父親は医者だけど――」
「医者ァッ!?」
鈴音の私生活が自身と比べて次元が違いすぎたため、動揺を隠しきれない。
彼女は部屋の前でオートロックを解除し、玄関に足を踏み入れる。
「どうぞ」
「お邪魔しまァす…」
萎縮しながら視線を落とすと、壁際に見覚えのあるブーツがあった。
その時、廊下の奥から速いテンポで足音がこちらに近づいてきた。
「お帰りな――ッ!
あッ! ケー兄!!」
Tシャツハーフパンツ姿の椛が出迎え、ケータの姿にパァッと表情が明るくなっていった。
「おはよう、椛」
「おはようなのだッ、ケー兄!!」
鈴音は、椛の活気のある挨拶に、自身への態度との違いに違和感を覚えた。
「ケー兄、どうしたのだ? 元気がないのだッ」
椛は、ケータの様子に違和感を覚えて素直に尋ねてみる。
「椛が元気すぎるんだよ」
鈴音の前で苦笑するケータは、あまり触れないで欲しいと口に出せずにいた。
苦手な相手といるだけで気疲れするのに、住んでいる場所も天と地の差があることに、これ以上メンタルが保てそうにない。
「分かったッ! 鈴音にまた怒られたのだろう。
鈴音ッ、あまりケー兄に怒らないで欲しいのだッ」
「なんでアタシが悪いことになってんのよ?」
「だって鈴音、さっきよりも眉間のシワが――ッ!!」
椛が皆まで言う前に、鈴音から余計なことを言うなと言わんばかりの圧を発せられ、そっと静かに口を閉じ、怖気づいてしまう。
「あッ、ほらッ! ドーナツ買ってきたんで、せっかくなんで皆で食べましょッ! ねッ!?」
ケータがすかさず仲裁に入り、鈴音にドーナツを差し出す。
彼女の鋭い目が彼に移ると、フンと鼻を鳴らし、両手で箱を受け取っては、黙って奥へと消えてしまった。
「ケー兄、鈴音に何をしたのだ?
今朝はあんな感じじゃなかったのだが?」
「う~ん、特にそんなことは…」
たった短時間の間に機嫌を損なうことはしてないはず…。
ケータは、先ほどの会話を振り返り、自身の発言を思い返す。
――保身のためってのは本当ですよ。
もしかして…。
思い当たる節に、軽率な発言だったかもと反省するのだった。
その後、椛に連れられてリビングに入り、キッチンで飲み物の準備をしている鈴音の姿を横目で流す。
椛がソファーのそばで手招きし、こちらに来るよう勧めてくる。
「ケー兄ッ、こっち! こっちなのだッ!」
「分かったよ」
椛に言われるがままソファーに腰掛けると、彼女も隣に座り、ここに来てからの出来事を語り始める。
「あのなッ、あのなッ!
昨日お風呂に入ったのだがなッ!
鈴音のお風呂は大きくて、足を伸ばしたら思わず溺れそうになったのだッ!!」
「そんなことあったの?
今度から気をつけなよ」
「は~いなのだ」
気持ち良い返事にケータも不意に笑みがこぼれる。
「あとなッ、髪も乾かしてくれたし、料理も美味しくってなッ――!」
興奮気味で話す椛を遠くから窺ってる鈴音。
…アタシといる時よりはしゃいでるんだけど。
お盆にコーヒーを淹れたマグカップを乗せ、砂糖とミルクもつけて2人の元へと向かう。
「はい」
「あッ、ありがとうございます」
「ありがとうなのだッ」
コーヒーを配り、すぐキッチンに戻っては、ドーナツを2個ずつ乗せた小皿を追加で持ってきた。
「お~、美味しそうなのだッ。
いただきますなのだッ」
「はい、いただきます」
椛は、目の前に出されたドーナツに目を輝かせて手を合わせたので、ケータも釣られて両手を合わせる。
「アンタ達、やけに仲が良いよね、何で?」
鈴音は、ずっと引っかかっていた謎を尋ねる。
椛自身が元々人懐っこい性格をしているのだとしても、この短期間で赤の他人を兄と呼ぶほどの関係まで心の距離が縮まっているのは、さすがに不自然だ。
「これといって特には――」
「ケー兄は優しいのだ。
日中のご飯とかおやつとか持ってきてくれたしッ、
まるでお兄ちゃんみたいなのだッ!! あと――」
ケータが答えかけた時、椛が抑えきれずに割って入ってきた。
「夜も一緒に寝てくれたのだッ!!」
ピシッ。
彼女のあどけない一言で、何かしらの亀裂が入ったのだった。




