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夏の蜃気楼  作者: サワヤ
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第4章 返事

 突き抜けてご機嫌な日曜日の午後。春の陽気どころか、秋の透明な空気と夏の青空が混じったような、素晴らしく開放感溢れる快晴だった。


 俺はこれといった目的もなく、近所の自然公園の散歩道を歩いていた。公園とはいえども子供の遊ぶような遊具があるわけではなく、池があったり植物に包まれていたり、曲がりくねった散歩道と、ところどころにベンチがあるだけのものだった。


 昨日の夜は、さてどんな話をしていたんだっけ。慶太と会って話すといつもこうだ。大抵は中身のない話をして、それに終始する。優里さんとは大違いだ。優里さんの言葉はいつだって何かを含んでいて、時にはその言葉が強烈に頭に残る。真意は見えなくとも、彼女の言葉にはなんらかのメッセージがある。


 俺はなるべく足を上げないように、必要最低限の動きでゆっくりと歩いた。運動することが目的ではなく、頭を回すために歩いている。あるいはただ、この素晴らしい天気を体に浴びるために。


 やがて、木々が鬱蒼と生い茂る、まるで森のような場所へとやってきた。散歩道は森の中へと真っ直ぐに続いている。木々の葉に太陽の光はいくらか阻まれ、そこには多少の暗闇があった。


 どうしてかはわからないが、前に進むのが億劫になった。一歩進むたび、影の強さは増していく。森の中へと入っていく。暗いところは好きだ。夜ほど心安らぐ時間帯はない。けれども、この森の暗さは何か違う。心が落ち着かない。晴れているのに暗いという、そのちぐはぐさが不自然なのだ。


 しかし、振り返って道を引き返すこともできなかった。それは散歩道の流れに反する行為だ。道は道であり、そこに意思はない。道が俺を闇に引きずり込もうとしているわけではない。この道には罪がないのだ。ならば俺が道を引き返すのは、道に対する反逆だ。気分が良くないからといって、背を向けて逃げ出すなど、あってはならないことではないか。


 俺は森の中を進んでいく。俺の他には誰もいなかった。聞いたこともない虫の声がした。葉がこすれる音がした。ゆっくりと、しかし確実に俺は歩いて進んでいく。


 森の出口が見えた。出口は光に包まれている。俺は歩く速度を上げた。さあ、戻ろう。光の日曜日に。


 森を抜けると、光が戻った。そして目の前には池があった。学校のプールの半分くらいの大きさだろうか。水面が僅かに波立ち、光に反射して輝いた。散歩道はその池の周りに沿って続いている。


 俺は自然と立ち止まった。そこに理由はなく、自分でそう決めたわけでもない。ただ気付いた時には足が止まっていた、それだけのことだった。そうしてしばらくぼんやりと池を眺めていた。


 そろそろ歩き出そうかと思った時、池の奥にあるベンチに誰かが座っているのが見えた。散歩道を進んでいくと、そこにたどり着ける。俺の先を歩いていた人がいたのだな、と思った。


 その人は女の子のように見えた。女の子とはいえ、おそらくは俺とそれほど変わらないだろう。距離があってよく見えないが、彼女はどうやら白い服を着ている。


 心がざわめくのを感じた。


 彼女には俺の心を震えさせる何かがある。なんだろう。


 俺は目を細める。やはりよく見えない。コンタクトをつけてくるべきだった。まあいい、散歩道を進んでみよう。


 歩き出そうとしたその時、彼女はベンチから立ち上がった。そして彼女は俺を真っ直ぐに見つめた。


 なんだろう。見られている。よく見えないけれど、確かに彼女に見られていると感じる。俺には彼女の顔が見えないけれど、彼女には俺の顔が見えている。もしかすると知っている人なのかもしれない。



 突然、彼女の顔がはっきりと見えた。顔なんて見えるはずがない距離なのに、確かに彼女の顔が見えたのだ。そしてそれは。



「……礼奈?」



 俺は走り出した。心臓が爆発している。手が震えている。彼女の元へ行かなければ、そう思った。


 しかし彼女は走り出した俺の姿を見て、俺に背を向けて歩き出した。さらに奥にある、自然公園の出口へと向かって。


 待ってくれ。どうして遠ざかる。7年振りじゃないか。少し話がしたいんだ。それだけでいいのに。優樹だよ。忘れたのか。



「どうして!」俺は叫んだ。


 彼女は振り返ってはくれなかった。



 俺が息を切らせてそのベンチに着いた時、もう彼女の姿はそこになかった。諦めてベンチに座り、息を整えながら池を眺める。


 礼奈は自然公園を出てしまったと思うけれど、まだ近くにはいるはずだ。追いかければ見つかるかもしれない。でも、礼奈は俺と話したくない。そういう意思表示をされてしまったのだ。それならば俺には追いかける勇気がない。俺は拒絶された。


 どうして。俺が何かしたのか。わからない。礼奈はきっと、俺が俺だと気付いていたはずだ。俺と違って礼奈は視力が良かった。少なくとも7年前までは、ということだが。




 礼奈と最後に会ったのは、そうだ。ちょうど7年前の今頃だった。大学受験が終わり、高校の卒業式の1週間後、3月のことだった。



「こんにちは」と俺は言った。


「ちと遅れた」と礼奈。


「いいよ。大したことない」


「そうだね」


 俺と礼奈は海老名駅の改札前で、顔を合わせた。集合時間は昼の13時だったが、礼奈が姿を見せた時にはもうそれを30分も過ぎていた。大したことなくなどなかった。


 礼奈は薄手のスプリングコートを着て、ちょっとしたハイヒールを履いていた。なんだか大人みたいだ、と俺は思った。


「礼奈と話すなんてずいぶん久しぶりな気がする」と俺は言った。


「私も。告白してくれたあの時以来だけれど、まだ半年くらいしか経ってないのにね」


「ああ。さて、行くか」


「そういや、どこ行くの?」


「町田に決まってる」


「あはは。そうだ。海老名市民の行く場所は町田だけだ」と礼奈は笑った。


 受験が終わった後、俺は礼奈にメールをした。俺も礼奈も無事、別々の大学に受かった。礼奈と2人で会いたい、そう強く思った俺は礼奈にデートの誘いをしたのだ。


 女の子とデートなど、したことがなかった。どうすればいいのかわからない。告白の返事ももらっていない。何もかもが混沌としていて、しかしそれでも会わないといけない、そう思った。大学に入ってしまったら、もう二度と礼奈と会えないかもしれない。そんな予感がしたのだ。


 俺と礼奈は小田急線に乗り、ものの15分ほどで町田に着いた。改札を出ると、服を買いたい、と礼奈が言った。俺は頷き、そのまま駅前の商業ビルへと入った。


「大学はさ、制服がないでしょう。女は手を抜いたら舐められる。だから私は服を買うんだよ」と礼奈は言った。


「礼奈は、その……」


「お洒落なんてしなくてもかわいいって?」


「……まあ」


「優樹には何もしてないように見えるかもしれないけれど、今日だっていろいろ気を使ってんの。それが礼儀でもあるんだよ」


 その時、俺は気付いた。礼奈の髪が綺麗に染まっていることに。ムラがないのだ。もしかすると美容室で染めてもらったのかもしれない。


「あ、髪、綺麗だ」俺は思わず呟いた。


「は? そこだけじゃないよ。女子にはいろいろある。でもまあ、ありがとう」


 そう言って彼女は笑った。驚くくらい輝いている、いつもの笑顔だった。



 それからカフェでアイスコーヒーを飲んだ後、俺と礼奈は何気なくゲームセンターに入り、景品のお菓子を取ったり、ゾンビを倒したりした。ゾンビに3回やられ、礼奈は少し不機嫌そうな顔をした。


 やがて暗くなり始め、駅の近くにある小さなイタリアンに入った。駅から歩いて5分という好立地にしては、客が少なかった。俺と礼奈はそれぞれパスタを食べた。ピザも頼んだかもしれない。


 イタリアンを出て、帰りの小田急線へ。帰宅途中のサラリーマンに囲まれながら、俺と礼奈は無言で電車に揺られた。


 海老名駅に着いて、改札を出た時にはすっかり夜になっていた。まだそれほど遅い時間ではなかったけれど、遅くなる前に別れるべきなのだと何となく感じていた。


「じゃあ、ここで。私、少し用事があるから」と礼奈は言った。


 嘘だ、と俺は思った。改札前で集合して改札前で別れる、その形を守ろうと礼奈は思ったのだ。このデートには俺にとっては大きな意味があって、だからそれを無下にしないために。


「ああ。今日はありがとう」と俺は言った。


 すると礼奈は何かを言おうとして、口を開いた。が、再び口を閉じる。礼奈は俺から目をそらした。


 俺の心臓が突然に暴れ出すのを感じる。礼奈は告白の返事をしようとしているんだ。どうしよう。俺は。


 怖い。


 返事を受け取るのが怖い。今、拒絶されてしまったら俺には何も残らなくなる。礼奈への気持ちを否定されて、そんなものは最初からなければよかったのに、と思ってしまうのが怖い。


「いいよ。返事はいらない。でも、俺は諦めないと思う」気付くと、俺はそんな言葉を発していた。


 礼奈は不思議な表情を見せた。困っているような、安心したような、泣き出しそうな、そういった様々が混じりあった表情に見えた。礼奈が何を考えていたのか、その実際のところはわからないが。


 礼奈の目の奥で、何かが光ったような気がした。その光のようなものは寂しげに、ぼんやりと光った。しかしそれはすぐに消えた。



 しばらく黙っていた礼奈だったが、やがて意を決したように言った。


「それじゃ、また」


 礼奈は俺に背を向けて歩き出す。俺はただ立ち尽くして、ぼんやりと礼奈の背中を眺め続けていた。


 それが礼奈と最後に交わした会話だった。




 24歳の俺は今、この自然公園で再び礼奈に背を向けられた。礼奈は消えてしまったのだ。あの時俺がもし、礼奈の返事を拒絶していなければどうなっただろう。今まで何度も何度も考えてきた。もちろん答えは出ない。答えは礼奈の中にしかないし、その答えを知ることができたとしても、いずれにせよそれはもう過去の話なのだ。


 ベンチに座ったまま、池の向こう側を見やった。さっき俺はあの森の出口にいて、礼奈はこのベンチに座っていた。今は俺がこのベンチに座っていて、礼奈はいない。


 おかしい。今、森の出口に誰かがいたとしても、やはりここからでは顔は見えないだろう。どうして俺はあの時、突然礼奈の顔がはっきりと見えたのだろう。視力が一時的に良くなるなんてことがあり得るのだろうか。


 俺は立ち上がる気力もなく、そのベンチにしばらく座り続けるのだった。

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