喧嘩
中村が、冷しゃぶにおろしポン酢、その上にネギとレモンスライス、ぐらいのサッパリした顔で風呂から出で来た。着替えは持ってないらしく、同じ服装だった。そういえば鞄らしきものは持っておらず、よく見れば逃亡者特有の危機感が全く感じられなかった。しかし実際に逃亡者に出会った事もなく、案外中村みたいに普段は余裕をぶっこいているものなのかもしれない。
とにかくこの拘束された状態から抜け出さなければ、何か良い交渉条件は無いだろうか。
「サッパリした事だし、次の潜伏先でも探したらどうだ?」
「今のところすぐに移動するつもりはない。」
「警察に助けてもらえばいいじゃないか。」
「俺はまだ何の被害にもあっていない。警察は何もしてくれない。それにおそらくあの組織には警察も手を出せないだろう。」
「おいおい、そんな国家権力も及ばない奴等に一体何をしたんだ?」
「まあ簡単に言えば、交差点でなんとなく空き缶を蹴ったら、タイミング悪く走って来た自転車が踏んで転倒、それを避けようとした大型トラックが急ハンドルを切り踏切に侵入、タイミング悪く走って来た列車はトラックに衝突し脱線、線路沿いにあった花火工場に列車が突っ込んで火薬に引火し大爆発、その爆風を受けた上空のヘリコプターがバランスを失って原子力発電所に」
「あーもう分かったから、十分に分かったよ。とりあえず君がとんでもない事をしでかしたのは分かった。それで捕まればどうなるんだ?」
「おそらく、大変なことになるだろうな。」
「大変なことって?」
「だから、ものすごい事。」
「中村、分からないなら素直に言えよ。」
「分からないが想像は出来る。でもアイツらはきっと想像を遥かに超えてくれるだろう。」
「超えて欲しそうに言うなよ。困るのは君だろ。」
「だが想像を遥かに超えるなんて事は、そうそう起こることじゃない。」
「俺だってそう思ってたさ。でも今の俺は超えちゃったから困っているんだ。君も逃げ切らないと俺みたいになるぞ。」
「何とか逃げ切ってみせる。」
「作戦はあるのか?」
「アイツらも暇じゃ無いんだ。組織の中の優先順位もある。何とか半年逃げ切れば徐々にだが諦めて行くはずだ。」
半年だ、冗談じゃない。そんなにここに潜伏されたらたまらない。たまたま今日から一週間は夏季休暇で仕事は休みだが、まさか椅子に縛られているので半年休みます、で通用するほど世の中は甘くない。いや待てよ、仕事もそうだがトイレは?風呂は?食事は?寝る時はどうなる?何としても中村に次の潜伏先を見つけてもらわねば。
「この家が半年見つからない様な安全な場所だとは思えないが。」
「そうだな、アイツらの情報収集能力はかなりなもんだ。ここが見つかるのは間違いない。だが誰にも見つからず、半年間生活出来る場所なんて、見当もつかない。」
「あったらいいな。」
「晴れたらいいな、みたいな感じで言わないでくれ。」
「なんだよ、心配して言ったんじゃないか。俺に当たるなよ。」
「俺は人生がかかった緊迫した状況なんだ。軽々しい言葉を使うな。」
「俺だって今緊迫した状況じゃないか。見ろよ、正体不明の男の前で椅子に縛られてるんだぞ。」
「椅子に縛られたぐらいでギャーギャーと、正体不明?よく見ろ、中村だぞ。」
「何だその、中村だったら何も問題は無いだろ、みたいなやつ。俺は中村に縛られたんだ。中村なんて悪の親玉じゃないか。」
「椅子に縛られたぐらいが何だ。俺なんてアイツらに捕まってみろ、大変なことになるんだぞ。」
「だから大変なことって何なんだよ。どうせ頭叩かれて、土下座して終わりだろ。大体ビビりすぎなんだよ。俺なんて今現在縛られてる真っ最中じゃないか。現在進行形絶体絶命状態だ!」
「どこが絶体絶命状態なんだ?こんなガムテープで縛られたぐらい、すぐ外せるじゃないか。」
そう言って中村は俺の手足のガムテープをハサミで切った。
「ほらみろ、どうだ、これで君は自由だ。俺なんてみてみろ、今だって追われてるんだぞ、現在進行形追われてる状態だ!」
自由、行動の制限からの解放、喧嘩が始まったと思ったらまさかのタナボタ。
「な、なんか、ありがとう。」
「えっ、ま、まあ、どういたしまして。」
緊張感も取れたのか、思考もクリアに。誰にも見つからず、半年間生活出来る場所、昔行ったあの場所なら出来るかもしれない。
「自由ほど価値のある不自由はない。ジョンソンの椅子からの解放に乾杯。」
「中村、俺の顔見てカタカナの名前で呼ぶ君に、自由の本質を見たよ。固有名詞のクソったれ!」