金の鞍
桜の季節に一際賑わいをみせるその公園の池にはある伝説が残されている。
その場所にはかつて城があった。戦国の世の大戦で落城したおり、もはやこれまでと悟った城主が愛馬とともにその池へ身を投じたという話が残っている。愛馬には金の鞍が付けられていた。
だが、悲劇はそれだけではない。城主の後を追うように愛娘もその池に身を投げたという。これが現代にまで語り継がれる哀れな姫の物語である。
愛馬に付けられていたという金の鞍を巡り、後に大規模な宝探しが始まった。昭和の時代に入ると東京府の援助を受け、ポンプで池の水を抜くという大掛かりな作業まで行われた。
が、いくら探してもお宝は見付からない。それもその筈である。落城した後も城主は生きていたという資料も出てきた。愛娘の話にしても、これは当時活躍していた劇作家の創作なのではないかと言う人もいる。姫の伝説の真相は定かではない。しかし、この話は今も広く伝えられ、毎年盛大な行事が執り行われている。
金の鞍伝説。たとえそれが作られた話であっても、この地域の人々は決して否定はしない。今でこそお宝を探し出そうとする者はいないが、金の鞍のことだけは代々語り継がれているのだ。
ただ、気になる話がある。それは私がこの伝説を知ってから、その地の歴史を調べたときのことだった。古い書物に記された池についての農民の話である。
時は昭和二十年、終戦間近のことだった。その池の近くで兵隊が防空壕を掘っていたという。そのとき土の中から金色に輝く物を見付けた。これは恐らく国宝級のお宝だろうと兵隊は思った。しかし、既に敗戦は火を見るより明らかだった。そうなれば宝などはすべてアメリカにとられてしまうに違いない。そう考えた兵隊は、その宝らしき物をどこかに隠してしまったという。
それが金の鞍なのかどうかは分からない。が、人々の期待を煽るには充分な話なのではないだろうか。
だがそれがどこに隠されたのかは今では知る由もない。